本書に取り挙げられている日記作者は引用や言及の回数順( 大略 )に記せば、高見順、伊藤整、山田風太郎、永井荷風を主として、清沢洌、内田百閒、渡辺一夫、大佛次郎、徳川夢声、古川ロッパ、高村光太郎、野口米次郎と多彩である。
戦争の評価に深入りせず、生活とくに食生活に関心を集中している荷風は特異であり、銀行員として米国やフランスで生活した彼には「鬼畜米英」的風潮にページを割く気になれなかったのかもしれない。逆に熱烈に「大東亜戦争」を肯定している作家 (将来の )の代表は伊藤整と山田風太郎である。米国で激しい人種差別を経験した高村光太郎や野口米次郎が戦争を肯定しているのは理解できるが、伊藤整と山田風太郎に海外体験はない。とくに伊藤はジェームズ・ジョイスの翻訳者として抜群の英語力を有し、小樽高商生時代には英米人教師に接した筈なのが信じられないほどの対米戦肯定者だったし、山田も当時医学生だったことが信じられないほど既にフランス文学やロシア文学に通じていたインテリだったのに伊藤と五十歩百歩の反米派であり、戦後しばらくも見解を改めず、復讐戦を熱望したのは驚きである。
結局、最もバランスの取れた見解を書き記しキーンが最も多く言及や引用をしているのは高見順である。戦前の左翼運動に参加して特高に「転向」を強いられた彼が「大東亜戦争」に批判的なのは自然だし、従軍作家として中国戦線に送られ皇軍兵士の蛮行を目撃した。だが、それを指摘しながらも特攻機に涙し、戦後の同胞の苦難には深く心を痛めている。また、戦後直ちに米兵向けの売春施設を用意した日本人、戦時中の英語全廃でバットやチェリー ( 分かるかな?)を廃止し、戦後あたらしいタバコにピースと名づけた日本人には「極端から極端へ。日本の浅薄さがこんなところにも窺える」と批判している。他方、ロッパはGHQの指令で歌舞伎が全面的に禁止されたことを評して「アメリカ人の芸術の分からなさが、先づ嘆かわしい。............敗戦国のみじめさは、地理歴史の廃止の次に、かういふものが控えていた」と評している。
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