2016年7月21日木曜日

シルバー民主主義

最近、シルバー民主主義という言葉にしばしば出会う。その意味は「老人の老人による老人のための民主主義」とでも言ったらよいだろうか。人口で他の世代に優越する老人の票が老人層の利益を排他的に守っているということであろう。それに文句があるなら壮年や青年 ( いまや18歳から!)はもっと投票所に行けというのは理屈として間違っていないが、独裁国家のように投票を暗黙裡にでも強制することはできないし、暇な老人の投票率に勝ることは難しい。

シルバー民主主義が問題視されるのは具体的には限られた国家予算が高齢者の年金や医療費に過剰に使われていると言うことだろう。現在の年金額が多くないと言っても、将来は現役世代の二人の収入が老人一人の年金を負担する ( 制度発足時には十何人で一人だったとか ) ということなら相対的には多額だと言える。 さらに毎年1兆円づつ増える医療費の大部分が老人医療費のようだ。

老人の一人として無論言い分はある。NHKの朝ドラで目下連日紹介されている戦後の絶対的貧困を我が国が脱したのは老人世代 ( 私のというより主に私の父母の世代 ) の努力による。当時「酷電」と呼ばれた超満員の電車で毎日通勤した人たちの苦労だけでもよくぞ我慢したと言いたくなる。政府の「持ち家政策」に乗せられてローンで入手した自宅は確実に次の世代に相続される。高齢者は年金も医療費も相当に遇されて良いとの意見もあろう。

しかし医療や年金の制度を支える世代の人間が大幅に減少するのが確実である以上、老人福祉は何処かで制限せざるをえない。さしあたりすべての老人が医療費を最低2割負担することは急務であり、消費税も手遅れにならないうちに10%以上にすることが必要だろう。特に前者は世代間の公平のために必要である。民主主義になったが故に後世の財政破綻が避けられなくなったと後世から言われないようにしたい。

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