戦前の国鉄渋谷駅は今と同じ場所にあったが、忠犬ハチ公の像は現在よりずっと駅寄りにあったと思う。現在のハチ公前広場は当時は市電の出発駅で、三つぐらいのプラットホーム ( と言っても地表といくらも違わない高さ ) から各方面に路面電車が出発していた。当時井の頭線 ( 帝都電鉄と言った ) の沿線に住んでいた私は母親に連れられて銀座や日本橋のデパートに行くためこの市電をよく利用した ( 地下鉄はまだ無かった ) 。どのデパートだったかは分からないが、建物の中央が吹き抜けだったことを記憶しているので松屋か日本橋三越だったのだろう。当時の渋谷にはデパートはなかった。
戦後間も無く路面電車が廃止され、代わりのバスの発着場は東に移った。大学生となり上京して再び渋谷駅を利用するようになったが、渋谷食堂 ( 渋食 ) で五目焼きそばをときどき食べるのが楽しみだった。現在のスクランブル交差点付近でデモに参加し、警官隊に道玄坂を追われたこともある。警察がデモを許可しなかったのか、それとも自治会幹部たちが無届けデモをして一般学生に警察への敵意を持たせたかったのだろうか。
いまやハチ公前広場は国際的な名所となり、昨日も外国人の若者が目立った。中国人が識別できればさらに多く感じただろう。これは外国人の増加のためではなかろうがエイズの予防活動 ( 無料検診 ) が行われており、私にまでビラと男性用防止具?が手渡された!
ハチ公が主人の死後も渋谷駅に日参したのは食べ物をもらうためだったとの説を読んだ記憶がある。しかし犬好きの私は信じたくない。ハチ公前広場は忠犬の伝説とともにいつまでも若者たちの集合場所であって欲しい。
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