2014年12月31日水曜日

国土の均衡ある発展は?

エアアジア航空機の墜落が確認されたようだ。格安航空会社の便だから危険ということではなく、想定外の天候不良だったのだろうが、飛行中の航空機事故は惨事とならざるを得ない。それでも他の交通機関と比べて航空便の便利さは長距離では圧倒的である。札幌から羽田への移動時間と羽田から多摩市の自宅への移動時間はほとんど同じだった!

私が初めて北海道を訪ねたとき未だ津軽海峡トンネルは無かったが、今や新幹線で北海道( 函館までだが )に行ける時代となった。洞爺丸沈没も名作映画『飢餓海峡』も遠い記憶となった (主演の三國連太郎も左幸子も )。私は札幌への新幹線開通を心待ちにしている。降雪による欠航も考えれば空路以外にも複数の交通手段があっても良い( 異常気象の増加もある )。

とはいえ、リニア新幹線が必要かとなると、いくら.JR東海が自己資金で建設するといっても首を傾げたくなる。恐らく東海地震も裏の建設理由なのだろうが、テレビ電話も更に改良されるだろう。人口減少時代に表日本、それも東京・阪神間だけに投資を集中することが妥当だろうか。田中角栄元首相の「日本列島改造論」に問題はあったかもしれないが、「国土の均衡ある発展」は間違いではなかったろう。日本海側の大雪情報を聞くたびに、太平洋側とのあまりの違いが気になる。もう声を上げても遅いかもしれないが..........。

2014年12月29日月曜日

中国の広大さ

NHKのBSプレミアムで二日にわたり「星の生まれる海へ」前後編を見た。黄河の最源流の地である(青海省の)「星宿海」と呼ばれる広大な湖沼地帯(海抜4000米台)まで黄河をさかのぼる番組で、今さらながら中国の広大さに圧倒される思いだった。

星宿海というロマンチックな名称は何十何百とある沼を星に見立てたのかと思ったら、文字どうりそれぞれの沼が夜に空の星々を映すことから名づけられたようだ。住民はほとんどチベット仏教の信者で、これはチベットや青海省だけでなく、中国の西部一帯( 四川、雲南など中国本部の諸省の西部も )も同じである。中国がチベットの独立を断固拒否するのはそのためだろう。

中国の二大大河 (黄河と長江 )の源流は青蔵高原の極めて近いところに発する。二十年ほど前、私は雲南省の大理 (大理石の産地 )から更に奥地の長江上流部 (重慶のさらに上流 )の、長江をまたぐ最初の橋(という)の先の虎跳峡(幅四、五十メートルあり、虎も跳べまい)を訪ねた。もはや源流部とは言えないが、既に長江は濁流だった。途方もない国だと思った。

雲南省の省都昆明は日中戦争時、(将来の)連合国が蒋介石の中国に援助物資を送ったビルマルートの中国側の拠点だった。当時使用された飛行場の跡があるとか。ロシアに奥深く攻め入って敗北したナポレオンの轍を踏むと予想した日本の指導者は居なかったのだろうか。居ても少数だったということか。

2014年12月27日土曜日

完全な入試方法などない

中教審が大学入試の改善のためプレゼンテーション能力や面接を加えた選抜方法を提案している。机上の空論にしか思えない。法政大学の受験者は十万人( ? )に達すると新聞で読んだ。この記憶が正しくないとしても受験者一万人以上の大学はザラにあるだろう。そこで丁寧な人物考査がなされるはずがない。

問題は実際的困難( これも巨大だが )だけではない。そもそも面接評価からは主観性を排除できない。面接担当者がどれほど努力しても、仮に相当の時間をかけたとしても主観的評価を排除できない。

私は公平性は入試の絶対条件だと考える。私はかつて受験有名校で教えたことがある。厳しい受験競争の渦中の生徒たちに同情したが、「今後の人生で大学入試ほど公正な扱いを受けることは二度とないと思え」と彼らを励ました。もし公平性が確保されないと思えば彼らはこれまでほど努力をしなくなるだろう。

むろん人間の能力は多面的であり、現在の入試はそれを充分評価できないだろう。しかし欠点を是正するために公平性に疑問が生ずることは避けるべきである。

もし仮に完全無欠の入試方法があるとすれば( 私はそう思わないが )、有名一流大学以外の大学生は能力が絶対的に劣ることになる。何と彼らは浮かばれないことか! だが実際には彼らから無数の優れた人材が生まれている(ノーベル賞が全てではないが、下村脩氏、中村修二氏、それに山中伸弥氏も!)。人間の能力の多面性を考えれば当然のことである。完全を求めて角を矯めて牛を殺すことがあってはならない。

2014年12月18日木曜日

米国とキューバの和解

オバマ政権がキューバとの国交正常化を目指すという。順調にいけば両国にとって有益である。共和党が和解の邪魔をしないよう願う。

1959年のキューバ革命以前、米国の企業は親米的バティスタ政権を支持していたとされるが、同国
のジャーナリストにはカストロの反乱軍を支援する気運があった。軍人出身のバティスタが独裁者だからという米国人好みの反対理由もあったが、私は原住民と中国人の血をひくバティスタへの米国人のレイシズムの疑いを持っていた( 何しろ白皙長身のカストロとでは違いすぎた! )。しかし、米国人ジャーナリストが勝手に作り上げた独裁者と闘う民主主義者カストロの像は一年ともたず、米系資産の接収を機に米国のマスコミには反米主義者となった。当時は米国の頑なな政策がカストロを共産主義に追いやったとの見方が強かったが、カストロの米国資本主義への敵意はそんな根の浅いものではなかったろう。

1962年のキューバ・ミサイル危機はソ連のミサイルの撤去で終わったが、キューバへのミサイルの持ち込みはソ連が要求したともキューバが望んだとも言われた。真相はともかく、カストロが撤去に反対したことは事実のようだ。毛沢東と同様にカストロが、ソ連共産主義が勝利するなら原水爆戦争も辞さない「革命家」だった可能性は小さくない(その点で革命家ではなかったフルシチョフと違うだろう )。もっとも、それ以前にケネディ大統領はCIAによるカストロ暗殺を許可していたと言われるので、米国の手が汚れていなかった訳でもない。

過去はどうあれ、ソ連共産主義が崩壊した現在、米国が軍事的にはもちろんイデオロギーの上でもキューバを恐れる理由は乏しいし、キューバにも米国を敵視する理由は無くなった。キューバとの和解が、何でも反対の共和党右派に手を焼くオバマ氏の功績の一つとなるよう願う。

2014年12月16日火曜日

家康の特許状

毎年一回? 二年間留学した英国のカレッジの通信Newsletterが送られてくる。離れてから五十年近くともなればカレッジの近況にそれほど関心も持てないので、丁寧に目を通すこともなく屑篭に放り込んでいた。しかし今回はカラー刷りで28ページの特別版だったのでさらりと目を通したら、日本語の立派な手紙の写真が載っていた。説明文を読んだら400年前家康が英国人に貿易と居住を許すとした七箇条の特許状だった。1985年に大学 (University )図書館で見つかったのだが、中国関係の文書ファイルに紛れていたのだという。達筆で私には読めないが、専門家が見たら何がしかの発見があるかもしれない。

通信の最後のページにカレッジへの今年の寄付者 (250人ほど )のリストがあった。春ごろのブログに書いたように私もその一人なので、Hの箇所を探したら私の名前もあった (ためしに他に8人の同胞の名前があった )。これでオレオレ詐欺でなかったことは確認できた!

リストの反対のページにカレッジの初代学長のDeakinを記念する会の記事があった。入会すると行事への招待などの特典があるとか。氏の温顔には何度か接したが出席する可能性もないだろう (寄付要請が怖い? )。氏は日本学者のR.ストーリーとの共著でゾルゲ事件を書いている (河合秀和氏の邦訳有り )。
氏は第二次大戦中、ユーゴスラビアの反独レジスタンスとの連絡のためドイツ軍占領下の同国に落下傘で降下した。英国では戦争中、外国語の出来る知識人は諜報活動に従事した人が少なくないが、ここまでした人は少ないだろう。

2014年12月14日日曜日

日本語の劣化を防止せよ?

内舘牧子の『カネを積まれても使いたくない日本語』( 朝日新書 )をテレビの『久米書店』(久米宏の書評番組らしい。始めて視聴 )で取り挙げていた。一度読みたいと思っていたので買わないで済ませようとチャンネルを回した! 番組での内容紹介によると、1 ) チョー、やっぱ、ぶっちゃけ、マジ、ヤバイなど若者から広まった短縮語系?   2 ) とか、みたいな、かな、などを語尾につけてハッキリ物を言わない言い方、  3 ) 「お訴えさせて頂く」式の政治家や、客商売のマニュアル通りの表現など過剰なへりくだりの三種に分類されていた。しかしテレビでは2と3が主として槍玉に挙がっていた。

私は、2は相手との意見の対立を緩和しようとする日本的な便法でそれほど不快でも無かったし、3も日本語に悪影響を与えるほどではないと思うが、1は日本語劣化に一役買いかねないと考えてきた。「言葉は生きている」ことは認めざるを得ないとしても、短縮系で何れだけ時間の短縮になるというのか( むろん短縮自体が目的ではないと思うが )。さらに言えば、「真逆」、「自分的には」、「メーン」など、これ迄の「正反対」、「自分としては」、「メイン」では何がいけないのか! 

最後の「メーン」は某新聞が用語をこれに統一したようなので (他のメディアはそうではない )、せっかく原語の発音により近く、「メイン・ダイニング」、「メイン・コース」など広く使われているのに何故かと投書したが無論不採用となった。その後調べたら、岩波の「広辞苑」や「国語辞典」が「メーン」を採用していると知った。岩波文化をやたら有り難がる新聞とは知っていたが.....。ところが二、三日前に「メイン」が複数回使用されていた。これが良い方向への変化だったら良いのだが。


2014年12月11日木曜日

米国の人種差別

米国で黒人が白人警官に殺される事件が相次いでいる。ケースごとに地域の実情は異なるようだが、結果として不審行動ないし不法行動中と見なされ、あっという間に殺された点は共通している。銃が簡単に手に入る米国では日本の警察官のような慎重な行動を求めることは実際的ではないだろう。だが、それにしても警官が簡単に発砲するとの印象は強い。黒人たちが憤るのも理解できる。オバマ大統領の立場はひときわ苦しい。

人種差別とりわけ黒人差別は米国の宿痾と言ってよかろう。独立宣言の「すべての人は平等に造られた」のすべての人に黒人( と女性 )は含まれなかった。「建国の父祖たち」にはジェファーソンら奴隷主が少なくなかった。例を挙げだしたらキリが無いが、民主主義を標榜して戦われた二つの世界大戦の時代でさえ人種差別状況は続いていた。真珠湾攻撃の飛行総隊長だった淵田美津雄の回想録によると、敗戦後、GHQに呼び出され尋問された際の相手の一人は真珠湾攻撃の体験者だったが、これだけ見事な作戦がジャップに出来るはずがない、ドイツ人が指揮したのだろうと当時考えられていたと語った。その何日かのち、黒人兵に都心のビルに連行された。最悪の場合も覚悟したが、着いた先は黒人兵専用のバーで、何故連れて来られたか分かるかと聞かれた。分からぬと答えたら、世界で一番真珠湾攻撃を喜んだのは米国の黒人だったと告げられ、歓待された!


法律は変えられても人の心は簡単ではない。それでも状況の改善は不可能ではあるまい。英国に留学していた1960年代の中ごろ、あの独特の帽子のロンドン警官にインド系英国人が初めて採用され、本人も誇りを感じていると新聞で読んだ。事件のあったミズーリ州ファーガソンの人口は黒人が三分の二を占めるのに警官は白人50人、黒人3人だった。対策の第一歩はこの比率を人口比でとは言わないとしても大幅に変えることだろう。容疑者と黒人同士であればもっと冷静に対応できるだろうし、黒人の高い失業率を僅かでも改善できる。対立感情を緩和することが何より重要だろう。

2014年12月10日水曜日

早速訂正!

書いたばかりのブログ「オリンピックの岐路」にサッカーのW杯やテニスのウィンブルドンの廃止と書いたのはオリンピック種目からこの二種目を廃止せよの打ち間違いです。悪しからず!

オリンピックの岐路?

平昌の次の?冬季オリンピックの開催候補地の辞退が相ついでいるという。夏季オリンピックは未だそうなっていないようだが、やがてそう成り兼ねない。理由はかなりはっきりしている。大会の規模が巨大化した結果、開催費用が莫大になり、中小国の都市は負担し切れなくなったのである。国民が多額の出費に反対するようになったのはある意味で健全である。

各競技の関係者がオリンピックの実施競技に選ばれたいと願うのはよく分かる。女子ソフトボールが北京オリンピックで優勝した時と、世界選手権で優勝した時( 確かロンドンオリンピックとほぼ同時期 )のメディアの扱いの違いは、こうも掌をかえすような扱いが出来るのかと、傍観者の私が義憤を覚えるほどのものだった。そうした現状のまま一部の国しかオリンピックを開催出来なくなるとしたら、オリンピックの理想に反する。

素人の私が知る限りでも種目別で以前はなかったリレーなどが増えた。その結果、日本人に不利な陸上短距離で多年努力してきた朝原選手らがメダルを手にしたのは嬉しかったが、全体の規模の拡大は無論維持さえも問題を含んでいる。サッカーのW杯やテニスのウィンブルドンのようにオリンピックよりも選手が重視する大会は廃止して良いのではないか。

当面はせめて国威発揚をねらった華美な開会式や閉会式は抑えたい。東京オリンピックはその点で模範となって欲しいし、メディアには過大な報道で煽りたてることのないよう求めたい。既成施設の利用を重視しているかに見える舛添都知事には大いに期待している。

2014年12月5日金曜日

自民党の大差の勝利?

近ずく総選挙での自民党の獲得議席数は「300議席超す勢い」だという。最初は一つの新聞の調査に過ぎないと思っていたが、他の全国紙もほとんど同じ言葉で自民党の勝利を予測しているという。この時期の選挙自体は決して国民に歓迎されていないと聞いていたのに。選挙の最終結果を聞くまでは断定できないとはいえ、この予測はどういうことか。

最大の理由かどうかは別として、大きな理由はアベノミクスに対して野党が十分な対案を示していない( 示せなかった )ことにあるだろう。野党諸派のアベノミクス批判が最終的に正当化されるかは未だ何とも言えないが、企業収益の改善、それを受けての株価の大幅上昇、ベースアップでなくとも賞与金額の増加、失業率の低下、人手不足など当面の経済指標は一定の改善を示している。ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツが言うように、長期のデフレ政策( というよりデフレ放置政策 )が事態を改善しなかった以上、アベノミクスは試す価値があったと言えるのだろう。株価上昇など一握りの資産家を利しただけとのメディアの批判は本当に正しいだろうか。近年の「貯蓄から投資へ」の長く続いた官民キャンペーンに乗った国民は少数とも言い切れない。失業率の低下や人手不足は正規雇用者の増加を必ずしも意味しないとはいえ、それらが非正規雇用者の立場(バーゲイニングパワー)を強める方向に作用することは否めない。彼らは本当にアベノミクスに反対だろうか?

要するに野党側は既成概念に安住して後手にまわったのであり、批判だけでは国民の支持を得られなかった( らしい)のではないか。もっとも結果次第では私は頭を丸めなければならない!

2014年12月1日月曜日

大川小学校の悲劇

NHKテレビで、生徒の死者74名、教員の死者10名(1名生存 )を出した石巻市の大川小学校の悲劇を特集番組で取り上げていた。避けようがない死なら兎も角、すぐそばに山( 険しいが)があるのに地震後50分間を無為に過ごした末の津波死は、残された家族にとって納得できないのは無理もない( 生徒からも教員からも山への避難を求める声は挙がったという)。遺族と市教委との話し合いは何度かあったが、23名の遺族が納得できないとして訴訟に踏み切ったという。

海により近い石巻市の他の小学校では集団被害は無かったという。悲劇の最大の原因が、海から4キロの地点まで津波が到達するとは予想できなかったことにあることは遺族もよく分かっているだろう。それでも三割強の親が訴訟に訴えたのは市教委も第三者検証委員会もどれほど迫られても教員側の責任を明言しなかったことにあろう。死者の責任を問いたがらない日本人の心性もあろうし、想像だが教員の責任を認めれば教員個人が賠償責任を求められることを危惧したのだろうか。

死亡した生徒の親であり自身現役の教員で、追求相手の市教委には元同僚もいるS氏は、自らの調査の一応の結果として、教員たちが山への避難により生徒たちが怪我したり泥まみれになったりすることを危惧した事なかれ主義があったと判断した (私の想像もそうだった)。何をそんな小さなことでと思うのは結果を知る者の傲慢かもしれない。もし生徒たちの何人かが怪我をしたのに津波が襲来しなかったら教員たちは非難されなかったかどうか。悲劇の下地に責任を追及したがる現代社会の非寛容化と、それに備える事なかれ主義を指摘するのは誤りだろうか。

2014年11月29日土曜日

産経新聞記者への嫌がらせ

セウォル号事件当日の韓国大統領の動静を取り上げた産経新聞記者のウェブサイトが大統領への名誉毀損に当たるとして起訴され公判が始まった。その際、同記者の乗る車が一部の韓国人に通行を妨害され、卵を投げつけられたりした。

私も何新聞だったかウェブサイトを文字化した記事を見たが、ゴシップ的であまり品の良い文章ではなかった。韓国の大統領は国家元首であり、韓国人にとって不快だったことは事実だろう。もっとも韓国では大統領は権力乱用や親族の汚職で任期後有罪になったり自殺に追い込まれたりしており、他国の元首と同列に論じられるか疑問もあるが(米国民はニクソンを訴追はしなかった)。

また最近同国では政権関係者によるメディアへの民事訴訟や刑事告訴が相次ぐという。同国にとっては大きな問題だろうが、他国のメディアが言論の自由の問題として大きく扱うのは賢明かどうか。私は他国の国内問題にやたらに口をはさむのは賛成できない。

しかし、記者の乗る車のボンネットに腹這いになったり卵を投げつけたりするのは野蛮な行為である。一部の人たちの行為だろうが(そう思う)、少なくとも韓国の政府やマスコミは非難声明を出すべきである。そうしない(できない)なら、大久保あたりの一部日本人の愚行を非難する資格はない。

日本の全国紙のうち三紙は写真入りで事件を報じたが、私の購読する新聞は事実報道としてではなく、外務省局長の発言内容として辛うじて報道した(今日、丸一日遅れで記事を載せた。他社の影響としか思えない)。両国間で問題化するのを避けたかったとは想像できるが、自社の記事として報道しなかったのはメディアとして責任放棄という他ない。局長発言だけでは読者は何があったのか十分理解できなかっただろう。

2014年11月28日金曜日

体罰は許されるか

十日ぐらい前のTBSの「たけしのTVタックル」で体罰の可否をめぐる論戦があった。この番組は以前は午後九時台?で、国会議員をまじえたやや真面目な( 比較的!)番組だったが、何故か十一時台に格下げされた。政治家の建前論が面白くなくて視聴率が低かったのが格下げの原因かは知らないが、放映時間が変わって本音バトルの色彩は濃くなった。

今回は体罰肯定派( 実践派!)の高校の教師で教育困難校を甲子園常連校に変えた某氏と、体罰反対派の教育評論家の尾木ママが主役だった。前者は体罰の必要を認めることはもちろん出発点は生徒に恐れられること、恐怖を感じさせることでなければならないとするのに対し、尾木氏の主張は体罰は法律違反であること、自身が体罰に頼らず授業を行ってきたとの主に二点だった。

私は尾木氏の主張に賛成出来なかった。法律がもし実情に合わなければ改めるのが正しい道だし、尾木氏の成功体験が全ての教師に当てはまるとは到底思えないからである。一方、肯定派の某氏の主張は極端だが、教育困難校の現実は建前論、理想論ではどうなるものでもなかろうと思った。近年、教員の精神障害、長期休暇が少なくないと聞く。メディアはとかく上からの管理強化や教職の多忙を理由としたがるが、そんなことで本来真面目人間の多い教員が同僚に迷惑をかける職場離脱をするはずがない。見当外れであり、教員への侮辱ではなかろうか。

子供の人権を尊重すべしとの「正論」は、教員の人権尊重と両立させねばならない。そもそも生徒は未だ未完成な存在であることを忘れてはならない( 今思い出しても中学生時代の私は生意気で反抗的だった。今でも?!)。いじめ問題の解決を含め、今何より必要なのは教員の権威の回復であって、彼らの手を縛ることではない。

2014年11月24日月曜日

高倉健の功績は?

俳優高倉健が亡くなって十日以上も経つのに、彼に関するテレビ番組がひきも切らない。その中で彼が文化勲章をもらっていたことに改めて気付いた。何故それほどまで評価されたのか。彼自身は映画界に入ったのは生活のためだったと正直に語っているのに。

ひとつには彼の人柄もあろう。彼は映画では常に寡黙で不器用な男を演じているが、実際は無口ではなく周囲に何くれとなく気を配る人だったようだ。彼が英語が得意で貿易商を目指していた(Wikipedia)などと誰が想像するだろうか。また、礼儀正しく謙虚でもあったようだ。特別の演劇教育を受けていないというコンプレックスがあったのだろうが、205本の映画に出演した男の態度が大きくてもおかしくない。本来の性格か教員の母親の教育の結果か、スタッフや周囲の人たちへの感謝を忘れなかったようだ。

ある意味では極めて古風な日本男子の役を演じ続けた彼が中国で大変人気があったと聞き、最初は不思議だった。しかし彼の死去の報道の五時間後に中国外務省の報道官( あの例の男!)が記者会見で死去に言及したし、街頭アンケートで十数人中半数以上が高倉の主演映画の主題歌を知っていると聞けば、信じる他ない。

なぜ中国人にそれほど評価される俳優になったのか。文化革命中の紋切り型の中国映画に飽き飽きしていた人々に彼の主演映画が新鮮に映ったからだと中国人の映画評論家は語っていた。映画の中で高倉健の演ずる日本人に、寡黙、忍耐、謙虚、礼儀正しさといった美徳を見たということか?これらの美点の大部分は他の国民も無論持っているが、寡黙を尊ぶのは日本的ではある。それは弁解は潔くないと感じる日本人の美意識なのだろうが、そこに中国人も共感できるのか? もし中国人に日本人の美意識を知らしめた功績に対して文化勲章が与えられたということなら、受章の価値ありと私も思う( そう思いたい )。

2014年11月22日土曜日

政治家の政治資金乱用



舛添都知事が参院議員時代に政治資金で美術品(フランスの?)や後藤新平の掛け軸、漫画『クレヨンしんちゃん』、クイズ本などを購入したことが新聞記事になっている。これに対し舛添氏は、美術品は「日仏文化交流の材料」であり、掛け軸は旧東京市長についての資料、漫画本やクイズ本は前者は主人公の言葉使いの子供への悪影響、後者は学習への悪影響をそれぞれ親たちから相談を受けたので読む必要があったのであり、「正当な政治活動の範囲」であると反論した( 朝日新聞、11月22日 )。

私は掛け軸以外は一応の説明になっていると思う。元来、フランス政治研究者だった知事にはフランス人の表敬訪問も少なくないだろうから、フランスの美術品は対話の糸口にも親近感の醸成にも役立つだろうし、旧市長の掛け軸さえも話題の材料にならないでもない。これに対し漫画やクイズ本はむしろ有権者の要請を並の政治家のように聞き置くだけでなく、真面目に検討し対応した証拠と見ることもでき、非難に当たらないと思う。都知事就任以来の彼の行動もオリンピック費用の節約努力など私は大いに期待している。

これに対し小渕優子や松島みどり議員の場合はどうか。私は前者の問題( 選挙民の歌謡ショーへの招待 など)は、その古い政治手法や資金管理の後援会幹部への丸投げにげんなりしたが、事後の対応は率直で悪くなかったと思う。しかし彼女が自民党の近い将来の総裁候補と党内で目されていたらしいのは何を根拠にと言いたくなる。松島氏の場合、選挙うちわ配布が大臣を辞めるほどの問題かとも思うが、まだ隠れた理由もあったのかもしれない。ただ、大臣就任が発表されると野党とメディアは「身体検査」に先ず専念するとの政治評論家の発言にはあまり気持ち良くなかった。

こうした公費乱用とは別に、渡辺喜美みんなの党前代表の政治資金不記載のケースもあった。九億円?とも聞くその金額の大きさからも問題とせざるをえまい。しかし新党立ち上げは各府県での事務所の設置や候補者たちへの選挙資金提供( 貸与でも )など大金が必要なようだ。私はいつの間にか鳩山由紀夫氏が民主党代表になったのが当時不可解だったが、渡辺氏の件で納得できた。しかし渡辺氏を弁護する義理はないが、新党設立が細川氏のような貴人?や、鳩山由紀夫氏のような大資産家の家柄の者しか出来ないのであれば、日本の政治にとって困った事態であることも否めない。

2014年11月21日金曜日

高校日本史必修化の誤り

文部科学省から中央教育審議会に学習指導要領の改定が諮問された。賛成できる検討事項もあるが、高校日本史必修化には反対である。むろん総授業時間数に余裕があるなら必修化に反対しないが、時間数に限度がある以上現在の世界史必修を変えてはならない。

文部科学大臣を筆頭に自民党の国会議員たちは、教育現場をよく知らないまま、日本人なら日本のことを知らねばならない、日本を知らないから愛国心の無い若者が増えていると短絡的に理解しているようだ。しかし、日本史は中学でかなり詳しく教えられるのに対して、外国史は簡単に触れられるだけである。新聞によれば高校の日本史教員の大半が日本史必修化に反対である。彼らは実情を良く知っているのである。さらに大学進学率が半数を超える現在、大学で文科系学問を学ぶのに外国史の知識は必須であると言ってよい。高校で世界史の授業を受けていない学生を相手とするとき、大学の講義のレベルは確実に低下するだろう。

物事は比較によってより深い理解が得られる。外国史を学ぶことは自国をより深く理解することである。それは我われが外国を旅して初めて日本の良さを実感するのと似ている。日本だけを学んではむしろ偏狭な愛国心を身に付けることになりかねない。自民党国会議員諸氏は、彼らの先輩議員の林健太郎氏が中心となって世界史必修を推進した事実を想起すべきである。

2014年11月18日火曜日

JRの女性車掌、フランスの男性車掌

先日、JR山手線に乗車したらすぐに発車しない。どうしたのかと思ったら女性の声で、乗客のカバンがドアに挟まったのでしばらくお待ちくださいとのアナウンスがあった。突然の事態なので録音の再生ではない筈。JRは女性の車掌を採用し勤務させているのだろう。私鉄でも私は女性車掌を経験していないので、JRも仲々やるなと感じた。もっとも外国はもっと進んでいるようで、二十年前、パリでは地下鉄の運転を私服の女性が運転していた!

私服といえば、フランスの国鉄SNCFの乗務員は必ずしも制服で勤務してはいない。やはり二十年前、パリのリヨン駅でナポリ行きの寝台列車に乗車したら発車前に私服の車掌がパスポートを預かりに来た。ヨーロッパではそれは経験していたが、パスポートを預かった車掌が姿を消したのち果たして彼は本当に乗務員だったのか、泥棒の類ではなかったのか不安に駆られた(結局、翌朝パスポートは返却されたが )。制服らしい服装であっても本当に乗務員とは限らないとはいえ、これでは何が起こっても不思議はないだろう。

フランスの自由さも悪くないとはいえ、利用者を不安にさせるのはどうかと思う。フランスでは交通機関のストライキは珍しくないが、空港職員のストライキでは彼らは滑走路上でデモをしていた! 空港では故障機の予定外の不時着もあり得るのだが............。

2014年11月17日月曜日

習近平主席の無作法

北京APECでの習近平主席と安倍首相との顔合わせの際の習主席のニコリともしない態度が注目された。マレーシア航空機撃墜事件で自国民を失ったオーストラリアのアボット首相が、欧米から事件の黒幕視されるプーチン大統領をG20サミットで笑顔で迎えている写真とは対称的だった。外交慣例に反する習主席の態度を不愉快に感じた日本人は多かっただろう。

習主席の非礼とも言える態度の理由は大別して二つあろう。ひとつは中国人の大国主義である。米国に対し中国は再三、「新型大国関係」を口にし、「太平洋は米中二国を容れるに十分な広さがある」と呼びかけている。かつて中国は米ソの大国主義、覇権主義を口を極めて非難したではないか。立場を変えて此処まで大国主義を公然と口にするとは驚きである。

もう一つの理由は、多くのメディアでも指摘されたように内政上の配慮、日本に対して決して心を許していないことを自国民に誇示する個人的必要である。過去の反日教育の結果、習主席は間違っても日本に甘いと見られてはならないのである。対外的にはこれほどの無作法はプラスとも思えないが。

それでも敢えて習主席を弁護すれば、安倍首相に笑顔で応対したのち安倍首相が帰国後再び靖国神社に参拝したら、主席の面子は丸つぶれになるだろう。中国政権の幹部たち( その多くは腐敗と無関係ではないだろう )は今は心ならずも主席の腐敗撲滅キャンペーンに服従していても、機会があれば逆襲に転ずる可能性は大きいだろう。もし日中会談で安倍首相が靖国参拝問題に触れなかったとすれば、習主席は警戒を解く訳にはいかなかったろう。彼の非礼には安倍首相が招いた側面も有るのではと私は疑っている。

韓国の『中央日報』が、今回の日中会談により自国が不利になったとパク大統領を批判したと日本でも報じられた。私にはメディアの過剰反応としか思えないが、習主席がもしにこやかに首相を迎えていたらパク大統領は今の頑なな態度を続けられないだろう。安倍首相はチャンスを逃したのではなかろうか。


2014年11月9日日曜日

剱岳の記憶

テレビで二ヶ月前に放映された映画『剱岳・点の記』を録画でやっと見た。前人未到( と当時思われていた )剱岳に三角点を設置する測量部の苦闘を描いた新田次郎の原作。 さすが骨太の映画だった。地図作成ひとつを取っても明治の先人の苦労は並大抵ではなかった。

剱岳には二十歳台半ばの頃、仲間六人で登ったことがある。当時すでに富山方面からケーブルカーとバスを途中まで利用するのが一般的だったが、全員東京からの参加だったので、現在黒部アルペンルートと呼ばれトンネルとロープウェイで行くルートを徒歩で針ノ木峠を越えた(戦国時代の佐々成政の気分?)。翌日は黒部川を吊り橋で渡り、立山の麓の雷鳥沢にテントを張った。翌日(  翌々日? )、剣岳を往復した。最大の難所には鎖が張ってあるのでそれほど危険ではないが、下を見れば足がすくんだ。

その後今日まで乗物利用で立山の室堂平を三回か四回訪ねたが、その度にはるかに望む剣岳を見て、よく日帰りしたものだと我ながら感心した。体力が頂点の時代だったのだろう。

登頂から五十数年、仲間六人のうち三人があの世に旅立った。日露戦争を歌った軍歌『戦友』の歌詞ではないが 「不思議に命長らえて」、私は映画『剱岳』を見ることができた。亡友たちと一緒に鑑賞して思い出話に花を咲かせたかった。再会するあの世はあるのだろうか。

2014年11月7日金曜日

ウクライナ東部の帰属は?

ウクライナ情勢は軍事衝突こそ小規模化しているが、解決には程遠いままにとどまって居る。理想的解決などもはや望み難いが、せめて双方が渋々でも受け入れ可能な解決を探らなければなるまい。

問題解決の第一歩は、ソ連崩壊以後ロシアが味わった屈辱を西側諸国が理解することである。ソ連を中心とするワルシャワ条約機構が消滅したなら、対抗するNATOも解散してもおかしくなかったが、そうならなかったばかりか拡大を続けた。当時米国の国務長官は、東欧諸国を西側に引き込む( 具体的にはEUやNATOへの加盟、特に後者だろう )ことはしないと約束した( 昨夜の『クローズアップ現代』)。しかし、米国は約束を守らなかった。ロシアは当時政治も経済も混乱し反対できる状況になかったし、東欧の諸国民が選挙や住民投票で意志を明らかにした以上、反対できなかった( バルト三国にはロシア系住民も少なくなかったが)。しかしソ連成立以前からロシアの一部だったウクライナの親ロ政権が街頭の暴力により倒されたことはロシアの我慢の限度を超えた( ロシアがこの機に乗じだとも言える。両面あろう)。街頭の若者たちに米国の民間団体が食料を配って歩く映像は(『クローズアップ現代』)ロシアから見れば米国の干渉そのものと映っても無理はない。セルビアからのコソボの分離を武力で助けた西側大国がロシアのクリミア併合に、「力による現状の変更」と非難しても説得力はない。

ウクライナの東部二洲にポロシェンコ政権が三年間の期限付きの自治を認めているが、その先の保証が無ければロシア系住民も不安だろう。根本的解決は容易でないが、最終的には国際監視下の住民投票による帰属決定がベストだろう( 可能性としては既成事実の積み重ねになりつつあるが)。 

2014年11月5日水曜日

テンション民族もほどほどに

昨夜、TBSテレビの「所さんの日本の出番!」という番組で、諸外国と比べての日本の交通機関の時間の正確さを取り上げていた。偶然チャンネルを回した結果なので前半30分の内容は知らない。だが、本来江戸時代きわめて大雑把だった時間概念を明治以来、1920年、時の記念日を制定したりした努力の結果今日のようになった由。

確かに、我が国の交通機関の時間の厳守ぶりはいちじるしい。電車など分単位どころか秒単位のスケジュールらしい。不正確より正確が望ましいことは当然で、事故の減少にも資するだろう。それにしても大都会のJR電車( 旧国電 )ならともかく、長距離列車まで秒単位の正確さ( 新幹線もそうらしい )を期することが必要なのか。鉄道の国際会議で日本の運転手は遅れたら切腹するのかとからかわれたとか。フランス第四の都市?トゥールーズ駅でローカル線に乗り換えたとき、発車が10分ほど遅れたが、お詫びの放送も発車ベルも無く、列車はごとりと発車した( 発車ベルは日本独特ではないか? )。10分の遅れなど詫びる必要を感じないのだろう。

それでも交通機関なら安全に関わるので正確に越したことはない。しかし、テレビやラジオの放送が日本ほどピタリと終了する国があるのだろうか。視聴者としては気持ち良いとはいえ、そのためアナウンサーらがどれほど神経を使うか。胃をやられると聞いた覚えがある。不必要な?緊張を関係者に強いるよりも、ゆったりと構える方が人間的なのではなかろうか。

今朝の新聞に、『ペコロスの母に会いに行く』の著者とのインタビュー記事が載っていた。私は原作も映画も見ていないが、認知症の母との生活を描いた漫画で、要は理想の親子関係、理想の介護生活でなくともよいではないかということらしい。そのインタビュー記者の感想は「いいかげんであることの大切さ」だった。時と場合によるのは無論だが。

2014年10月31日金曜日

韓国。近くで遠い国

近所の寺は駅に近いせいかかなり頻繁に葬儀会場として使われている。今朝も駅からの道に「何某家順路」の貼り紙があった。それを見て韓国人の知人Rさんを思い出し懐かしかった。

二、三年前に亡くなられたRさんは日本統治時代に教育を受けたため、日本語で詩を作るほど日本語が上手だった。しかし、招聘教授として日本に滞在された四年間には両国の生活習慣や気質の違いに戸惑われることも少なくなかった。その一つが葬儀会場への「順路」の貼り紙だったという。人間最後には死ぬのだから「順路」には違いないのだが?!、さすがのRさんも当初は見当がつき兼ねたという。

Rさんが戸惑った事は他に、同氏に対する街の八百屋や肉屋さんの態度だった。ソウルの有名大学の名誉教授と知ってか知らずか、彼らがRさんに対等の口をきくので当初はカッとなりかけたという。日本ではそれが当たり前なのだが、儒教大国の敬老精神で育ったRさんには不可解だったのだろう。年若い韓国人なら違和感も無かっただろうが。

韓国や中国では道を通る他人に夫婦喧嘩での夫( または妻 )の不当を訴えると一度ならず聞いたことがある。これとても現在の韓国に当てはまるかどうか疑問だが、日本では家族の不和を外部に懸命に隠すのが普通だろう。外国首脳との会談で日本の歴史認識の不当を訴え多くの日本人を不快にさせているパククネ大統領の「告げ口外交」も、第三者の判定を求める韓国流の行動なのかもしれない。それにしても日韓の気質の違いを大統領に指摘する部下はいないのだろうか。

Rさんの帰国に当たり友人と韓国料理店に招かれた。別室で「平壌中学」の同窓会が開かれていた。Rさんが平壌出身であると知っていたので、同じ中学ですかと聞いたら、私たち韓国人は「平壌一中」の生徒でした( 逆だったかも )と言われた。小学生時代の恩師を新聞の尋ね人欄を利用して探し当て再会した親日家のRさんでも心中は単純ではないのかも知れず、われわれはしゅんとなった。

2014年10月26日日曜日

非サユリストの吉永映画評

今朝のNHKテレビで南伊豆河津川のモクズ蟹猟が紹介されていたが、最初の画面は、河津川に面し川端康成が泊まった( 『伊豆の踊り子』のエピソードを経験した際 )湯ケ野温泉福田家旅館だった。 

三十年近く前、私も福田家に一泊し日活映画で踊り子を演じた吉永小百合と同じ部屋に泊まった( 同じ日にではない!)。いつもどうり突然の発意であり泊まれる確信はなかったが、電話で予約が取れた。ところが当日案内された部屋は胸の高さに窓( 硝子戸や障子戸ではない )があるだけの部屋で、本来は女中部屋か布団部屋だったと想像された。せめて電話でその旨説明して欲しかったが、女将は「この部屋は吉永小百合が撮影期間中泊まった部屋だ」と言っただけで弁解の気配もなかった。吉永は人目がうるさくてその心配のない山側の部屋を選んだという。サユリストなら同じ部屋に泊まれて嬉しかろうが、そうでない私には不満しかなかった(宿泊料は安くなかった)。

私の世代の者にはサユリストは少なくなかったろうが、私は妙に芸術づいていた時期だったので、黒澤明や木下恵介の作品は欠かさず観たが、日活青春映画専門だった吉永の映画を全く見たことが無かった。のち、『キューポラのある街』など当時の作品を多少はテレビで見たが、今も名作として紹介される『キューポラのある街』も在日朝鮮人の帰国運動への批判的視点を欠いている点で、それほど感心しなかった。極めて稀だが当時すでに、『北帰行』の作詞作曲者で当時TBSの幹部だった宇田博のように北朝鮮の異常さに気づき警告した人はいたが。それでも彼女の美しさは抜群だった。

その吉永の最新作『ふしぎな岬の物語』を見た。これも好意的批評が目立ったし、事実気持ちの良い作品だったが、相も変わらず吉永が、「清く、正しく、美しく」の役柄を演じているのは食傷気味でもあった。一作だけ( 天国の駅 )殺人犯で死刑になる女性を演じたことはあるが、彼女はすばらしい女性しか演じさせてもらえないようだし、彼女自身その殻を破る気もないことが今回示されたようだ。

P.S. 以前、『蜩の記』がモントリオール映画祭で受賞したと書いたが、受賞したのは『不思議な岬の物語』でした。

2014年10月22日水曜日

円安は本当に国民生活にマイナスか

新聞やテレビで円安進行の影響を受ける企業の苦境がひんぱんに報道されている。当事者の苦労には同情するが、二年ほど前までは円高に苦しむ企業がひんぱんに報道されていた。どちらの報道も誤りとは言えないが、円高の時に超過利益を得た企業と円安の時に超過利益を得た企業はそれぞれ少なくないはずなのに、それらに関する報道はあまり見かけなかった。メディアが事実を忠実に伝えたとはとても言えまい。

円高円安それぞれの時期に儲かったのは大企業であり、中小企業はその恩恵に与らなかったとの報道もよく見る。しかし、昨日の朝日新聞の「経済気象台」(企業経営者とエコノミストによる匿名の小コラム)によれば、「中小企業の倒産件数は急速に減って」おり、この一年間は何と「バブル景気崩壊直前の1990年度以来の低水準だ」という。アベノミクスの最終評価は下せる段階ではないが、伝えられる人手不足現象の受益者は既に正規職に就ている者よりも非正規労働者(時間当たり賃金の上昇などを含め)であることは否めない。むしろ国民所得の平準化に寄与しているとの見方もできる。

円高や円安など通貨価値の変動で苦しむ企業や国民を報道するのが悪いのではない。しかし、それで利益を得た企業や国民のことを一切報道しないなら、それは偏った報道と言うほかない。メディアが安直な正義感で事実を取捨選択するのは傲慢そのものである。

2014年10月20日月曜日

ハイセイコー伝説

BSジャパンの番組『昭和は輝いていた』で、「元祖怪物ハイセイコー」を見た( 9月17日 )。1970年代前半のことなので詳しくは知らなくても、名前を聞いたことはあるのでは?

ハイセイコーは地方競馬で六連勝したため中央競馬に移籍され、そこでも四連勝し異常な人気を得た。学歴の乏しい田中角栄が首相就任後しばらくは「今太閤」として高い人気を得たのと同じく、庶民はエリート出身でないハイセイコーに自分を重ねて? 熱い期待を抱いたのである。

番組では、それまで競馬はギャンブルと見られ公共の乗り物で競馬新聞を開くのははばかられたが、ハイセイコーがファン層を若い女性にまで広げたので競馬はスポーツ、さらには週末のレジャーとなったと解説した。1973年の日本ダービー前には人気は頂点に達し、記者会見にワイドショウのリポーターらが百人集まったという前代未聞の事態となった。しかし私を含め誰もが期待したダービーでの勝利は叶わなかった( 三着。敗因は長距離レースはそれほど得意でなかったためという)。それでもその後しばらく優勝から遠ざかったのに、馬券人気は一位が続いたという。ファンはハイセイコーを見捨てることが出来なかったのである。

武田鉄矢が司会する番組は楽しかったが物足りない点もあった。ハイセイコーの子のカツラノハイセイコーが六年後、父の果たせなかったダービー優勝を果たしたことに触れなかったのである。最後まで庶民の心を熱くさせる親子だったというべきだろう。

2014年10月19日日曜日

巨人阪神戦を見て

三、四年ぶりか、昨晩東京ドームでプロ野球(巨人阪神戦)を観戦した。これ迄のようにチケットを頂いたので友人を誘い出かけたのだが、昨日は日本シリーズ出場を賭けたクライマックス・シリーズでの阪神三勝を受け、これに負ければ巨人の今シーズンが終わるという大変な試合だった。

久しぶりの観戦のため両軍選手の半数は名前を知る程度となっていた。試合そのものは阪神が勝ち、アンチ巨人の私は満足だったが、最初から得点差が開いたのでやや緊張感に欠ける試合となった。もっともそれは私が巨人ファンでないからで、スタンドの七、八割?を占める巨人ファンには緊張感に欠けるどころではなかった。それにしても今回のシリーズは大方の予想に反する結果だったのでは?

数日前の朝日川柳に、「秋なのにまだ阪神がやっている」が載っており、全く同感だった。むかしから阪神は夏頃まではライバル( 主に巨人 )と首位争いをしていても、必ず!秋には脱落していた。忘れもしないが、ある年パリで一ヶ月近く仕事をし、九月に帰国したが、機内の日本の新聞で阪神が未だ首位だと知り信じられなかった。バースが大活躍をして阪神が優勝したあの年、阪神ファンには多分生涯忘れられないあの年のことだった。

私がアンチ巨人なのは1949年の別所移籍事件の昔から巨人が金にあかせて他球団の有名選手を引き抜いてきたから( 阪神もカープファンから見れば似たようなものかもしれないが )。米国ではそんな事は日常茶飯事のようだ。さらに、同国の有名無名のプロスポーツ選手の年俸の差は目が眩むほど。あまり真似して欲しくない先例だが、日本も確実に同じ方向に向かっているようだ。止める方法は無いのだろうか。

2014年10月17日金曜日

時代劇映画今昔

続けて近作時代劇映画を二作見た(  『蜩(ひぐらし)の記』と『柘榴坂の仇討』)。前者はモントリオール国際映画祭で受賞したという理由と、家内の友人が褒めていたと聞いたためであり、後者は前者と比較して見たかったから。

二作とも武士の意地を貫いた男たちの物語であり、出来栄えも甲乙付け難いが、私の好みは『柘榴坂の仇討』にやや傾く。『蜩の記』は原作は直木賞受賞作らしいが、藩の御家騒動が絡んでおり、やや意外性に欠ける。御家騒動がらみでは近年でも藤原周平原作、山本洋次監督の三部作があり、さらに古くはNHKテレビの日曜ドラマ『樅の木は残った』がある。特に原作の重厚さという点で『樅の木』はやはり抜きん出ていた。『柘榴坂』は桜田門外の変で主君井伊直弼を守りきれなかった警護役の十三年にわたる仇討の物語であり、筋書きの斬新さは『蜩』に優っていた。単に主君への忠義のためだけでなく、直弼の人柄への傾倒の故としたのも悪くなかった。


偶々、出たばかりの『サンデー毎日』10月26日号に中野翠が時代劇映画ベストテンを書いており、一位『七人の侍』、三位『切腹』( 二位は『幕末太陽伝』、私は?)は全く納得した。前者はベネチアかカンヌの映画祭で、レナート・カステラーニ監督の『ロミオとジュリエット』に最高賞を譲った。しかし、その後も『七人の侍』はヨーロッパでもときに再映され、評価も高いのに、『ロミオとジュリエット』を知っている人は殆どおるまい( 素人から選ばれ一作で映画界を去ったスーザン・シェントゥールのジュリエットの気品ある美しさ、ルネサンス調のテーマ音楽『プリマヴェーラ』は忘れ難いが )。やはりヨーロッパ人はシェクスピアの原作が現地ロケで色彩豊かに描かれると贔屓してしまうのだろう。  

小林正樹監督の『切腹』は英国の大学町で再会した。観客は大半学生で、併映したゲーリー・クーパー主演の『真昼の決闘』が彼らのお目当てだったと私はにらんでいるが、二本目の『切腹』が終了した時、すぐ立ち上がる者は殆ど居なかった。それほど圧倒されたと私は信じている。最も日本に理解があると考える二人の知人にぜひ見て欲しいと望んだのだが、彼らは曖昧な返事しかしなかった。ヨーロッパ人は切腹( 英語版のタイトルはHarakiriだった)と聞いただけで怖気を振るうらしかった。

なお、『七人の侍』も『切腹』も脚本は橋本忍だった。市川崑監督が映画の出来を決めるのは脚本七割、俳優二割、監督一割だと語ったと聞く。謙遜も含まれているだろうが、『七人の侍』以後の黒沢映画が今ひとつなのは橋本が離れたためだろう。日本映画の全盛期の最大の功労者は橋本忍だと私は考えている。

2014年10月16日木曜日

領土問題の捉え方

『週刊新潮』で「尖閣棚上げを口走る逆臣二階総務会長」との記事が掲載されているようだ(  未見)。来月北京で開催されるAPEC会議を機会に日中首脳会談を開くよう水面下での交渉が進行しているらしい。仄聞するところでは中国側の開催条件は、安倍首相ら政権幹部の靖国参拝の中止と尖閣列島の帰属棚上げだとか。

日本は中国や韓国に頭を下げてまで首脳会談をしなくてよい( 財界は会談を望んでいるだろうが ) 。経済関係が悪化して困るのはお互い様であり、会談のために日本が一方的な譲歩をする必要はない。しかし、相手の要求が不当でないならば話は別である。私は中国が要求している( らしい )二条件は受諾可能だと思う。安倍首相の靖国参拝への私の反対については既にブログ( 8月29日 )で述べた。のこる尖閣問題は、棚上げも一つの方法と考えている。

そもそも私は領土問題で「歴史的にも法的にも疑いもなく自国の領土」とむやみに力むことに疑問を持っている。国境線はフランスとドイツ、ドイツとポーランド、ポーランドとロシアのように、両国間の力関係により一方が強いときはその国に有利に、弱いときは不利に決まることを繰り返してきた。韓国との竹島帰属もその例外ではなかったようだ。尖閣列島の場合は竹島より日本の立場は強いようだが、日中国交回復交渉では帰属で対立は解けなかったようだ。鄧小平が来日時に「後世の人に解決は任せよう。彼らは我々より賢明だろう」と言ったのは、今から思えば棚上げの主張だった。当時は私なども「なるほど、これが大人の態度か」と感心し、マスコミもそれを問題視しなかった。鄧小平の老獪さに乗せられていた( 私の場合 )、ないし目をつぶっていた( マスコミの場合 )のである。

領土問題を国際司法裁判所などに提訴しても不法占拠国を当事国に代わって追い出してくれるわけではない。日中韓のどの国も領土主張をして艦船を現地に送り込むだけが能ではあるまい。権益なら関係両国の間で分け合うことも出来る。私は利権の匂いのする「小角栄」のような二階氏を元来好まないが、逆臣呼ばわりは酷すぎる。

2014年10月13日月曜日

ノーベル賞受賞を慶賀する

今年は冬季五輪、サッカー・ワールド杯とマスコミの狂騒曲が続いたが、ノーベル賞狂騒曲もありとは予想できなかった。年内にまだ一回ぐらい何かが後ろに控えているかも。

ノーベル賞騒ぎも大分収まってきたようだが、その間、私も無論無関心ではいられなかった。むかし、英国滞在中に朝永振一郎博士のノーベル物理学賞受賞が報ぜられた。何しろ日本人二人目の受賞だったので、野暮だとは思ったが二、三の英国人にその事実を口にしたが、反応はほとんどゼロだった。英国は米国に次いで受賞者が多いとは知らなかった。

その頃に比べれば日本人の受賞も珍しくなくなったのに、相変わらず我々はノーベル賞慣れしていないようだ。しかし今回は、一度に三人の同胞( 中村氏は研究費獲得の必要から米国籍とか )が受賞したこと、青色ダイオードが世界に恩恵をもたらしつつあることなど、日本人として誇りに思って当然だろう。また、赤崎、天野両氏の謙虚さ、中村氏の率直さのどちらにも好印象をもった。我ながら矛盾しているが、これがノーベル賞のオーラというものか!

しかし、物理学教授だった友人のメールによれば、今回の受賞は喜ばしいが既に過去の業績であり、今後の我が国の自然科学界の前途は、他国と比べての論文数の減少傾向を考慮すればむしろ暗いとのこと。それが事実なら( 図表まで添付されている )由々しいことであり、中高での理科教育の一層の充実( とくに実験など )を始めとする振興策が欠かせないだろう。

文学賞や平和賞を逸したのは残念だった。日本ではどちらも有望との下馬評だったが。今年はライバル( とくに平和賞 )が強力だつたことを認めざるをえない。憲法第九条の場合は、すでに何十年も解釈改憲がなされていることが考慮されたかもしれない。何れにせよ両賞とも他日を期すほかない。

P.S.訂正と補足を。10月2日のアクトン卿の名言を英語でも六語と書いたが、七語ないし八語が正しい? Power (tends to ) corrupt. (And ) absolute power corrupts absolutely.のカッコ内を忘れた。もっとも、Wikipediaが必ず正しいとも言えないが、原典で反論できない!
9月24日に、隣家の火事で警察の質問を受けたと書いたが、隣家の夫婦仲を聞かれたのは父で、中学生の私ではない。
9月25日に高橋源一郎氏が引用した文章( 正義より事実を選ぶとの )の作者を10月12日のブログで失念したと書いたが、スーザン・ソンタグでした。


2014年10月12日日曜日

非正規労働者問題の真実は?

昨日の朝日新聞にアンドルー・ゴードン・ハーバート大学教授へのインタビューが載っていた。「中流家庭は崩れてしまったのでしょうか。格差は広がるばかりですか」との記者の質問へのゴードン氏の答えは全く意外だった。

「日本で正規雇用されている労働者の数は、80年代に約3400万人ですが、この数字は今もあまり変わりません。非正規の数は其の間に約600万人から約二千万人に増えました。その原因は、より多くの高齢者や女性が非正規で働くようになったこと。自営業と家族労働に従事していた人たちが雇用者( 被雇用者の誤訳?)として働き始めたことにあります。ですから、正規を直接犠牲にして非正規が増えているわけではありません」。

わが国のメディアでは非正規労働者の増加がひんぱんに論じられ問題視( 大問題視)されてきたが、実際には正規が非正規に置きかえられてきたとは必ずしも言えないという。むろん安心などしてはいられない。しかし、長期間の激しい円高にもかかわらず正規雇用が減少したわけでは無いとは初耳で、日本のメディアでは決して聞いたことのない事実である。我が国が正規雇用の絶対数を維持してきたことはそれなりに評価すべきだろう。

よく考えれば、朝日新聞の従軍慰安婦と原発所長との二つの誤報問題とこれまでの非正規雇用問題の報道( 全メディアの)とは全く同根である。高橋源一郎氏が先日の同紙の「論壇時評」で二つの誤報問題に関連して、正義と事実のどちらかを選ばなければならないなら事実を選ぶとの誰か( 名前は失念 )の発言を紹介していたが、全く同感である。事実を等閑視した正義はもはや正義ではないからである。非正規労働者への同情からといえども事実を隠すなら矢張り誤報に限りなく近く、報道関係者がやってはならない事の筈である。

外国の学者に指摘されるまで日本の学者は事実に気づかなかったのだろうか。それとも同じ事を日本の学者が指摘しても無視され、外国の学者が指摘すれば取りあげるというわが国の悪弊がまた繰り返されたということだろうか。

2014年10月9日木曜日

保育園は迷惑施設?

今朝の新聞の折り込み広告に我が家のある宅地の土手の雑草の草刈りの予告のビラが挟まれていた。工事に伴う停電や断水の予告は珍しくないが、雑草刈りの予告ビラは近年のものである。誰かから苦情があったのだろうか。

たしかに土手に接する我が家の当日の騒音は小さくない。しかし、その時間は長くても一日、普通は半日程度である。一夏に伸びる雑草の背丈は膝を没するほどになる。ほっておけば枯れる冬の火の用心もしなければならない。私は草刈りを感謝こそすれ迷惑だなどとは思わない。それを予告するのは具体的に苦情があったか否かはともかく、実施者側がその怖れを感じているということだろう。

やはり今朝、テレビで保育園新設への反対の動きを伝えていた。園児の声がうるさく、「静かな住宅地が壊される」ということである(他に保護者のマナーや交通渋滞への不満もあるが )。たしかに園児は周囲の迷惑まで考えないだろうが、質的にも工場騒音などと同列には論じられないのでは。

私とても、近くにゴミ処理場の新設が発表されたら反対する可能性は高い。しかし子育てに不可欠な保育園や幼稚園に反対すれば親たちはどうしたら良いのか( もっと遠くに作れとは言えない )。子供達の叫び声まで迷惑視するのは行き過ぎとしか思えない。「迷惑施設」の側も周囲への配慮はして欲しいが、それにも限度があろう。今朝のメディアの腰の引けた報道姿勢は気になる。社会の不寛容化への警戒は必要だろう。

2014年10月7日火曜日

外国資本による資産買収

ニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルといえば同市きっての名門ホテルと私でも知っている。そのホテルを中国資本が約二千億円で買収したという。私にはその金額が妥当なのかどうか見当がつかないが、巨額であることも新聞記事になった理由だろう。

企業行動としての外国資産の購入を誰も非難できない。それどころか、バブル経済最盛期に邦人資本が同市のやはり高名なロックフェラーセンターを買収した( そしてバブル崩壊後手放して多額の損失を蒙った )ことは記憶に新しい( そうでもないか? ! )。中国資本とても購入は自由である。ただ中国資本が外国で不動産だけでなく美術品や骨董品まで買いまくり相場を高騰させている( と聞く )のは、同国が社会主義の土地公有制の建前から国民に土地の五十年間の利用権しか認めていないことにも依ろう。まさか五十年後に無償で返却とはならないだろうが、それを決める権限は政府にある。富裕な国民はモノや外国の不動産に投資して当然である。当面は相手国の景気浮揚に貢献するから反発ばかりではなかろうが、ロックフェラーセンターの場合がそうだったように、多年国民に親しまれた建物の買収が国民世論に与える影響は微妙である( 帝国ホテルが外国資本に買収されたと想像すればよい )。  

わが国でも最近目立つ外国投資ファンドによる企業買収も、商取引として何ら問題では無いかもしれない。それでも、企業の社会的責任の観点からすれば、企業価値を高めてから売却して利益を得るという手法の野放図な横行を放置して良いとも思えない。白鵬の手にする毎度の懸賞金の束や、韓国人プロゴルファーの優勝賞金獲得のような実力の対価とは違うように思うが............?!。

2014年10月2日木曜日

習近平評価の難しさ

新しい行政長官選挙法への香港市民の抗議行動が高揚している。当然だろう。これ迄の一部の選挙人による選出と実質的な変更はないかもしれないが、上部が決めた三人の候補への投票を普通選挙と呼ぶ偽善に若者たちは耐えられなかったのだろう。これでは香港だけでなく台湾市民の心も離れるだろう。それが容易に予想されるのに、どうして中国は今回の挙に出たのか。

いちばん根源的な答えは中国政府は人民を信頼できないでいると言うこと。それも当然だろう。今や共産党政権の腐敗は目に余ると言っても過言ではない。政権幹部たちは外国に財産を移すばかりでなく、子弟に外国籍を取らせるため留学させるという。そうした彼らが人民を怖れるのも当然だろう。結局のところ、毛沢東の百万言もアクトン卿の「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」のたった六語(英語でも )の名言に遠く及ばないということだろう。

習近平政権の最近の強硬な外交は際立っている。しかし、甘いと言われるだろうが、私は習主席は彼の信念に従って行動しているというよりも、共産党政権の最悪の遺産にしばられ苦闘しているとも考えている。彼による幹部たちの腐敗の追求は今のままでは共産党政権の将来は危ういと彼が考えているからだろう。中国軍人( 制服組 )最高位の人物や、従来は不可侵だった政治局常務委員らの腐敗を理由とする追放は権力闘争そのものだが、まともな国を目指すなら必要な闘争である。さらに、この権力闘争はわが国にとっても他人事ではない。

中国人の反日的行動の半ばは自国政府への不満の屈折した表明だと私は見ている。習近平が腐敗と本気で闘っていると国民が感じれば、反日的行動は今ほどではなくなるだろう。仮にそれが楽天的すぎる見方としても、習近平政権の対日政策の自由度は拡大するだろう。今は何としても習近平に反腐敗闘争(それは江沢民閥との死活の闘争である可能性が高い )に勝利してもらいたい。江沢民の院政が復活したら日中関係の改善ははるか先となろう。

そのためには香港市民の抗議行動が江沢民派に習近平打倒の口実に利用されないか心配である。天安門事件で学生に宥和的だった趙紫陽元総書記の失脚の先例もある。私の心は香港の若者たちへの共感と習近平支持との間で揺れ動かざるを得ない。

2014年9月28日日曜日

御嶽山のことなど

木曽御嶽山の噴火でかなりの数の死傷者が出ているらしい。よく晴れた秋の一日を山頂で楽しもうとした人々に落ち度はない。火山とはそういう場所だと思う他ない。

噴火ではないが御嶽山では私もちょっぴり危ない目に会ったことがある。三十歳代中ごろ、やはり秋に友人と二人で御嶽山に出掛けた。木曽側から登り飛騨側に降りる予定で頂上に着いたが、天候が急変した。雨と霧の中で飛騨側の下山口に向け小一時間歩いたら山頂を一周して出発地点に戻っていて愕然とした。これ以上動くことは危険だと判断し、無人の頂上小屋で泊まった。翌日は飛騨側に向かう気力も失せ、そのまま往路を逆戻りした。

多分思い過ごしだが、遭難の文字がちらついた登山がもう一回ある。白馬山荘に一泊し翌日黒部渓谷の祖母谷温泉に向かった。数年前に逆コースでアップアップながら高度差約二千メートルを登った経験があり、下りならと油断したのだが、友人との二人( 三人?)登山と女性二人を含む数人での登山は下山とはいえ別物だった。途中から雨天となり、さらに夜になったが目的地に着けず、途中で雨中ビバーク( 緊急の天幕泊 )する他なかった。翌日下山を始めたら祖母谷温泉は目と鼻の距離だった。

御嶽山で一緒に怖い目に会った友人は、その一、二年後米国中部( カンザス州? )の大学に留学し、そこで間も無く落馬して亡くなった。なぜか説明はつかないが私は申し訳無い想いに捕らわれた。幸い夫人は遺児四人( ? )を立派に育てられ、今でも世界を旅行されておられる。私には遂に叶わなかったチベット西部の聖地カイラス山を訪ねられたと年賀状にあった。

2014年9月26日金曜日

元寇の真実

「四百余州をこぞる十万余騎の敵、国難ここに見る弘安四年夏のこと。なんぞ怖れんわれに鎌倉男子あり。正義武断の名、一喝して世に示す。」
「元寇」というこの歌は私の世代の、少なくとも男性ならかなり広く知られており、多分歌うこともできる。今朝のテレビ「英雄たちの選択」は元寇と北条時宗を取り上げていた。

1274年の文永の役と1281年の弘安の役の二度の蒙古( と高麗 )の侵攻について通り一遍の知識は持っていたが、詳しくは知らなかった。「選択」によれば、文永の役では蒙古軍の武器や戦法に無知な鎌倉政府軍は多大の損害を蒙ったが、弘安の役では前戦役に懲りて防塁などで防備を固めており、侵入軍は一ヶ月間本格的上陸ができず、やがて襲ってきた台風のため壊滅的被害を受けた。あまりに劇的な結末だったため、我が国ではこの台風は「神風」と見なされ、しだいに日本は「神国」と見なされるようになった( 秀吉の国書に既に神国日本の用語例あり )。

上陸作戦が一ヶ月間も成功しなかったことは既に失敗していたと見ることもできるという。戦時中「神国日本」を信じ込まされ「神風」を本気で期待した日本人は多かった( 私も )。三十三歳で死んだ時宗は元寇のために命を縮めたのかもしれない。彼が結果として神国日本の神話に貢献したとしてもその責任は後世にある。一つの成功例を何かと一般化したくなるのは人間の常である。のち、日露戦争の勝利もかなり奇跡的だったのに無敵日本という神話を生んだ。歌詞ほどには現実は単純ではない。

2014年9月24日水曜日

放火は重罪!

私の住む多摩市でここ数日のうちに六件の放火事件があり、新聞やテレビでも話題になっている。施主や建築業者への怨恨ならば少なくとも理解はできるが、状況からするとそうではなく、むしろいわゆる愉快犯のようだ。不気味であり、一日も早い犯人逮捕を願っている。

というのも、六件の放火現場は半径2キロの円内にあり、我が家はその中心( の、やや上方 )にある。しかも現在隣家が解体新築中で、今月29日が上棟式と聞く。さらに斜面の途中にあり、駅周辺を見おろす位置にある我が家は、愉快犯にとっては理想的?な目標である。心配せざるを得ないが、警察の捜査活動に頼るしかない。

テレビで誰かが放火は重罪だと述べていた。その危険を犯してまでの放火はそれほど愉快で魅力的なのか。こればかりは自分でやって見なければわからない! もしかすると、やっても分からないかもしれないので私はやめておく! 我が家が焼ければブログどころではなくなる。それも困る!

その昔、隣家の小屋が焼けた。単なる火の不始末が原因だったようだが、警察に隣家の夫婦仲まで質問された。今回は我が家の夫婦仲が聞かれるのか? 疑いの目で見れば何でも疑わしい!

地震、津波、水害と我が国が災害大国であることは十分承知しているが、犯罪大国ではないと信ずる。一刻も早い犯人逮捕を祈る。冗談など言っている場合ではない!

2014年9月21日日曜日

分離独立の権利

少なくとも今回はスコットランド独立は実現しなかった。私は仮にも二年近く暮らした英国の衰退を見たくないのでホッとしたが、半数近くのスコットランド人が独立を望んだのには相応の理由があったのだろう。ともあれ、これだけの大問題を流血事件も無く、言論と投票で決着をつけたスコットランド人の政治的成熟には心からの賛辞を呈したい。独立派のサモンド党首の周囲に警護の人が見当たらないのは驚きだった。

ある国の一部に全体から分離する権利があるか否かは自明のことではないようだ。英国本土に反抗した十三植民地が米国を建国した。しかし、数十年後、リンカーン大統領は南部諸州の分離を認めなかった。南北戦争は奴隷問題での対立を底流としていたが、直接には南部の分離行動が発端だった( リンカーンは多大な流血ののちまで奴隷解放に同意しなかったし、奴隷解放宣言は当初は反乱諸州にしか向けられていなかった 。反乱に加わらなかった奴隷州もあった )。「87年前、私たちの父祖は......自由に育まれ、人はみな平等であるとの命題に捧げられた国家を打ち立てた」(  ゲティスバーグ演説 )と考える彼は、その大義にあらがう権利を南部同胞に認めなかった。

自分たちは分離の権利を行使しながら、ひとたび国を作ったら分離を許さないのは矛盾している。それを正当化するためには米国は自由の国であり、他国とは違うとする他ない。( しかし、独立宣言の言う英国王の圧制とは神話に過ぎない。植民地を怒らせた法律を作ったのは議会だった )。だが、米国が自由の国ならば英国も自由の国である。キャメロン首相の前途は未だ未だ多難だろうが、私は二年前?の彼の決断はもっと評価されるべきだと思う( 私はリンカーンを心から尊敬している。ただ、彼が米国神話の補強に結果として貢献した事実を指摘しているだけである )。

2014年9月18日木曜日

誤報の責任の取り方は?

今朝の新聞の折り込みチラシの中に「ご愛読のみなさまへ深くおわび申し上げます」との朝日新聞社の詫び状?が挟まれていた。購読解約者続出という週刊誌の報道は眉つばだろうと考えていたが、そうでもないのだろうか。

一ヶ月以上前に同紙の慰安婦問題検証記事への批判的感想を当ブログに書いたのちに、池上氏のコラムの掲載拒否問題、ついで吉田原発所長の証言ねじ曲げ問題と、同紙の不始末とそれへの謝罪が続いた。私も無論それらに無関心ではあり得なかったが、他の批判者と異なる視点や事実がなければ私が書く意味は乏しいし、「水に落ちた犬を叩く」のは心ない行為のように思い、控えたかったのだが、当人たちが水に落ちたと思っていないとすれば........。

池上コラムの問題は自社への批判の抑圧という側面も重要だが、何より、批判も受忍するという出発時の約束を破った点が問題だった。当初の約束は個々の記事への批判の受忍のつもりだったのに、自社の姿勢自体への批判だったのでじたばたしたのだろう。見苦しいことではあった。これに対し吉田所長の証言の場合は明らかな事実歪曲記事であり、その上に他のメディアの指摘を逆批判した挙句の謝罪という点で見苦しい程度の事ではなかった。

私は過去の不始末( 慰安婦問題は大変な不始末だが )の責任をしばしば現在の責任者が取らされる日本的慣行?には疑問を持っているが、今回は現経営陣の行なった不始末である。記事執筆者を含め首脳陣は直ちに責任を取るべきであり、是正の筋道をつけた上で辞任などというのは事の重大さを自覚していないと言わざるを得ない。「解党的?出直し」が必要だろう。ただ、朝日新聞社には正義感を持ち恥を知る社員は多いと信ずる。私はまだ彼らによる自浄作用への期待を失ってはいない。

2014年9月14日日曜日

空の旅今昔

偶々、テレビで最近の旅客機事情のあれこれを放映していた。夕食時間とぶつかったので一部しか見ていないが、今昔の感を禁じえなかった。

私が初めて飛行機に乗ったのは三十二歳のとき。乗り物好きなのに初乗りが遅かった( 当時としては平均的? )のは、大学卒業後東京から鉄道で移動するのが適当な距離( 名古屋 )にしか転居したことがなかったから。したがって、ハバロフスクからモスクワまでのアエロフロート機が最初の飛行体験だった。四つのプロペラの大型機トゥポレフ( プロベラ・ジェット 機 )で、機体を震わせるばかりでなかなか離陸しない。やっと離陸したので思わず拍手したら、皆が一斉に拍手し大笑いとなった。私は初めてなので不安だったのだが、他の乗客( 日本人が約半数 )もソ連機に一抹の不安があったのかも。翌日、空港で独りロンドン行きのアエロフロート機に乗り換えたのだが、申し込み用紙はロシア語のものしかなく、途方にくれた。

英仏海峡は昔の人の旅行を追体験したかったのでもっぱらフェリー( 後年はホーバークラフトも )で往復したが、一度だけ格安航空便( LCC という名前はなかったが )を使った。英国の小飛行場( 大戦中多数急造された )からパリ北方のボーヴェ空港まで、DC3機に乗った。せいぜい三千メートル程度の高度を飛行するので地上に影を映しながらの飛行だった。

二度目の渡欧は九年後にやっと実現した( 当時はそんなものだった )。バンコック( ドンムアン )空港経由のタイ航空機で、当時はそれが最も格安便だったのだが、帰国時は空港でタイ航空機乗り継ぎのため早朝から夕方まで空港内に足止め。其の間二回ぐらい東京行きの日航機が出発して行き、格安便の悲哀をたっぷり味わった!

その後は航空運賃もしだいに低下したが、シベリア上空が開放されるまでは、アラスカのアンカレッジ経由便を誰もが利用した。日本食が待ちきれない人たちが空港のうどん食堂に並んでいた!運賃が低下したと言っても、それは帰国便の日付けが決まっている場合。パリの格安日本食堂には帰国まで食いつなぐため?通ってくるらしい同胞が絶えなかった。今日、パリのブランド店で買い物をする人たちのことを聞くたび、何故かがっかりする。

2014年9月8日月曜日

テニス界の王者は誰か?

夕方のテレビニュースを見たら、ほぼ全ての民間キイ局の最初のトピックが錦織圭選手のテニス全米オープンでの準決勝戦の活躍だった(無理もない)。その中で、解説役の神和住純元選手の三十何年ぶりの映像に接した。嘗ての甘い容貌は流石に過去のものとなっていたが、懐かしかった。

1970~80年代、日本男子選手の活躍の場は殆どデビスカップ戦だったと記憶する。同カップは( 三つの?)地域別に予選があったようで、当時の日本人の実力は本選出場を目指す段階が主だったかも? それ以前にも熊谷一弥、清水善造の両氏の活躍があったことは今回でも紹介されたが、彼等が有名大学出身の商社マンだったことが示すように、第一次大戦直後と現在のレベルはあまりに違う。それだけに、錦織選手の決勝進出は快挙の一語に尽きる。

それにつけても、沢松菜生子、伊達公子らが活躍した女子テニスも忘れて欲しくない。特に1996年のウィンブルドン準決勝での伊達選手のグラフとの闘いは、1対1で日没順延となり翌日、残りゲームでグラフが勝利。決勝でもサンチェスに楽勝し、テニス女王の座を守った。しかし、中止前、伊達は後半盛り返し、優勢だった。そのまま続行されていたら彼女が勝利したことはほぼ間違いなく、そうであれば彼女が日本人初の四大大会勝者となっていた可能性は大きい。私は大会の審判か運営委員長かは知らないが、グラフへの贔屓、人種差別意識のどちらかがあったと本気で疑っている。それほど伊達選手のテニスは素晴らしかった( 笑顔も!)。現在の40歳台での活躍はそれを証明している。

全米オープンの優勝賞金は3億円、準優勝でも1億5千万円とか。決勝で勝っても負けても悪くないなどと考える私は品性が低いのか!?

2014年9月6日土曜日

関西空港と成田空港

関西空港が開港二十周年を迎えたという。想定した発着数に及ばす今も一兆二千億円の借金を抱える万年赤字空港を持て余した政府は二年前に黒字の伊丹空港との経営統合を実現したが、それでも立ち直れず、今度は運営権の民間への売却を考えているという。運営権を売却した空港の例は世界で少なくないようなので一概に売却(  当然外資も名乗りを挙げるだろう)に反対するつもりはないが、赤字空港を作った責任をうやむやにして欲しくない。

そもそも関西空港の建設は、伊丹空港の騒音被害が大きいとして地元自治体が廃港を求めたことに始まる。頭上を超低空で離着陸する( 実感は頭上をかすめるに近い )大型機の映像をテレビなどで見て私などもこれは人道問題だと思った。ところが関西空港が開港すると、周辺自治体は一転して伊丹空港の廃止反対に態度を変え、今日に至った。現在、西航する機上からは、その後造られた神戸空港( これも赤字 )を含め三空港が同時に見下ろせる。とても経営的に三空港が併存できるとも思えない。

ジョン・F.・ケネディの大統領就任前の著作に「勇気ある人々 Profiles in Courage 」( 英治出版 2008、別の題名でずっと以前に邦訳本があった? )がある。実際はソレンセンがゴーストライターだったようだが、選挙民の圧力に抗して道理を貫こうとした政治家たちの列伝である( 未見 )。関西の自治体の首長にはそうした政治家は居なかったということか( 神戸空港の反対運動には田中康夫氏が加わっていた )。

関西の悪口を言うつもりは無い。関東でも多年、成田空港の発着数増加に反対してきた成田市ら周辺自治体は、羽田空港が国際化すると態度を一変させた。今は格安航空機の誘致に熱心なようだ。そのうち、あれほど反対してきた滑走路の増設にも賛成するかも。今はただ、国費投入を当てにしてくれるなと願うばかりである。

2014年9月2日火曜日

ラウンドアバウト導入は果たして有効か?

我が家から二百米足らず、住宅地の真ん中にラウンドアバウト( 環状交差点が正式名称だとか )が設置された。都内で最初( ということは日本最初? )の設置だという。昨日が正式な発足日で、雨のなか警官や警察のカメラ?が顔を見せていた。

そこは以前からロータリーと呼ばれていた場所なので実質上は大きな変化ではない。先にそこに入った車が優先するので( ロータリー時代は左方優先?)、変更点は新しく交差点に入る車は一時停止して方向指示器を左折にし、離脱する時も左折信号を出すことくらいである( と言っても暫くは警察の取締りが厳しいだろうが )。

英国で多用されているラウンドアバウトは通常もっと大きく、円内の他車( 常に右方から来る )が無ければ速度をギア一段分ほど落とすだけでストップせずに走り抜けられる。したがって信号式交差点より便利である。これからの日本の同類は少なくとも新設するならば、一時停止を求めては利点がなくなるのではないか?

フランスでも地方ではやはり環状交差点が多かったと記憶するが、パリでもドゴール広場( 凱旋門広場 )は巨大なラウンドアバウトであり、慣れたドライバーでなければ恐怖心を抑えきれない。( 何しろフランス人の運転は乱暴、良く言えば芸術的だから)  やはり英国や旧植民地のニュージーランドのように土地が平坦で広く、国民ものんびりしている国に適した交差点のように思う。はたして日本に適した交差点だろうか。

2014年8月29日金曜日

靖国参拝と渡辺恒雄氏

読売グループ会長の渡邉恒雄氏の「……体験的靖国論」( 文藝春秋 九月号)が一部で注目されている( 高橋源一郎氏の論壇時評  朝日新聞8月28日 )。渡邉氏が保守派の重鎮で安倍内閣の諸施策の支持者であることは周知の通り。
しかし、文春掲載論文はA級戦犯合祀以後の靖国神社参拝への全面的反対論であり、その主たる論拠は、前の戦争の加害者( A級戦犯 )と被害者( 一般の将兵 )は峻別すべしということに尽きる。私も論文の主旨に全面的に賛成である。外国が反対するか否かに関わりなく日本人として加害者と被害者を混同すべきでないし、私には戦没者たちが合祀に賛成するとは到底思えない。A級戦犯の中にも職務上の責任を問われた東郷外相のように同情に値する人もいるが、東條首相のように戦陣訓で「生きて虜囚の辱しめを受けず」と命じながら自分は自殺の真似ごとをして生きようとした人間を戦没者たちが許すはずが無い( 戦陣訓がなければ、それだけで日本人だけでも何十万人の生命が救われただろう )。

ただ、問題はこの件に関し、世論調査の結果は必ずしも参拝反対ではないことである。調査結果はそれぞれの調査機関や調査時期ごとに多様であり、安易な一般化を許さないとはいえ、参拝への賛否となるとほとんど二分されているようだ( 8月15日の参拝見送りと聞かれると七割が賛成となる! )。これには参拝に反対する中韓への反撥( 他国のことに干渉するな! )も大きいだろうが、死者に寛大な国民性も関係していよう。
わが国では死ねば誰でも神や仏になると考えるとはよく聞く。自らの不注意で多数の犠牲者を出す事故を招いても,当事者が死んでいると世論やメディアで責任追及が殆ど停止するのが我が国の精神的風土である。それぞれの国の国民性は出来るだけ尊重されるべきだが、少なくとも外国に通用する論理とは思えない(そもそも論理ではない!?)。日本も国際社会の一員である以上、没論理のままで良いとは思わない。

参拝に反対する中国の基準( 要人の範囲など )も一定ではないようで、そうしたことへの反撥も与っているのかもしれないし、それ以上に安倍内閣への反対姿勢をゆるめない野党的メディアへの反撥が首相の頑なな対応を生んでいるとも考えられる。しかし、渡邉氏は多くの点で( 大半?)首相を支持して来た。謂わば友人の諫言に反発するならば、首相は賢明であろうか。首相は渡邉論文を熟読玩味するべきである。

2014年8月26日火曜日

甲子園大会の東北代表

今年の甲子園の高校野球大会は大阪桐蔭の優勝で終わった。今年は東北六県からの五校が途中まで残ったので、もしや東北から優勝校もと期待したが、やはり今回も期待を裏切られた。毎年のように優勝旗が白河を越え東北にと期待した時期もあったが、駒大苫小牧に先を越された。酷暑の甲子園での連戦は東北勢には厳しいとは思う。

東北勢が決勝戦まで勝ち進んだことが何回あるかは知らないが、大田幸司投手( と、のちスワローズで活躍した八重樫捕手 )を擁した三沢高校と、小さな大投手と呼ばれた田村投手を擁したいわき高校の二度の東北勢の準優勝は忘れられない。その後もダルビッシュを擁した東北高校など東北勢の活躍は続くが、野球有名校で、選手も東北出身でない者が多いと聞く。今年も利府高校以外は( ? )その例に漏れなかったようだ。

高校野球の名勝負と言えば私の知る戦後だけでも枚挙に暇がないし、優勝戦が十八回引き分け、再試合となったことも他に例があるかもしれないが、三沢高校の場合あわや優勝旗を手にするところまで行ったこと、ハーフ( 混血 )の太田投手が女性の黄色い声援を一身に集めたことなどで話題を呼んだ。自分の人気が実力と無関係と知る大田幸司には、翌年プロ野球に入団すると最初から一軍に加えられた上にオールスター戦にファン投票で選ばれたことは不本意の極みだったろう。それに耐えてその後プロ野球で活躍した( 八重樫ほどではないが )のは立派だった。

時代が変わり、もはや選手を全国に求めないと甲子園での優勝を望めないとすれば寂しいことである。それだけに三沢高校といわき高校の健闘を私は忘れない。

2014年8月22日金曜日

ハルビン雑感

今朝いつもどうりにNHKのBSプレミアムで「花子とアン」を見たら、続いて「世界ふれあい街歩き」を放映していた。時々しか見ていないが楽しい番組で、今回は中国東北のハルビン。数年前の記憶を呼び覚まされた。
ハルビンは大都会で観光スポットは幾つかあるが、何と言っても帝政ロシア時代のヨーロッパ風建築の並ぶ中央大街はその筆頭であろう。以前は自動車も通行して居たように記憶するが( 誤りかも)、今では鉄製の門が設けられており、美術の教師が学生たちに写生させていた。

かつてフランスが小パリと呼ばれる市街地を植民地各地に造ったように、ロシア帝国が造ったハルビンの中央大街は観光の目玉となり、現地の人々はそれを大切に維持している。時代は異なるが同じことはヨーロッパの各地に残る古代ローマ時代の遺跡にも言える。それらはまるで宝物のように保存されている。ネールの「父が子に語る世界史」は明らかに大英帝国と闘っていた植民地インドの立場を反映して、ローマ帝国に対し大変厳しい評価を下しているが、それが歴史の唯一の正しい解釈ではないようだ。

三十年以上前のチャウセスク時代、二人のルーマニアの歴史学者と話を交わしたことがあるが、彼らは自国がローマ帝国領ダキアと呼ばれたことを私に力説した。ローマ文明の恩恵に浴さなかった野蛮なロシアと一緒にされては敵わないと言わんばかりだった。ルーマニアがソ連からの自主独立を強調していた時代ではあったが、欧州各地のローマ遺跡の扱い方を見れば、どの国もローマ文明の一部であった事を誇示しているとしか思えない。自国はローマ帝国に支配された植民地でもあったのだが。

ハルビンの中央大街を北上すると松花江( スンガリー )河畔のスターリン広場( 今も! )に出る。私が訪ねた時、河畔には柳( ? )の綿が一面に舞っていた。しかし、木々はプラタナスの様に見えたので現地ガイドに質問したら「柳絮」だと言下に日本語で断言した。半信半疑だったが、最近北上河畔の林を見て、柳は枝垂れる種類ばかりではないと知った。むしろ枝垂れ柳は本来は少数派なのかもしれない( ? )。啄木の「やわらかに柳青める北上の......」の歌碑から見おろす川岸には大きな枝垂れ柳が数本生えていたが、あとから歌に合わせて植えたものかも?



2014年8月19日火曜日

中込学校と龍岡城五稜郭

八月上旬、友人夫妻を案内して佐久地方の旧蹟を訪ねた。同地の中込学校は松本の開智学校ほどの知名度はないし、訪問にも県都松本ほど便利ではないが、明治初期に建てられた和洋折衷の建築は独特の優美さを備えているし、太鼓楼と呼ばれる中央の塔の天井には世界の有名都市の位置が描かれている。私自身は再訪だったが、当時の住民の子弟教育と海外知識への熱い思いを感じさせる場所である。ところが二十数年前の記憶を現在の私に求めても無理なのか、中込学校はなかなか探し出せなかった( 車のナビゲーション・ガイドは実に便利な機器だが、肝心な時に反抗する! )。やっと探し出すと学校は回収工事のため閉鎖中でがっかりだった。

そこでもう一つの目的地、五稜郭を目指したが、またしてもナヴィの反抗のため到着まで悪戦苦闘だった。五稜郭といえば函館のそれが有名だが、ここ佐久市の龍岡城五稜郭は幕末のほぼ同じ時期に造営された日本で唯二つの五稜郭の一つである( 規模は比較にならないほど小さいが )。敷地内にその後小学校が建てられたため遺構の半ばは失われたが、残された部分は確かに小さいながらヨーロッパ直伝の五稜郭である。外国軍の侵攻も考えられないこんな場所( 失礼! )に何故、しかも物情騒然たる幕末に、多額の資金と労力を築城に費やしたのかが不思議だった。

その疑問は傍らの小さな資料館を訪ねてある程度了解した。比較のためのヨーロッパの各地の五稜郭の写真も楽しかったが、藩主は家康と同祖の松平家であり( 幕末、老中や陸軍総裁を勤め、維新後は伯爵 )、軍事を含めたフランス文明への憧れを強く抱いていた開明的な?藩主だったので、三河の小さな領地からより大きな佐久の領地に本拠を移したのを機に新たに築城したという。フランス人の助力を仰いだとは書かれていなかったが、文献だけで築城できたのであろうか。地味ではあったが一見の価値はあった。他に見学者は無く、唯一人の館員(ボランティア?)にお茶をいただいた。まことにささやかな見学の旅だったが、幕末明治期の日本人の進取の気性は感じ取れた旅だった。

2014年8月14日木曜日

日露友好は双方の利益

ロシアが国後、択捉あたりで軍事演習をするというので新聞は上段トップ扱いである。それほど大きな扱いをする事態であろうか。他に大きなトピックが無かったからというのなら人騒がせである。 
演習が大規模であればあるほど計画はかなり前から立てられているはず。ウクライナ問題での対ロ制裁に日本が参加したことへの反発が原因とは言い切れない。予定された通常の演習かもしれない。

冷静に考えれば、日露間には北方領土問題を除けば大きな対立点はなく、逆に経済的には強い補完関係にある。シベリア開発を進めたいプーチン大統領が日本との関係悪化を望むはずがない。日本の対ロ制裁参加に対して彼が懸念を示し、「よく分からないのは、日本が( 領土 )交渉を中断するのかということだ」と語ったのを脅しであるかのように解説する報道もあったが、どうか自分を失望させないでくれとのプーチンの訴えと理解すべきである。欧米の農産物の輸入差し止めに日本産品を加えなかったことは明らかな意思表示ととれる。

ウラル以東のロシア( シベリア、極東 )では経済が停滞し、人口が減少している。他方、中国は経済は拡大し人口は十三億人を数える。しかもロシア極東地域の多くは嘗て清国の領土であった( ウラジオストークも)。中国がそれを忘れているはずもない。シベリア開発の遅れはプーチンにとり悪夢と言って良い。ロシアは今は米国の圧力に抵抗して中国との友好を誇示しているが、それを真に受けるのは愚かである。

安倍首相はソチ・オリンピックに西側大国でただ一人出席した。プーチンがそれに感謝していることは間違いない。彼は北方領土問題を「引き分け」とも「フィフティ・フィフティ」とも表現して解決を要請している。彼の本心が二島返還なのか三島返還なのか( 択捉島だけで面積は50%を超える)は分からない。楽観は出来ないが、彼が将来を見据えて北方領土問題にけりを付けたいことは疑いない。明らかなことはプーチンが退場すれば二島返還を決断する力と権威を持つ後継者は考えられないことである。米国は嘗て鳩山一郎内閣時代、日ソ領土交渉の二島返還での解決を、それなら沖縄を返さないと言って流産させた。それを繰り返させてはならない。日露友好は米国にも不利益ではなく、中国の台頭を考えればむしろ利益であることを日本はねばり強く説得しなければならない。

2014年8月11日月曜日

もっと自然体で!

台風で延期されていた高校野球大会の開会式で、作新学院の中村主将が選手宣誓をおこなった。かつての選手宣誓は毎年ほとんど絶叫口調で、そのため時には内容が聞き取れない程だったが、近年はだんだん絶叫度が低下していた。今年の選手宣誓は語りかけるような口調で、内容ともども大変好感が持てた。

諸外国のスポーツ大会での選手宣誓は聞いた記憶が無く、そもそも存在しないのかもしれない。仮にあったとしても、記憶に無いのは絶叫調ではないからではないか? 日本人は天孫民族ではなくテンション( 緊張 )民族だと嘗て言われたことがあるが、儀式などになると過度に形式ばる精神的土壌があるようで、その結果が絶叫調になるのだろう。もっと自然体が望ましい。



自然体と言えば我が国では特に政治家や役人など公人の発言は、本音よりも建前を語ることを強いられ、自然体はなかなか許されないようだ。
以前、英国のエリザベス女王の出席するパレードの警備隊長が「百パーセントの安全はあり得ない」と語るのを聞いて一驚したことがある。日本ではまず考えられない発言で、そうした発言はたちまち不謹慎な問題発言として叩かれるだろう。恐らく隊長の職を免ぜられるだろう。しかし考えてみれば、公衆の面前でパレードをすれば何れほど警備を強化しても絶対の安全などあり得ない。当然のことを言って問題視されるとすれば問題視する方がおかしい。人前では建前しか語れず本音は内輪だけでというのは健全な社会ではない。選手宣誓は確実に進歩した。精神的土壌も後に続いて欲しい。

2014年8月10日日曜日

従軍慰安婦問題の捉え方

朝日新聞が従軍慰安婦問題についての自社の過去の報道の検証結果を発表した(8月5,6日)。主な訂正は、植民地朝鮮で慰安婦要員を人狩りして集めたという吉田清治の主張は事実無根だったのに、当初事実であるかの様に報道したこと。女子挺身隊と従軍慰安婦は別の事実なのに同じものであるかの様に報道したことなどである。
過去の報道の検証自体はメディアとして健全な行為であり、他の報道機関も大いに見習って欲しい。しかし、吉田証言の虚偽性も女子挺身隊員と従軍慰安婦の混同もずっと以前に認識していた筈。それなのに前者は「真偽は確認できない」などとぼやかし、後者も訂正することなくこれまで放置してきたこと(その結果、吉田証言が国連人権委員会報告に取り入れられたこと)への真剣な反省は見られない。他社も同じ報道をしたなどというのは言い訳に過ぎず、口火を切った側の責任がそれで軽減されることにはならない。ある時点から「強制連行」という表現を「強制」に改めたと言ってもどれだけの読者がその違いに気付いただろうか。強制についても慰安婦に移動の自由が無かったことをもって強制の証拠としているが、日本軍の中国大陸支配は沿海部から遠ざかるほど点と線の支配になり、面の支配ではなかったことは常識であり、慰安婦が身の安全を考えて移動しないのは自然である。金銭目的の慰安婦の場合も日本軍から離れないのは当然である。事実、上海では慰安婦が廃業して帰国したという。

これは朝日新聞の造語ではなかろうが、「性奴隷」との表現を再三紹介し、市民権を得させた( ? )ことは上記の二点に劣らず問題であろう。旧日本軍が戦場や占領地で現地女性に性的サービスを強制したことは紛れもない事実である。しかし韓国が糾弾している事態との同一視は如何なものか。
「熱海殺人事件」や「蒲田行進曲」の作者として知られる在日コリアンのつかこうへい氏に 「娘に語る祖国」全二巻があり、第二巻は「満州駅伝ーー従軍慰安婦編」(光文社、1997)。そこでは日本軍兵士と韓国人慰安婦が満州で開催した駅伝大会が紹介されている。事実というより創作と考えられるが、創作ならばなおのこと「性奴隷」説へのやんわりとした反論と言える。奴隷と奴隷使用者( ? )が駅伝大会に協力するとは考えられないから(「取材してゆくうち、従軍慰安婦が必ずしも悲惨でなかったことを知りました」)。
つか氏は常に「一番弱い人の立場」に立つことを心掛けていると言う。私は兵士たちこそ奴隷、野獣や同僚を倒すまで闘わされた古代ローマの剣奴そのものだったと考える。それに対し慰安婦たちが抱く感情が憎しみだったとは考えにくい。それを暗示するためにつか氏は駅伝大会を考えたのであろう。
朝日新聞は上記二点(人狩りと挺身隊)以外はその立場を改める必要は無いとする。しかし近年の韓国の反応は予想外だったのではなかろうか。全く相反する立場の秦郁彦氏と吉見義明氏の論評を併載したのは一見公正だが、自社のこれまでの立ち位置を微妙にずらし始めたとも考えられる(秦氏をこれまでこの問題で起用したことはなかった)。吉見氏が今回の朝日の検証を「被害者に寄り添う姿勢が紙面からうかがえない」と批判するのは朝日の変調を鋭く感じ取ったとも解される。世論調査にうかがえる最近の日本人の対韓感情の悪化を大新聞は無視できないということだろうか。

2014年7月30日水曜日

羽田空港の防音対策は?

羽田空港の海外便の増加にともない、都心上空を飛行コースに加える案が検討されており、その場合のコース下の住民の安全と騒音被害が懸念されるという。

墜落事故などによるコース下の住民の危険については、それほど心配する必要は無さそうだ。ロンドンのヒースロー空港への降下コースはタワー・ブリッジやロンドンの観光名所を下に見る。旅客機の安全性はその程度には達しているのだろう。しかし、騒音被害はレンガ造りや石造りのロンドンと木造住宅の多い東京とでは全く違うだろう。少なくとも伝えられるように一時間に20便から40便ともなれば各戸への防音工事は必要で、しかもその数は半端ではあるまい。その費用も莫大となろう。

拙宅は自衛隊立川基地の南にあり、ヘリコプター編隊が上空を飛ぶことがたまにある。そのときテレビを見ていると音声聴取は不可能になり、本当に腹が立つ(自衛隊アレルギーの無い私さえ! しかも災害時には東京西部の防災拠点になるというのに)。騒音被害が拙宅とは天と地ほども違う普天間基地のある宜野湾市民の不便と腹立ちはどれほどか。辺野古への基地移転を仲井真知事が同意したとき、宜野湾市長が同意を歓迎したのは私にはよく理解できた。市民の代弁者たるべき市長として言わずにはいられなかったのであろう。

以前、首都圏の第三空港として茨城空港の活用を本ブログで提案した( 新聞の投書欄にも 。ボツになったが )。確かに利便性では羽田空港に到底及ばないし、成田空港にも負けるだろう。しかし航空会社にとり空港利用料は安いし、利用者には1400台( ? )の無料駐車場は有難い。便数さえ増加すれば利用者は北関東居住者を中心に大幅な増加を望めるだろう。しかも現在までのところ茨城空港の騒音への反対は全く聞かない。現代の空港にとってこれは巨きな利点であろう。一考( どころか二考三考 )の価値があるのではなかろうか。


2014年7月28日月曜日

不安な中国産食品への対策は?

中国産の食肉製品のずさんな衛生管理が問題になっており、大多数の日本人にとっても無関心では居られない事態である。中米関係への不満から米国資本の企業を狙い撃ちにしたとの推測まである。そこまで疑うのが正しいかどうか、私にはわからないが、そうではないとしても純中国企業であれば摘発の影響は中国人の地方幹部にまで及ぶ可能性がある。報道対象の選定にあたり何らかの配慮が働いた疑いがある。

我々が無関心でいられないのは中国産食品が既に我々の食生活に大きく入りこんで居るからである。それも野菜のように産地表示が比較的容易な場合はともかく、加工食品となると対策は殆んどお手上げである(幸い日本の進出企業の場合、米系企業よりは生産現場の管理は厳しいと聞くが)。

根本的長期的には中国人の安全感覚の向上に期待するしかないが、我々も地産地消に努めるべきだろう。日本産が多少価格が高くともある程度甘受すべきだし、それにより日本の第一次産業の維持に貢献できる。そうなれば安全性の高い日本の農産物の需要は世界(少なくともアジア)に拡大するだろう。貿易自由化を法的に阻止するには対外的に限度があるし、消費者の利益に必ずしもならないが、国民の自発的選択ならば他国も文句を言いにくい。世界人口の一層の増加が予想される現在、フード・マイレージ(食物の生産地と消費地の距離)の拡大を阻止することは意義がある。

2014年7月24日木曜日

大相撲とナショナリズム

豪栄道が全勝の白鵬を倒し、つづいて琴奨菊が日馬富士をやぶると沢山の座ぶとんが舞った。両横綱がモンゴル出身であることがどの程度この興奮に貢献したのだろうか。

数場所前( ? )、連勝を続ける白鵬が敗れたとき、会場の熱狂が白鵬を愕然とさせた(と彼自身が語った)。大相撲を心から愛し、それを一人横綱として支えてきたと自負する白鵬が愕然としたのは無理もない。それを外国人ゆえと彼が受け取ったとしても不思議ではない。 
しかし、白鵬に知ってほしいのは相撲ファンとして一人の力士ばかりが勝ち続ければ面白みがない事は外国人力士に限らない。むかし、北の湖が勝ち続けた頃、「憎らしいほど強い」と評された 。その表現には、これでは意外性に欠け面白くないというファンの心理が反映していたのではなかろうか。事実、私自身、日馬富士や鶴竜にはあの体でよく頑張っていると思いこそすれ、負けて欲しいとは思わない。旭天鵬が優勝したとき、日本人の多くが心から祝福したと思う。彼の人柄と、昨日幕内残留がほぼ決定したとき「だいぶホッとしたよ。第一目標はこれだから」と言った彼のユーモアも与って力あっただろうが。

それでも私自身双葉山と大鵬の連勝記録だけは白鵬にも誰にも(日本人でも)破って欲しくない。そこにナショナリズムが皆無だとは思わないが、二人は張り手で試合を有利にしようとはしなかった(双葉山の試合の記憶は定かでないが、相手が時間前に突っかければ必ずそれに応じて立った彼が、張り手を多用するはずがない)。張り手も四十八手のうちには違いないが、横綱が下位力士に使うのは潔くない。他の点では二人に並んだ白鵬には人格でも先輩二人に並んでもらいたい。

2014年7月19日土曜日

ウクライナとガザ

ウクライナ問題は解決に向うどころかマレーシア航空機撃墜という惨事まで惹き起こしている。政府軍と親ロシア派民兵の武力抗争も愚かで、現地住民にとって災厄そのものだが、それでも赤の他人(他国民)に迷惑をかけたわけではなかった。今回は手違いとはいえオランダ人やマレーシア人といった全くの他人を巻き添えにした点で悪質度は一段と進んだ。
犯人はまだ特定されたわけではないが、親ロシア派のミサイルであることはほぼ決まりつつあるようだ。ロシアが供給したミサイルかどうかはまだ確かではないが、その可能性も大きい。オバマ大統領がロシア非難を強めたのもやむを得ない。
ロシアはせめて事件を奇貨(使いたくない言葉だが)として親ロシア派に、交渉による解決を強力に迫らなければならない。ポロシェンコ政権は曲がりなりにも選挙の洗礼を受けた政権であり、その正統性は否定できない。

航空機撃墜事件でやや後景に退いた感もあるが、ガザのハマス勢力とイスラエルの衝突もいちだんと悪化し、ガザ住民の死者数はマレーシア機のそれに迫りつつある(負傷者はそれに数倍する)。パレスチナ住民とイスラエルの紛争は少なくとも数十年をけみし、それを抜きにして責任を論じることは出来ない。しかし、彼我の力量を冷静に考量するのも政治家の役割である。少なくとも、両者の犠牲者数が二百数十対二という大差である現在、ハマスのミサイル攻撃が住民のためになっているとは思えない。エジプトの休戦提案をハマス側が拒否したが、住民が拒否を望んだとは到底思えない。問題の解決はひとまず交渉に委ね、力量(政治的力量を含め)を涵養することに努めるのは敗北ではない。

2014年7月14日月曜日

蜜柑の木の裏切り?

自宅の庭の温州みかんの木に今年は数個しか小さな実がついていない。これまで二十年ほどの間に多い年は百數十個、少ない年でも二十個は成ったので大異変である。

もともと植えたかったのは美観目的の夏みかんの木だった。冬枯れの庭にリッチな印象?を与えたかった。伊豆の東海岸を貫く135号線にはみかんの売店が数多くあり、いくつかの店には鉢植えのみかんの木が売られているのは承知していた。ところが、たまたま訪れた際、温州みかんの木しかなく、何も買わないよりはとそれを買って植えた(翌年夏みかんの木も)。寒い東京で大した期待はは持たなかった。ところが二三年経つと実をつける様になった。食べる直前に収穫するのでけっこう甘く、何より新鮮である。そこで以後温州みかんにだけは何かしら肥料を毎年与えた。何より東京でみかん栽培?できると自慢したかった。

ところが夏みかんと一口ゆずの木には年による収穫の変動はなく、近年は持て余し気味なのに、みかんの収量?は当たり年とそうでない年の差が大きくなった。温暖化の影響かとも思ったが、それならむしろ有利になったはず。今も原因は掴めないが花粉を運ぶ昆虫(蜂? 蝶?)の減少かとも思っている。もっとも夏みかんとゆずに変わりはないのでこの説もあやふや。むしろ両者に昆虫を横取りされているのかも。

考えてみれば美観という最初の目的は完全に達成された(夏みかんは驚いたことに去年の実と今年の青い実が同時に木につくほど息長い)ので、嘆く理由はないはずなのに。人間の欲望(私の?)は限りない!

2014年7月10日木曜日

日仏どちらに住みたいか?

新聞の日曜版「ザ・グローブ」(7月6日)にパティシエとしてパリで働く日本人女性への短いインタビューが載っており、自分の体験(合算しても一年に満たないが)と比べて合点がいった。

彼女の違和感の第一は、日本人の衛生感覚とフランス人との違いで、床を洗った黒い水を製菓道具と同じ流しに流すこと。確かにパリではバゲットを包んでくれる紙は直接パンに触れないだけの小さな紙切れ(ときに新聞紙も)だったし、アパートのエレベーターの古く変色しているボタンを若い女性がバゲットの先端で押した(さすがに苦笑したが)。
「スリが多いので高いものは持たなく」なったとは、観光客でも同種の忠告(夜遅くメトロに乗るなとか)をされた人はいるだろう。「役所の窓口はおしゃべりしていて対応が遅いし、人によって言うことが違う」というのも私の経験とピッタリである。日本に封書を送ろうとすると、郵便局の窓口の要求する切手代が人によって違った( ! )し、小さな局で一つの窓口に長い行列が出来ても、他の窓口の係員は手持ち無沙汰に座っているだけ。助けようともしない。「優雅なイメージとはかけ離れた日常生活」で、「日本は素晴らしいです」とは実感通りであろう。

しかし、「うれしいのは長期休暇がきちんと取れること。夏は店ごと休みで4週間。冬でも1週間」。フランスで結婚し、出産を控えたこの女性にはその有難さは半端でないだろう。過労死が頻繁に報じられる国の国民を我々はいつ卒業できるのだろうか。
どちらの国に住みたいかの答えは単純ではない。フランスと日本がお互いの長所を取り入れることをいつか可能にしなければならない。

P.S. 前々回のFlamndersはmが余計でした。この頃は手が勝手に間違える!!

2014年7月5日土曜日

北朝鮮の本気度

拉致問題を始めとする北朝鮮との間の諸懸案を解決するための日朝交渉がようやく始まった。拉致家族だけでなく全国民にとっても交渉の進展は悲願であろう(私は全国民の悲願などという言葉を軽々しく使いたくも聞きたくもないが、今回はその禁を解きたい)。交渉は始まったばかりで楽観を許さないとはいえ、私は好結果の可能性は十分あると思う。

その理由は北朝鮮が国民に対してこの交渉開始を日本側と同じ言葉で公表していることである。交渉の進展を望んでいなければ、そうはしないだろう。彼らが本気だと判断するゆえんである。本気である理由は身勝手なものが大半であろう。経済的苦境の打開は無論最大の理由だろうし、米日韓の連携に亀裂を生じさせること、さらには中韓接近への腹いせさえ考えられる。しかし理由はどうあれこの機会を逃してはならない。そのためにはどんなに正当な要求であっても過去の責任の追及に固執してはならない。

金正恩主席にとって父親の犯罪を一部でも認めることが大きな一歩であること(どうせ部下に責任転嫁するだろうが)を理解すべきである。その責任を追及して彼の面子を失はせて得るものはない。相手の好ましい方向への変化を促進することが他の何よりも優先されるべきである。彼は建築中のマンションの崩壊事故の責任者に住民への謝罪を命じ、その事実を公表させた。従来は考えられない処置である。これを過小評価すべきではない。外交の第一の目標は相互の関係の改善であるべきで、過去の責任の追及にこだわってはならない。

2014年6月29日日曜日

フランダースの野に

今年が第一次大戦開幕から百周年ということで、ヨーロッパでは記念や回顧の行事が続いており、昨日は大戦の引き金となったサラエボ事件(1914.6.28)がメディアに取り上げられた。大セルビア主義の虜になったセルビア青年がオーストリアの皇太子夫妻を暗殺したこの事件は現在でもセルビアでは英雄的行為と讃えられているという。その行為が死者一千万人の大戦争の口火を切ったとしても民族の大義のためなら許されるというセルビア人の評価は到底賛成できないが、21世紀の現在、セルビアがユーゴスラビアの盟主の地位から元の小国に戻った事実をセルビア人はどう評価するのだろうか。

第一次大戦の激戦地と言えば北仏のヴェルダンと並んでベルギーのイープル(英仏語。ベルギーではイーペル)が名高い。前者が独軍と仏軍の激戦地だったのに対し、後者は独軍と英軍の激戦地で、世界で最初にドイツ軍により毒ガス(最初は塩素ガス、ついでマスタードガス)が使用されたことで知られる(後者のイペリットガスはイープルにちなむ名前)。死者三十万人と言われるこの戦闘を記念してイープルに設置された戦争記念館の来訪者はしたがって主として英国人であり、展示品も英軍(及び独軍)関係が大半である。私が訪問した十数年前と異なり、去年あたりから( ? )、In  Flamnders Field 記念館と名乗っているようだ。それは英国人に膾炙されているマレー少佐の詩にちなんでいる。
「友よ、死者の叫びを聞け!(中略)。けれども我々はむなしくフランダースの野に横たわっている。」「友よ、受け継いでくれ! われわれのたたかいを!(中略)  もしも君たちが死に行くものへの誓いを破ったなら、我々は決して眠りにつかないだろう。ひなげしの花はフランダースの野に咲いても。」(ネルー 「父が子に語る世界史」)
ノルマンジー上陸作戦と同様、イープルは英国人にとって痛ましくも誇らしい地名なのである。
イートン校の壁には二つの大戦の戦没卒業生の氏名が刻印されている。大戦の休戦記念日(11月11日)には毎年アナウンサーはひなげしの花のバッジを胸につけて登場する)

イープルを私は勤務先の同僚のKさん、Mさん、Mさん三人と訪れたが、その後二人のMさんは鬼籍に入られた。御冥福を祈ります。


2014年6月26日木曜日

夢去りぬ

やっとと言うべきか、もうと言うべきか。日本のW杯は終わった。無論「もう」と残念に思う人が圧倒的だろうし、私も選手たちの無念を思いやるにやぶさかではない。ただ、日本に無関係の試合の勝敗までこれほど詳しく報道する必要があるのかと疑問に感じた。「やっと」とはその意味である。

むろん勝敗は時の運。しかし世界での日本の順位からすればこの結果は残念ながら驚くに当たらない。四年間の日本人選手の進歩は大きくとも、世界もまた進歩したのであろう。あまり見ていないのに大きなことは言えないが、せっかく長友らがボールを中央に送りこんでもそれを受ける強力なストライカーが居なかったと言うことだろう。身体能力の差は簡単には埋められず、戦術の可否をあげつらう気にはなれない。
あまり注目されていないようだが、過去のV杯出場のチームにはラモスの昔から外国生まれの選手が必ずのようにおり、私も彼らの活躍を期待した覚えがあるが、今回は一人も( ? )いないようだ。その意味で日本人選手の実力向上は確かであろう。四年後でなくとも二年後の五輪もあるはず。長友の涙が嬉し涙に変わる日を信じたい。その時には宮間・沢の胸のすくコンビの活躍も見られるだろう。

P.S. 前々回、「トヨタ殺人自動車工場」と書いたが、正しくは「自動車絶望工場」だった。四十年前の記憶を確認したかったのだが、「さとし」という名前の漢字の読みが分からず、確認の仕様がなかった。読める人はそう居ないと思うが!
今回の題名は昭和14年の歌謡曲( タンゴ )からのコピペである。誰の曲??

2014年6月18日水曜日

後悔先に立たず

先日、ノルマンディー上陸作戦の七十周年に際して現地に旧連合国のVIPたちが集まった。プーチンとオバマ両大統領の本格的話し合いは無かったが、顔合わせしただけでも良かった。お互いの間の疑心暗鬼を防ぐためにはともかく会うことが大事である。
1967年春に私が現地を訪れた際には数人のアメリカ人家族らしい訪問者がいただけで、真っ白な十字架の列ばかりが目立った。米軍戦死者の広大な墓地はフランスから土地を寄進されつくられた。日ごろアメリカニズムにたてつくフランス人も当時はそうでもなかったようだ。

上陸作戦に参加した米英加ら連合国にとっては誇らしいイベントだったが、新聞によればその後八週間のドイツ軍との戦闘で米軍(連合軍?)の死者が二万数千人、さらに連合軍の砲爆撃の巻き添えで死んだフランス人住民の死者が二万人だった。
また、ドイツ空軍の有名なロンドン空襲(バーミンガムなども)による死者よりも、フランス解放戦中の巻き添えによる住民の死者の数が多かった(A.Marwick,War and social change in the twentieth century)。ひとたび外国軍の占領を受けたとき、民間人の被害(それも友軍による)だけでも並々でないことは忘れてはならない。後悔先に立たずは千年の真理である。

マーウィックの同書によれば、シャンゼリゼでの戦勝パレード中のドゴール将軍を狙った敗残の狙撃者たちの一人は日本人だった。ドゴールがこの時死んでいたら日本はフランスの歴史教科書で不名誉な記述をされていたかも。それより何よりこの日本人を無謀極まる企てに参加させた心の闇はどう理解したら良いのだろうか。

2014年6月16日月曜日

日本的経営の勝利?

先日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に豊田章男トヨタ自動車社長が登場した。作家村上龍が中心のこの番組を私はほとんど見ていないが、今回は大好きな自動車を作る会社、それもトヨタ社長というので二時間近くを割いた。世界販売台数が一千万台を越え、今期25兆円を売り上げた日本最大の企業、33万人の従業員を率いる社長のプライベートな車はトヨタ車で下から二番目の小型車ヴィッツであり、彼は楽しそうに運転していた。

しかし、彼が社長に就任した2009年は、前年のリーマンショックの影響で決算は4000億円の赤字、それ以上に7900万台のリコールを迫られ、米国の公聴会で悪意からともとれるつるし上げに会った。渡米時には社長辞任もありうるとまで考えていたが、「私の作る車はすべて私の名前を冠している my name is on every car。責任回避のつもりはない」と反論した。その後のトヨタ系販売店や工場従業員との会合では彼らの温かい激励を受けた。ある従業員らしい男はトヨタのために「何か私に出来ることはあるか」と問い、トヨタ社長の感涙をさそった。彼らがトヨタ社を信じ、その関係者であることを誇りにしている様子は見てとれた。

かなり前、当時の奥田トヨタ会長の年棒が約6000万円だった(ソニーの出井会長のそれは一億数千万円のとき)が、アメリカの巨大会社のCEOはその十倍ないし数十倍だったろう。章男社長の座右の銘は「もっといい車を作ろう」で、自らサーキットで時速200キロで試運転している。震災後は東北を愛知、北九州に次ぐ第三の製造拠点と決めた。(計画はそれ以前からあったようだが)  たとえ国際競争上不利でも国内で年産300万台を減らす気はないと言う。

四十年ぐらい前、自らの期間工の経験を「トヨタ殺人自動車工場」というルポルタージュにして評論家の仲間入りをした人がいた。たかが数ヶ月、ルポ目的で働いた人間に何ほどのことがわかるだろうか。テレビ東京が経済界よりの傾向があることは無論承知しているが、私は某評論家よりも村上龍を信用している。

2014年6月13日金曜日

W杯とブラジル

今朝の民放テレビはテレビ東京以外は全てサッカーのW杯のニュースだった。まだ日本チームは試合をしていないのに! メディアによれば現地で日本出場のゲームが一回見られるツアーの代金が70万円台。三回見られるツアー代金が170万円台だとか。自分の金を何に使うかは個人の自由で、他人があれこれ言うことではないが、日本も豊かになったというべきか?

プロ野球ファンの私がサッカーに冷淡なのも個人の好みで仕方がないが、その理由の一つは日本サッカー協会(それともJOC?)がロンドンオリンピックへのサッカー選手派遣にあたり、女子チームより男子チームの機内の座席のクラスを上にしたことである。男女平等に反するのは言うまでも無いが、女子は優勝を狙うチーム、男子は上位入賞さえ危ういチーム。さすがに帰国便では男女同じクラスとなったらしいが、何を基準にすれば男子優先となるのか。関係者の意識の低さは情けないの一語につきる。

ところでブラジルでは施設の整備の遅れの上にスト、デモ、さらには警官のストを好機とする商店の略奪と何でもありの情況となっている。日本チームの第一試合の会場のレシフェ市では死者三十名の騒ぎとか。サッカー王国だけにブラジルチームが勝ち進めば情況一変となる可能性も否定できないが。
今話題の虎ノ門ヒルズは一日の遅れもなく完成したという。ブラジルとの違いは明らかである。関係者の努力には頭が下がる。ただ私はそのための関係者の緊張が如何許りだったか、想像すると心が痛む。ブラジルの開催準備の遅れもW杯開催を人質にしたデモスト騒ぎも(略奪や殺人は無論)ほめられることではないが、デモもストも許されない某国の人たちと比較して、私はブラジル人が不幸だとは思わない。
それだけではない。他国のサッカーチームが練習を非公開にしているのに対し、ブラジルチームは始めから終わりまで公開だったという。自信のなせるわざではあろうが、強豪チームは数多く、優勝は確実でも何でもない。やはり、こせこせしない大らかな国民性と無関係ではあるまい。そうした点は日本も見習ってもよいのではなかろうか。

2014年6月8日日曜日

「高血圧論争」と安全

日本人間ドック協会が発表した高血圧の要注意値147以上が、これまでの日本高血圧学会のガイドライン140以上と違うということで、「今、医療現場では高血圧の数値をめぐって大きな混乱が起きている」(週刊朝日 6月13日号)ようだ。個人的にも戸惑われている方は多いだろう。

私自身は低血圧人間なので数値の心配をしたことが無く、降圧薬を服用したこともない。しかし、我が国の社会保険費の中で医療費が突出しており、その相当部分を降圧薬が占めているならば無関心ではいられない。まして、ノバルティス社と学界ないしその会員との癒着が報道される状況であれば。

高血圧学会や内科医たちが147という数値に反論するのを既得利益の擁護のためとまでは言いたくない。患者の健康を守るためと信じたい。しかし、「安全、美観、費用」で述べたように、安全や健康がどれほど大切でも、費用がどれほどかかってもとまでは言いたくない。例えば暴飲暴食を改めようとしない人の健康費用を惜しんでも間違いとはいえまい。

個人の生命、安全、健康が重視されるべきは当然だが、現在の日本ではそれらが絶対の善とされ、それらを軽視することは許されないといった雰囲気がある。しかし、国家予算に限りがある以上、各部門に軽重があるのは止むを得ない。一方に身障児を抱え、将来を考えると死ぬに死ねない親がいるのに、「広く薄く」が正しいとは言えない。

追伸  昨日の「日経」によれば、先日このブログで取りあげた中国の戦闘機の異常接近も、自衛艦への中国艦のレーダーの照準合せも、現場の暴走の可能性が高いという。後者については当時私は「声」欄に投稿し、上部の判断の可能性は低いと指摘したが、没となった。新聞はその程度の慎重さも無いのか。それとも国民の過剰な安全観に異を唱えたくなかったのか。続報を忘れない「日経」には敬意を表したい。

2014年6月6日金曜日

新車販売実績の有為転変?

五月の新車販売実績が発表され、上位十車種のうち軽自動車が六車種を占めた(四月は確か七車種)。それも驚きだが、さらに一、二位とも軽自動車で、普通乗用車は三位にフィット(ホンダ)、五位にアクア(トヨタ)、かつて一位を長く保ち私も所有したプリウス(トヨタ)は七位。世の中変われば変わるものである。
この軽自動車優位の傾向は最近一貫しており、米国の自動車メーカーが軽優位の税制を強く批判していた(軽自動車と普通車のうち最も税金の少ない1000c.c.エンジン車で四倍弱の差があった)。その結果日本政府はようやく軽の税額を1.5倍にしたが、今回の発表を見る限り、この程度の引き上げは大勢を動かすほどではなかったことが示された。米国側の不満は一時的に鎮静化しているようだが、解消はされないだろう。

私は日米の道路幅の差や駐車スペースの差、ガソリン価格の差を無視する米国業界の一方的な要求に好感は持てなかったが、我が国の軽自動車の優遇も度を越しており、異常とも言える実状を改めるには税額を二倍程度引き上げても止むを得ないと考えていた。

私とても地方在住者とくに農家など第一次産業従事者に軽自動車がどれほど生活の助けになっているか、地方に出るたびに目にしている。ただ、ガソリン消費は軽と小型車の差はあまり無い。省資源の度合いでは軽自動車はハイブリッド小型車に及ばないし、最近の非ハイブリッド小型車のエンジンの改良は国の内外でも目覚ましいものがあり、ハイブリッド車に急速に近づいている。軽自動車と普通車の税金や保険料の余りの差は、我が国の自動車産業の正常な発展に寄与するとも言い切れず、国際競争力にマイナスとなり兼ねない。何よりも1.5倍という数字さえ米国の圧力なしにはあり得なかった現実が淋しい。

追伸。最近二度ほどタイトルに間違いがあったのは、iPADでは題名が書き始めしか表示されず、間違いに気付かないためです!!

2014年6月3日火曜日

紙資源の浪費む

海外ツアーに参加した経験のある人なら誰でも知っていることだが、旅行会社からの宣伝冊子の多彩さ( ? )は年々ひどくなり、総重量が1kgを超えたかと思ったら、今日配達されたものは1.5kg弱あった。それが年数回(毎月?)届くのだから、無料で頂く身としては恩知らずながら正気の沙汰とも思えない!この一年あまり体調もあり海外旅行は慎んでいるのだが、先の可能性も考えると配布を断りかねている。

旅行会社だけではない。新聞の全ページの半数は広告ページになってきた。今朝の某紙の全面ページ広告は40ページ中14ページだが、下欄の広告スペースを合わせれば優に全ページの半分は広告欄となる。だから購読料が抑えられていると反論するだろうが、新聞社は社員の高給を維持するためではないと胸を張って言えるだろうか?

新聞本体だけではない。折り込み広告を合わせると正気の沙汰ではなくなってきた。我が家のメールボックスはけっして小さくないと思うのだが、二泊三日以上の旅行には新聞配達の一時差し止めが必須となってきて面倒この上ない。配達員の人手の必要も半端でないはずだが、何より、地球環境の保全の大切さを日頃口にする新聞がこれほどの浪費をして平然としていられるとは驚く他ない。新聞の古紙再生率は上昇し七割ぐらいになっていると思うが、地球の生む木材は住宅などもっと他の用途に向けるべきである。先進国の資源浪費の一例、それも小さくない一例ではなかろうか。

2014年5月27日火曜日

EUへの不満の高まり

いつの時代でも世界が平穏だったことなど無かったかもしれないが、ヨーロッパの平穏のシンボルのような存在だったEUの選挙で極右派の台頭が著しい。その理由としてメディアでは、1 ) 超国家機関に自国の重要政策を決められることへの反撥、  2 )  移民増加への反発  の二点が主に指摘されているが、私に異論は無い。

最近の日本で地方自治の拡大が諸政党の共通のスローガンになっているように、誰しも遠く離れた場所で馴染みの無い政治家に自分たちの問題の解決を委ねたくないのは当然である。米国や日本に対抗するヨーロッパの単一市場の必要はこれ迄は重要だったにせよ、それが実現してみると、通貨問題一つとってもユーロの存在で得をする国(例えばドイツ。マルク高を回避できる)と、ユーロ維持のため厳しい財政運営を強いられる国とでは利害は必ずしも一致しない。EUへの失望が高まるのも理解できる。

移民の増加も経済的必要や人道的理由から一定程度許容されてきたが、国境での入国管理まで廃止された現在、不満は高まる。食用のため集団住宅の中庭で羊が屠殺解体されたり、授業中もスカーフが着用されたりすれば、単なる生活習慣の違いと目をつぶっていられなくなる。(同じアジア人同士の日本の移民とは深刻度が違う)。そんな中で移民の権利擁護につくす人たちは立派としか言いようが無いが、感情の絡まる問題は理性的解決が難しい。この問題が社会全体の保守化、さらには非寛容化をもたらす可能性は大きい。リンカーンの「だれもが抱いている感情というものは、正しくても正しくなくても、無視してはならない.....」(本間長世 「リンカーン」)との言葉が正しいとすれば、移民の一定の制限は避けて通れないだろう。

2014年5月26日月曜日

政府もメディも冷静に

中国の戦闘機が日本の偵察機に異常接近した事態を小野寺防衛相が「常軌を逸した」(読売新聞 )危険な行為と批判した。確かに危険な行為ではあるがメディアの報道の仕方も含めてそれ程大きく取り上げる程のことだろうか。
そもそも人命への危険に対して日本と中国では感覚が全く違うことを忘れてはならない。他国も自国と同程度と考えては過剰反応となる。森本前防衛相がテレビで、異常接近がパイロット個人から政府中枢までのどの意向の反映なのか、なんとも言えないと語っていた。現閣僚と元閣僚の立場の違いは大きいが、私は前閣僚の冷静さに軍配を上げる。

昨年始め(?)、中国の艦船が我が国の自衛艦にレーダーの照準を定めたとして大きく報道されたことは記憶に新しい。これとてもそれほど重大視する事態かと私は疑問を感じていた。やはり中国艦の館長から政府中枢までのどの段階の決定によるのか全く不明だったからである。大砲の方向は自衛艦に向けられていなかったと聞く。自衛艦に数時間(数十時間?)至近距離で追尾されれば中国艦の艦長(または司令官)が冷静さを失うことはおおいにあり得る。

私は何でも下手に出るべきだと言っているのではない。民主党内閣当時、中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件で中国政府は高飛車な態度を取り、損害賠償を請求するとまで言ったのに、日本政府は撮影した映像を公開しなかった。(今日我々が知っている映像は保安官個人が法を犯して(?)公表したもの)  政府は未だに公表していない。当時、政府は穏便に済ませたいと思った故の事だったろうが、相手の不当な態度をそのままに済ませてはならなかった。逆に直ちに映像を公開したベトナム政府は国際世論を味方につけている。事態に応じた対応は一様ではない。

2014年5月20日火曜日

富岡製糸場と「あゝ野麦峠」

旧富岡製糸場が世界遺産に選ばれる公算が大となり、見学者が激増していると聞く。百年以上も原型を大きく変えなかった関係者とくに片倉製糸には感謝して良い。
此処で本格的に開始され全国に展開した我が国の製糸工場や、そこで働いた工女たちの作る絹糸は、何と戦前期昭和まで日本の輸出品金額のトップの地位を失ったことはなかったという。日本の近代化の担い手の第一は製糸工女達だったのである。

製糸工女と言えば、山本茂美の「あゝ野麦峠」、と言うより大竹しのぶ主演の映画が知られている(平成の現在もそうかは分からないが)。大竹の演ずる政井みねが故郷の飛騨を恋いながら病死する野麦峠には数年前(?)に飛騨工女の記念館が出来、諏訪盆地の工場との間を往来した工女たちの資料が展示されている。そこの老職員が私に力説したのは、映画の与える印象と異なり、工女たちは自らの体験を良い思い出としていたということだった。
気になったので原作を読んで納得した。原作者が調査した元工女数百人のうち工女として働いたことを後悔した者は一人もなかったという。

よく考えれば納得がゆく。厳冬期の峠越え(むろん徒歩)も、岡谷での厳しい労働も原作に詳しいが、山国飛騨での農作業も糸繰リ作業に負けず厳しかったし、それで得られる現金収入は乏しかった。工女としての賃金とて十分にはほど遠かったが、彼女らの稼いだ現金を仏壇や神棚に供えて手を合わせる両親たちを見れば、工女たちが満足感を覚えたとしても何の不思議もない。

原作の「ある工女哀史」との副題のように、彼女らの苦難も原作の重要なテーマだが、山本茂美は過去の著作者たちへの明確な批判を記している。著書名は挙げていないが、細井和喜蔵の「女工哀史」が念頭にあることは当然予想できる。「女工哀史」と異なり「あゝ野麦峠」は女工哀史であると同時に、それ以上に工女たちへの讃歌であり、その栄光を顕彰する書物なのである。

追伸。5月5日の本欄に中国の交通ルールは「度胸優先」だと書いたが、正しくは「勇気優先」でした。訂正します。

2014年5月13日火曜日

世論調査は各社の隠れ蓑!?

政府が提案しつつある集団的自衛権の行使についての朝日新聞と読売新聞の世論調査が発表されたが、賛否が正反対(真逆などという辞書にもない言葉を使うな!)となった。朝日によれば行使に反対が63%、賛成が29%。読売によれば賛成が71%、反対が25%となる。

両社の社論が対照的であることは知っているし、それ自体は何ら問題ではない。(不偏不党を謳わなければ)   しかし、客観的なはずの数値まで、これほどまでに相違するのには、驚く(呆れる?)他ない。両者の実施時期には約一ヶ月の違いがあるが、この間、世論に影響を与えるような大事件(韓国のフェリー事故のような)が日本にあったわけではない。

疑問はNHKの世論調査の発表(読売と同時期)により或る程度解消した。それによると容認が30%、反対が23%、どちらとも言えない(よく分からない)が37%だった。さもありなんと言える数字であり、新聞二社の数字は質問が誘導的だったと解せられる。私はNHKに対してもいくつか不満があるが、この問題に関しては新聞二社よりも「不偏不党」だったと考えざるを得ない。

そもそも世論調査で分かるものは何かも問題である。以前、ある専門家が世論調査で分かるのは「意見」ではなく「気分」だと語っていたが、言い得て妙である。まして最近のように各社がひんぱんに世論調査を実施して、僅かな変化を鬼の首でも取ったように取り上げ、社論が国民世論であるかのように言うのはやめてもらいたい。今はNHK万歳を叫びたい気分である!!

2014年5月10日土曜日

ウクライナ正常化の道

恐れていたようにウクライナ情勢は悪化の一途をたどっている。二月にキエフに出現した戦闘服に覆面の若者たちとウリ二つの戦闘服の若者たちが東ウクライナの都市に出現し、同じように我が物顔に振る舞っている。動あれば反動ありは真理だった。

ドネツクに派遣された朝日新聞の記者はキエフの新政権を支持する「ファシスト集団」を暴くロシア・メディアに対し「映像の信頼性はどう調べたのだろう」と疑問を呈している(8日夕刊)。この記者は二月下旬(三月上旬?)のNHKテレビ(フランスのF2)で、キエフの若者たちが戦闘服の腕や彼らの事務所の扉にナチのカギ十字ではないがよく似たマークを付けていたのを派遣前に見なかったのだろうか。また、確か同じ番組で、それまで広場の若者たちを支持してきた若い女性が、彼らがロシアテレビの報道をそのまま流したディレクターに暴行し辞表を書かせている場面を見て以来、もう何が正しいのか分からなくなったと嘆いていたのを知らないのだろうか。キエフの新政権は戦闘服の若者たちをどうすることも出来ない無力な人たちなのである。

どんな欠点があれ仮にも自由な選挙で選ばれた大統領を変えるのは次の選挙でなければならない(事実上自由な選挙が無かった嘗ての東欧共産圏と同一視は出来ない)。その一線を越えて暴力で政権を打倒すれば、反対派が同じ手段に出ることは当然予想される。西側諸国の指導者は戦闘服の彼等への共感を示してはならなかったのである。プーチンの言うことも聞かぬ親露派の若者を止めるにはウクライナの現政権が正当性の無い者同士の彼等を交渉相手と認めることから始めるしか無いだろう。それがどれほど不愉快であっても。無論ロシアもこれ以上の事態の悪化を防止するため力を尽くさなければならない。しかしひとたび大規模な流血事件になればプーチンといえども座視は出来なくなろう。手下たちを抑えられなくなった第一次大戦の再現ともなりかねない。

2014年5月7日水曜日

馬肉とゴルバチョフ

「馬肉に景気の追い風」と題して新聞に、最近高価な馬肉料理が人気を集めているとある。戦後しばらくは、あるいは戦前から馬肉は牛肉より一段低く見られていたと記憶する。それが逆転しているとすれば希少価値故としか思えない。

十数年ぐらい前、アイスランドへのツアーに参加した。地熱発電所の温水を利用した大規模な温泉ブルーラグーンや大間歇泉ゲイシール(英語のガイザーgeyserの語源とか)などの観光地めぐりもさる事ながら、寒冷地のためか自然林は殆んど無く(あるのは住居のまわりに植えたものだけ)、広い原野は放牧地となっていた。それも半分は馬の放牧に使われており、アイスランドの子女は子供の時から乗馬に親しむとの説明があった。しかし子女の乗馬にこれほどの数の馬が必要なわけが無い。むかし、アイスランド人は馬肉を食するのでその点だけは他のヨーロッパ人にうとまれて居ると読んだ記憶があったので、乗馬のためにこんなにたくさんの馬が必要かと日本人添乗員に詰問(?)したら、現地ガイドと二言三言相談して意を決したように、食用でもあると認めた。しかし、日本にもたくさん輸出していると逆襲された。私には馬肉食をうとましく思う気持は無かったのに.....。

小国としては見どころの多いアイスランドの近年の観光スポットはレーガン大統領とゴルバチョフ書記長のレイキャビーク会談(1986年)の開かれた瀟洒な住居(迎賓館?)であった。冷戦解消の一里塚となった記念すべき会談で、建物の中には入らなかったが、ゴルバチョフを尊敬する私には感慨ががあった。彼を打倒する保守派の失敗したクーデターの第一報を私は新潟から小樽に向かうフェリー上で知り不安に駆られた記憶もある。冷戦解消という難事を血を流すこと無く実現した彼に対するロシア人の評価が極めて低いのは不当としか思えない。

無論かれ一人の功績と言うつもりはない。ジスカールデスタン仏大統領の回想録を読むと、前任のブレジネフの意中の後継者だったらしいロマノフも立派な人物だった。野たれ死に同然の旧ソ連の崩壊だったが、幹部たちの全てが建国時の理想を忘れていたわけではない事実は評価できるのではなかろうか。

リーマン・ショック後のアイスランドの経済危機も過去のものとなったようだ。同国の馬肉も鯨肉も大いに消費して、冷戦解消に協力した小国を助けたい!?

2014年5月5日月曜日

路線バスの降り方?

新聞に「バスはそっと発進・停車して」と題する77歳の女性の投書が掲載されていた。それによると日本バス協会がこれ迄の「バス停に着いてから」席を立つようにとの呼びかけを「扉が開いてから」に変えたという。投書者はそもそも他人に迷惑をかけたくないから早めの準備として立ち上がるので、「扉が開くまで」立つなでは「余計に焦ります」とのこと。同じ高齢者として気持ちは理解できる。
しかし、バス会社としてはあくまで乗客の事故を防止するために規則を改めたのであろう。(それも理解できる)  だが、モタモタしていると他の乗客が感じているのではないかとの高齢者の「引け目」までは予想できなかったということだろう。

それで思い出したが、むかし通勤途中のバスが急ブレーキをかけ、立ちかけていた老婦人が二、三メートル吹っ飛んだことがあった。原因は、交差点の信号はバスに対して青なのに、自転車を押す人が横断の気配を見せたことだった。結局横断しなかったが、バスのフロントガラス越しに見ていた私もあっと叫びそうになった。老婦人とバス会社の間で何かが起こりそうだと予感したので、下車するとき運転手に名刺を渡し、証言する用意があると告げた。同じドライバーとして彼を処罰対象にさせたくなかった。

予想より遅く数日経ってから、バス会社からの電話があった。警察はブレーキ痕がないと言っているので急ブレーキではなかったのではないかとの質問だった。老婦人の自己責任説とも取れる発言だったので、急ブレーキでなければ老婦人が吹っ飛ぶわけが無い。ただ言いたいのは、運転手として人身事故を避けようとしたら他に方法がなかったと感じると答えた。

その後のことは不明だが、狭い道路に自動車、自転車、歩行者があふれている現状では、簡単な正解は無さそうだ。
以前、同じように自動車、自転車、歩行者があふれている中国江南で、来日経験もある通訳兼バスガイドが、日本で一番印象深かったのは歩行者優先がきっちり守られていることだったと語り、中国では三者間のルールは「度胸優先」ですと言った。(中国に行った人は、これが名言だと分かるだろう)   ところが数年後の中国で別のガイドから全く同じ言葉を聞いた。自嘲の言葉としてガイド仲間で知られているのだろう。しかし、自嘲は自惚れよりもよほど大人のしるしである。隣国が国家関係でもさらに大人になることを願うばかりである。

2014年5月1日木曜日

配慮過剰はストレスの素

今日の新聞によれば、東北大震災直後(四月下旬)天皇陛下が「原発を見たいとおっしゃ」るので川島侍従長が「それは無理です」と答えると、陛下は「自衛隊の飛行機で上空から見るならいいだろう。それでもだめなのかとおっしゃった」という。無論その願いは実現しなかった。

侍従長を始め宮内省関係者が万一の時の責任追及を恐れたとまでは言うまい。陛下の安全を心から願ったと思いたい。しかし、既に自衛隊(警察? 消防庁?)のヘリコプターは原発に低空で放水していた。放射能の危険は一応防止出来ていた筈。「国民統合の象徴」の天皇と庶民の生命の価値が全く同じかどうか私には分からないが、両陛下がそこに差があると考えておられないことは確かだと思う。国民と苦難を共にしたいとの両陛下の思いは優先されて然るべきだったのでは。

むかし、知床半島の道路の最先端の岩尾別温泉(ホテル地の涯)への道を両陛下(当時は皇太子夫妻)のため完全舗装したとバスガイドが説明した。これとても両殿下が最もして欲しくなかったことだろう。皇族ならそのぐらいは我慢しなければならないということか。ストレスのたまることではある。

それより後のことになるが、三笠宮殿下も参加されたある集りで温厚な殿下が気色ばまれたことがあった。全く異例と言うべきで、司会の学生は何故なのか理解できずとまどっていた。理由は殿下を特別扱いしたことにあった。(他に理由が考えられない)  殿下は教師仲間の一人として参加していた。司会者に何の悪気もないとはいえ、特別扱いは殿下が最もして欲しくない事だったと思う。 

皇族全員がそうかは知らないが、少なくとも両陛下と三笠宮殿下は国民の一人でありたいと願っていると思う。御三方に無用なストレスを与えないことが関係者の優先課題であって欲しい。

2014年4月28日月曜日

カード以前のこと

一ヶ月以上も前に、むかし留学した大学からの電話での募金の要請を振り込め詐欺と誤解した話を書いた。結局、本当の話と分かって遅まきながら送金したのだが、今日カレッジからの丁重な礼状が届いた。実は送金用紙にカード番号や安全コードを記入したが、他にも記入する箇所があり、そのうち意味不明の箇所は空欄のまま出したので、果たして有効な書類となったのか気懸りだった。これで用件が完全に片づいたのでホッとした。(電話してきた学生の名も判明した。手紙ではサインが読めなかった!)

送金方法にはカードと銀行小切手の二種類があった。四十数年前の英国では小切手による支払いが一般的で、留学生も入学後ただちに銀行口座を求められ、(学生は小切手帳を受け取る)  そこに大学からの奨学金も振り込まれる。日本では小切手帳など無縁だったので仲々慣れなかった。
その後ヨーロッパではカード利用が一般化したようで、三十年ぐらい前のオスロー空港でレンタカーを申し込んだらカード利用でなければ保証金を積むよう要求され断念した。その際レンタカー店のカウンターに手帳を置き忘れた。その後二ヶ月ほどのヨーロッパ滞在中不便をかこちそうだった。ところが滞在半ばに家内から手帳が東京に送られてきたとの連絡があった。ノルウェー在住の日本人にでも聞いて手帳内の住所を探したのだろう。日本人の親切さや正直さは世界で評価されていると思うが、ノルウェー人も日本人に負けず、或いはそれ以上に親切だった。

韓国ではフェリー船の事故に関して新聞が自国を三流国家だと自嘲していた。船長を始めとする乗組員の無責任ぶりをみれば自虐的評価とばかり言えないが、我が国も北欧諸国と比べて社会保障や女性の社会進出、なかんずく政治的成熟など未だ及ばないようだ。(振り込め詐欺の横行も!) 早く一流と自信をもって言えるようになりたいものである。
なお、今回のタイトルは高名な人の著書名のもじりだが分かるかな?  実は私も読んでいないのだが。

2014年4月26日土曜日

失言は国益を損なう

麻生副総理が「国内でオバマが(議会を)全部まとめ切れるほどの力はないだろう」と述べて、官房長官が慌てて火消しにまわっている。

麻生氏は以前、漢字の読みを間違えてひんしゅくを買ったことは記憶にあたらしい。私は逆にリーマンショックに際し当時総理だった氏が、経済人出身らしく素早く景気刺激策を採ったことは正当に評価されて良いと考えていたが、今回の発言は政治家としての資質まで問いたくなる。
先ず、先方を呼び捨てにするのは失礼である。自分がそうされたら不愉快でないだろうか。
だが、それ以上に相手を無力呼ばわりしたのは問題だろう。確かにオバマ氏の議会の基盤は脆弱で事実に反するとは言えないが、同盟国の指導者に対し、否、同盟国でなくとも一国の指導者に対し失礼千万である。麻生氏を副総理に起用した安倍総理の見識まで問われるだろう。
森元首相を始めこれまで失言が問題になった政治家は数多いが、冗談で会場を盛り上げようとするなど未だしも可愛げがあった。今回はただ無礼なだけである。

相手を不快にさせるという点では安倍総理の「価値観外交」の提唱も意図が見え透いていて良くない。中国がそれを自分に向けられたと不快に思っても曲解とは言えない。相手も不快な発言をするからというのでは五十歩百歩になってしまう。ことは国家の品格に関わる。
他にも、ゴルフ場ならともかく記者会見でバラクを頻発するのは、本人は親しさを誇示したいのだろうが、かえって聞き苦しい。心して発言して欲しい。

2014年4月23日水曜日

教員が公務を休むとき

埼玉県の県立高校の五十歳台の教師が長男の高校の入学式に出席するため自校の入学式(一年生の担任だった)を休んだ事件( ! )が話題になっている。初出の埼玉新聞の記事が四月十二日。私が偶然旅館のテレビで事実を知ってから朝日新聞が記事にするまででも一週間以上たつ。その間、私の知る限り全国紙では産経新聞しか記事を載せなかったようだ。この感覚の鈍さは何だろう。

それらの記事によればインターネットでの賛否の比率は賛成(つまり教師に問題なし)がやや優勢だという。とすれば、1) 記者たちも問題なしと判断していたということか、 2)それとも評価が見事に二分している事実には、触らぬ神に祟りなしと考えたのか。前者にも私は問題を感ずるが、後者なら最早何をか言わんやである。実は他にも三人、休暇届を出して休んだ高校教師がいるという。教員とても家族の急病とまでではないとしても止むを得ず休むことはあるだろう。だが日程が決まっており、しかも初めて新入生に担任として紹介される日に休暇を取るとは驚きであり、それを否とする声が半数に満たないとは、それ以上の驚きである。

私はこれまで尾木直樹氏の教育論は生徒に甘すぎると感じ、不満を覚えることが多かった。しかし今回は氏は「プロ意識が欠如している」、「働く倫理が崩壊している」と断じ、「賛同者がいなくても私一人になっても譲れない主張です」と言い切っている。胸がすくとはこの事であり、私に付言することはない。

しかし、問題の教師たちや高校長たちは措くとして、最初に地方紙で報道されてから全国紙が報道するまで(投書を別とし)、十日も経過するとは理解できない。今後は詳細ばかりか第一報まで週刊誌でと言うことか!

2014年4月22日火曜日

小さな変化に注目を

中国の裁判所に賠償を命じられた商船三井がその船を差し押さえられた。それに対し菅官房長官が「日中共同声明に示された国交正常化の精神を根底から揺るがしかねず........」と批判した。少し反発が過ぎるのではないか。
中国外務省報道局長はこれを商取引上のもめ事と見なし、「この案件は戦争賠償の問題とは関係無い」、「(日中共同)声明の原則を守るという中国の立場に変化はない」と語っている。取りようによっては、これは他の民間の戦時賠償に関してはこれを必ずしも先例としない、少なくとも未だ政治が態度を決定していないと読める。それに対する反応としてはもっと抑制された言い方が望ましかった。
菅官房長官は苦労人と聞くし、概して慎重な受け答えが多いとの印象があったが、以前にも安重根をテロリスト呼ばわりした。韓国では英雄であることを知っていればもう少し違った言葉づかいもあったはず。残念である。

この一、二年に中国、韓国、北朝鮮でトップが変わり東アジアの状況の好転を期待したが、期待外れだった。パククネ大統領は親日派の娘と見られるのを避けたいのだとの解釈もあったが、彼女の頑なさは、むしろその信念にあると考えた方が良さそうである。今では私はパク氏よりもむしろ金正恩主席や習近平主席に期待している。何を世迷言をと言われそうだが、私にはヨーロッパで数年を過ごした金氏が今の自国の異常さを知らないはずがないと思いたい。北朝鮮への制裁強化に賛成なのもそれが同国の変化のきっかけになることを期待する故である。
習近平氏も文革時代は苦しい生活を送ったと聞く。更に彼の父は親日派の胡耀邦の親友だった。

事実、金主席はロケット発射の失敗を直ちに発表したり、公式行事に夫人を同伴するなどこれまでにない行動に出る。これら、とくに後者は単なるスタイルの変化に過ぎないと見られそうだが、私には西欧的なものへの内心の憧れの反映と見える。習近平氏が胡耀邦氏の子息を最近我が国に派遣したのも習氏の本心の反映と私は考えている。
あの悪名高かったミャンマーの独裁政治さえ変わる時は変わる。中朝何れにせよ独裁と決めつけるだけで良しとせず、どんな小さな変化にも着目すべきであろう。

2014年4月20日日曜日

「日本国憲法にノーベル賞を」運動に賛成

ノーベル賞を日本国憲法に(正しくはそれを保持した日本国。法律は受賞者にはなれない由)との要請をノーベル賞委員会が賞候補として受理すると連絡してきたという。一主婦を中心としたこのイニシアティブの発想の卓抜さには脱帽である。

私は必ずしも護憲派ではない。現憲法が制定された当時と七十年近く経過した現在とでは国際環境はあまりに違う。
憲法第九条が1928年の不戦条約の条文(「国際紛争解決のため戦争に訴えることを否定し、国策の手段としての戦争を放棄する」と酷似していることはよく知られている。そもそも同条約の正式名称は「戦争放棄のための条約」なのである。だが、これ以後加盟国が武力を放棄したわけではない。自衛のための戦力は別とされたのである。おそらくそれを念頭に「戦力を保持しない」との九条第二項が追加されたのであろう。しかし、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」国の安全が保持できると言い切る自信は私には無い。

しかしそれでも今回のイニシアティブを高く評価するのは、提唱者の意図とは違うかもしれないが、第一に、国を守るのに戦闘機や戦車が有用であるのと同じように、或いはそれ以上に日本国を見る諸外国の目も重要だからである。仮に日本国憲法がノーベル賞を受賞すれば日本の右傾化、軍国主義復活を口にする国の主張の効力は多少とも減殺されるだろう。ノーベル賞作家を獄に閉じ込めている国がどれほど態度を変えるかには疑問が残るが。
第二に、約七十年間平和国家を堅持してきた日本には受賞する資格がある(この点は提唱者と同じのはず)と考えるからである。ドイツと日本を比較してドイツの方が前大戦を反省しているとする論があるが、戦後も兵器を外国に輸出して金儲けをして来たドイツと、それを自ら禁じてきた日本とどちらが反省をかたちに表して来たかは明らかであろう。兵器の性格が多様化し、その素材までが重要な意味を持つ時代に、武器輸出三原則の解釈は単純ではないが、これまで「死の商人」にならないと自らを律してきた我が国が相応に評価されることのは当然であろう。私も第九条が世界に広く知られて諸外国が日本の例に倣うこと、その結果改憲の必要など論外となることほど喜ばしいことはない。
最後に、「安倍首相に(授賞式に)喜んで行って欲しい」とのリーダーのユーモアもすばらしい。中国や韓国が行って欲しいと願うかは見ものだが。

2014年4月17日木曜日

安全・美観・経費(その2)

東京西郊国立市の学園通りの桜並木が漸次切り倒されるという。
学園通りはJR国立駅から南に二キロ(?)ほどの片道二車線の立派な車道があり、両側を一橋大学のキャンパスが占める。車道の両側にソメイヨシノの並木があり、さらにその外側に歩道が設けられている。季節に無関係に美しい通りだが、桜の季節はとりわけ美しく、国立市民の誇りであろう(市民でもないのにおこがましい言い方だが)。
しかし電鉄会社が一帯を造成した戦前に植えられたと想像する桜は老木化し(だから立派なのだが)、安全のため切ることになったらしい。

老木ゆえ倒れたら死傷者が出かねないので市として放置出来ないと考えるのは自然である。学園通りの美観を守るため高層マンションの建設に反対して業者と裁判で争った市が好んで並木を切るはずがない。植え替えの費用も掛かる。しかし若木を植えれは美観を取り戻すのに最低十数年はかかるだろうし、今ほどの美しさはさらに先のことになろう。

おりから川崎市の商業施設で、広場のケヤキの枝が風もないのに自然に折れて幼児が重体になった。ケヤキ独特の美しい群生の株で、施設の品格を高めていることはテレビ画面でも十分うかがえた。死傷者が出たからと言って撤去して欲しいとは住民も思わないのでは?
注意深い管理の必要はもちろんだが、結局は表題の三者の関係はケース毎に軽重を考える他ないのだろう。当事者ではない私としては、メデイアが安全を錦の御旗に自治体当局を後知恵で非難するのはあまり聞きたくない事態であるが。

2014年4月13日日曜日

安全、美観、経費。

最近は子供たちまで犯罪や事故の被害者になる時代だからか、自治体が町の中に拡声機を取り付け、一定の時刻に住民に注意を喚起する。

我が家のすぐ裏の電柱にそうしたスピーカーが付けられており、定時(今頃は午後五時)に夕焼け小焼けのメロディーに続けて大人が子供たちの安全に気を付けるよう呼びかける。日頃は屋内で聞いていてその声の大きさが気になっていたが、今日、裏の斜面でツクシを摘んでいたら(ツクシぐらい田舎でなくとも採れる!)鳴りだし、その声の大きさに思わずぎょっとした。

安全とくに子供たちの安全は大事なので住民は我慢しなければならない。それは分かっているのだが、毎夕大声が繰り返されるとゲンナリもする。むかし住宅公団のベランダの手すりが子供の事故が起こるたび少しづつ高くなったと聞いた。そのうち手すりが伸び切って檻のようになるかと予想した。幸いそうはならなかったが。そんな馬鹿なと笑う人も有ろうが、中国でそうした天井までつながる手すり(もう手すりとは言えない)のアパートを見た。都会で、物が落下して歩行者に被害が出る可能性があり、納得できた。

子供たちに自己責任を求めるのは誤りだが、大人が自己責任を棚上げして安全要求を繰り返していると、万事が手すりが檻になり兼ねないと言うのは心配過剰かもしれない。しかし、美観を損ねるとして嘗ては絶対善だった歩道橋も最近は廃止される例が少なくない。安全のための経費にも限度が有ろう。その兼ね合いが難しい。(たかがスピーカーの音に何を大げさな!)?

2014年4月11日金曜日

事実誤認

出来るだけ間違いが無いように心掛けてはいるが、うっかりミスは避けがたい。

前々回、英国の皇太子夫妻がニュージーランドを訪れたと書いたが、ウイリアム王子は皇太子ではなかった。それにしてもチャールズ皇太子の最近の影の薄さは目立つ。まるでダイアナ元妃という太陽があって始めて光る月のようだ。しかし彼は仲々ユーモアのセンスもあるようだし、離婚したから国王としての能力が低いとも言えない。元妃への同情がマイナス効果になっているのでは?

それにしてもエリザベス女王は頑張っている。立派だが、それが良いことなのか私には多少の疑問がある。何故かそれがチャールズへの重しとなり、彼のやる気を削いでいないだろうか。
ヴィクトリア女王も即位期間の長さでエリザベスと甲たり難く乙たり難いが、彼女の子供のエドワード七世はなかなか即位出来ず、その間パリの社交界で羽根を伸ばすしかなかった。老害の側面が無かっただろうか?
余計なことだろうが、日本でも百歳を超えて大病院の理事長をつとめ大変な敬意を払われている人がいるが、私には何で偉いのかさっぱりわからない。

もう一つ。英国の鉄道のコンパートメント式の旧式車輌は各室をつなぐ廊下が無かったと書いたが、私が居た1960年代の旧式車輌は廊下の両端にドアのあるコンパートメント式の由。私の聞き方が悪かったようだ。しかし駅員がドアを閉めて回る音がプラットフォームに響いていたことは確実で、国鉄の全車両のドアが自動化されたのは1990年代になってからの由。のんびりの国情は矢張り争えないようだ。

2014年4月9日水曜日

英国の鉄道

前々回、英国ののんびりさの一例として1960年代まで各コンパートメントに直接ホームに乗り降りするドアがある車輌が使われていたと書いた。しかし家内にはそうした記憶は無いという。仕事のためにロンドンに何度か国鉄を利用した私と家内とでは違うのは当然なので、家内が健忘症なのではない! 逆に私の方が映画の画面で見たことを自分の事のように誤って記憶していたのではないかと不安になった。

そこで今はバンクーバーに住む元クラスメイトにメールしたら早速誤りではないとの返事が来た。彼によると、そうした車両はコンパートメント同士を結ぶ廊下がそもそも無い(だから自室から直接乗降する他ない!)上に、内側からドアを開ける取っ手は無く、乗客はドアの窓ガラスを下ろして(落として)外側の取っ手を回すのだという。そして一人の駅員porterが一列車の未閉鎖のドアを閉めて回る(と読める)。私自身が利用したことは無かったので今更に驚いた(呆れた)次第。

そういえば1966年だったか、ロンドン・マンチェスター間の鉄道電化が完成し、新聞が「鉄道の新時代」と書き立てていたことを思い出す。(ディーゼル機関車が普通だったので、いきなりSLから電化したわけではない)。わが国は英国に鉄道技術を学んだ筈だが、いつの間にか鉄道車両を逆に英国に輸出する関係となった。無論大いに喜ぶべきことなのだが.....................。

皇太子夫妻の旅行

英国の皇太子夫妻がニュージーランドを幼子と共に訪問中である。実はウイリアム王子はダイアナ妃の胸に抱かれて同国を最初の外遊先として訪れているとのこと。ニュージーランドが将来の英ほほほ国王の初外遊先に再度
選ばれたのは英王室と英国民の同国への特別の親近感と治安状況への配慮によるものであろう。       

世界ニュースにはならなかったが日本の皇太子夫妻も平成十四年に同国を訪問しており、私は偶然同じフイヨールド観光船に乗り合わせた。日本を離れる前から皇太子夫妻の同国訪問は耳にしていたので、現地で鉢合わせするかもと冗談を飛ばしていたが、まさかその通りになると思ってはいなかった。事実、最初の予定では前日に南島西岸のフィヨールド(ミルフォード・サウンド)見物をする予定だった。ところが春の盛りの12月と言うのに西岸への峠に近ずくと、雪がどんどん降ってきた。貸切バスは其れでも続々と峠に向かっていたが、レンタカー利用者としては大雪で帰路が二日閉鎖されたら帰国便に乗機出来なくなる。幸い予備日が一日あるので取りあえず引き返した。幸い雪はそれほどにはならず、翌日無事に峠を越えた。

現地では二つの会社が観光船を運行していた。その一つと交渉したら、日本の天皇が乗るので船内に閉鎖する部分があるという。皇太子だと訂正して先に乗り込んだ。そのうち皇太子夫妻がやって来たが、お付きの日本人や白人が二、三十人いた。私はタラップの上端近くに座席を取っていたので、タラップを登ってきた皇太子と目があった(だから何なんだと言うべからず!)。
天候が悪化する気配だったので、クルーズの前半(往路)は上甲板に出て景色を楽しんだ。しかし皇太子夫妻は往路には姿を見せず、見せたはずの復路では天候がやはり良くなくなっていた。

現地の人たちとの挨拶や交流も大事だが、夫妻のせっかくの楽しみが半減したのではなかろうか?   間も無くの雅子さんの発病も、そうした不本意の累積も一因だったのではと思わずにはいられない。

2014年4月6日日曜日

むやみにひとを疑った罪?

、十日ほど前にオレオレ詐欺(正しくは振り込め詐欺でした!)に騙されかけたと書いた。ところが先日、要求した正式書類がエアメールで届き、中に電話してきた大学院生の改めての手書きの依頼文があった。ひとを疑って恥ずかしい限りだが、苦しい弁解も出来ないでもない。

こういう事になった始まりは大学からの封書が二つあり、その内の一つ(学長の手紙)を私が開け忘れていたことである。あらためて開封したらそこには学長が寄付金集めfundraisingのため学生に電話をかけさせると予告していた。(ともあれ二度手間かけさせたとあればこちらも金額を増やさざるを得ない!)。
それにしても日本の大学が寄付金集めをする場合、学生に電話させるであろうか。現在のように振り込め詐欺が横行している時代ではないとしても、大学がそんな事を考えるとは思えないし、学生が簡単に同意するとも思えない。いくら大学院生だけの小規模カレッジの金集めでも。のんびりした国情抜きには考えられない。

私が滞在した1960年代半ばの英国の鉄道では、コンパートメントごとに下車のためのドアが開く旧式車輌も少数ながら使われており、始発のターミナル駅では発車直前に未だ開いているドアを駅員が閉めて回る。そのどしんどしんという音がホームに響いていた。今そんな車輌は使われていないだろうが、耳に残るその騒音が今は限りなく懐かしい。

2014年4月1日火曜日

捕鯨の終焉?

国際司法裁判所が日本の南極「調査捕鯨」の禁止を決定した。決定は最終決定との事なので、残る北西太平洋や沿岸捕鯨、特に後者の継続に主張を縮小する他ない。これにより仕事を失う人たちへの対策は欠かせないが、そもそも「調査」に一千頭もの鯨の捕獲が必要との日本の主張はとても外國に通用するものではなかったことが示された。
                                                                                                                                                                      

日本国民は礼儀正しく正直な国民と(一部の国を除き)世界で評価されていると信ずるが、国の政策ともなるとそれほど正直でもない場合も散見される。「調査捕鯨」もその一例だが、これまで「非関税障壁」と外国から指摘されてきたものにも該当するものがある。
昨年(?)まで我が国は防疫のためとの理由で牛肉の輸入を生後十二ヶ月までの牛に限って許可してきた。(国際的には二十四ヶ月まで問題ないと認められていたのに)。ようやく昨年輸入牛肉の年齢制限が諸外国並みに改められたが、テレビのインタビューで生産者が「大変だ! 生後十二ヶ月と二十四ヶ月とでは味が全然違うのです」と答えていた。図らずも十二ヶ月の制限は防疫のためではなかったと知った。古くは外国産の果物(オレンジやチェリーなど)輸入への禁止も生産者重視が甚だしく、むしろ外国の圧力が消費者の利益になっていたことも想起される(私はアメリカン・チェリーが好物! )。

非関税障壁だけではない。さらに古く、北洋サケマス漁業がソ連との協定により実施されていた時代、毎年のようにソ連は漁獲量の縮減を主張し、私など大国の横暴に腹立たしかった。しかし、ずっと後に日本のサケマス漁船団は協定に定められた制限を少しも守らなかったと知った。当時、政府はもちろんメディアもそうした違反を全く報じなかった。苦い記憶である。

むろん国内の肉牛生産者にこれまで以上の工夫と努力が求められることになり心苦しいが、果樹栽培者もこれまで品種変更や品質向上(ブランド化)などにより乗り切ってきた。健闘を祈りたい。

2014年3月28日金曜日

冤罪の構造?

「袴田事件の再審が決まった。袴田氏について私は有罪無罪を云々する資格は無いが、新聞に過去の冤罪事件の例として1948~55年の四大冤罪事件(免田、財田川、松山、島田の各事件)が最近の足利事件や東電社員殺人事件と並んで新聞にリストアップされていた。これらは全て再審により無罪釈放となったが、四大事件のうち三つまでに当時法医学の権威とされた古畑種基東大教授の鑑定が絡んでいた。

同教授は当時法医学の神様扱いされ、文化勲章も受章している。私に彼の業績を貶める資格などある筈も無いが、指摘したいのは1975年に彼が死去すると、その後彼が絡んだ三大事件の再審が次々に決まり、やがて無罪判決が下ったことである。彼の鑑定が疑わしいと司法当局が気づきながら、彼の死去まで動こうとしなかったのである。「学会の権威」は盲従されれば無慈悲な権力ともなりうることをこれらの事例は示している。

井上靖に下山事件を扱った「黒い潮」という作品がある(のち映画化された)。戦後労働争議が燃えさかる中、下山国鉄総裁の轢死体が線路脇で発見され、世間は騒然となった。松川事件、三鷹事件と並ぶ国鉄三大事件の始まりである。古畑鑑定をもとに他殺説をとる朝日新聞などに対し、「黒い潮」の主人公のA記者を中心とする毎日新聞は、慶応大学教授の鑑定をもとに自殺説を取った。しかし「法医学の権威」と大衆のセンセーショナリズム欲求を敵に回すことになった毎日新聞は自殺説を貫き通すことが出来ず屈服し、A記者は地方に飛ばされることになった。(同じ毎日新聞の記者だった井上靖はA記者を直接には知らなかったが)  
事件の真相は自殺と決まったわけではないが、「学会の権威」とポピュリズムが重なったとき、真実が曲げられ易いことは肝に銘じなければなるまい。

2014年3月26日水曜日

オレオレ詐欺

未だにオレオレ詐欺が横行しているという。高齢化社会の進展とも無関係ではないのだろう。数日前、ATMでの送金のため銀行に行き、係員の指示をあおぎ(彼にも仕事を与える必要がある!) 、手続きが半分済んだところで現金からの送金は十万円までと改められたと告げられた。私だけが認知症扱いされた訳でも無いだろうが。

帰宅すると昔の留学先の大学から電話があったと家内に告げられた。半月ほど前に寄付の依頼状をもらっていたので、その件だろうと再度の電話を待った。夕食前に、日本留学中の大学院生と名乗る余り上手でない日本語の電話があり、問われるままに留学の思い出などを話した。すると頃合いを見て(?) 寄付を求められ電話でも可能だと言われた。しかし電話では不安もあり、正式用紙を送れと言ったところ、インターネットでも良いと言われた。インターネットは苦手だと断ると、では書類を送ると言われたが、現在まで送って来ない。やはり手のこんだ新手の詐欺なのだろう。

私自身は寄付の公式依頼状をもらっていたこともあり、電話に疑問を抱かなかったが、家内に用心したらと前もって言われたことが頭の片隅に残っていたので危うく踏みとどまった。ところが、家内は私から銀行の扱いが厳しくなったと聞いて不安を覚えたのだという。つまりは銀行の新しい制限措置が役立ったことになる。それにしてもここまで手のこんだ手法とは世も末の感がある。御用心を!

2014年3月24日月曜日

物づくりの心

トヨタ自動車の創立者豊田喜一郎と彼を支えた人たちをモデルにしたテレビドラマが放映されだ。既に知られた事実が少なくないし、一定の誇張や美化はドラマに避けられないが、我が国に自動車産業を根付かせる彼らの努力は顕彰されて然るべきだろう。

初代トヨペット・クラウンが誕生したのは私が大学生の頃で、その時の驚きは忘れられない。我が国でも独力でこんなに立派な本格的乗用車が誕生したのかと感激した。じじつ今から振り返れば、この瞬間、日本の自動車産業に希望の火が灯ったと言っても過言ではない。 
私だけが、或いは日本人だけがクラウンの美しさを感じたのでは無い。ロンドンの波止場で、初めて日本車が陸揚げされると聞いてドック労働者たちが集まってきたが、実物を見た途端彼等からホーっと感嘆の声が漏れたと言う(土崎一・辻豊「ロンドン東京5万キローー国産ドライブ記 二人は朝日新聞記者) 。もっとも価格を聞いて、それでは競争相手にならないと彼らはどっと笑って二人の記者を悔しがらせたという。それから半世紀余り、自動車産業は喜一郎が願ったように我が国経済の屋台骨になった。

ある有名自動車評論家が、「トヨタにとって自動車製造は家業である」と書いた。赤字なら転業しても良いといった程度の心で作っているのでは無いと言いたかったのであろう。一見時代遅れの様な豊田家の社長継承も此処では必ずしもマイナスではない。トヨタの社訓は自動車製造をとうして国に貢献すると謳っているが、それは現在でも忘れられてはいないようだ。

それはそれとして、最近のトヨタ車には嘗てのトヨタ2000GTやトヨタスポーツ800のような思わず心を奪われる様なデザインの車が見当たらない。トヨタに限って最大公約数的な無難な車づくりを目指す大企業病にならないと信じたいが。

2014年3月18日火曜日

映画こぼれ話

安西マリアが亡くなった。と言っても歌手としても女優としても私は彼女をよく知らない。ただ、二十歳も年下の人の死には同情を禁じえない。急死だった(したがって身の不幸を感じる余裕も無かった)ことがせめてもの救いである。

映画界とは無縁だった私だが、二枚目時代の竹脇無我に会ったことがある。(見かけたではない!)実は拙宅が僅か2カットだが映画のロケに使われたのである。1968年か69年始め、竹脇と倍賞千恵子主演の「結婚します」という映画の原作者山口瞳がロケハンして我が家を選んだと、突然現れた松竹映画のスタッフが説明した。シナリオのプロデュウサー名を見たら大学時代の同級生だった。スタッフも驚いていた。
ロケ当日、元同級生もむろん顔を出したが、竹脇も拙宅で時間待ちした。私はそれまで彼を全く知らなかっののた(直前二年間、日本を留守していたことも一因?)が、叔母に是非サインをもらってくれと頼まれたので便箋を用意した(色紙の存在など知らなかった)。
案外だったのは二十歳台後半の彼をそれほどイケメンだとは感じなかったことである。いざとなれば役者は良い表情を見せるのか、カメラマンが上手なのか、その後のテレビ画面の彼は矢張り大変格好良かった。
もう一つ、びっくりしたのは、たかが2カットの撮影のため二十人ぐらいのスタッフがやって来たこと。まだ邦画の黄金時代の名残りがあったのだろう。拙宅はまだ庭木が殆どゼロだったのでどうかと見ていたら庭木も持参しており、スタッフの一人がパッと地面に横たわり、片手で庭木を支えた。
その後、招待券を二枚送ってきたので妻と母が見に行った。それによると我が家は母一人子一人の家となって居たという。失礼な!と思ったが後の祭りだった。

拙宅ではないが、我が家を含む住宅地は、その後ジブリ映画の「耳をすませば」の舞台となった。アニメ映画なのでロケ騒ぎはなかったし、映画の中の何処にも地名は出てこないが、見れば一目瞭然である。最近は駅前に洒落た案内箱(としか言いようが無い)も設置された。ジブリと日テレの共同制作のためか日本テレビで四年に一度ぐらいの間隔で放映される。その結果休日はもちろん平日にもアベック(古い?)や同性同士の小グループ(我が家では耳すま族と呼んている)にひんぱんに出会う。以前は案内めいたことを言うときもあったが、最近の若者はスマホ片手なので聞かれることもなくなった。 
映画のストーリーは何ということも無い中学生の初恋物語なのだが、根強い人気の秘密を私は全編に流れるアメリカ民謡「カントリーロード」の故と睨んでいる。最近は駅の上りホームの到着予告音にも使われているが、短すぎて分かる人は殆どおるまい。
ともあれ、これらの若者が社会の中堅になって家を持つ頃には、我が家の不動産価格が上がるのではないかと、らちも無い想像にふけっている!

2014年3月11日火曜日

地震国日本

昼寝から目覚めテレビのスイッチをひねったら東北大地震の三周年記念番組を放送しており、やがて両陛下出席の記念式典が始まった。いつもながら御二人の誠実さには感じ入った。(何かと比較される立場の雅子さんには同情してしまう)。

あの地震のとき、東京西郊の拙宅は震度5弱。その程度ではそれほど動転しなかった。(立っていられたので) 
それほど動転しなかったのは、もっと激しい地震を経験していたためでもある。昭和19年12月7日の東南海地震とその一ヶ月後の三河湾地震である。前者(M8,震度6)では立っていられず、また多くの家が傾いた(のち、丸太をかい、ジャッキで元通りに!)が、倒れた家は少なく、したがって地元民に死者は少なかった。しかし、航空機工場に転用されていた旧紡績工場のレンガ造りの建物が崩壊し、働いていた人たち、特に徴用されて働いていた京都一中と京都第一高女(?)の生徒たちに多くの犠牲者が出た。戦時中のため被害の詳細はほとんど報道されなかったと聞く。

天災は台風、噴火活動、水害と色いろあるが、被害規模では地震(と津波)が抜きん出ていよう。そして日本が地震大国であることは間違いない。しかし、それ故に(?)温泉が湧く。また山々は木々に覆われる。これからは国家間で水の争奪が始まると聞く。その点では我が国は恵まれている。ともあれ、国が引越しをするわけにはいかないから、災害に強い国、災害に強い東京にするほかない。舛添さん、頑張って!

2014年3月9日日曜日

ある官僚の死

立川の国営昭和記念公園は拙宅から遠くないので、足の鍛錬を兼ねて春と秋には必ず訪れる。国営のせいか融通が利かず、入園料は低廉だが駐車料金は高い。若者のように長時間バーベキューなどをする入場者と長居をしない高齢者とは駐車料金に差をつけるべきだと、年間利用パスを持つ友人はボヤくが、全く賛成である。しかし旧米軍基地の跡地利用として造られた公園そのものは丘の起伏を利用し、小川などを配した広い(日比谷公園の十一倍)和洋両用の公園として、その美しさには毎度感心していた。

三月七日の朝日新聞の多摩版に記念公園を設計した女性の元エリート官僚の66歳での死去が記事として報ぜられていた。半田真理子さんというその人は、大学でドイツ文化を専攻しながらも、公園プランナーの仕事に目覚め、卒業後あらためて農学部に再入学し、三十歳台前半(?)で設計課長として昭和記念公園の設計に携わった。その後も「女性公園技術者の会」の会長など、その分野の先頭に立って活動してきたという。そうした業績や生き方を我々は彼女の死去で初めて知らされた。「地上の星」とも言うべきその業績を広く知らせるため園内に顕彰碑があっても良いと思うが、たぶん一個人の碑が建立されることはあるまい。せめて紙碑の形で業績を顕彰したい。

卒業後も米軍立川基地拡張反対運動を続けたと聞く元同級生が3年ほど前に死んだ。彼も記念公園の成立に期せずして協力したと言えるのかもしれない。二人の目ざした方向は同じではなかったと思うがのだが。

2014年3月7日金曜日

クリミア半島あれこれ(つづき)

何故か送信を続けられなくなったので、新しく続けます。

抗議された。怒るくらいならトップレスにならなければよいのにと思った。
町やホテルでは英語よりもドイツ語の表示が多かった。ここはナチス・ドイツ軍とソ連軍の戦闘が長く続いた土地なのに、ドイツの経済力を感じさせられた。

外国人がセバストーポリの軍事基地を見学できる筈も無く、そのままシンフェローポリ駅から夜行列車でクールスク近くのツルゲーネフの生家を訪ね、「猟人日記」の舞台を感じることができた。ところが翌日のトルストイの領地ヤースナヤ・ポリヤーナ(トルストイ教信者の聖地)を訪ねたところ、週一回の休館日で見学能わず。旅行社(又はロシアのインツーリスト)の杜撰なスケジュールに呆れた。代わりにモスクワのトルストイ邸を追加すると言うので、それが代わりになるかと怒ったが、日本人添乗員にどうなるものでも無し。取りあえず東京まで矛を収める他なかった。
それでもその夜、小バンドがロシアの歌を演奏してくれ、ロシアの若者に「恋のバカンス」の日本語の詞を請われて教えたり(当時ロシアで大流行中)の日本語の詞を請われて教えたり、「それなりに」楽しかった。
翌日は、モスクワでの訪問地の追加のため、朝の六時からバスを待機させてくれ、しかも座席には朝食のサンドイッチが用意してあり、ロシア人の誠意は感じられた(あの官僚主義の国ソ連で!)。

帰国後、旅行社にこのツアーは欠陥商品だと強く抗議したが、平謝りされるだけで、予想通りグルジアワイン二本で一件落着となった。

クリミア半島あれこれ

米国のケリー長官がロシアの最近の行動を「侵略行為」と呼んだが、(たしかテレビによると)ヒラリー・クリントン元長官も同趣旨の発言をしたという。彼等の頭の単細胞ぶりにはお手上げである。同じ言葉をどうしてイスラエルのユダヤ人入植地拡大に向けないのだろうか。
ウクライナのロシア人は圧迫されていないというが、同国議会はこれまで二つの公用語の一つとして認められていたロシア語を公用語から追放したと言う。(それに言及しない新聞が多い)  17%と言われるロシア系国民から突如言語を奪うに等しく、二十一世紀の文明国のすることではない。旧与党の議員たちも一致してヤヌコビッチ追放に賛成したとされるが、反対すれば生命の危険にさらされていたのではなかろうか。大統領の国外脱出も同様である。一方、クリミア・タタール人の代表は自治を求める住民投票に反対を表明している。クリミアにあるその程度の自由が今のキエフにあるだろうか。それこそが問題の核心ではないだろうか。

もっとも、今日書きたい(自慢したい?)ことは今日のクリミアではなく、ソ連時代のクリミア旅行の思い出である。ゴルバチョフ時代に「ロシア文学の旅」というツアーを日ソ旅行社(現在はユーラスツアーズ?)が企画した。私のロシア文学の知識など知れたものなのに応募したのは、自力では簡単に行けないロシアの田舎が見たかったのである。とりわけツルゲーネフとトルストイの領地(二人は土地貴族だった)を訪ねるというので心が動いた。したがってクリミア半島やヤルタを是非とも見たいということではなかった。

サンクト・ペテルブルク(当時はレニングラード)見物の後、一飛びでシンフェローポリ空港に着き、保養地ヤルタのホテルに泊まった。現地での訪問予定はチェーホフが晩年を過ごした家や黒海のビーチ・リゾートなどだったが、私はヤルタ会談が行われたリバディア宮殿を訪ねたかった。そのため他を割愛しても個人で宮殿を訪れたいと交渉すると、新しく全員の訪問先に加えてくれた。

ヤルタのビーチは他と変わりはなかった。黒海の水は他所よりも塩分が少ないと感じたが、気のせいかもしれない。女性の四人に一人ぐらいはトップレスだったが、ツアー客の一人がカメラを向けると(私ではない!)こうぎされた

2014年3月5日水曜日

映画祭受賞のあれこれ

米国のアカデミー賞の発表により、一連の映画祭賞の決定は終了したようだ。なかでも日本映画の入賞が期待されたベルリン映画祭とアカデミー賞は、出演女優賞(黒木華)一つに終わり、期待が満たされなかった人は少なくないだろう。

ベルリン映画祭は社会性を持った作品が重視されるという特色が指摘されている。そこに出品された山田洋次監督の「小さいおうち」は原作(中島京子)とやや異なる。原作は戦前の東京郊外の中流家庭の主婦と若い女中の厚い信頼と友情の物語であり、映画でもそのシチュエイションの大筋は変わらない。しかし、原作ではいわゆる「十五年戦争」は背景として通奏低音のように流れてはいるが、主題からは遠い。それに対し映画では当時の世相としても筋の運びの上でも戦争は大きな影を落としている。これは山田監督の政治的信条の反映と見るべきか(氏は乱暴に分ければ左翼と言ってよかろう)、それとも映画として淡々と日常生活を描くだけでは興行成績が期待出来ないといった考慮(当然である)が働いたためかは断定できないが、他ならぬベルリン映画祭を出品先として選んだのは、社会性重視というこの映画祭の理解しての上であろう。過去にも出品した山田監督について映画関係者が、その程度のことを知らないとは思えない。黒木華の女優賞獲得は、作品賞をプレゼント出来ない関係者の山田監督への配慮もあるのではないかと私は邪推(!)してしまう。

他方、宮崎駿監督の「風立ちぬ」も長編アニメ部門のアカデミー賞の受賞を逸した。この作品はご存知の通り、ゼロ戦の設計者堀越一郎をテーマとしており、我が国では戦争の道具である戦闘機の設計者を敢えて主人公に選んだことへの否定的反応も一部にあったと聞く。私は堀越技師の仕事への情熱、最先端を行くパイオニアとしての「熱い心」に、分野こそ違え同じくパイオニアの「熱い心」を持つ宮崎監督は強い共感を抱いたのではないかと想像する。その対象が戦闘機かアニメ映画かを私は重視したくない。

その意味でも「風立ちぬ」のアカデミー賞落選は私には残念だったが、代わりに受賞したディズニー・アニメの「アナと雪の女王」の技術スタッフに長男が名を連ねており、アカデミー賞の像の重さを文字どうり実感した(スタッフの間で回し持ちしたのであろう)のは、本人にとっても良い記念となった。三月後半の上映には「風立ちぬ」とどちらが優れているか、冷静に(?)判断したい。

2014年3月3日月曜日

ウクライナ問題に厳正中立を

ロシアがウクライナ内の自国権益の擁護に強い態度で臨み、米国やEU諸国との対立が激しくなってきた。間もなく我が国も態度表明を迫られるだろうが、日本はどちらの側とも距離を置き、厳正中立を保つべきである。

西側大国はウクライナの現政権支持のためロシアでの首脳会談(G8)への欠席を示唆しており、やがては会議のボイコットや対ロ経済制裁へと進むだろう。しかし、自国の死活的利害がかかっている(と信ずる)ロシアがその程度の脅威に屈する筈も無く、死活的利害が無い西側大国では、いつかウクライナ支援の熱意も低下するだろう。

冷静に考えれば、ヤヌコビッチ大統領との妥協案を一夜で覆した現ウクライナ指導部を過激ナショナリストに抵抗できない無力な人たちとロシアが見なすのは一理ある。ましてロシア系住民が多数を占めるクリミア半島で自由な住民投票が実施されれば、ロシア支持者が勝利する可能性は否定できない。そうした場合、ウクライナ領土の一体性を唱えても説得力に乏しい。そもそも、セルビアからのコソボの分離を助けた西側大国が、住民の自決願望に反対しても大義はない。大義の無い連合に日本は加わるべきだろうか。

追伸。上記の文章を朝日新聞の「声」欄に投書した後、読んだ夕刊によれば、日本はG7の一員としてロシア非難声明に加わったとのこと。日本だけ加わらないことは困難だったろうが、安倍首相の談話は「平和的解決」に力点を置いており、評価出来る。今後とも是非その方針に沿って行動して欲しい。

2014年2月27日木曜日

ソチ・宴のあと

ソチ・オリンピックは、ロシアが文化的な大国であることを世界に思い出させた開会式をおりこみ、盛況のうちに無事終了した。メディアの関心はもっぱら日本人選手の成績に集中していた感もあるが、私はテロも無く無事に終了したことを何より喜びたい。各国の出場選手たちは勿論、大勢のボランティアにもテロリズムの犠牲者は出て欲しくなかった。もしテロの犠牲者が出ていればプーチン大統領への打撃となっていた(私はそれを望まない)ばかりか、大会の成功を素朴に願っていたスラブ系ロシア人のコーカサス系ロシア人への怒りは永続的な憎しみに変わっていただろう。それは避けられたし、同時に、テロリストたちはほんの一握りの少数者であることが示されたのではなかろうか。ソチやその周辺の厳重警備が無事の原因だとしても、広いロシアの各地で自爆テロを実行することは其れほど困難では無かったろう。それは実現しなかった。

しかし、一難去った(?)プーチンの前にウクライナの政変という別の一難が現れた。政変を伝えるフランスのテレビ(F 2)は、反政府の怒れる若者たちを好意的に報じていたが、ことはそれほど単純だろうか。少なくともヤヌコビッチ元大統領は相対多数にもせよ、国民に選ばれた大統領であり、選挙もない国の独裁者と同列には論じられない。それを力で打倒することは長い目で見てどんな結果を生むだろうか。西側諸国のように一方の側に肩入れして、そうでなくとも脆弱なウクライナの統一を危うくすることが賢明な態度だろうか。
元大統領の「豪邸」が紹介されているが、元は公邸だったということなら、どこまでが私有化後の増改築なのかが分からないなら軽々に判断できない。元大統領が浪費家だったことは否めないが、彼の前任者たちとの違いが程度の差以上だったかは、これだけでは何とも言えない。

ウクライナの財政は既に破綻寸前だった。ロシアが新政権にこれまでのように世界標準の三分の二の価格で天然ガスを売るとは考えにくい。西側諸国も今は新政権を経済援助するだろうが、もともと余裕がある訳ではない。そのうちウクライナは厄介もの扱いされないであろうか。
もっと危険なことはウクライナの分裂である。クリミア半島はフルシチョフ時代にウクライナに突然譲渡された。その理由は今ひとつはっきりしないが、フルシチョフがソ連の崩壊によるウクライナの独立(とクリミア半島の喪失)を全く予想していなかったことは確かである。クリミア半島はロシアにとって百数十年来の軍事基地であり、住民の大多数はロシア人だという。そうした経緯を考えればロシアがクリミアを簡単に手放すとは思えず、西側諸国とロシアの関係の悪化は避けられない。たとえ部分的でも冷戦への逆戻りは御免蒙りたい。それは誰の利益にもならない。

2014年2月23日日曜日

大雪のあと考えたこと

ご存知の通り関東地方は二度の大雪に見舞われた。東京の都心部では積雪量は二度とも27センチだったそうだが、拙宅のある多摩東部では前回は都心と同程度だったが、今回は三十数センチはあった。それでも一メートルを越えた山梨県などに比べれば、泣き言など言っていられない。

今回は泣き言を言いたいのではない。関東各地の雪害とくにハウス栽培への打撃がテレビなどで報じられた。そうした農家の被害と心労は大変なものであろう。しかし、山梨県のぶどう作りのハウスの被害を見聞する度に、そもそもぶどうにハウス栽培が必要なのかとの感想を禁じえなかった。

むろん野菜の供給にハウス栽培を除外することは最早非現実的だし、ぶどうの場合も早期栽培で少しでも多くの収入を得たいとの関係農家の願いは無理も無い。むしろ高価でも早く食べたいというわれわれ消費者の方に問題を感ずべきかもしれない。しかし、いちごのハウス栽培の場合、私には被害農家への同情を感ずることができない。

むかし、いちごは晩春から初夏にかけての果物だった。それがハウス栽培の普及でその時季には店に見かけなくなった。冬にいちご栽培をすることに反対しないし、反対出来るものでもない。しかし本来の旬の季節に店頭に無いのは行き過ぎとしか思えない。冬のいちごの高価な果物との印象を貶めないためと勘ぐりたくなる。そこには消費者への配慮は感じられない。政治家には間違っても大雪被害のイチゴ農家への被害補償など言ってもらいたくない。

2014年2月21日金曜日

国連の北朝鮮人権調査委の報告

国連の北朝鮮人権調査委員会の報告が北朝鮮政府を「人道に対する罪」を犯していると判定した。紛争中でもない平和時に、個人や集団ではなく一国の政府を「人道に対する罪」と判定し、しかも国際刑事裁判所に訴えるよう各国に促すとは前代未聞ではなかろうか。

一般論として私は人権侵害を理由として他国を非難したり、それを止めさせるためとして武力介入することに軽々に賛成したくない。とくに米国やフランスのように他国の人権問題に判定者面するのはいただけない。例えばシリア内戦に軍事介入して同国の政治が良くなる見通しがあるのだろうか。英国議会がシリア爆撃に待ったをかけたのは、これまでの同様の介入で自国兵の少なからぬ犠牲を出した挙句、感謝もされなかった経験にうんざりしていたという側面も否めない。だが、米仏両国の人権の母国意識や、それに基ずく人権重視誇示競争に付き合いきれないと英国議会が考えたことも大きいのではなかろうか。米仏両国はシリア政府の毒ガス使用が許せないと言うが、イラン-イラク戦争でフセインが長期に渡りもっと大規模に毒ガスを使用した(自国のクルド人にも)とき、両国は本気で反対しなかった。とてもその主張を額面通りに受け取れない。

とはいえ、現在の北朝鮮政治の状況は狂態という表現がふさわしい。私は人権調査委員会の報告に全面的に賛成である。これまで金王朝を陰に陽に支えてきた中国の責任は途方もなく重い。仮に過去を問わないとしても、二十一世紀の大国としての中国の道義的正当性が今後は問われるだろう。

2014年2月16日日曜日

道徳の教材に異議

新聞によれば文部科学省が新しい「道徳」の教材を公表した。内外の人物伝が大きな要素になるという。私は成績をつけるのでなければ道徳の授業があって良いと考えることは前に述べた。その時念頭にあったのは尊敬に値する人物の紹介であったので、その点で異論はない。しかし、例示されている18人の名前には大いに異論がある。

第一に現に生存する人物が6人(日野原重明、澤穂希、内村航平、松井秀喜、曽野綾子、山中伸弥)を数えること。しかし、現存人物の評価は今後大いに変わる可能性がある。(唯一の例外は、自然科学の業績が確かな山中伸弥氏) やはり棺を蓋って評価は定まるのではなかろうか。さらに年若い三人の場合、彼らの今後の人生をあまりに束縛することになる。将来、離婚もできなくなる!!

私は彼らよりもネルソン.マンデラや杉原千畝を優先すべきだと考える。マンデラが新国家で白人を排斥しなかったのは、国家運営に彼らの協力が必要と考えたことも大きいだろう。しかし、それにしても獄中27年(?)の恨みを抑えることがどんなに大へんなことかは想像に難くない。稀有な人物と言うべきであろう。
杉原千畝は「日本のシンドラー」などと呼ばれるが、真の人道的動機という点で私はシンドラーよりも杉原の方が上ではないかと思う。シンドラーの場合、将来の敗戦を見越してユダヤ人を助けた面もあったのではないかと邪推(!)している。ナチ政権下で、親衛隊の将校が敗戦を見越して国内のソ連のスパイ活動を摘発しなかったばかりか、自分の名前を忘れないでくれと頼んだ例を知っているからである。(ベレズホフ「私は、スターリンの通訳だった」同朋舎出版)
それはともかく杉原には本省の命令に反してユダヤ人にビザを出すことは、自分の経歴へのマイナスになりこそすれ、何の利益もなく、全くの人道的考慮(ないし彼の信ずる国益)に従ったのである。むろん官僚は政治の決定に従うべきだが、例外のない規則は無い。日本が世界に誇ってよい人物を忘れてはなるまい。

2014年2月7日金曜日

ケネディ米大使にがっかり?

キャロライン・ケネディ大使が日本のイルカ漁に苦言を呈した。当面はイルカ漁が大使の標的だが、捕鯨も次の標的と予想すべきだろう。あのケネディ大統領の愛娘で親日家が大使として赴任すると歓迎一色だった日本人の一人として鼻白む思いがする。イルカ漁への批判が特に激しいのは、遠い南極海での捕鯨と違い目前の浜辺で血が流されることもあり、また近年イルカの知能指数が意外に高いと知られたこともあろう。それにしても、米国はむかし散々捕鯨に励んで物資補給のため幕末日本に開国を迫ったと言われる。大使の「歴史認識」を問いたくなる。

とはいえ、韓国では犬料理が好まれていると聞けば顔を顰めてしまう日本人が少なくないのでは。食材として飼育された犬と聞くので、牛や豚を食べるのと違いはない。犬は有史以来の人類の友だったと言っても牛や豚も同じようなもの。要は食習慣の違いに過ぎない。私自身イナゴは食べられるが、殆ど見分けがつかないバッタを食べさせられたら怒るだろう。

私宅から三十分ほどの百草園への道は、これが東京の一部かと思うほど牧歌的(?)で、じじつ乳牛を飼う牛舎がある。そこの牛とくに子牛を見ると、これより可愛い動物が居るだろうかと思う。何年かのちにそれを平気で食べている自分を想像すると内心忸怩たるものがある。聖書で(?)家畜とされる牛や豚は食して良いが、鯨やイルカはいけないと欧米人が責めるのは身勝手だが、近海はともかく南極捕鯨まで日本の食文化だと言うのも通りにくい理屈ではある。人間が感情の動物でもあることを考えると、規模の縮小をはかる以外の名案は無いようだ。

2014年2月4日火曜日

日本に高級紙(quality paper)は無い

今朝の新聞を読んでまた始まったと思った。「高梨、ジャンプ本番に万全」との大見出しの下に、女子ジャンプ競技の高梨沙羅選手が「万全の態勢でソチに向かう」との文章が載っている。しかし、世界の強豪が集まり何が起こるか分からないのがオリンピックである。オリンピック競技の勝敗に「万全」などある筈が無い。
高梨選手が世界のライバルの誰よりも金メダルに近いことは世界が認めていよう。しかしジャンプ競技は風向きやジャンプ台の相性など、謂わば変数の多い競技であり、第一人者の高梨といえども万全ではあり得ないし、彼女自身それをよく知っていよう。17歳(?)の少女を国民の期待で押しつぶすような報道は慎むべきである。

実際、過去にも水泳の古橋、橋爪やスケートの黒岩徹選手のように新聞に過大に書きたてられ、国民の期待に押しつぶされたとしか思えない選手は数知れない。戦前のベルリン.オリンピックの前畑秀子選手は、金メダルが取れなければ生きて帰国することは考えていなかったと後年語っている。痛ましい限りであり、今日の選手にそのまま当てはまるとは思わないが、選手を過剰な期待で追い詰めてはならない。

スポーツ欄の記者がオリンピックは水ものであることを知らない筈が無い。それが分かって居ながら「万全」などと書くのは日本の大新聞が高級紙(quality paper)ではないためである。英国の「ザ.タイムズ」、フランスの「ルモンド」等に代表されるクウォリティ.ペイパーは、発行部数が数十万部で日本とは一桁違う。数百万部の新聞は否応なしにセンセーショナリズムに傾く。これは宿命と言ってよい。高梨選手や上村選手はどんな成績でも胸を張って帰国してほしい。尊いのはこれまでの努力であり、結果ではない。

2014年1月20日月曜日

モネ展を見て

国立西洋美術館で開催中の「モネ・風景を見る眼」を見た。モネの絵は私も大好きだが、日本人のモネ好きも度を越しているとも感ずるので今回のイベントには無関心を装っていた。しかし招待券を頂いたので晴れて(?)見ることになった。
百点ほどの展示作品のうちモネ作は36点だった。すべて日本に所蔵されている作品(ポーラ美術館19、西洋美術館15、個人蔵2)で、さすがに有名作品は少なかったが、これだけ揃うと壮観だった。松方幸次郎とポーラ社の鈴木常司には感謝しなければならない。

私がこの展覧会に早速足を運ばなかった理由は気恥ずかしさの他にも、宣伝や紹介記事(特に後者)をあまり見かけなかったことがある。会場でその理由が判った。主催者の一員である新聞社は私の購読紙のライヴァルだった。新聞社も企業である以上、自社主催(または後援)のイベント紹介に熱を入れるのは止むを得ない。しかし、他社のイベントならその内容に拘らず無視ないし軽視するのでは、文化事業に従事している自覚を疑われる。

実は過去にも同じ経験をした。アメリカのバーンズ・コレクションは門外不出だったため、過去にはパリ(1993)と東京(1994)しか公開されなかった。1993年に私は偶々パリに滞在中だったので、評判を聞きオルセー美術館に出かけたが、入場券を買う十重二十重の行列に断念して帰った(のちチケット店で入場券を買い、時間を選んで出かけた)。セザンヌの「カルタをとる人たち」は有名だが、オルセーの所蔵画はカルタをする人だけの絵だが、バーンズのそれはそれを見守る人たちも描かれ、大きさも倍以上あった。大きさと価値とは比例しないが、パリっ子が見過ごせなかったのは理解できた。ところが日本でのバーンズ・コレクション展は他社の主催だったため、記憶に誤りが無ければ私の購読紙にほとんど無視された。日仏での公開はフィラデルフィアの本拠が一時閉鎖した時期だったので実現した。いま見たい日本人はフィラデルフィアに足を運ばなければならない。私自身は二度と見ることはないだろう。

2014年1月19日日曜日

年金記録解明の結末

昨日の新聞によれば年金記録の解明に一応の区切りがつき、不明とされた五千万件のうち二千万件あまりは未解明のまま残ったという。私のとっている新聞は結果に不満のようだが、未解決の件数の九割近くは連絡不能と連絡したが無回答ということなら、それほど悪い結果ではないのでは。かけた費用の四千億円に値する結果だったかと言われれば難しいところだが、解明を要求したのはメディア側であり、その点は批判できない。

この問題が論議を呼んだ頃、私は長妻氏の追求姿勢には多少の違和感を覚えていた。そもそも反対しにくい「正論」を振りかざして相手を厳しく追及するスタイルを私はあまり好きではないが、それ以上に社会保険事務所の職員への責任追及がすべて正しいのか、中には事業主との「共謀」が従業員のために為された場合もあるのではないかと考えたためでもあった。

ところが、僅かながら私は長妻氏の追求の恩恵を受けることになった。定年退職時これまでの職歴一覧を勤務先に提出したが、その時確認のため十一ヶ月だけ在職した都立高(そこで私は網野善彦さんの知遇を得た)に電話したところ、あなたが勤務した記録はないと言われ驚いたことがあり、どうせ大した金額ではないので放置していた。社会保険事務所から調査用紙が来たとき、他に書くこともないのでこういう経験をしたことがあると記入した。すると忘れた頃に突然、貴方の主張は確認されましたとの連絡があった。年金の増加額は雀の涙だったが、五年間(?)の払い戻しがあった。私は長妻氏に感謝すべきなのか?

最近裁判所が旧社会保険事務所の職員の処分不当との訴えに対し免職は行き過ぎであるとの判決を言い渡した。政治家やマスコミの追及がバッシングの域に達していたと考える私は、ポピュリズムに屈しなかった裁判官に拍手を送りたい。今後ともポピュリズムへの警戒を忘れたくない。

2014年1月16日木曜日

川上哲治が一塁手だった頃

去年秋、川上哲治が亡くなった。巨人軍監督としてプロ野球界でいわば位人臣を極めた彼なら呼び捨てにするのは躊躇するが、私がこの目で見たのは一塁手川上だった。

戦後すぐプロ野球が再開され、確かその年は若林、藤村らを擁した阪神が優勝した。その翌年、まだ名古屋ドームはおろか中日球場も無かった時代、中学生だった私たちは巨人阪神のオープン戦のため鳴海球場に足を運んだ。また、その二、三年後、同じ球場で正規の巨人阪神戦を見た。オープン戦では伝説の若林ら阪神投手陣が巨人を抑え、翌年の正規戦でも巨人軍は阪神の梶岡という好投手に完全に抑えられ、巨人ファンだった私をがっかりさせた。しかし、セカンド千葉やショート白石の華麗な内野守備、(初代?)塀際の魔術師と言われたレフト平山のプレーなど目に焼きついた。不思議な縁と言うか、のちに平山選手の姪と知り合いになり、今でも年賀状を交わしている。結局、川上らしい打撃ぶりは見れなかったし、のちの巨人九連覇の時代は熱心なアンチ巨人だったので、球場に足を運ぶことも無かった。
その巨人全盛期だったか、偶然ラジオで草創期のプロ野球選手四、五人の座談会を聴いた。その中でセネタースの名セカンド苅田久徳だったか、大学卒業後なにを職業にするか考えていたところ、職業野球が発足したと聞いた。卒業後も野球を続けられると知って天にも昇る気持ちで、給料の多寡など考えもしなかったと語っていた。私をファンにさせたのは彼らが心から野球を愛していたからだと納得し、感動を禁じえなかった。

2014年1月15日水曜日

東京市歌の復活を!?

前々回のブログで古関裕而の軍歌に言及したとき、肝心の「海の進軍」という題名を書き忘れた。実際は題名から作曲者名を割り出したのであり、古関の名を見たとき私はこの曲を私が好きな理由を納得したのである。歌詞は軍国少年が感激したていのものだが、海鷲や七生報国など当時の少年たちを鼓舞した常套句がどう使われたかを知るぐらいの価値はあろう。
今回取り上げる東京市歌もYoutubeで聞くことができる。大正五年の作というこの歌を私の世代は小学校の音楽の授業で習ったが、覚えている人は少ないようで、ましてその前後の世代には存在さえ知る人は少ない。私も作曲者が山田耕筰であるとは最近知った。戦後新しい東京都歌が作られたのは市歌に二箇所皇室関連の箇所があったためであろう。しかし東京都歌を知る人は殆んどいないのでは。
私には山田耕筰作曲の歌が全く忘れられているのが残念で仕方がない。二箇所ぐらいの歌詞を改めることはその気になれば容易であろう。著作権の有無はわからないが、作詞者の子孫も歌が再び注目されることで満足していただけるのでは。実現可能性が極めて乏しいことは重々承知しているが、戦時中同級生にろくに挨拶も出来ずに東京を離れた私にはこの歌が忘れられることに未練が残る。

2014年1月7日火曜日

世界遺産指定の功罪

旧年に富士山(むかしは冨士山だった!)が世界文化遺産に選定されたことは喜ばしく、とりわけ自然遺産から文化遺産に切り替えた関係者の着想の良さは表彰ものであろう。古くは山部赤人の昔から大観ら近代絵画に至るまで冨士は文化的創造の源泉だった。むろん自然物としても飛び切り美しい。ただ最近は山麓のどこに行ってもカメラの放列で、その仲間となることは気恥ずかしい限りで、素通りしてしまうことも多い。
しかし、世界遺産への指定は歓迎すべきことばかりでは無いのは残念である。むかし「美幌峠の大観」は北海道の観光地の最たるものだった。とりわけ草原が緑の季節、美幌の町から登ってきて突然、青い屈斜路湖を見下ろす峠に着いたときの感動は特筆ものだった。ところが数年前、道北ツアーに参加したら、バスは美幌峠を夕方暗くなってから通過(!)した。世界遺産知床の観光船に午前中に乗船するには、峠の先の川湯温泉あたりに一泊するのが好都合なのである。知床半島が三度目か四度目だった私はがっかりした。
そもそも今回世界遺産について書く気になったのは、正月休みに送られてきた旅行社のパンフレット(もはやパンフレットなどという厚さではない。写真集とでも言おうか)の印度ツアーに目を通したためである。印度の世界遺産8,9箇所(名前を知っているのは半分以下)をまわるというのに、高校教科書に出てくるアジャンターの石窟寺院も無ければ、ボンベイ、カルカッタといった大都市も入っていない。僅かに聖地ベナレスの入ったツアーはあるが、仏教遺跡を含んだツアーはなかった。もはや世界遺産でなければ見る価値がないと言わんばかりである。日本の旅行社のツアーなのに、これが本当に日本人旅行者の希望通りのコースなのであろうか。
もう個人で印度旅行をする気力の無い私には印度は遠くなるばかりである。

2014年1月6日月曜日

Youtubeの宣伝?

結果として一企業(?)の宣伝となるかも知れませんが、意に介せず書きます。

発端は題名を忘れた軍歌を調べたこと。戦時中でもほとんど歌われず、高齢者でも知る人は少ない日本海軍をテーマにした軍歌が好きで私は全四番まで歌詞を暗記していた。しかし、題名も作者名も分からず、覚えている歌詞が正しいかどうか調べようがなかった。偶然、テレビでだと思うが、作曲者は古関裕而と知った。「長崎の鐘」や「栄冠は君に輝く」など数々の名曲を作った古関は多くの軍歌を作った。それらは戦時中に愛唱されたが、メロディーは一抹の哀愁を帯び、あまり軍歌らしくなかった(歌詞は別だが)。ともあれ、インターネットで記憶した歌詞が正しかったと確認できたが、Youtubeと付いた場所を押したら何と曲まで流れてきた。
それ以来、味をしめて(無料だと聞いたので)色々な曲を聴くようになった。今朝もサイモンとガーファンクルやアダモを聴いて良い気分になった。以前は歌番組で気に入った曲を選んで録画したりしていたが、そんな手間は一切無用となった。インターネット技術の進歩には驚くばかりだ。これで悪用さえなければインターネット万々歳なのだが、そうばかりでもないようだ。自分にも皆さんにも被害が無いことを祈るばかりだ。