2014年3月7日金曜日

クリミア半島あれこれ

米国のケリー長官がロシアの最近の行動を「侵略行為」と呼んだが、(たしかテレビによると)ヒラリー・クリントン元長官も同趣旨の発言をしたという。彼等の頭の単細胞ぶりにはお手上げである。同じ言葉をどうしてイスラエルのユダヤ人入植地拡大に向けないのだろうか。
ウクライナのロシア人は圧迫されていないというが、同国議会はこれまで二つの公用語の一つとして認められていたロシア語を公用語から追放したと言う。(それに言及しない新聞が多い)  17%と言われるロシア系国民から突如言語を奪うに等しく、二十一世紀の文明国のすることではない。旧与党の議員たちも一致してヤヌコビッチ追放に賛成したとされるが、反対すれば生命の危険にさらされていたのではなかろうか。大統領の国外脱出も同様である。一方、クリミア・タタール人の代表は自治を求める住民投票に反対を表明している。クリミアにあるその程度の自由が今のキエフにあるだろうか。それこそが問題の核心ではないだろうか。

もっとも、今日書きたい(自慢したい?)ことは今日のクリミアではなく、ソ連時代のクリミア旅行の思い出である。ゴルバチョフ時代に「ロシア文学の旅」というツアーを日ソ旅行社(現在はユーラスツアーズ?)が企画した。私のロシア文学の知識など知れたものなのに応募したのは、自力では簡単に行けないロシアの田舎が見たかったのである。とりわけツルゲーネフとトルストイの領地(二人は土地貴族だった)を訪ねるというので心が動いた。したがってクリミア半島やヤルタを是非とも見たいということではなかった。

サンクト・ペテルブルク(当時はレニングラード)見物の後、一飛びでシンフェローポリ空港に着き、保養地ヤルタのホテルに泊まった。現地での訪問予定はチェーホフが晩年を過ごした家や黒海のビーチ・リゾートなどだったが、私はヤルタ会談が行われたリバディア宮殿を訪ねたかった。そのため他を割愛しても個人で宮殿を訪れたいと交渉すると、新しく全員の訪問先に加えてくれた。

ヤルタのビーチは他と変わりはなかった。黒海の水は他所よりも塩分が少ないと感じたが、気のせいかもしれない。女性の四人に一人ぐらいはトップレスだったが、ツアー客の一人がカメラを向けると(私ではない!)こうぎされた

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