過去の報道の検証自体はメディアとして健全な行為であり、他の報道機関も大いに見習って欲しい。しかし、吉田証言の虚偽性も女子挺身隊員と従軍慰安婦の混同もずっと以前に認識していた筈。それなのに前者は「真偽は確認できない」などとぼやかし、後者も訂正することなくこれまで放置してきたこと(その結果、吉田証言が国連人権委員会報告に取り入れられたこと)への真剣な反省は見られない。他社も同じ報道をしたなどというのは言い訳に過ぎず、口火を切った側の責任がそれで軽減されることにはならない。ある時点から「強制連行」という表現を「強制」に改めたと言ってもどれだけの読者がその違いに気付いただろうか。強制についても慰安婦に移動の自由が無かったことをもって強制の証拠としているが、日本軍の中国大陸支配は沿海部から遠ざかるほど点と線の支配になり、面の支配ではなかったことは常識であり、慰安婦が身の安全を考えて移動しないのは自然である。金銭目的の慰安婦の場合も日本軍から離れないのは当然である。事実、上海では慰安婦が廃業して帰国したという。
これは朝日新聞の造語ではなかろうが、「性奴隷」との表現を再三紹介し、市民権を得させた( ? )ことは上記の二点に劣らず問題であろう。旧日本軍が戦場や占領地で現地女性に性的サービスを強制したことは紛れもない事実である。しかし韓国が糾弾している事態との同一視は如何なものか。
「熱海殺人事件」や「蒲田行進曲」の作者として知られる在日コリアンのつかこうへい氏に 「娘に語る祖国」全二巻があり、第二巻は「満州駅伝ーー従軍慰安婦編」(光文社、1997)。そこでは日本軍兵士と韓国人慰安婦が満州で開催した駅伝大会が紹介されている。事実というより創作と考えられるが、創作ならばなおのこと「性奴隷」説へのやんわりとした反論と言える。奴隷と奴隷使用者( ? )が駅伝大会に協力するとは考えられないから(「取材してゆくうち、従軍慰安婦が必ずしも悲惨でなかったことを知りました」)。
つか氏は常に「一番弱い人の立場」に立つことを心掛けていると言う。私は兵士たちこそ奴隷、野獣や同僚を倒すまで闘わされた古代ローマの剣奴そのものだったと考える。それに対し慰安婦たちが抱く感情が憎しみだったとは考えにくい。それを暗示するためにつか氏は駅伝大会を考えたのであろう。
朝日新聞は上記二点(人狩りと挺身隊)以外はその立場を改める必要は無いとする。しかし近年の韓国の反応は予想外だったのではなかろうか。全く相反する立場の秦郁彦氏と吉見義明氏の論評を併載したのは一見公正だが、自社のこれまでの立ち位置を微妙にずらし始めたとも考えられる(秦氏をこれまでこの問題で起用したことはなかった)。吉見氏が今回の朝日の検証を「被害者に寄り添う姿勢が紙面からうかがえない」と批判するのは朝日の変調を鋭く感じ取ったとも解される。世論調査にうかがえる最近の日本人の対韓感情の悪化を大新聞は無視できないということだろうか。
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