2014年8月22日金曜日

ハルビン雑感

今朝いつもどうりにNHKのBSプレミアムで「花子とアン」を見たら、続いて「世界ふれあい街歩き」を放映していた。時々しか見ていないが楽しい番組で、今回は中国東北のハルビン。数年前の記憶を呼び覚まされた。
ハルビンは大都会で観光スポットは幾つかあるが、何と言っても帝政ロシア時代のヨーロッパ風建築の並ぶ中央大街はその筆頭であろう。以前は自動車も通行して居たように記憶するが( 誤りかも)、今では鉄製の門が設けられており、美術の教師が学生たちに写生させていた。

かつてフランスが小パリと呼ばれる市街地を植民地各地に造ったように、ロシア帝国が造ったハルビンの中央大街は観光の目玉となり、現地の人々はそれを大切に維持している。時代は異なるが同じことはヨーロッパの各地に残る古代ローマ時代の遺跡にも言える。それらはまるで宝物のように保存されている。ネールの「父が子に語る世界史」は明らかに大英帝国と闘っていた植民地インドの立場を反映して、ローマ帝国に対し大変厳しい評価を下しているが、それが歴史の唯一の正しい解釈ではないようだ。

三十年以上前のチャウセスク時代、二人のルーマニアの歴史学者と話を交わしたことがあるが、彼らは自国がローマ帝国領ダキアと呼ばれたことを私に力説した。ローマ文明の恩恵に浴さなかった野蛮なロシアと一緒にされては敵わないと言わんばかりだった。ルーマニアがソ連からの自主独立を強調していた時代ではあったが、欧州各地のローマ遺跡の扱い方を見れば、どの国もローマ文明の一部であった事を誇示しているとしか思えない。自国はローマ帝国に支配された植民地でもあったのだが。

ハルビンの中央大街を北上すると松花江( スンガリー )河畔のスターリン広場( 今も! )に出る。私が訪ねた時、河畔には柳( ? )の綿が一面に舞っていた。しかし、木々はプラタナスの様に見えたので現地ガイドに質問したら「柳絮」だと言下に日本語で断言した。半信半疑だったが、最近北上河畔の林を見て、柳は枝垂れる種類ばかりではないと知った。むしろ枝垂れ柳は本来は少数派なのかもしれない( ? )。啄木の「やわらかに柳青める北上の......」の歌碑から見おろす川岸には大きな枝垂れ柳が数本生えていたが、あとから歌に合わせて植えたものかも?



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