2014年9月18日木曜日

誤報の責任の取り方は?

今朝の新聞の折り込みチラシの中に「ご愛読のみなさまへ深くおわび申し上げます」との朝日新聞社の詫び状?が挟まれていた。購読解約者続出という週刊誌の報道は眉つばだろうと考えていたが、そうでもないのだろうか。

一ヶ月以上前に同紙の慰安婦問題検証記事への批判的感想を当ブログに書いたのちに、池上氏のコラムの掲載拒否問題、ついで吉田原発所長の証言ねじ曲げ問題と、同紙の不始末とそれへの謝罪が続いた。私も無論それらに無関心ではあり得なかったが、他の批判者と異なる視点や事実がなければ私が書く意味は乏しいし、「水に落ちた犬を叩く」のは心ない行為のように思い、控えたかったのだが、当人たちが水に落ちたと思っていないとすれば........。

池上コラムの問題は自社への批判の抑圧という側面も重要だが、何より、批判も受忍するという出発時の約束を破った点が問題だった。当初の約束は個々の記事への批判の受忍のつもりだったのに、自社の姿勢自体への批判だったのでじたばたしたのだろう。見苦しいことではあった。これに対し吉田所長の証言の場合は明らかな事実歪曲記事であり、その上に他のメディアの指摘を逆批判した挙句の謝罪という点で見苦しい程度の事ではなかった。

私は過去の不始末( 慰安婦問題は大変な不始末だが )の責任をしばしば現在の責任者が取らされる日本的慣行?には疑問を持っているが、今回は現経営陣の行なった不始末である。記事執筆者を含め首脳陣は直ちに責任を取るべきであり、是正の筋道をつけた上で辞任などというのは事の重大さを自覚していないと言わざるを得ない。「解党的?出直し」が必要だろう。ただ、朝日新聞社には正義感を持ち恥を知る社員は多いと信ずる。私はまだ彼らによる自浄作用への期待を失ってはいない。

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