私が初めて飛行機に乗ったのは三十二歳のとき。乗り物好きなのに初乗りが遅かった( 当時としては平均的? )のは、大学卒業後東京から鉄道で移動するのが適当な距離( 名古屋 )にしか転居したことがなかったから。したがって、ハバロフスクからモスクワまでのアエロフロート機が最初の飛行体験だった。四つのプロペラの大型機トゥポレフ( プロベラ・ジェット 機 )で、機体を震わせるばかりでなかなか離陸しない。やっと離陸したので思わず拍手したら、皆が一斉に拍手し大笑いとなった。私は初めてなので不安だったのだが、他の乗客( 日本人が約半数 )もソ連機に一抹の不安があったのかも。翌日、空港で独りロンドン行きのアエロフロート機に乗り換えたのだが、申し込み用紙はロシア語のものしかなく、途方にくれた。
英仏海峡は昔の人の旅行を追体験したかったのでもっぱらフェリー( 後年はホーバークラフトも )で往復したが、一度だけ格安航空便( LCC という名前はなかったが )を使った。英国の小飛行場( 大戦中多数急造された )からパリ北方のボーヴェ空港まで、DC3機に乗った。せいぜい三千メートル程度の高度を飛行するので地上に影を映しながらの飛行だった。
二度目の渡欧は九年後にやっと実現した( 当時はそんなものだった )。バンコック( ドンムアン )空港経由のタイ航空機で、当時はそれが最も格安便だったのだが、帰国時は空港でタイ航空機乗り継ぎのため早朝から夕方まで空港内に足止め。其の間二回ぐらい東京行きの日航機が出発して行き、格安便の悲哀をたっぷり味わった!
その後は航空運賃もしだいに低下したが、シベリア上空が開放されるまでは、アラスカのアンカレッジ経由便を誰もが利用した。日本食が待ちきれない人たちが空港のうどん食堂に並んでいた!運賃が低下したと言っても、それは帰国便の日付けが決まっている場合。パリの格安日本食堂には帰国まで食いつなぐため?通ってくるらしい同胞が絶えなかった。今日、パリのブランド店で買い物をする人たちのことを聞くたび、何故かがっかりする。
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