2014年12月27日土曜日

完全な入試方法などない

中教審が大学入試の改善のためプレゼンテーション能力や面接を加えた選抜方法を提案している。机上の空論にしか思えない。法政大学の受験者は十万人( ? )に達すると新聞で読んだ。この記憶が正しくないとしても受験者一万人以上の大学はザラにあるだろう。そこで丁寧な人物考査がなされるはずがない。

問題は実際的困難( これも巨大だが )だけではない。そもそも面接評価からは主観性を排除できない。面接担当者がどれほど努力しても、仮に相当の時間をかけたとしても主観的評価を排除できない。

私は公平性は入試の絶対条件だと考える。私はかつて受験有名校で教えたことがある。厳しい受験競争の渦中の生徒たちに同情したが、「今後の人生で大学入試ほど公正な扱いを受けることは二度とないと思え」と彼らを励ました。もし公平性が確保されないと思えば彼らはこれまでほど努力をしなくなるだろう。

むろん人間の能力は多面的であり、現在の入試はそれを充分評価できないだろう。しかし欠点を是正するために公平性に疑問が生ずることは避けるべきである。

もし仮に完全無欠の入試方法があるとすれば( 私はそう思わないが )、有名一流大学以外の大学生は能力が絶対的に劣ることになる。何と彼らは浮かばれないことか! だが実際には彼らから無数の優れた人材が生まれている(ノーベル賞が全てではないが、下村脩氏、中村修二氏、それに山中伸弥氏も!)。人間の能力の多面性を考えれば当然のことである。完全を求めて角を矯めて牛を殺すことがあってはならない。

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