しかし、文春掲載論文はA級戦犯合祀以後の靖国神社参拝への全面的反対論であり、その主たる論拠は、前の戦争の加害者( A級戦犯 )と被害者( 一般の将兵 )は峻別すべしということに尽きる。私も論文の主旨に全面的に賛成である。外国が反対するか否かに関わりなく日本人として加害者と被害者を混同すべきでないし、私には戦没者たちが合祀に賛成するとは到底思えない。A級戦犯の中にも職務上の責任を問われた東郷外相のように同情に値する人もいるが、東條首相のように戦陣訓で「生きて虜囚の辱しめを受けず」と命じながら自分は自殺の真似ごとをして生きようとした人間を戦没者たちが許すはずが無い( 戦陣訓がなければ、それだけで日本人だけでも何十万人の生命が救われただろう )。
ただ、問題はこの件に関し、世論調査の結果は必ずしも参拝反対ではないことである。調査結果はそれぞれの調査機関や調査時期ごとに多様であり、安易な一般化を許さないとはいえ、参拝への賛否となるとほとんど二分されているようだ( 8月15日の参拝見送りと聞かれると七割が賛成となる! )。これには参拝に反対する中韓への反撥( 他国のことに干渉するな! )も大きいだろうが、死者に寛大な国民性も関係していよう。
わが国では死ねば誰でも神や仏になると考えるとはよく聞く。自らの不注意で多数の犠牲者を出す事故を招いても,当事者が死んでいると世論やメディアで責任追及が殆ど停止するのが我が国の精神的風土である。それぞれの国の国民性は出来るだけ尊重されるべきだが、少なくとも外国に通用する論理とは思えない(そもそも論理ではない!?)。日本も国際社会の一員である以上、没論理のままで良いとは思わない。
参拝に反対する中国の基準( 要人の範囲など )も一定ではないようで、そうしたことへの反撥も与っているのかもしれないし、それ以上に安倍内閣への反対姿勢をゆるめない野党的メディアへの反撥が首相の頑なな対応を生んでいるとも考えられる。しかし、渡邉氏は多くの点で( 大半?)首相を支持して来た。謂わば友人の諫言に反発するならば、首相は賢明であろうか。首相は渡邉論文を熟読玩味するべきである。
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