抗議された。怒るくらいならトップレスにならなければよいのにと思った。
町やホテルでは英語よりもドイツ語の表示が多かった。ここはナチス・ドイツ軍とソ連軍の戦闘が長く続いた土地なのに、ドイツの経済力を感じさせられた。
外国人がセバストーポリの軍事基地を見学できる筈も無く、そのままシンフェローポリ駅から夜行列車でクールスク近くのツルゲーネフの生家を訪ね、「猟人日記」の舞台を感じることができた。ところが翌日のトルストイの領地ヤースナヤ・ポリヤーナ(トルストイ教信者の聖地)を訪ねたところ、週一回の休館日で見学能わず。旅行社(又はロシアのインツーリスト)の杜撰なスケジュールに呆れた。代わりにモスクワのトルストイ邸を追加すると言うので、それが代わりになるかと怒ったが、日本人添乗員にどうなるものでも無し。取りあえず東京まで矛を収める他なかった。
それでもその夜、小バンドがロシアの歌を演奏してくれ、ロシアの若者に「恋のバカンス」の日本語の詞を請われて教えたり(当時ロシアで大流行中)の日本語の詞を請われて教えたり、「それなりに」楽しかった。
翌日は、モスクワでの訪問地の追加のため、朝の六時からバスを待機させてくれ、しかも座席には朝食のサンドイッチが用意してあり、ロシア人の誠意は感じられた(あの官僚主義の国ソ連で!)。
帰国後、旅行社にこのツアーは欠陥商品だと強く抗議したが、平謝りされるだけで、予想通りグルジアワイン二本で一件落着となった。
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