1967年春に私が現地を訪れた際には数人のアメリカ人家族らしい訪問者がいただけで、真っ白な十字架の列ばかりが目立った。米軍戦死者の広大な墓地はフランスから土地を寄進されつくられた。日ごろアメリカニズムにたてつくフランス人も当時はそうでもなかったようだ。
上陸作戦に参加した米英加ら連合国にとっては誇らしいイベントだったが、新聞によればその後八週間のドイツ軍との戦闘で米軍(連合軍?)の死者が二万数千人、さらに連合軍の砲爆撃の巻き添えで死んだフランス人住民の死者が二万人だった。
また、ドイツ空軍の有名なロンドン空襲(バーミンガムなども)による死者よりも、フランス解放戦中の巻き添えによる住民の死者の数が多かった(A.Marwick,War and social change in the twentieth century)。ひとたび外国軍の占領を受けたとき、民間人の被害(それも友軍による)だけでも並々でないことは忘れてはならない。後悔先に立たずは千年の真理である。
マーウィックの同書によれば、シャンゼリゼでの戦勝パレード中のドゴール将軍を狙った敗残の狙撃者たちの一人は日本人だった。ドゴールがこの時死んでいたら日本はフランスの歴史教科書で不名誉な記述をされていたかも。それより何よりこの日本人を無謀極まる企てに参加させた心の闇はどう理解したら良いのだろうか。
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