2014年9月21日日曜日

分離独立の権利

少なくとも今回はスコットランド独立は実現しなかった。私は仮にも二年近く暮らした英国の衰退を見たくないのでホッとしたが、半数近くのスコットランド人が独立を望んだのには相応の理由があったのだろう。ともあれ、これだけの大問題を流血事件も無く、言論と投票で決着をつけたスコットランド人の政治的成熟には心からの賛辞を呈したい。独立派のサモンド党首の周囲に警護の人が見当たらないのは驚きだった。

ある国の一部に全体から分離する権利があるか否かは自明のことではないようだ。英国本土に反抗した十三植民地が米国を建国した。しかし、数十年後、リンカーン大統領は南部諸州の分離を認めなかった。南北戦争は奴隷問題での対立を底流としていたが、直接には南部の分離行動が発端だった( リンカーンは多大な流血ののちまで奴隷解放に同意しなかったし、奴隷解放宣言は当初は反乱諸州にしか向けられていなかった 。反乱に加わらなかった奴隷州もあった )。「87年前、私たちの父祖は......自由に育まれ、人はみな平等であるとの命題に捧げられた国家を打ち立てた」(  ゲティスバーグ演説 )と考える彼は、その大義にあらがう権利を南部同胞に認めなかった。

自分たちは分離の権利を行使しながら、ひとたび国を作ったら分離を許さないのは矛盾している。それを正当化するためには米国は自由の国であり、他国とは違うとする他ない。( しかし、独立宣言の言う英国王の圧制とは神話に過ぎない。植民地を怒らせた法律を作ったのは議会だった )。だが、米国が自由の国ならば英国も自由の国である。キャメロン首相の前途は未だ未だ多難だろうが、私は二年前?の彼の決断はもっと評価されるべきだと思う( 私はリンカーンを心から尊敬している。ただ、彼が米国神話の補強に結果として貢献した事実を指摘しているだけである )。

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