2014年7月24日木曜日

大相撲とナショナリズム

豪栄道が全勝の白鵬を倒し、つづいて琴奨菊が日馬富士をやぶると沢山の座ぶとんが舞った。両横綱がモンゴル出身であることがどの程度この興奮に貢献したのだろうか。

数場所前( ? )、連勝を続ける白鵬が敗れたとき、会場の熱狂が白鵬を愕然とさせた(と彼自身が語った)。大相撲を心から愛し、それを一人横綱として支えてきたと自負する白鵬が愕然としたのは無理もない。それを外国人ゆえと彼が受け取ったとしても不思議ではない。 
しかし、白鵬に知ってほしいのは相撲ファンとして一人の力士ばかりが勝ち続ければ面白みがない事は外国人力士に限らない。むかし、北の湖が勝ち続けた頃、「憎らしいほど強い」と評された 。その表現には、これでは意外性に欠け面白くないというファンの心理が反映していたのではなかろうか。事実、私自身、日馬富士や鶴竜にはあの体でよく頑張っていると思いこそすれ、負けて欲しいとは思わない。旭天鵬が優勝したとき、日本人の多くが心から祝福したと思う。彼の人柄と、昨日幕内残留がほぼ決定したとき「だいぶホッとしたよ。第一目標はこれだから」と言った彼のユーモアも与って力あっただろうが。

それでも私自身双葉山と大鵬の連勝記録だけは白鵬にも誰にも(日本人でも)破って欲しくない。そこにナショナリズムが皆無だとは思わないが、二人は張り手で試合を有利にしようとはしなかった(双葉山の試合の記憶は定かでないが、相手が時間前に突っかければ必ずそれに応じて立った彼が、張り手を多用するはずがない)。張り手も四十八手のうちには違いないが、横綱が下位力士に使うのは潔くない。他の点では二人に並んだ白鵬には人格でも先輩二人に並んでもらいたい。

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