2014年11月9日日曜日

剱岳の記憶

テレビで二ヶ月前に放映された映画『剱岳・点の記』を録画でやっと見た。前人未到( と当時思われていた )剱岳に三角点を設置する測量部の苦闘を描いた新田次郎の原作。 さすが骨太の映画だった。地図作成ひとつを取っても明治の先人の苦労は並大抵ではなかった。

剱岳には二十歳台半ばの頃、仲間六人で登ったことがある。当時すでに富山方面からケーブルカーとバスを途中まで利用するのが一般的だったが、全員東京からの参加だったので、現在黒部アルペンルートと呼ばれトンネルとロープウェイで行くルートを徒歩で針ノ木峠を越えた(戦国時代の佐々成政の気分?)。翌日は黒部川を吊り橋で渡り、立山の麓の雷鳥沢にテントを張った。翌日(  翌々日? )、剣岳を往復した。最大の難所には鎖が張ってあるのでそれほど危険ではないが、下を見れば足がすくんだ。

その後今日まで乗物利用で立山の室堂平を三回か四回訪ねたが、その度にはるかに望む剣岳を見て、よく日帰りしたものだと我ながら感心した。体力が頂点の時代だったのだろう。

登頂から五十数年、仲間六人のうち三人があの世に旅立った。日露戦争を歌った軍歌『戦友』の歌詞ではないが 「不思議に命長らえて」、私は映画『剱岳』を見ることができた。亡友たちと一緒に鑑賞して思い出話に花を咲かせたかった。再会するあの世はあるのだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿