剱岳には二十歳台半ばの頃、仲間六人で登ったことがある。当時すでに富山方面からケーブルカーとバスを途中まで利用するのが一般的だったが、全員東京からの参加だったので、現在黒部アルペンルートと呼ばれトンネルとロープウェイで行くルートを徒歩で針ノ木峠を越えた(戦国時代の佐々成政の気分?)。翌日は黒部川を吊り橋で渡り、立山の麓の雷鳥沢にテントを張った。翌日( 翌々日? )、剣岳を往復した。最大の難所には鎖が張ってあるのでそれほど危険ではないが、下を見れば足がすくんだ。
その後今日まで乗物利用で立山の室堂平を三回か四回訪ねたが、その度にはるかに望む剣岳を見て、よく日帰りしたものだと我ながら感心した。体力が頂点の時代だったのだろう。
登頂から五十数年、仲間六人のうち三人があの世に旅立った。日露戦争を歌った軍歌『戦友』の歌詞ではないが 「不思議に命長らえて」、私は映画『剱岳』を見ることができた。亡友たちと一緒に鑑賞して思い出話に花を咲かせたかった。再会するあの世はあるのだろうか。
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