2014年3月9日日曜日

ある官僚の死

立川の国営昭和記念公園は拙宅から遠くないので、足の鍛錬を兼ねて春と秋には必ず訪れる。国営のせいか融通が利かず、入園料は低廉だが駐車料金は高い。若者のように長時間バーベキューなどをする入場者と長居をしない高齢者とは駐車料金に差をつけるべきだと、年間利用パスを持つ友人はボヤくが、全く賛成である。しかし旧米軍基地の跡地利用として造られた公園そのものは丘の起伏を利用し、小川などを配した広い(日比谷公園の十一倍)和洋両用の公園として、その美しさには毎度感心していた。

三月七日の朝日新聞の多摩版に記念公園を設計した女性の元エリート官僚の66歳での死去が記事として報ぜられていた。半田真理子さんというその人は、大学でドイツ文化を専攻しながらも、公園プランナーの仕事に目覚め、卒業後あらためて農学部に再入学し、三十歳台前半(?)で設計課長として昭和記念公園の設計に携わった。その後も「女性公園技術者の会」の会長など、その分野の先頭に立って活動してきたという。そうした業績や生き方を我々は彼女の死去で初めて知らされた。「地上の星」とも言うべきその業績を広く知らせるため園内に顕彰碑があっても良いと思うが、たぶん一個人の碑が建立されることはあるまい。せめて紙碑の形で業績を顕彰したい。

卒業後も米軍立川基地拡張反対運動を続けたと聞く元同級生が3年ほど前に死んだ。彼も記念公園の成立に期せずして協力したと言えるのかもしれない。二人の目ざした方向は同じではなかったと思うがのだが。

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