あの地震のとき、東京西郊の拙宅は震度5弱。その程度ではそれほど動転しなかった。(立っていられたので)
それほど動転しなかったのは、もっと激しい地震を経験していたためでもある。昭和19年12月7日の東南海地震とその一ヶ月後の三河湾地震である。前者(M8,震度6)では立っていられず、また多くの家が傾いた(のち、丸太をかい、ジャッキで元通りに!)が、倒れた家は少なく、したがって地元民に死者は少なかった。しかし、航空機工場に転用されていた旧紡績工場のレンガ造りの建物が崩壊し、働いていた人たち、特に徴用されて働いていた京都一中と京都第一高女(?)の生徒たちに多くの犠牲者が出た。戦時中のため被害の詳細はほとんど報道されなかったと聞く。
天災は台風、噴火活動、水害と色いろあるが、被害規模では地震(と津波)が抜きん出ていよう。そして日本が地震大国であることは間違いない。しかし、それ故に(?)温泉が湧く。また山々は木々に覆われる。これからは国家間で水の争奪が始まると聞く。その点では我が国は恵まれている。ともあれ、国が引越しをするわけにはいかないから、災害に強い国、災害に強い東京にするほかない。舛添さん、頑張って!
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