ハイセイコーは地方競馬で六連勝したため中央競馬に移籍され、そこでも四連勝し異常な人気を得た。学歴の乏しい田中角栄が首相就任後しばらくは「今太閤」として高い人気を得たのと同じく、庶民はエリート出身でないハイセイコーに自分を重ねて? 熱い期待を抱いたのである。
番組では、それまで競馬はギャンブルと見られ公共の乗り物で競馬新聞を開くのははばかられたが、ハイセイコーがファン層を若い女性にまで広げたので競馬はスポーツ、さらには週末のレジャーとなったと解説した。1973年の日本ダービー前には人気は頂点に達し、記者会見にワイドショウのリポーターらが百人集まったという前代未聞の事態となった。しかし私を含め誰もが期待したダービーでの勝利は叶わなかった( 三着。敗因は長距離レースはそれほど得意でなかったためという)。それでもその後しばらく優勝から遠ざかったのに、馬券人気は一位が続いたという。ファンはハイセイコーを見捨てることが出来なかったのである。
武田鉄矢が司会する番組は楽しかったが物足りない点もあった。ハイセイコーの子のカツラノハイセイコーが六年後、父の果たせなかったダービー優勝を果たしたことに触れなかったのである。最後まで庶民の心を熱くさせる親子だったというべきだろう。
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