そこでもう一つの目的地、五稜郭を目指したが、またしてもナヴィの反抗のため到着まで悪戦苦闘だった。五稜郭といえば函館のそれが有名だが、ここ佐久市の龍岡城五稜郭は幕末のほぼ同じ時期に造営された日本で唯二つの五稜郭の一つである( 規模は比較にならないほど小さいが )。敷地内にその後小学校が建てられたため遺構の半ばは失われたが、残された部分は確かに小さいながらヨーロッパ直伝の五稜郭である。外国軍の侵攻も考えられないこんな場所( 失礼! )に何故、しかも物情騒然たる幕末に、多額の資金と労力を築城に費やしたのかが不思議だった。
その疑問は傍らの小さな資料館を訪ねてある程度了解した。比較のためのヨーロッパの各地の五稜郭の写真も楽しかったが、藩主は家康と同祖の松平家であり( 幕末、老中や陸軍総裁を勤め、維新後は伯爵 )、軍事を含めたフランス文明への憧れを強く抱いていた開明的な?藩主だったので、三河の小さな領地からより大きな佐久の領地に本拠を移したのを機に新たに築城したという。フランス人の助力を仰いだとは書かれていなかったが、文献だけで築城できたのであろうか。地味ではあったが一見の価値はあった。他に見学者は無く、唯一人の館員(ボランティア?)にお茶をいただいた。まことにささやかな見学の旅だったが、幕末明治期の日本人の進取の気性は感じ取れた旅だった。
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