「元寇」というこの歌は私の世代の、少なくとも男性ならかなり広く知られており、多分歌うこともできる。今朝のテレビ「英雄たちの選択」は元寇と北条時宗を取り上げていた。
1274年の文永の役と1281年の弘安の役の二度の蒙古( と高麗 )の侵攻について通り一遍の知識は持っていたが、詳しくは知らなかった。「選択」によれば、文永の役では蒙古軍の武器や戦法に無知な鎌倉政府軍は多大の損害を蒙ったが、弘安の役では前戦役に懲りて防塁などで防備を固めており、侵入軍は一ヶ月間本格的上陸ができず、やがて襲ってきた台風のため壊滅的被害を受けた。あまりに劇的な結末だったため、我が国ではこの台風は「神風」と見なされ、しだいに日本は「神国」と見なされるようになった( 秀吉の国書に既に神国日本の用語例あり )。
上陸作戦が一ヶ月間も成功しなかったことは既に失敗していたと見ることもできるという。戦時中「神国日本」を信じ込まされ「神風」を本気で期待した日本人は多かった( 私も )。三十三歳で死んだ時宗は元寇のために命を縮めたのかもしれない。彼が結果として神国日本の神話に貢献したとしてもその責任は後世にある。一つの成功例を何かと一般化したくなるのは人間の常である。のち、日露戦争の勝利もかなり奇跡的だったのに無敵日本という神話を生んだ。歌詞ほどには現実は単純ではない。
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