二、三年前に亡くなられたRさんは日本統治時代に教育を受けたため、日本語で詩を作るほど日本語が上手だった。しかし、招聘教授として日本に滞在された四年間には両国の生活習慣や気質の違いに戸惑われることも少なくなかった。その一つが葬儀会場への「順路」の貼り紙だったという。人間最後には死ぬのだから「順路」には違いないのだが?!、さすがのRさんも当初は見当がつき兼ねたという。
Rさんが戸惑った事は他に、同氏に対する街の八百屋や肉屋さんの態度だった。ソウルの有名大学の名誉教授と知ってか知らずか、彼らがRさんに対等の口をきくので当初はカッとなりかけたという。日本ではそれが当たり前なのだが、儒教大国の敬老精神で育ったRさんには不可解だったのだろう。年若い韓国人なら違和感も無かっただろうが。
韓国や中国では道を通る他人に夫婦喧嘩での夫( または妻 )の不当を訴えると一度ならず聞いたことがある。これとても現在の韓国に当てはまるかどうか疑問だが、日本では家族の不和を外部に懸命に隠すのが普通だろう。外国首脳との会談で日本の歴史認識の不当を訴え多くの日本人を不快にさせているパククネ大統領の「告げ口外交」も、第三者の判定を求める韓国流の行動なのかもしれない。それにしても日韓の気質の違いを大統領に指摘する部下はいないのだろうか。
Rさんの帰国に当たり友人と韓国料理店に招かれた。別室で「平壌中学」の同窓会が開かれていた。Rさんが平壌出身であると知っていたので、同じ中学ですかと聞いたら、私たち韓国人は「平壌一中」の生徒でした( 逆だったかも )と言われた。小学生時代の恩師を新聞の尋ね人欄を利用して探し当て再会した親日家のRさんでも心中は単純ではないのかも知れず、われわれはしゅんとなった。
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