2014年4月13日日曜日

安全、美観、経費。

最近は子供たちまで犯罪や事故の被害者になる時代だからか、自治体が町の中に拡声機を取り付け、一定の時刻に住民に注意を喚起する。

我が家のすぐ裏の電柱にそうしたスピーカーが付けられており、定時(今頃は午後五時)に夕焼け小焼けのメロディーに続けて大人が子供たちの安全に気を付けるよう呼びかける。日頃は屋内で聞いていてその声の大きさが気になっていたが、今日、裏の斜面でツクシを摘んでいたら(ツクシぐらい田舎でなくとも採れる!)鳴りだし、その声の大きさに思わずぎょっとした。

安全とくに子供たちの安全は大事なので住民は我慢しなければならない。それは分かっているのだが、毎夕大声が繰り返されるとゲンナリもする。むかし住宅公団のベランダの手すりが子供の事故が起こるたび少しづつ高くなったと聞いた。そのうち手すりが伸び切って檻のようになるかと予想した。幸いそうはならなかったが。そんな馬鹿なと笑う人も有ろうが、中国でそうした天井までつながる手すり(もう手すりとは言えない)のアパートを見た。都会で、物が落下して歩行者に被害が出る可能性があり、納得できた。

子供たちに自己責任を求めるのは誤りだが、大人が自己責任を棚上げして安全要求を繰り返していると、万事が手すりが檻になり兼ねないと言うのは心配過剰かもしれない。しかし、美観を損ねるとして嘗ては絶対善だった歩道橋も最近は廃止される例が少なくない。安全のための経費にも限度が有ろう。その兼ね合いが難しい。(たかがスピーカーの音に何を大げさな!)?

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