私は必ずしも護憲派ではない。現憲法が制定された当時と七十年近く経過した現在とでは国際環境はあまりに違う。
憲法第九条が1928年の不戦条約の条文(「国際紛争解決のため戦争に訴えることを否定し、国策の手段としての戦争を放棄する」と酷似していることはよく知られている。そもそも同条約の正式名称は「戦争放棄のための条約」なのである。だが、これ以後加盟国が武力を放棄したわけではない。自衛のための戦力は別とされたのである。おそらくそれを念頭に「戦力を保持しない」との九条第二項が追加されたのであろう。しかし、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」国の安全が保持できると言い切る自信は私には無い。
しかしそれでも今回のイニシアティブを高く評価するのは、提唱者の意図とは違うかもしれないが、第一に、国を守るのに戦闘機や戦車が有用であるのと同じように、或いはそれ以上に日本国を見る諸外国の目も重要だからである。仮に日本国憲法がノーベル賞を受賞すれば日本の右傾化、軍国主義復活を口にする国の主張の効力は多少とも減殺されるだろう。ノーベル賞作家を獄に閉じ込めている国がどれほど態度を変えるかには疑問が残るが。
第二に、約七十年間平和国家を堅持してきた日本には受賞する資格がある(この点は提唱者と同じのはず)と考えるからである。ドイツと日本を比較してドイツの方が前大戦を反省しているとする論があるが、戦後も兵器を外国に輸出して金儲けをして来たドイツと、それを自ら禁じてきた日本とどちらが反省をかたちに表して来たかは明らかであろう。兵器の性格が多様化し、その素材までが重要な意味を持つ時代に、武器輸出三原則の解釈は単純ではないが、これまで「死の商人」にならないと自らを律してきた我が国が相応に評価されることのは当然であろう。私も第九条が世界に広く知られて諸外国が日本の例に倣うこと、その結果改憲の必要など論外となることほど喜ばしいことはない。
最後に、「安倍首相に(授賞式に)喜んで行って欲しい」とのリーダーのユーモアもすばらしい。中国や韓国が行って欲しいと願うかは見ものだが。
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