2014年5月20日火曜日

富岡製糸場と「あゝ野麦峠」

旧富岡製糸場が世界遺産に選ばれる公算が大となり、見学者が激増していると聞く。百年以上も原型を大きく変えなかった関係者とくに片倉製糸には感謝して良い。
此処で本格的に開始され全国に展開した我が国の製糸工場や、そこで働いた工女たちの作る絹糸は、何と戦前期昭和まで日本の輸出品金額のトップの地位を失ったことはなかったという。日本の近代化の担い手の第一は製糸工女達だったのである。

製糸工女と言えば、山本茂美の「あゝ野麦峠」、と言うより大竹しのぶ主演の映画が知られている(平成の現在もそうかは分からないが)。大竹の演ずる政井みねが故郷の飛騨を恋いながら病死する野麦峠には数年前(?)に飛騨工女の記念館が出来、諏訪盆地の工場との間を往来した工女たちの資料が展示されている。そこの老職員が私に力説したのは、映画の与える印象と異なり、工女たちは自らの体験を良い思い出としていたということだった。
気になったので原作を読んで納得した。原作者が調査した元工女数百人のうち工女として働いたことを後悔した者は一人もなかったという。

よく考えれば納得がゆく。厳冬期の峠越え(むろん徒歩)も、岡谷での厳しい労働も原作に詳しいが、山国飛騨での農作業も糸繰リ作業に負けず厳しかったし、それで得られる現金収入は乏しかった。工女としての賃金とて十分にはほど遠かったが、彼女らの稼いだ現金を仏壇や神棚に供えて手を合わせる両親たちを見れば、工女たちが満足感を覚えたとしても何の不思議もない。

原作の「ある工女哀史」との副題のように、彼女らの苦難も原作の重要なテーマだが、山本茂美は過去の著作者たちへの明確な批判を記している。著書名は挙げていないが、細井和喜蔵の「女工哀史」が念頭にあることは当然予想できる。「女工哀史」と異なり「あゝ野麦峠」は女工哀史であると同時に、それ以上に工女たちへの讃歌であり、その栄光を顕彰する書物なのである。

追伸。5月5日の本欄に中国の交通ルールは「度胸優先」だと書いたが、正しくは「勇気優先」でした。訂正します。

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