2019年12月31日火曜日

今年の功労者

年末となり、今年の目立った出来事が回顧されている。日本関連での一番の朗報を挙げれば私はスポーツ面でのラグビー日本代表チームの善戦、学術面での吉野彰氏のノーベル化学賞受賞を挙げたい。

ラグビーの世界大会のアジアで最初の日本開催だっただけに日本代表チームの好成績へのプレッシャーは大変なものだったろう。予選通過を果たした結果、我が国のラグビー熱を一挙に高めた。メンバーの半数は外国出身者とはいえ、彼らは今後他国の代表メンバーにはなれないということなので、ことラグビーに関する限り日本人と言ってよい ( 名誉日本人!)。

日本人の過去のノーベル賞受賞者は今回を含め28名 ( うち外国籍3名 ) ということである。我が国ほどには外国とくに欧米ではノーベル賞受賞は騒がれないとはいえ、学術面での最高の評価に値する受賞であることに変わりはない。今回わたしが吉野氏の受賞をとりわけ喜ばしく思うのは大学に在籍しない民間企業の研究者だった事実である。これまで、江崎玲於奈 ( 1973 )、田中耕一 ( 2002 )、中村修二 ( 2014 ) の諸氏の例はあるが、大学在籍の研究者に比して制約は少なくないのでは?

最近、基礎研究への政府の財政的締めつけが再三指摘され批判されている。これまでのノーベル賞受賞はかなり昔の業績への受賞であり、最近は他国に比して論文数の減少が目立つというのが定説のようだ。そうであれば放置できない事態と言えるが、大学在籍者でなくとも民間企業に在籍しても立派な業績を挙げる方向であってほしい。今回のノーベル賞受賞の理由に地球環境へのリチウム・イオン電池の貢献が特記されたように、最近は実用面への貢献も考慮されつつあるようだ。企業内研究者への激励となるのではないか?  そうあってほしい。


2019年12月26日木曜日

年賀状を出し終えて

たいした枚数ではないのだが、ようやく年賀状の宛名書きが終わり郵便局に持参した。宛名は手書きでなくともプリント利用で構わないのだが、現在我が家にそれ用のプリンターが無いこと、写真でほぼ全面が占領され近況報告用の余白がなく、せめて宛名だけでも自筆で書きたいことなどの理由で手書きを続けている。

しかし、字が下手なのは昔からだが、漢字を書き間違える ( またはそう感じる )ことが増えてきた。小辞典も傍に用意しているのだが、拡大鏡の必要を感じることが多くなった。世間の年賀状の発行数が年々減少しているそうだが、家族写真の添加が無ければメール利用が増えるのは自然だろう。

当方がいただく賀状数も元旦が多いのだが、私の写真を見てから出される方も少数だが居られる。テレビの食物探訪番組と同様、酷評されることはまず無い! それが写真付き賀状が続いている主な理由だが、DPEを多年依頼してきた写真店の利用度が激減したのでせめて年一回の賀状の印刷を依頼することにしている。その店主も私同様年々高齢化が否めない。せめて私の撮った写真にその影響は無いと信じたい。

2019年12月17日火曜日

新国立競技場完成

一昨日、新しい国立競技場が完成し披露された。旧競技場は国際規格を満たせないと聞くので新築も止むをえないのだろう。最初に有力とされたイラン人女性のプランは私には斬新的過ぎたが、建築費の関係もあり採用に至らなかったようだ。パリのルーヴル美術館のガラスのピラミッドのように外国人設計者に広く門戸を開放することには私は賛成である。隈研吾氏設計の新競技場は木材を多用するなど日本的で好感を持てる。屋根を持つのも観客を雨や強い日光から防ぐのに役立つだろう。東京の新名所になるのではないか?

NHKの日曜大河ドラマ『いだてん』が好評のうちに?終了した。後半しか見ていないので大きなことは言えないが、アジア初のオリンピック開催に努力を傾けた関係者の熱意と努力が実を結び大会を成功させた経過は、多少戯画的ではあるが巧みに描かれていると感じた。世界からの若者が一堂に会してわざと力を競うオリンピックは独裁者に利用された大会もあったとはいえ全体として平和の祭典の名にふさわしい。

現代のオリンピックはその誘致活動や開催時期など問題を抱えていることは否めない。それでも関係者の努力を否定的にとらえるばかりで多くの肯定的要素を評価しないのが正しいとは思わない。たまたま今回は私の教え子が事務総長を務めている。前回に劣らぬ成功を願っている。

2019年12月13日金曜日

トランプ現象に続くジョンソン現象?

今朝のNHKニュースの最初の15分は英国の総選挙 ( それも予想の ) 報道だった。私も2年間を過ごした英国には人並み以上の関心を持つが、15分も忍耐が続かなかった。我が国のメディアがそれほど深い関心を英国に寄せているとも思えない。やはり、EU残留か脱退かへの関心からなのか。

私が留学していた1960年代後半、海外では日本といえばカメラ、トランジスターラジオの生産で知られていた。しかし、それほど話題に上らなかったが日本の造船業は隆盛期を迎えており、その結果英国の造船所 ( 日本海海戦での日本艦の何隻かを製造した ) はつぎつぎと閉鎖された。のちに日産が同社最初の海外工場を造船所のあったニューカースル近くのサンダーランドに建てたのはそれと無関係ではなかったかも知れない。

時は移り我が国の造船業は新興の韓国のそれに太刀打ち出来なくなった。今日の朝日新聞に「三菱重工  主力造船所売却へ」との記事が載っている。かつて戦艦武蔵 ( 大和の同型艦 ) を建造した同社の主力の長崎  香焼工場が他社に売られるという。

配達されたばかりの夕刊によると、ジョンソン現首相の保守党が総選挙で勝利したようだ。やはり、英連邦53カ国との繋がりが英国を強気にさせるのか。それともトランプ米大統領に続いて英国でも政治家は面白いことを言う人物かどうかが選択の基準となりつつあるのか?  私は後者の可能性をまんざら否定できない。
P.S.
昨日朝、10個近い温州みかんが一夜のうちに鳥に食べられていたので急遽全部収穫した。前者を加算して130個あった。来年が絶不作にならないよう考えなければ。

2019年12月8日日曜日

我が家の温州みかん

左上の夏みかん二つの他は全て温州みかんです。とても百個近くあると思えないでしょうが。

2019年12月7日土曜日

アフガニスタンの深い闇

アフガニスタン国民への人道支援に多年従事してきた中村哲医師が非業の死を遂げた。物取りの犯行ではなく、中村氏と知っての殺人だったことがあきらかになってきた。その危険は日本政府からも最近警告されていたという。

中村氏が危険を十分認識していたことは十一年前に年若い同志の伊藤和也が殺されたのち他の協力者を帰国させ、独り残留したこと、住民に不人気な米軍の協力を一切拒んでいたことなどに明らかである。どれほど前途に危険があっても、一度始めた使命を全うすることを選んだのだろう。東京新聞 ( 12月6日 ) の関連記事の見出しはその使命感を「爆弾よりパン  掲げ」「政府に頼らず  貫いた非軍事」と表現している。

しかし、政治的であれ宗教的であれ、イデオロギーの正しさを確信した「信徒」は反対者へ容赦はしない。今日の『東京』の「本音のコラム」に師岡カリーマ氏が、「親身になって助けてくれる外国人もいる。地道に努力すれば、少しずつ生活は改善できる。平和が来れば、幸せな人生を築くことだってできる。こういう希望はすべて、絶望と被害者意識を餌にする武装組織のリクルートには邪魔なのだ」と書いているが、同感できる。

米軍を中心とするNATO諸国の軍事介入が成果を挙げていないことは明らかだが、非軍事的貢献なら成果が挙がるとは言えない。 反政府勢力が国土を支配すれば、女子教育否定、児童婚など女性抑圧の廃止は絶望的となろう。アフガニスタンの闇は深い。

2019年12月4日水曜日

山岳写真家の死

新聞各紙に白旗史朗氏の訃報が載っている。同氏は白川義員氏と並び、わが国で最も知られた山岳写真家の1人だろう。国内の山々から始まり、ヒマラヤやアルプスなど世界の名峰の写真を撮り続けた人のようだ。同年齢とは知らなかった。

「ようだ」と言うのは私が知る同氏は郷里の大月市に近い南アルプスや奥秩父の山岳写真を山と渓谷社の『アルパイン・カレンダー』に載せていた1950年代後半から60年代前半の時期が中心であるから。氏がローライフレックスで撮った南アルプスの山々や秩父の笛吹川源流の東沢渓谷の写真など今でも記憶している。当時購入した『アルパイン・カレンダー』3冊ほどは書庫に有るはずだが見当たらない。

いま手元にある『 カレンダー』は1980年版1冊だけ。そこでの大型のリンホフで撮った氏の写真は日本アルプスなどの雪山中心で、他の山岳写真家たち ( 美瑛を有名観光地にする以前の前田真三も!) の同種の写真に交じって私の感興をあまり呼ばない。その後白旗氏はさらに海外の山々に撮影対象を移したようだ。

十数年前だろうか。某新聞社後援のフンザ ( パキスタン最北の秘境 ) 撮影旅行の広告に白旗史朗の名を発見して心が動いた。アンズやアーモンドの花咲く「秘境フンザ」を訪ねる絶好の機会と思ったが、ふんぎりがつかないうちに同地方に大きな地震があり、それどころでは無くなったと記憶する。私がフンザ撮影旅行に心が動いたのは無論春のフンザに憧れたからだが、白旗氏に会って半世紀以上前に氏の写真に惹かれたと告げたかったのかもしれない。

2019年12月1日日曜日

中曽根元首相の死去

中曽根康弘元首相が亡くなった。なぜか一つの時代の終焉を感ずるのは同時代人として数十年を生きたからなのか。それとも良くも悪くもしっかりと目標を持って生きた個性的な人物だった故か。「戦後政治の総決算」や憲法改正という主張自体は安倍首相の路線とそれほど違う訳ではあるまい。それでも両氏の違いを大きく感ずるのは人物の格の違いというものだろうか。

中曽根氏の業績となると三公社の民営化とりわけ国鉄の分割民営化を挙げる人が多いようだ。これとても当事者の中にはそのため不当な扱いを蒙ったと考える人は少なくないだろう。しかし、数年ごとに運賃値上げを繰り返していた当時の国鉄が、その後特急料金などを除き運賃を安定させた事はやはり必要な改革だったことを示しているのではないか? 首相がロン・ヤス関係という中曽根レーガンの間柄を真似てシンゾウを売り込んでも矢張り作為的と感じるのは私だけではあるまい ( レーガンとトランプの人柄の違いは無論あるが ) 。

訪韓した中曽根首相は演説の三分の一を韓国語で語ったという ( レーガンとは英語で話していた ) 。多忙な中でそれだけの勉強をした努力は韓国人も感じ取っただろう。私は元首相がフランス語の鼻母音をきちんと発音したのに感心したことがある。旧制高校の語学教育の成果もあるだろうが、他の政治家とは勤勉さが違っていたようだ。

元首相は宮沢喜一氏と竹下登氏の二人の後継候補のうち後者を後継者に選んだ。私は宮沢氏の方が首相にふさわしいと考えていたので不満だった。しかし、その全盛期でも消費税導入を果たせなかった中曽根氏が、一見凡人ふうだが敵を作らない竹下氏を後継者に選んだのは正解だったのだろう。その竹下内閣でも消費税導入の故に短命に終わった。

2019年11月25日月曜日

勝って兜の緒を締めよ

香港区議選で民主派が大勝した。圧勝と言っても良い。区議会に属する権限は小さいと聞く。しかし、デモを繰り返していた若者たちが香港住民の大多数の意志を代弁していたことが中国に対し、世界に対し疑問の余地なく示された。若者たちの喜びは言葉に尽くせないものがあろう。最近のニュースでこれほどの朗報はない。

間違ってもこの喜びを短命に終わらせたくない。若者たちの「五大要求」は逃亡犯条例の撤回しか実現していない。キャリー・ラム行政長官の辞任もあって当然である。本土政府の要求を拒めなかったとしても、政治は結果責任を負う。これほどの不評を買った以上、留任は下策である。

他方、若者たちは五大要求の完全実現をこれまで以上に強く要求したいだろうが、それに固執するのは賢明かどうか。警察処罰と言っても警官たちは自らの信念に従ったというよりも上位者の命令を拒めなかったと考えるべきだろう。親中派の商店などの破壊は止めるべきだし、ボイコットも賢明とは思えない。今は香港人が相互の違いを克服し、団結して本土政府に対抗すべきである。相手は強大であり、隙を見せてはならない。

本土政府の今後の動きは予測困難である。しかし彼らも本心では恐怖を拭えないのである。近代中国では平和的な政権交代の経験はなかった。今後もし紆余曲折のうえ香港人が平和的政権交代の実例を示すなら本土政府の抱く恐怖も少なくとも軽減する可能性はある。まだるっこしい限りだが、天安門事件の再現は何としても避けるべきである。

2019年11月19日火曜日

小さい秋

庭の温州みかんが黄色に色づき始めた。苗から育てた木で地球温暖化のせいも少しはあるかも知れないが、街で売られているみかんに負けないほど甘くなる。欠点は成り年とそうでない年の差で、150個ほども成る年もあれば2個だった年もある。今年はその中間で100個近くありそうだ。夏みかんにはそれほどの豊凶の差はない。私には酸っぱすぎるし、自分がそう感じるのだから他人もそうだろうと、本気で好きだと言ってくださる一軒二軒以外は進呈するのもはばかられ、マーマレードの材料にする。一口柚子は毎年忠実に沢山の実をつけてくれる。

毎年、秋には富有柿が例外なく沢山なる。これは好評なので御近所や知人におすそ分けするのだが、今年はなんとゼロ。開花の時期に庭が真っ白になるほど雹が積もったのがその原因ではないかと思う。残った十数個は10月の台風で落果した。命がけ?で木登りする必要がなくなったのは有り難いが、先月、木いっぱいに柿が色づいているのを見てこれぞ日本の秋だと思った ( 札幌の人よ、許せ!)。

実の成る木の話ばかりで恐縮だが、小さかった山椒の木がいつの間にか背丈を越える高さになり、今年初めて実を御近所にプレゼントするほどになった。裏では勝手に増えたミョウガから数回芽?が採れた。代わりにタラの木が台風で根こそぎ倒れた。

近年、都内ではたき火は禁止されているらしい。煙が近所迷惑という理由なのか?  落ち葉は市民税で始末されるゴミとなった。今の子供たちにとって「たき火」は童謡の中だけの存在となった。時代は老人の感傷に付き合ってはいられない。

2019年11月15日金曜日

香港情勢の悪化を避けるには

香港の政治情勢は悪化の一途をたどっている。抗議運動の若者たちと警察との対立はいまや肉弾戦の様相を呈しており、デモ隊側に死者も出ている。一身を賭しても香港の自由を死守するとの若者たちの決意には頭が下がる。しかし私は市民の日常生活に大きな支障をきたす暴力的反政府行動には賛成できない。とりわけ交通機関などへの破壊行為が続けば市民の共感も薄れよう。世論の分裂はいま中国が最も期待するところだろう。そうなれば武力介入の口実にできる。

警官の過剰な実力行使が若者の怒りを買っている。しかし警官の大多数は上からの命令に従っているのであり、内心では苦しんでいると思う。彼らの英領時代からの市民感覚はまだ完全には失われていないと思う。じじつ本土の警察ほどには手荒ではない。警官の発砲も最初のケースは同僚の生命の危険を阻止するためと映ったし、最近のケースも恐怖に駆られてとも感ずる。

デモ隊の列に星条旗も散見される。しかし米国民がどれほど香港に同情を寄せても口頭での激励以上の介入など期待してはならない。内政不干渉の原則もあるし地理的不利一つをとっても不可能である。冷静な状況判断は欠かせない。

すでに資力のある香港人はマレーシアへの移住を計画していると聞く。同文ということでは台湾がベターだと思うが、中国が台湾統一を呼号する以上、安住の地とは思えないのだろう。歯がゆいことだがわが国には香港からの亡命者や難民を暖かく迎い入れることしか出来ない。

P.S.   私が交通混雑に巻き込まれたラグビーの2試合を日本チームの対戦時と書いたが、日程からして前の1試合は他国同士の対戦だったようだ。それでもすごい混みようだったから驚きである。メディアの宣伝に乗せられたか、同胞の「おもてなし」精神のゆえか。後者と思いたい。

2019年11月14日木曜日

「桜を見る会」の来年度中止

新宿御苑での首相主催の「桜を見る会」が来年度中止となった。首相は国会での真相追及に耐えられないと判断したのだろう。今どき後援会が深く関与した案件などメディアが本気で調べれば分かることなのに知らぬふりをするから一挙に中止にまで後退した。相も変わらず軽率な対応を繰り返す御仁である。逆に共産党の田村智子議員はお手柄である。

どこかのテレビでこれ迄の会の出席者数を紹介していた。それによると発足した吉田首相のとき1000人、田中首相5000人、鳩山首相 ( 2010年)10000人、安部首相 ( 2013年 )12000人、今年は18200人とのこと。功労者とはそんなに増えるものなのか! むかし幾何級数的という言葉があったが?

桜花の季節の新宿御苑は本当に美しい。最近はエンパイアステート・ビルを模した?電電公社ビルが建ち一目で新宿御苑と分かる。各国の大使公使たちには是非ここで毎年顔合わせして欲しい。美しい場所で邂逅すれば対立する国の人間でも心和むのではないか。

私はテレビタレントのデーブ・スペクターが嫌いではない。むしろ好意を持つが、彼が桜を見る会に20回出席したと白状するのを聞くと、そこまで税金で歓待するのもどうかと思ってしまう ( 一度招くとそれが慣例となり除外しにくくなるのか?)。出席者を厳選して続けるのがベストと思うが、それが不可能なら廃止も止むを得ない。安部首相の場合かなり悪質だが、そもそも政治家に人気取りに耽るなというのが無理なのかも.......。

2019年11月11日月曜日

両陛下にもっと自由を!

昨日、令和天皇即位のパレードをテレビで見た。実施日を延期した結果最上の天候に恵まれ、両陛下にとり飛びきり幸せな一刻だったろう。儀礼や役職上顔を合わせた人びとと異なり、なんの義理も無ければ強制も無い多数の国民が何時間も直立して待機して歓迎した事実がご両人の心を打たないはずが無い ( 警備陣は相変わらず過剰と感じたが.......)。今後ともこの国民に奉仕したいと決意を新たにされたと信ずる。私はこれまで憲法の言う「国民統合の象徴」という天皇の規定が今ひとつピンと来なかったが、昨日何となく理解したように感じた。

私は皇太子時代の現天皇と雅子さんと偶然に視線を交わしたことがある ( これまでこのブログに書いた気もするが確かで無いので書く ) 。たしか2002年、私がニュージーランド南島旅行を計画したところ、皇太子夫妻も同地を訪問されると知り、ひょっとして現地で会うかもと冗談を飛ばした。現地で殿下の情報を知るはずもなく、帰国の4日ほど前に西岸のフィヨルド ( ミルフォード・サウンド ) 見物を予定していた。ところが当日、峠の手前で雪が激しく降り出し引き返えさせられた ( 貸切バスはそれでも走っていたが、個人客は現地で雪で足止めとなれば帰国便に間に合わなくなる ) 。

最後の予備日である翌日、幸い峠の雪は大したことなく無事に現地に到着した。二社ある遊覧船会社の一方で乗船券を求めたら、 Japanese Emperor (Crown Princeの誤り ) の乗船を告げられた。唯二人の同胞として!先に乗船していると、随員数名と土地の名士?数名を引き連れてご夫妻が乗船された。私たちはタラップの最上段とガラス一枚隔てた椅子を取っていたのでご両人と視線を交わした。本当は言葉も交わしたかったが、お二人とも随員に堅くガードされ近づくことは出来なかった。

その後間もなく雅子さんは病気になられた。二度と来られない憧れの?観光地でも見物よりも儀礼的社交を強いられること ( かろうじて晴れていた前半、お二人は展望デッキに姿を現さなかった 。その後私たちは寒いので船室に降りた )  と御病気とは無関係では無いと私は思いたくなる。しかし、昨日の雅子さんはお元気のご様子。今後はご自身を殺すことはできるだけ控えてほしい。

2019年11月10日日曜日

ドイツ統一と東欧解放の理想と現実

昨日11月9日はベルリンの壁崩壊30周年記念の日だった。息詰まるような緊張感で見守ったあの日のテレビ画面から30年経ったとは........。 続いて起こった東欧共産圏諸国の崩壊を生んだドイツ統一であったが、それを可能にしたのはポーランドの自主労組「連帯」の多年の反体制闘争と、共産主義体制の維持困難を認めたゴルバチョフの英断であったことは記憶さるべきだろう。

30年前、西欧的自由民主主義の勝利は万全と思われたが、今日その楽観は過去のものとなった。昨日の各紙でも旧東ドイツ国民の失望と、ハンガリーやポーランドを始めとする旧東欧諸国の排他的ナショナリズムの高揚が大きなテーマとなっていた。

「隣の芝は青い」と言うべきか、東欧諸国民の西欧の自由民主主義への過度の評価がいずれ失望に変わるのは避けられなかった。旧東ドイツ人はいま自分たちを2級市民と感じているという。しかし、治安警察 ( シュタージ ) による市民の監視や市民間の密告は廃止されたし、当時はバナナも容易に買えなかった旧東ドイツ人の収入は現在、西ドイツ人の約8割程度とのこと。愛嬌はあるが性能は最低だった国民車トラバント ( 色とりどりで旅行者の目を楽しませてくれたが ) を入手するのに何年も待たされた時代を忘れるべきではない。旧東欧諸国の国民もソ連に命令されていた時代へのノスタルジアなど露ほども持ち合わせないだろう。

旧東欧諸国による国境の壁の建設を不寛容と決めつけるのはたやすいが、何分にも予想もつかない多人数の流入だったし、難民と経済移民を区別するのが人道に反するとは必ずしも言えない。人種も宗教も異なる人たちを多数受け入れた経験はわが国にはない。陸続きの国境を持たないわが国とは不安感に大きな違いがあっても不思議ではない。

2019年11月4日月曜日

ラグビー世界大会の成功を祝す

アジアで最初のラグビー世界大会は南アフリカの優勝をもって長い会期を終えた。ワールド・ラグビー会長は今回の大会はこれ迄で最高の大会だったと評したという。多少のお世辞も入っていようが、大盛況のうちに終わったことは間違いない。関係者の多大な努力が報われて何よりである。

私自身は細かいルールを知らないので途中から見たゲームも少なくなかったが、だんだん興味が増したことは事実。今後、野球やサッカーに負けないスポーツに育って欲しい ( 最近のサッカー人気への私のやっかみ?)。

人気の高まりのおかげで個人的にほんの少し迷惑を蒙った。日本チームが最後の2ゲームで対戦した東京 ( 味の素 )スタジアムは京王線の本線の調布駅と府中駅の中間の飛田給駅で下車する。2ゲームとも都心から夕刻に帰宅する仕儀となり、調布駅での混雑はしり押し部隊の活躍した時代並み。やむなく調布からの支線+バスで帰宅した。一社の鉄道路線しかない東京スタジアムで日本チームを対戦させたのは賢明だったろうか?  さすがにその後は複数の路線のある横浜スタジアムが使用されたが....。むろん大会の成功に比べれば言うに足りない。

2019年10月28日月曜日

途上国指導者評価の難しさ

今朝の朝日新聞に「『デモSNS時代』 瞬時に連携拡大   見えない指導者」との記事があり、6ヶ国 ( イラク、エクアドル、レバノン、チリ、ボリビア、エチオピア ) の反政府騒乱のリストが載っている。そのうち4ヶ国の騒乱は公共料金の値上げやガソリンなどへの補助金カットへの反撥が引き金とのこと ( 他の2国は開票結果への不信のボリビアと部族対立のエチオピア ) 。反政府デモの結果、値上げは撤回された国が多いようだが、どの政府も財政困難に直面して不人気な値上げを計画したはず。撤回してどうなるのか。エチオピアのアビー首相は隣国エリトレアとの戦争を終わらせノーベル平和賞を受賞したばかり。部族対立で足をひっぱって何の良いことがあるのか。

テレビ局名は忘れたが、今朝のニュース番組 ( NHK ? )でインドネシアのジョコ大統領に反対するデモが激化していると伝えている 。他のメディアの報道が無いのでデモの原因は今ひとつはっきりしないが、汚職の横行や言論制限措置への反対と聞いた。

国民の大多数がイスラム教徒のインドネシアで同教徒ではないジョコ氏は同国の経済発展に大いに努めてきた。大統領選挙で争ったイスラム派のプラヴォオもと司令官をこんど副大統領にすると聞くが、無益な宗教対立のために国の発展を阻害しないための策だろう。他国同様インドネシアも汚職への不満が反政府デモの一因とされているようだが、申請書類への窓口の対応を早めるため書類に紙幣を挟むのが通例という汚職横行の国でそれを理由に政権打倒を繰り返していたらどうなるのか?  私はアビー首相やジョコ大統領が反政府騒乱で打倒されるなら途上国の前途は暗いと思う

P.S.   前回の3600万人や2400万人は3600人と2400人の誤り。悪しからず。

2019年10月23日水曜日

令和天皇即位の式典

令和天皇即位に伴う式典はまだまだ続くようだが、外国のVIPを招いての昨日の正殿の儀と饗宴の儀で山場は越えたようだ。各紙により前例踏襲と前例見直しの比率の評価が分かれるのはやむを得ない。私自身は前例の扱いについての事前の検討が政権内でほとんど無かったらしいのは不満だが、結果には大きな不満はない。雅子皇后の元気な姿が見られたことが採点を甘くしているのか!
何しろ私は皇后と同じ二校で学んだので。

正殿の儀については私もより簡素なものを望んでいたし、万歳三唱は無くもがなと今も思うが、式全体については中国文化の影響はあろうが各国が独自の式典を披露することは悪くないなと少し意見を改めた。昨日の式典の全費用が160億円と前回の123億円より増加したとのことだが、国家予算がその間66兆円から101兆円に増加していることを考えれば抑制気味と言える。

饗宴の儀についても参加人数が前回の3400万人から2600万人に減らし、前回の7回を4回にして後半の2回立食形式に改めたという。もっともそれは「皇后さまの体調への配慮もあると見られる」( 『東京』)とのことだが、これが前例となる可能性は大だろう。恩赦が行われるのは不満だが、人数が前回の4分の1になったのは一歩前進ではある。

共産党は式典に欠席したという。それに賛否はあろうが、結果としてわが国が政治的自由を重んずる国であることを示した点で良かったと言える。銀座での400人ほどの式典反対デモも同様である。今後も暴力を伴わない限り意見表明は自由であるべきである。

君主制を廃止した中国や韓国の国民は今回の式典を時代遅れの愚行と見ただろうか。私はそうした人ばかりでもないと思うが果して............。

2019年10月17日木曜日

山中伸弥氏の思索

昨夜のNHK  BSプレミアムの『100年インタビュー』はiPS細胞研究の山中伸弥氏へのインタビューだった。私はこの番組をこれまで見たことがなく昨夜も偶然に途中から見たので、番組の紹介者としておよそ不適任だが、氏の思索の深さに感銘を受けたので書く。

最近の遺伝子工学の実状に疎い私は人間の遺伝質、例えば障害に関係する遺伝子の除去技術などの進歩に驚くばかり。逆にスポーツ選手のレベルを将来高めることさえ可能らしい。科学の大いなる進歩という他ないが、問題はそれほど単純ではない。

障害を持つ子どもの誕生の減少をめざす技術の進歩は親にとっても社会にとっても望ましい。じじつ、その可能性を知った親の9割は妊娠中絶を選ぶと聞く。私も当事者ならそうするだろう。どれほど障害者を助ける技術が進歩しても生活上の不便は健常者の比ではないだろうから。しかし、それはナチスが利用した優生思想とどれほど違うのか。

むろん、誕生した障害者の生命を絶つことと遺伝子操作で予防することの違いは大きい。しかし、遺伝子操作はすでに神の領域を侵していると見ることもできる。他にも遺伝子操作の失敗が恐るべき病原菌を地上に誕生させる可能性すら考えられるとのこと。斯界の先頭を歩む山中氏が研究の進展がもたらす地球大の影響に想いを致す姿に、氏の誠実さとともにパイオニアの苦悩を感じざるをえなかった。


2019年10月15日火曜日

韓国法相の辞任

韓国のチョ・グク法相が辞職したという。新聞休刊日のためテレビ報道だけからの知識なので、三大不祥事?のどれが主因となったかは分からない。世論調査での政府支持率の低下が原因とも言われるが、それほどの低下とも思えなかった ( 安倍内閣ほどでない?!)。やはり、反論が困難な証拠が出たということか。

仮にチョ氏自身が娘の不正入学などに関わっていなかったとしても家族が関係していたとすれば、朴前大統領のケースに照らしてもやはり辞職ものだろう。朴氏の退陣の場合自身の娘ではなく、いかに親しいとは言え相談役が自分の娘のため犯した不正入学だったし、馬術の腕前はオリンピック級だったなら日本の私大ならスポーツ枠で大手を振って入学していただろう。

前大統領はいかがわしい人物の助言に左右されていたという。しかし、両親がそれぞれ別の事件で非業の死を遂げた朴氏が味方と信じた人の助言に頼ったからといって、退陣はやむを得ないとしても長期刑に値するとは私にはとても思えない。それでもそれが正しいというなら、チョ氏の辞任は当然すぎるほど当然だろう。

こうした ( 家族の?)不祥事が無かったなら、チョ氏は将来は大統領になっておかしくない逸材だったかもしれない。いつかその才能を最高指導者として母国に役立てる日を期したら良い。あまり寛容とは思えない韓国国民がそれを許すとすればだが。

2019年10月13日日曜日

台風報道

19号台風が去り、首都圏は文字通り「台風一過」の好天となった。台風の被害は意外にも東京よりも北関東や長野県や東北地方の方が大きい印象である。我が家も珍しくLED懐中電灯や ( ラジオ用の ) 電池や車からケイタイに充電するインバーターまで買い整えたら空振りに終わった。

驚いたのはNHK総合テレビが昨日一日中切れ目なく台風情報を流し続けたこと。我が家の場合、台風が東京の西側を通るか、15号台風のように東側を通るかによって吹く風が東南の風 ( 北斜面にある我が家に影響無い ) か西北の風に変わる。そのため台風の上陸地点が気になり、ほとんど一日中NHKニュースをつけっぱなしだった。けっきょく台風の目が頭上を通ったのか?、東風とも西風ともつかぬつむじ風が吹いただけで15号台風の時のような被害は無かった。しかし、駅を中心とする一帯は多摩川の溢水による水害を恐れて住民に退去命令が出されたようだ。

今回、NHKテレビの一日中切れ目の無い台風報道は首都圏だけでなく名古屋でも同様だったと聞く。日ごろ九州や中国地方の台風報道に正直もういいよと感じることもあった。今度は関西以西の視聴者は首都圏の台風情報を一日中聞かされたとすれば気の毒である。最近の我が国では人命に関わる事態の報道は最優先される。それに反対するわけが無いが、もはや台風が来るはずもなく台風報道の必要を感じない人たちへの予報報道は東京中心意識の発露と思えなくも無い。

2019年10月9日水曜日

400勝の栄光に包まれて

プロ野球選手の金田正一投手が亡くなった。それで初めてかれがわたしと同年齢と知った。もうその死が惜しまれる年齢ではない?が、一度も球場でその英姿を見なかったことが悔やまれる。

高校3年の途中からプロ入りした彼の活躍に私が気づいたのはかなり後のこと。私自身が受験や大学での新生活に忙しかった ( 学生運動が盛んな時期で、ノンポリの私でも無許可デモ?に参加し、道玄坂で警官に追われた!)ことや、弱小チームだった国鉄スワローズの試合がテレビ中継されることが少なかったこともあるのだろう。はっきり記憶にあるのはやはり新人の長嶋を4連続三振した時から。

ジャイアンツ打倒を売り物にした中日の星野や阪神の村山ほどでは無かったろうが、やはり巨人軍に強い対抗心を持っていたに違いない金田がその後巨人に入団したのはアンチ巨人の私には納得いかなかった。しかし、弱小球団の投手の悲哀を多年味わった彼を責める気は無かった。

のち、テレビの野球解説でも彼の声をたびたび聴いた。元巨人の某氏が日本テレビの常任の解説者だったから金田がゲストとして参加していたときのこと。某氏が、打球を足に当てて痛がっている選手に対し「びっこをひいている」と評したが、不適切な言葉と感じすぐ自分で言い直した。ところが、「チンバになった」とさらにきつい言葉を使ったためすっかり動転し、金田に助けを求めたら、彼は平然と「足を引きずっていますね」と応じた。その機転には感心させられた。某氏は他にもある洋酒メーカーがスポンサーの試合中継で、選手の好プレーを「サントリー?のような爽やかさですね」とライバル社の名前を口走ってアナウンサーに誤りを指摘され、うろたえたこともあった。

金田正一投手のように弱小球団に所属して400勝を挙げる投手は二度と現れないだろう。冥福を祈る。

2019年10月8日火曜日

『いだてん』の時代

最近二回分のNHK日曜時代劇『いだてん』を録画で見た。じつは同ドラマを見るのは初めてである。評判が良いとは聞いていたのだが、ストーリーにそれほど関心が持てなかったのと、主演者で金栗四三役の中村勘九郎がひいきで無かったこともある。先週ぐらいから主役が阿部サダヲ ( なかなか味がある役者だ ) に変わったらしいことも見始めた一因である。

NHKが来年の東京オリンピックを盛り立てたいと考えて企画したとは思わないが、日本 ( と言うよりアジア ) に最初のオリンピックを招致するために努力を傾けた人たちの物語は或る意味で昭和史そのものである。

太平洋を横断する船旅に13日を要した時代にヨーロッパ生まれのオリンピックを日本に招致することがどんなに大変なことだったか。ようやく誘致に成功したというのに愚かな軍人たちが起こした愚かな戦争のために返上を余儀なくされ、選手たちの何人かは戦地で果てた。

最近の巨大化し商業主義に染められたオリンピックの招致に私は全面的に共感はできない。しかし、それでもオリンピックが「平和の祭典」であることは否定できない。現在とは比較にならない困難な時代にオリンピックの招致に尽くした人たちの努力は顧みられるべきだろう。


2019年10月1日火曜日

香港人の苦悩

今朝の朝日新聞の『特派員メモ』に香港の抗議デモを取材中の記者の何とも切ない報告が載っている。報道用の装備で汗だくの取材中にカフェでコーヒーを注文したら客の一人が代金を払ってくれ、戸惑う記者に「香港のことをしっかり伝えてくれ」と依頼された。その直後に遅れて来た同僚がコーヒーを注文すると店員の女性が、「次は私の番。頑張って」と再びおごってくれた!

香港政府は抗議運動の発端の逃亡者条例を撤回したが、それ以上の一切の譲歩を拒んでおり、五大要求の貫徹を求めるデモ隊と警察の抗争には火炎瓶さえ登場してきた。政府があと一項目でも要求に従えばデモ隊の面目は立つのに..........。

天安門事件の再現はまさかとは思うが楽観はできない。本土政府の狙いは香港人の分裂だろう。百日近い対立による本土の観光客の減少や商店の営業困難などが経済界への打撃となれば世論も分裂しかねない。ここはあくまで秩序立った抗議にとどめるのが賢明だろう。

それにしても香港の事態を伝え続けるしか香港人の願いに応えられないのはもどかしい限りである。香港人だけではない。子どもに米国籍を与えるため米国で出産する本土人が少なくないという ( 『産経』2018. 11. 4 )。将来の亡命の準備である。住民から針一本奪わないとうたわれた人民解放軍が建国した国の70年後の現実である。

2019年9月29日日曜日

韓国の「反日批判」本

今朝、NHKのニュース番組『おはよう日本」にスイッチを入れたら、「韓国でベストセラー   反日批判の本 なぜ」との話題を取り上げていた。

『反日種族主義』と題されたその本 ( いつかきっと邦訳される!) はソウル大学経済学部教授を筆頭にほか6人の筆者が分担執筆している由。経済学者らしく「日帝支配」時代に朝鮮経済は大幅に発展したとの論考をはじめ、社会の各分野にさまざまな発展が見られたとの内容の本書が韓国でベストセラーになったとのこと。我々からすると驚くような内容ではなくとも、韓国の学校教育を受けた人たちには新鮮な内容なのだろう。本書の読者に限った反応は、肯定51.8% 、否定45.7%だという。

この賛否率をどう感じるかは人によりさまざまだろう。肯定が予想以上に高いと感ずる人 ( 私も ) も少なくないと思うが、こうした書物を手にする人たちは自国の主張を無批判に受容しない人が多いのかもしれない。私としては本書の寄稿者たちの道徳的勇気を心から讃えたい。我が国で政府の方針を批判するのとは段違いの勇気を要すると思うから。

何日も前、「韓国政府が親日を糾弾」との見出しの記事を見て愕然としたが、同国では「親日」とは「親日派」を意味すると思い出して我にかえった!  今回の『反日種族主義』が広く読まれれば「親日派」が普通の呼称になるだろうか。そう願いたいものである。

2019年9月27日金曜日

「建前論」の危うさ

最近、山下泰裕JOC会長がJOCの運営委員会?の討議を「本音の議論ができないから」という理由で公開から非公開に改めると決めた。それに対し、『毎日』( 9月24日 )の読者投稿欄『みんなの広場』に、「本末転倒も甚だしい」として、JOCは正々堂々の運営をせよとの意見が載っている。一見、誰も反対できない正論だが、本当にそうだろうか?

山下会長が本音の議論が出来ていないと感じたのは相応の理由があるのではないか。スポーツ団体には各競技にオリンピックや世界選手権のメダリストがおり、金メダルや銀メダル保持者ともなれば彼らの影響力は大きいようだ。実業界から学界まで事情は同じだろうが、メダルの有無や等級ほど序列が明白ではない。その結果、最近でも体操の某夫妻や重量挙げの某一家のように過去の偉大な成績の権威で小帝王と化した例が少なくないとすれば、その権威に公然と反対することは委員には困難だろう。

山下会長はその弊害を何とか正したいと考えたのではないか。柔道だけでなく国際スポーツ界でも仕事をしてこられた氏の判断を私は尊重し、期待したい。



iCloudに家人の助けを借りて平瀬徹也写真集  天地有情  を載せました。上の記号を転記すれば誰でも見れるらしい。それが可能な人はどうぞ!

2019年9月23日月曜日

親方の国籍条項は不当か?

ろろろろ大相撲秋場所は直接対決で御嶽海が貴景勝を敗り優勝坏を手にした。両横綱に衰えも見られるこの頃、相撲協会にとって若手トップの両者による優勝決定戦は理想的な結末だったろう。角界も主役交代の季節となったのだろうか。

先日には白鵬が親方になるために日本国籍を取得した。本人にとっては不本意だったろうが、私はやむを得なかったと考える。一昨日の『読売』に、外国生まれで最初に親方を目指し日本国籍を取得した高見山 ( 東関親方 ) のインタビュー記事が載っている。

ハワイ生まれの高見山にとって親方の国籍条項は「正直、差別されたような感情を持った」のは理解できる。まして既に名跡 ( 親方株 ) を多分大枚払って入手した彼の不満は無理もない。しかし現在「相撲協会に長く身を置いた者の実感」として、国籍問題を「今の時代感や感情論だけで言ってはいけない」と思うとのこと。

「外国籍の人が一人、二人なら何でもないと思うが、ルールがなくなれば安易に増えていく可能性がある」。 じじつモンゴルには日本の力士をめざし子弟を教育する学校まである現在、国籍条項が無ければいつか親方の過半数が外国人となる可能性は低くない。

長い間わたしは勝った力士がインタビューで不愛想な受けごたえをするのが不満だった。失礼にもしゃべるのが下手な人たちなのだとさえ思っていた。しかし、そうした場でとくとくと勝利の感想を語るのは負けた相手への配慮に欠けると感じるからだと聞いた。相手を土俵に叩きつけることも多い相撲では確かに一定の節度があってほしい。

相撲にはスポーツと割り切れない面がある。わたしは勝った力士が土俵上でガッツポーズをする姿を見たくない。他のスポーツでは当たり前であっても。

P.S.   原田選手がバッケンレコードを出したのがバドガシュタインと以前書いたが、ガルミッシュ・パルテンキルヘンの誤りでした。また、関西のでドラマでツクツクボウシが鳴いていたのはおかしいと書いたのは確かヒグラシの誤り。名古屋以西でもツクツクボウシやヒグラシは鳴くならどうかご教示を!

2019年9月15日日曜日

パリのストライキ

昨日 ( 9月14日 )の東京新聞に「公共交通   大規模スト   退職制度改革に反対   通勤客はうんざり」との記事が載っている ( 他紙には無いようだ ) 。パリ交通公団の職員たちが退職年齢を50歳から52歳に延長するとの当局の提案に対しストライキで応戦しているとのことである。

我が国の交通機関のストライキもかつて年中行事だった頃があったが、いまや絶滅危惧種のように稀になった。ヨーロッパでも交通ストはあまり聞かれなくなったが、ほとんど唯一の例外はフランスである。しかも、退職年齢の2歳延長がストライキの理由となるところがいかにもフランスらしい。

現在の我が国の民間企業の退職年齢は60歳から65歳に延長中といって良いだろう ( さらに70歳への延長も取り沙汰されている ) 。ともあれ日本の労働者が定年延長に反対してストライキを敢行するとは考えられない。そこには彼我の退職後の生活保障の問題も絡むかもしれないが、労働を苦役と捉えるか義務と捉えるかという労働観の違いもあるようだ。

19世紀も末に近く ( 1883年 )、フランスの社会主義者でカール・マルクスの娘婿だったポール・ラファルグは『怠ける権利』という著作を書いた ( 邦訳 1972年  平凡社。  のち、新版あり ) 。もちろん、資本家による労働者の搾取に反対する趣旨だろうが、我が国ではなかなか思いつかないタイトルではある。

以前に書いた気もするが、四半世紀前に私のパリ滞在中にパリの空港関係者のストライキで、かれらが滑走路上でデモをおこないエアラインの発着を阻止する場面をテレビで見て驚いた。我が国なら人命を危険にさらすとして世論のひんしゅくを招きかねない。善悪は別にして国民性の違いに驚かされる。

2019年9月11日水曜日

台風に弱い現代社会

台風15号による千葉県を中心とする被害は直接の被害もさることながら停電や断水による被害が大きいようだ。電気や水道水の供給は現代では当たり前のインフラなので、それが断たれた時の不便さは深刻なものとなった。

我が家の場合電気や水道の中断はなく、風害も直径5センチほどのタラの木が倒れ、庭一面の柿などの落ち葉の片づけ程度で済んだ。しかし、交通途絶の影響はチョピリあった。

9日は西に10キロほど離れた八王子の病院への月一回の通院の日だったので交通機関 ( 京王電鉄 )の状況は前日から気がかりだった ( 午前9時の予約 ) 。翌朝、午前8時すぎに復旧とテレビで知ったが、当初の混雑が予想されたので9時半すぎに家を出た。幸い下り電車は15分ほど待っただけで混雑もなく乗車できたが、反対の新宿行きのプラットホームは乗客でいっぱいだった。15分間に来た2回の上り電車 ( 各駅停車のみ ) は到着時すでに満員だったのでホームの人数は半分しか減らなかった。各駅も同様とすれば新宿にはいつもの倍の時間がかかるだろう。通勤のサラリーマン ( ウーマンも ) の苦労には同情を禁じえなかった。

病院到着は予約時間より2時間遅れとなったが、担当医も道路の渋滞は大変だったとのこと。遅刻はお互い様だったようだ。

2019年9月7日土曜日

旧人類の教育観

最近の ( 大学以前の ) 学校教育ではアクティブ・ラーニングだの問題解決学習だの、旧人類には一読しただけでは判然としない学習方法が推奨されているようだ。従来の暗記中心の学習や教師の一方的知識伝授式学習への反省が最大公約数らしく、素人はそこから内容を推測するほかない。

問題解決能力を磨くことに反対などあるはずもないし、欧米と比較しても我が国の教育が知識注入式の色彩が濃いのは事実のようだ。欧米に追いつくのが主眼だった時代からはもう脱すべきだろう。ただ、的確な判断は多くの事例を知ることで強化されるとは言えるだろう。温故知新も一面の真理である。

問題解決型教育の一環なのか、大学の国語入試問題に企業内文書 ( 取扱説明書のような ) の理解力をテストする問題が出題されるとも聞く。それに反対ではないが私の個人的経験では古代から近代に至る日本文学に親しむきっかけを与えてくれたのは国語教科書や副読本のでのそれらの抜粋だった。教養とか情操を育てる教育の必要も忘れたくない。

大学受験時代の私はこんな事をしていて良いのかと危惧しながら徳富蘆花の『自然と人生』や【みみずのたはこと』を愛読していた。ところが受験した大学のその年の国語問題の一部は『自然と人生』からの出題だった。私は「やはり神様はいる」と心の中で叫んだ !

2019年9月3日火曜日

池内紀『ヒトラーの時代』( 中公新書 ) を読んで

ヒトラーとナチズムに関してはわが国でも翻訳書を中心におびただしい著作が公刊されており、日本人史家による著作も少なくない。それなのにドイツ文学者として広く知られる池内氏が今夏ヒトラーにかんし一書をものしたのは、氏がその高い文化を心から敬愛する「ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」( 本書の副題 ) を問わずにはいられなかったからだろう。本書はその意欲が生んだ力作である。

本書が論ずるのはおよそ1930年代後半までのヒトラーとナチスの歴史であり、ヒトラー伝の著者トーランドが、「もしこの独裁者が政権四年目ごろに死んでいたら、ドイツ史上もっとも偉大な人物の一人として後世に残っただろう」と評したほどに経済恐慌と社会の混乱からドイツをめざましく回復させた。しかし、その一方で政権当初からユダヤ人への無慈悲な迫害は同時進行的に進行していった。

本書の長所はヒトラーの肖像解析などもあるが、類書に無い ( 私の知る限りだが ) 一章として、ユダヤ人出版社からナチス治下 ( 1939年 )で刊行された『フィロ・アトラス』( フィロは出版社名 ) という題名の亡命者向けマニュアル本の紹介がある ( ナチスはこの段階ではユダヤ人が自ら国外脱出すれば好都合と考えていたのだろうか?  実現性は疑問だがナチスはユダヤ人のマダガスカル島への追放を計画していたとも言われる )。

『フィロ・アトラス』は亡命全般に関し実用書に徹しており、とりわけ移住先の情報は亡命者にとり貴重だったろう。ブランコのスペインとともにソ連やポーランドが推賞できない国とされているのは慧眼だった。逆に左翼からファシスト的独裁国とされたポルトガルには好意的判定だった。じっさい同国は大戦中10万人近い亡命者を受け入れた。

ともあれ新書版ながら本書は新しい角度からヒトラーとナチスを考えさせる良書だと思う。

2019年8月29日木曜日

セミの分布

数日前、自宅でツクツクボーシの声を聞いた。やはり秋は確実に近づいていると感じたら、また夏日の再来となり、ツクツクボーシも鳴かない。セミは温度に敏感なようだ。

今日の『朝日』の夕刊に「ミンミンゼミ  分布の謎 」という記事が載っている。関西出身の記者が「自然度」の高くない同地にミンミンゼミは「ほとんど見られない」と書いたら読者に、同じく「自然度」の高くない「東京では都心にミンミンゼミがいる」と指摘され、東京に転勤してそれが正しいと知った。「自然度」とは無関係だった。

関東産だがのちに名古屋地方に住んだことのある私は、子どもの時からツクツクボーシの声は馴染み深いが名古屋で聞いたことはなかった ( 私の記憶では ) 。したがって以前に名古屋より西の関西が舞台のテレビドラマでツクツクボーシの鳴き声が流れたので、製作チームは関西に無知な関東人たちだと思った ( 間違いならゴメンナサイ )。 

上記の夕刊によれば、セミの居住区については諸説あるが気温との関係は大きいようだ。最近の地球温暖化で関西では暑さに強いクマゼミがアブラゼミを駆逐して生息域を拡大し、関西よりは低温の関東では未だアブラゼミが主流?とのこと。

やはり一つの地方でミンミンゼミもツクツクボーシもアブラゼミも聴けるのが理想だが、温暖化の前には無駄な抵抗なのかも.........。

P.S.   前々回のブログで昭和天皇が自衛隊の「捧げ銃」を見て「ゾッとした」と書いたが、記憶が正確ではなかった。しかし「捧げ銃」のシーンを見てすぐまた「反省」を口にしたというのは旧軍に感じていた不快な思い出の故だろう。

2019年8月24日土曜日

いじめ防止には

8月も後半になり新学期が近づくと、いじめを苦にして自殺する小中高生が増加するということで自殺防止をテーマにした記事が目立つ。自殺者を出した学校や教育委員会は今後の課題として生命尊重の人権教育を強化するなどと表明するのが常だ。関係者たちは本当にその効果を信じているのだろうか。無難なお題目を唱えているだけではないのか。

いじめによる学校生徒の自殺が増加しているとすればその原因として少子化 ( 兄弟間での「揉まれる」経験の減少。兄弟間でもいじめは皆無ではない ) なども考えられるが、私には昨今の「子どもの権利」の主張に比例して教員の権威が低下した影響も小さくないと思えてならない。

子どもを天使のように純粋と考えるのは親の願望に過ぎず一面的である。逆に子どもは残酷であるとの認識も必要ではないか。教育 ( 広い意味での ) を受けるにつれて子どもは言って良いことと悪いことの区別を学ぶ。最近、外国人 ( とくに白人 ) とのハーフが芸能界やメディアで多く活躍している。子どもの頃はクラスで人気があったのではと想像したが、逆にいじめられたと答える人が多い。子どもは自分たちと異なる人間に対し無遠慮であったり不寛容であったりするのではないか。

子どもとは未完成な存在だろう。そうした子どもの世界で「子どもの権利」を言い立てれば教員の権威は確実に低下し、弱い子にとっては学校は地獄ともなるだろう。子どもだけではない。最近、精神的不適合や疾患による教員の休職が増えていると聞くが、教員の権威の低下と無関係だろうか。そうしたことから教員志望者の減少や質の低下を招くなら何より子どもの不幸である。

2019年8月20日火曜日

田島元宮内庁長官の『拝謁記』

田島道治元宮内庁長官は昭和天皇との5年間の詳細な対話録を残していた。今般、NHKがそれを入手し、NHKニュースで小出しに紹介するとともに、8月17日に「昭和天皇は何を語ったのか」との題で特集として一括放映した。 内容の相当部分はすでに『独白録』( 1991年 )などで知られていたが、後世の発言ではなく、当時書かれた「拝謁記」で後付けられたことの意義は大きい。

昭和天皇は既にマッカーサー司令官との会見で戦争の全責任を引き受けると語っていたが、同司令官の『回顧録』の記述だけでは断定は難しかった。しかし今回、天皇が講和条約成立に際しての談話に「反省」の一語を入れさせるべく1年間も固執したこと( 吉田首相の執拗な反対により反省表明は阻止されたが )が立証された。のちの記者会見で自身の戦争責任を問われて「そういう言葉のアヤについては」答えられないと答え責任回避との疑いを ( 私にも )抱かせたが、突然の質問に戸惑われたとともに政治的発言との批判を避けたかったのだろう。古川隆久氏の解説のようにこの問題については陛下は「腹ふくるる思いの連続」だっただろう。

東條陸相を首相に任命したことは外国にはいよいよ開戦を決意した人事と受け取られたろうが、当事者ともなれば陸軍も責任を自覚するのではないかとの期待からの窮余の策だったことは三笠宮崇仁親王の『オリエント史と私』でも強調されていた。今回それが天皇自身により確認された。天皇が南京虐殺を「まぼろし」などとは考えなかったことも自身の口から確認された。

戦後の再軍備に関してもその必要を説きつつも、「旧軍閥式の再台頭は絶対に嫌だ」と語っている。自衛隊の式典での「捧げ銃」にゾッとしたとの発言にもいかに軍部の専横を多年憎んでいたかがうかがわれる。

田島長官は天皇とのやりとりを記憶をもとに直後に手記にしたのだろうが、その記憶力には驚くほかない。願わくばもっと早く公開されていたら多くの誤解 ( 中傷も ) が正されていたろうにと思うばかりである。

2019年8月16日金曜日

慰安婦像の展示

「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」がSNSなどで激しい批判 ( というよりも脅迫 ) を浴び、当面中止となっているようだ。とくに韓国人作の慰安婦像の展示を中心に、中止の是非や展示自体の是非など批判や反批判が入り乱れているようだ。

芸術監督の津田大介氏の中止判断はやむを得なかったと私は思う。世の中には理不尽極まる行動をする人間が居り、警備にも限界はある。京都アニメーション襲撃事件の直後だけに観客や関係者の安全を優先したのは理解できる。

中止への口火を切った河村名古屋市長に対し大村愛知県知事が、中止は表現の自由を定める憲法に反すると市長を厳しく批判した。しかし、『読売オンライン』( 8月14日 ) によると知事は津田氏に慰安婦像展示を「本当にやるのか。展示はやめてもらえないか」、「実物ではなくパネルにしたらどうか」などと裏で働きかけていたという。津田氏の突然の辞意表明には判断の誤りへの同氏の後悔もあったのだろう。

一昨日の『朝日川柳』に、「芸術の衣をまとったプロパガンダ」との句が載っている。私も慰安婦像に関し川柳子と同意見である。しかし、表現の自由はプロパガンダ作品には及ばないとは言えない。ピカソの『ゲルニカ』は芸術であり、プロパガンダでもある。それでも、県や市が何億円もの助成金を支出したイベントに、国際法を無視して大使館の前に展示されている像の出品は妥当だろうか。脅迫など絶対に許されないが、純民間の催しに出品された場合とまったく同じように考えるのが当然とまでは思わない。

P.S.  前回のブログでガダルカナル島での日本軍の敗北を大本営は「撤退」と発表したと書いたが、実際は「転進」だったと思う。最近の物忘れは酷くとも昔のことは忘れていないと信じていたが........。

2019年8月13日火曜日

日本軍の玉砕戦

例年通り、あるいは今年は例年以上に8月に入りメディアの戦争回顧の番組や記事が多いと感ずる。8月11日夜のNHKスペシャルが取り上げたガダルカナル攻防戦は興味深かった。

日米両軍による同島の攻防戦は米軍の勝利に終わったばかりか、太平洋戦争全体の転換点になったことで知られる激戦だった。しかし、戦争中は同島での日本軍の全面敗北は「撤退」と糊塗された。ようやく戦後になって日本軍の兵士たちは兵站 ( 物資の補給 ) を絶たれて主に餓死したと知られ、同島は「餓島」とも呼ばれた。

日本軍内の陸軍と海軍の対立と兵站軽視はこれまでも指摘されてきたが、今回の番組ではガダルカナルでその両者が結びつき、陸軍と海軍の連携さえ極めて不十分だったことが大量の餓死者を生む原因だったという ( 私にはそれ以上に日米両軍の圧倒的な物量の差が印象的だったが ) 。

ガダルカナル奪回作戦の失敗以後、太平洋の島々では日本軍 ( 軍属や民間人も ) の玉砕戦が常道のようになった。そのひとつにギルバート諸島のタラワ・マキン両島 ( 現キリバス共和国 ) での海軍陸戦隊の玉砕戦があり、司令官の柴崎少将の死は新聞で「軍神」並みの派手な扱いとなり、東京で盛大な葬儀が営まれた。

当時は世田谷区の小学校の4年生?だった私は、柴崎少将の遺児の同級生だった。玉砕が公表されると、どの新聞かは記憶にないが遺児の写真を撮りに来た。たまたま校庭に同級生が数人いたので騎馬戦の写真を撮ることになり、柴崎君と私が騎乗役となった。ところが最初から私は劣位を強いられ、写真を撮られた。大人にとっては当然かもしれないが、小学生には納得できなかった。私のメディア不信はここに始まった??

2019年8月8日木曜日

『 アフター・ヒトラー 』を見て

NHKの「BS世界のドキュメンタリー」で2回にわたり『アフター・ヒトラー 』と題する放送があり (5月9日10日 )、遅まきながら録画で最近見たが、かなりのショックだった。

ナチスドイツの蛮行はこれまで数多く紹介されてきたが、『アフター・ヒトラー』は敗戦直後のドイツ人が経験した苦難を取り上げていた。その中心は占領ソ連軍下のベルリン市民の受難 ( 無法状態 l) と、中東欧諸国からのドイツ人追放である。

ドイツ軍は対ロシア作戦でおそるべき大殺戮を重ねた。ナチス占領下の西欧や北欧の住民もつらい日々を過ごしたが、ユダヤ人を除けばロシア住民の苦難とはレベルが違っていた。前者はナチスの人種理論に忠実な殺戮だった。

ナチスにとって最悪の敵だったドイツ共産党のテールマン書記長は終戦近くまで、ナチスの獄中ではあれ生存していたし、敗戦時のフランスの指導的政治家や軍人はドイツの強制収容所ではあれ特別待遇で終戦を迎えた。米英軍の捕虜も映画『 大脱走』に見るようにいちおう戦時捕虜の待遇を受けていた。ドイツは東と西で別の戦争を戦ったと言われるゆえんである。その意味ではソ連軍占領下でのドイツ住民の苦難は因果応報とも言えた。

他方、大戦中ドイツの占領下にあった中東欧諸国では戦後1300万人のドイツ系住民が追放され、苦難の末ドイツに帰国した。ドイツ支配時代彼らがどう振る舞ったにせよ、その大多数は何百年もそこで暮らしてきたドイツ系住民だった。その実態は「 民族浄化 」としか言いようがない ( 当時はそういう言葉は無かったが ) 。

「アフター・ヒトラー」が戦勝国の一員であったフランスのテレビ作品だった ( J. J. セルバンシュレベール製作 )ことがひとつの救いだった。


2019年8月5日月曜日

文在寅政権の本質

日韓関係は予想通り悪化の一途をたどっている。「カサンドラの予言」はしたくないが、やがて、8月現在の関係悪化もまだそれほどでは無かったと今後回想されるかもしれない。

紛争の発端の半導体製造上の必要物資の優遇措置の廃止について日本政府は安全保障上の措置であり、戦時中の徴用工問題などへの政治的報復措置ではないと説明した。韓国人ならずともその説明に納得する人は日本人でも少ないだろう。それに続く韓国へのホワイト国扱いの廃止に対して、TBS系のJNN世論調査では「妥当と思う」が64%、「妥当と思わない」が18%とのこと。日本国民も政治的報復と感じているから出る数字だろう。それにしても日本政府の措置が「盗人たけだけしい」との文大統領の発言は激しい。

我が国に対する文政権の非友好的と映る行動は、じつは同政権が革命政権であると考えれば理解できる ( 是認するではない ) 。たしかに文大統領は韓国民の自由な選挙の結果誕生した。その正統性は否定できない。しかし、それまでの国家間の約束を次々と無にして当然と考えるのは革命政権なら普通のことだろう。前大統領を犯罪人とするのもそれで納得される。

革命政権に対しては他国は、従来の特別待遇の存廃どころではなく、新政権を国家として承認するか否かを決める。しかし今回はどんなに激しい政争があったにしても韓国民が選挙で現政権を選んだ事実が本質を見えなくさせている。

日韓関係の悪化により我が国も少なからぬ経済的損失をこうむるだろう。しかし、韓国のこうむる損失はそれどころでは有るまい。革命政権はそれを意に介さないだろう。韓国民も同じかは分からない。


2019年7月30日火曜日

古書店も欲しがらない復刻版文学叢書

裏のフェンスの取り替え工事に際して邪魔になる可能性のある倉庫の中身を前もって取り出した。本当に小さな鉄板製の倉庫なのに、30年を超えて積もったホコリにまみれた中高生時代の教科書などの古本類の多さにびっくり。その中に「漫画少年別冊」の手塚治虫の『火の鳥』の2号と3号があった。最近のお宝番組で漫画本でも希少本なら馬鹿馬鹿しい高値が付くことが少なくない。もしやと思ってインターネットで調べたが、どちらも300円未満らしく、夢ははかなく消えた!

今回出現した古書の中に宮澤賢治の『注文の多い料理店』の復刻本が表紙はボロボロになりながらも出てきた。以前にこのブログで言及したような気もするが、明治大正昭和3代の代表的な小説類三十数編を初版当時の装丁のまま完全復刻したほるぷ社の叢書 ( 昭和49年 ) を当時10万円前後で購入した。恥ずかしながらほとんど読まなかったので『注文の...』以外は新品同様。終活の一環として文学書専門の某古書店に売却しようと電話したら、倉庫が満杯なのでと見事に断わられ驚いた。当時は全巻揃っていると思っていたが、今回ようやく揃ったのだが......。

もう読むことも多分無いので誰かに無償で進呈したく、幸い旧同僚が引き受けてよいと言ってくれた。しかし、彼は私より2歳ほどの後輩なので、遠からず?ご子息にとって ( 我が家と同様 ) 迷惑物となるので躊躇せざるをえない。専門書がほとんど無価値と評価されたのも悲しいが、復刻版の文学書も例外ではなかった。こんなご時世になろうとは..........。私は長生きしすぎたのだろうか!


2019年7月29日月曜日

だれに「おもねる」のか

 NHKの報道姿勢が政府寄りで偏向しているとの批判はなんら新しいものではないが、今回の参院選で「NHKをぶっ壊す」と主張する党が国政に名乗りをあげ議席を得たことには驚いた ( 私は視聴率競争を重視せざるを得ない民放だけになって欲しくないので )。しかし、同党の「結党目的」を読むと前記のスローガンほど過激ではなく、「偏向是正」を目的とするわけでもないようだ。

昨日の『毎日』の読者投稿欄に「今のNHKは信用できない」との題の文章が載っている。投稿者は「現経営陣によるNHKを私は信用していない」「NHKのニュースを見る度に、政権におもねるも検閲が行われているのではないかとの疑念が湧き......」と書いている。しかし、メディアが「おもねる」対象がつねに政権と考えるのは単純極まる。メディアにとっては「世論」におもねる方がずっと容易である。新聞社にとっての購読部数、テレビにとっての視聴率はメディア各社の死命を制する。それに対する反論としてはテレビ局に対する放送免許の取消や不更新の危険があるが、現在の我が国で政治的理由による中央キイ局の廃止などできるとは思えない ( 内閣が吹っ飛ぶだろう ) 。

一時期、籾井勝人前NHK会長の政権に「おもねる」姿勢がメディアで再三批判された。私もNHKは政府の方針を無視できないとの意味の発言は問題だと感じた。しかし、のちに籾井氏の問題発言はNHKの国際放送に関してだと偶然知った。私は国民の視聴料で支えられるNHKの国際放送が対外的に政府批判を繰り広げるのはどうかと思う。

最近、上田良一新会長が板野NHKエンタープライズ社長を本社の専務理事に呼び戻した。しかし、『朝日』( 5月23日 )によると籾井氏は「 板野氏と政権との関係が強すぎる」として「1期2年で総局長を退任させ『彼を絶対に戻してはいけない。NHKの独立性が失われてしまう』と当時の朝日新聞の取材に対しても口にするようになった」とのこと。

私は上田、板野両氏について何も知らないので批判する気はない。しかし、『朝日』が籾井氏の自社の取材中の発言を当時報道せず、今頃明かすのは納得できない。

2019年7月25日木曜日

松方コレクション展によせて

現在、上野の国立西洋美術館で開催中の松方コレクション展に合わせて、NHKの『日曜美術館』で「3000の数奇な運命   松方コレクション百年の旅路」が放映された ( 7月14日 )。最近ようやく録画で鑑賞したが、一昨日 ( 23日 ) にBS日テレの『ぶらぶら美術館・博物館』でも同展を紹介していた。両者には数字など細部で違いもあったが、断片的にしか同コレクションの由来を知らなかった私には教えられることが多く、感動を禁じえなかった。

よく知られているように同コレクションは、第一次世界大戦中に莫大な利益を得た「川崎造船所」( 船の需要は無限だった ) の経営者の松方幸次郎が英仏両国で買い集めた3000点に達する絵画や彫刻などを指す。両国人の優れたアドバイザーにも恵まれ大金を投じて買い集めたが、一方で富豪の道楽買いと見られもした。その面が無いとは言えないが、最近、特定の絵を入手して大層喜んだ手紙も明らかになり、必ずしも量だけを追い求めたわけではなかった。さらに文中には日本人が「西洋人の心を理解する手助けをしたい」とのコレクションの目的が記されており、同胞の西洋理解を深めることも目的だった。

しかし、3000点の美術品の半ばは関東大震災の猛火により失われ ( NHK ) 、日本政府が「贅沢品」輸入!に100%の税を課するためロンドンに保管中だった900点は第二次大戦中のロンドン空襲により失われた ( 同 )。パリに保管された400点はドイツ軍の進駐の前に郊外に疎開され喪失を免れたが、戦後の返還 交渉( 大戦中の日本はフランスの敵国だったため「返還」ではなく「没収品の寄贈」と見做すフランスは、20点を返さなかった !)でフランス政府は散逸しないよう単一の美術館への収納を「寄贈」の条件とした。こうして国立西洋美術館が誕生した。

第一次大戦終了とともにわが国の戦争景気は終わり、昭和恐慌の中で川崎造船所の経営も破綻した。社員にとっては社長の美術品道楽も一因と感じられたことだろう。しかし、大きく異なる文化を持つ日本人に「西洋人の心を理解する手助けをしたい」との松方幸次郎の高い志は失われなかったと言えるだろう。そして、そうした志は松方だけでなく多くの明治人に共通したものだったろう。

2019年7月23日火曜日

失敗は成功の母

メディアでここしばらく格好のテーマにされていた参院選挙が終わった。改憲を目論む三党の議席が3分の2に達しなかった事実を新聞各紙は強調しているが、いささか苦しい。モリカケ問題から始まり度重なる失言や年金問題を考えればむしろ与党の勝利だろう。

野党の不振の理由はいくつか考えられるが、何と言っても民進党政権の失敗が未だ有権者の記憶に残っていることが大きいだろう。しかし歴史上、保守派政権の無能や悪政を批判して政権交代を果たしたものの改革を実現できずに退陣した左派政権の例は珍しくない。

そうした先例の嚆矢と言えるのが1929年成立のマクドナルド内閣の失敗である。英国史上最初の労働党単独内閣は折からの世界恐慌という不運もあり分裂崩壊し、第二次大戦直後のアトリー内閣まで労働党は長い雌伏の期間を迎える。しかしその間、チャーチルの戦時 ( 挙国一致 )内閣に入閣して得た統治の経験を生かして戦後、世界最初の無料の医療保険制度 ( 今日でも外国人も無料。行き過ぎとの批判はあるが ) の導入など大きな改革を成し遂げた。失敗は成功の母ということだろう。

それにしてもナチスドイツを打倒した英雄のチャーチルを戦後ただちにお払い箱にした英国国民の冷静さ ( 政治的成熟 ) には驚く。現在のEU脱退問題をめぐる混迷が嘘のようである。国際統合と国家主権の間の妥協はそれほど難しいということなのか.........。

2019年7月21日日曜日

大量放火殺人に想う

川崎市登戸の私立学校生殺傷事件をはじめ最近痛ましい事件が続いたが、放火殺人事件としては過去最大級と聞く京都アニメーション社の大量殺人事件は痛ましさも最大級である。

私自身は京都アニメーションの社名も知らなかったし、作品名も一つぐらいしか記憶にないが、日本のアニメ作品が世界でも高い評価を得てファンも世界に拡大しているとは聞いていた。何よりも、作画を愛し希望かなって入社した若い人たちの大量死にはこんなことがあって良いのかと思う。不満を抱いた元社員の復讐といった事情 ( だから許されるというものでは無論無いが ) すら無さそうだ。他人の私からしても憎んでも憎み足らない犯罪である。

死刑制度を容認する私でも絞首刑といった残酷な処刑方法は改めて欲しいと思っていた。しかし今回は「八つ裂き」といった苦痛に満ちた刑がないのを残念に思う。被害者やその家族もかならずや同じ思いではないか?  死刑廃止論者はどう反論するだろうか。

一昨日の東京新聞のコラム『筆洗』( 『朝日』の「天声人語」や『読売』の「編集手帳」に当たる )に、「世の中に想像を超えた蛮行をためらわない人間が、やはりいるという事実が今は重い」とある。全く同感だが、同紙がこれまで死刑制度にどういう意見を表明していたか知りたい。事後の「ワニの涙」ならもう沢山である。

2019年7月16日火曜日

フェンス工事が終了

今月早々に始まった我が家のフェンス取り替え工事が連休前に予定通りに終了した。梅雨期のため工事期間の延長も計算済みだったが、さいわい関東地方は曇天ながら雨は降っても夜間だったのが幸いした。

フェンス取り替えと言っても道路に面した南面はずっと以前に改築していたので、斜面に面した北面のフェンスの取り替えだった。金網式のフェンスは半世紀を経て見栄えは悪くなっていたが、下の道路からわざわざ見上げる人もいないので私は気にならなかった。しかし、ブロック部分が一部崩れかけていたので家人の要望に従った。

ということで私個人はあまり気乗りのしない取り替えだったが、完成してみるとやはり気持ちは良く後悔は全くない。何より最大時数名の職人たちのてきぱきした仕事ぶりには感心しきりだった。感じの良い人も不愛想な人もいたが、期限内にきっちり仕上げてくれた。米国やフランスなどでの職人のいい加減さを読んでいた ( 自分の経験ではなく ) ので、わが国の職人道は衰えていないと誇らしく感じた。

フェンスの向こうの景色は半世紀前にはまだ田んぼも残り、夏の夜は緑色のウンカが窓にびっしり付いた。今は手前に戸建て住宅、駅近くにマンション群が並び、多摩川は全く見えなくなった。タヌキかアライグマは出没しわるさをするが、ヘビは姿を消して久しい。それに合わせるかのように住民の高齢化が進んだ。ふた組ほど残った若い家族の小学生の子供たちが前の道路でサッカーをする声がむしろ快く響く。

2019年7月13日土曜日

ドゥテルテ比大統領への評価

今日の朝日新聞に「比『麻薬戦争』あふれる遺児   国連人権理事会が調査要求」との見出しの記事が載っている。7月11日に国連人権理事会が、フィリピンのドゥテルテ政権が追求する麻薬犯罪対策のもとでの超法規的殺人といった人権状況について調査を求める決議を初めて採択したとのこと。

ドゥテルテ大統領によるフィリピンの麻薬犯罪の追求の中での多数の人権侵害は以前から報道されており、ついに国連人権理事会も動き出したとの記事である。それによると殺し屋たちとその犠牲者を合わせると死者1万7000人、その結果親を失った子どもは17年9月までに3万2395人に達するという。深刻極まる数字である。

麻薬犯罪はわが国では微々たるものだが、米国などでは深刻な事態になっていると聞く。トランプ政権による米国とメキシコとの国境での壁の建設は両国間の難問となっているが、じつは越境者の大半はメキシコ人ではなく、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの国民であり、これら三国ではギャングの跳梁に政府は無力で、住民は自らと家族の生命を守るため国外脱出を図っている。つまりこれら三国は最悪の破綻国家なのである。

フィリピンも今ギャングの麻薬犯罪を防止しなければ中米三国と同様に破綻国家になるだろう。私の目にはドゥテルテ氏はどんな悪評を浴びても破綻国家への歩みを阻止するため体を張って行動していると映ずる。今回の国連人権理事会の調査要求は47理事国中、賛成18、反対14、棄権 ( 日本も ) 15で決まったという。積極的賛成は4割にも達しなかった。国連人権理事会の専門家たちはフィリピンが破綻国家になったとき、どう責任を取るつもりだろうか?

2019年7月11日木曜日

野球と国民性

今朝の朝日新聞の多摩版に、「帰国、日本流を体感    ICU高 白鳥誠大投手」との見出しの記事が載っている。昨日初戦敗退したICU高校のエース投手は小中校時代に米国でベースボールに打ち込んだ。高校から帰国したが、日米の「野球文化の違いに戸惑った」とのこと。

彼は日本の高校野球の「犠打の多さ」、観客席の吹奏楽の応援の「うるささ」に違和感を持ち、「マネージャーって必要?」とも感じたという。しかし、「次第に周囲の支えに感謝の気持ちが生まれた。守備陣の頑張りでピンチを脱し、犠打で好機が広がる。全員野球の大切さが分かった」「うまいだけがすべてじゃないと、日本で少しずつ学んだ」という。

米国の国技の野球がわが国に移植されて100年あまり。両国民の国民性の違いは、ほぼ同じルールのスポーツにまで及んでいるようだ。図式的な言い方になるが、選手の自主性の幅が大きく、伸び伸びとしたプレーを許す米国流に対し、チームの勝利のため自分を犠牲にすることも厭わない日本流との違いである。自由と規律とどちらが良いと言うつもりはない。

米国人はアフリカ系と先住民系 ( と中南米系 ) を除けば全員が自分の意志で大西洋を渡った人たちの子孫であり、当然に自己主張を貫くタイプが多いのではないか。それに対し、近年、日本人も生活感情など昔とずいぶん変わったが、それでも米作農民だった時代の協調性 ( 共同体への忠誠心?)が残存しており、それが時に美意識にまで昇華されているのだろう。

日本人の私も無論その例外ではない。それでもスポーツ観戦記事のあまりの自国贔屓には馴染めないが..........。


2019年7月6日土曜日

日韓米のトライアングル?

日韓関係は底なしの悪化をたどっている。わが国が韓国の必要とする半導体関連品の輸出に制約を課した ( 輸出禁止ではない ) のに対し、韓国の朴政権が我が国と結んだ慰安婦財団の合意の破棄を実行に移した。

前大戦中の韓国人徴用工の日本企業への補償要求を同国の最高裁が正当と判決したのに対し、日本政府が日韓間の解決済みの問題を蒸し返す判決として是正を要求したが、文在寅政権は言を左右にして応じなかった。韓国も三権分立の国でありむやみに司法部の決定に干渉できないとの韓国政府の主張には、それなりの論理が通っていた ( 国際法上の問題を別とすれば ) 。しかし両国の合意に基づく措置を一方的に破棄する今回の韓国の決定は明らかな国際法違反だろう。

わが国の韓国への輸出制限は日本経済にとっても打撃となる可能性がある上に、WTO ( 世界貿易機構 ) が日本に不利な判定を下す可能性は大きい ( WTO は自由貿易に有害か否かにしか関心は無いだろう ) 。それでも安倍政権が輸出制限措置を発動するのはトランプ政権の暗黙の支持 ( ないし理解 ) を感じているからでは無いか。

昨夜のBSフジの「プライムニュース」で二人の経済評論家 ( 真田幸光、鈴置高史 ) は、今の日韓関係は米韓亀裂の反映との意見を述べていた。米国はいまや非友好国となった韓国に半導体の多大なシェアを委ねる危険を感じているのではないか。ドル債務の多い韓国にとり日韓間の不和はウォン貨の下落を招くだろう。それでもよいのかとの米国の不快感のシグナルではないか。

両氏の予想が正しいかどうか私には分からない。しかし最近文在寅大統領が朝鮮戦争当時の北朝鮮の将軍を称賛したとの報道は私を驚かせた。短気なトランプが北朝鮮の核廃棄と米軍の韓国撤退を取引する可能性は皆無ではあるまい ( 中国は大歓迎だろう )。何事も損得で判断するトランプには「駐留なき同盟」は魅力的だろう。北朝鮮の影響力が半島全体に及ぶことは歴代の米政権にとっては悪夢だったが、トランプがそう感じるかは確かではない。少なくとも文在寅政権は反対しないだろう。文氏は朝鮮戦争への米国の介入を迷惑なことだったと考えているのではないか。わが国もそうした将来も見据えなくてはならないだろう。

2019年7月1日月曜日

独裁の二つの型

「アラブの春」当時のエジプトで選挙で選ばれたモルシ大統領が軍事クーデターにより打倒されてもう数年になるが、先日裁判を受けている最中に急死した。図式的に捉えればシーシ軍事独裁政権による民主主義の圧殺とも言える。しかし私はそうした新聞報道に納得できなかった。一昨日 ( 6月29日 ) の東京新聞の『本音のコラム』欄に常連寄稿者のカリーム師岡氏の「小粒のモルシ」との小文が載っており、同感するところが多かった。

彼女によるとモルシは他のイスラム同胞団の指導者たちが立候補を禁じられたため立候補した小粒の幹部で、「カリスマを求めるエジプト人から見るとモルシは大統領の器ではなく.......、宗教色の強い勢力のかいらいとも見られ、このままでは寛容な文化立国エジプトが失われてしまうという感情が広がった」「退陣を求める数百万人規模のデモと軍の介入によりモルシは失脚し.......、当時は多くのまっとうな知識人が退陣要求に賛同した」とのこと。師岡氏も元大統領の異常な死に「胸が痛む」とするが、「モルシが早々に辞任していれば」との思いを禁じ得ないという。

カリーム師岡氏の日頃のコラムは私にときにアラブ弁護色を感じさせるが、啓発されることも多い。エジプトの軍事独裁政権はナセル大統領の時代から一貫してイスラム同胞団を禁圧してきた。彼らは西欧流の民主主義をエジプトで直ちに実地に移すことはできないと考えたが、エジプトの近代化は目指していた。しかし、イスラム原理主義、広く言って全体主義イデオロギーにとっては他の思想は禁圧すべきものでしかない。カリームのように、「寛容な文化立国エジプト」を大切に思う人間には同胞団の支配は望ましくなかったろう。世界の四大文明の発祥地との彼女の自国への誇りは排他的イデオロギーに馴染めないのだろう。近代化を推進しようとしたケマル・パシャ流の独裁と近代化を否定する復古主義的独裁とは似て非なるものではなかろうか。

2019年6月28日金曜日

秋篠宮家の「受難」

ひとしきり週刊誌のトップ記事を席巻していた感のあった死後手続きと相続問題に代わって、秋篠宮家の話題がさも不祥事であるかのように各誌の好餌となつている。先日の秋篠宮殿下の記者会見はそれに油を注いだようだ。

殿下は親子間の断絶をあっさりとメディアにぶちまけた。一般家庭であればごくごくありふれた事態に過ぎないのだが、皇嗣の家庭ともなればそうともいかないようだ。私は殿下の宮中行事の簡素化の提言や移動手段としての専用特別機の不使用など、率先して皇室と国民の間の壁を低めようとの言動に大賛成である。したがって秋篠宮家の内情をさも重大事のように書き立てる週刊誌ジャーナリズムには不快感しか覚えない。世界の王室では英国のように不倫、離婚、再婚で話題を集めた例や、スペイン王家をはじめ金銭的不祥事に関与したとして国王や女王の夫君が退位や謹慎を余儀なくされた例もある。

さすがに明言はしていないが各誌の記事の行間からは、美智子上皇妃が秋篠宮家の現状に強いご不満を抱かれておられるご様子がうかがわれる。皇室のために一身を捧げられた美智子妃から見れば秋篠宮家の現状は憂うべき事態なのだろう。その背後には想像だが愛子さまを皇位につけたいとの広言はできない美智子さんのお気持ちが潜んでいるのではないか?

思えばこれまで正規の帝王学を受けられなかった秋篠宮をはじめとする皇族の方々が、政府や国会により自分の将来を一方的に決められるのは皇室典範の定めによるとはいえ君主制の本質的な制約だろう。それでも令和期の皇室への支持は厚い。我が国の皇室にもヨーロッパの王室の享受する自由度を差し上げたい。そうであれば皇室の神格化はあり得まい。

2019年6月26日水曜日

ゴーン氏の憂鬱

前日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏が拘束を解かれたりまた身柄を拘束されたりと、法律の素人にはよく分からない処遇を受けている。本人が招いた災難かもしれないが、異国での先の見えない拘束は辛いことだろう。

ゴーン氏が旧フランス植民地 ( 国際連盟の委任統治という名の ) のレバノンの出身であることは知られている。昨日の朝日新聞に日産自動車に君臨するまでの同氏の経歴がやや詳しく紹介されている。レバノンの名門校 ( おそらくフランス語での教育 ) を卒業した彼は、17歳でフランスの理系の最高学府で教育を受けた秀才中の秀才だった。しかし彼は「パリでは人間関係が希薄.......、溶け込めたと思ったことはありません」と語っているとのこと。フランス国籍の取得を勧められたが一度は拒んだという。

ロンドンでもパリでも外国人は珍しくないので、日本のように外国人 ( 少なくとも欧米人 ) だからといってちやほやされることは無い。このブログでも一度紹介したと記憶するが、エドウィン・ライシャワー博士はパリでの留学生活を自伝で回想して、「庶民との交流は皆無。私は留学生が留学先の国を憎むようになる気持ちがよく分かった」( 大意 ) とまで書いている。博士の場合、フランスの高名な日本学者の下で学ぶための留学でフランス語は得意でなかったと想像するが、完全にフランス語をマスターしたゴーン氏でもフランスに溶け込めなかったとは........。「他文化との共生」の難しさだろうか。

その後のゴーン氏はミシュラン・タイヤ社で異例の急速な昇進を遂げるが、家族色の強い同社ではトップには就けないと知り、ルノー社に移り頂点に達した。その並み外れた能力と努力を考えれば祝福に包まれての引退に値する生涯だったはずだが、そうならなかった。「犯罪」の真相は未だ完全に解明されたわけではないとはいえ、自らの「豪腕」に酔い謙虚さを失っていたとすれば罪は罪として何ともやるせないことである。

2019年6月23日日曜日

佐渡小木半島の今昔

今朝のNHKテレビの「小さな旅」は「佐渡小木  たらい舟と洞窟の祈り」だった。佐渡ヶ島南端の小木半島は、史学科の研修旅行の目的地が佐渡ヶ島だったとき立ち寄ったことがあるので、消えかけた記憶を回復するためチャンネルを回した。

番組の前半は同地の観光の目玉であるたらい舟でさざえ漁をする老人夫婦を取り上げていた。かつて北前船の寄港地の一つだった小木は火山台地のため農地で十分な収入を得る機会は乏しく、夫は本土の高速道の工事などで一年のほとんどを過ごす出稼ぎ生活を何十年も続けた。今は好きなたらい舟漁で生計を補っているが、日本経済の高度成長を担った戦士の一人だったわけである。研修旅行後の30年あまりの時の流れは全てのたらい舟がエンジン付きとなっていた!事実に示されていた。

番組の後半は田圃も広がる同地が灌漑用水が皆無で、かつては天水でいもと麦を作り食する地区だったが、水源を求めて地区民がつるはし一本で火山岩にトンネルを17年間掘り続け、諦めかけた時に豊かな水脈を掘り当て、米飯を食することになったと伝えていた。他郷への出稼ぎ者と同様、長い困難の時期を経た住民が今はささやかな安定を得ている様子は心温まる風景だった。

佐渡ヶ島だけではない。全国の農山漁村からの出稼ぎ者たちが東京や京阪神など大都会の発展を可能にした。この人たちの晩年が平穏で幸多いことを祈るばかりである。

2019年6月20日木曜日

法治国家を護る香港市民の闘い

幕末維新期に欧米列強が自国民を日本の司法に委ねることを許さない領事裁判権を我が国に認めさせた。こうした「不平等条約」の解消のためどれほど官民とも努力したかはよく知られている。しかし、開国以前のわが国では奉行は一身に警察、検察、裁判所を兼ねていた。すでに司法の独立を達成しつつあった列国が、それでは自国民への公正な裁判は期待できないと考えたのは無理からぬところがある。

英領植民地時代の香港には住民主権という意味での民主主義はなかったが、権力の恣意的介入を許さない司法制度は成立していた。今回の逃亡犯条例が成立すれば一国二制度は骨抜きになると恐れた香港市民が条例反対に立ち上がり、改正延期 ( 実質は撤廃 ) を強いたことは素晴らしい。司法の独立は香港市民の血肉となっていたと言ってもあながち過言ではない。

しかし、これまで中国に従順だった香港経済界も今回は林行政長官をバックアップしなかったとはいえ、中国が次の機会を狙うことは間違いあるまい。さらに、一国二制度には50年間という期限がある。香港返還当時は半世紀の間に中国自体が民主化し、法治国家になっていると世界が予想したが、現実はその予想を裏切りつつある。

我々はひとたび一党独裁が成立すればそれを解消することが如何に困難かを確認しつつある ( 高い理想を掲げた共産主義でさえ ) 。わたしは習近平個人がスターリンや毛沢東のような独裁者気質の持ち主であるとは今でも断定したくない。しかし、かれ個人を超えた既成利益固守の体制が法治国家への移行を困難にしている。われわれは法の支配を護る香港市民の闘いが孤立することがないよう努めねばなるまい。

2019年6月12日水曜日

雨の歌

異常な寒暖の差の今年の春だったが、それでも6月の声を聞けば恒例の梅雨の季節がやって来た。庭木の中でも新しい小枝が多い梅の木はほおって置くとカビが若葉につくので、腰痛再発を危惧しながら今日何とか小枝切りを済ませた。

むかし、高校の国語教科書に永井荷風の「花より雨に」という文章が載っていた。4月ごろ、花々が庭を彩った頃から6月の梅雨の季節までの自家の庭の変化を綴ったもので、かれの高名な日記 ( 『断腸亭日乗』。 山本七平が荷風の全文学作品もこれに及ばないと評していた )からの転載だったのだろうか。庭に現われる季節の移ろいを仔細に描いていた。

その文中で荷風は、「巷に雨の降るごとく  我が心にも雨ぞふる」とフランスの詩人ヴェルレーヌの有名な詩の冒頭の一行を引用しており、梅雨時の庭の風情の描写をひきたてていた。荷風による全訳があるかは知らないが、その後、鈴木信太郎訳のフランス詩集に同氏の訳文を発見した。すでにご存知の方も多いとは思うが、秀逸な詩であり、秀逸な訳文だと思うので紹介したい。

都に雨の降るごとくわが心にも涙ふる   心の底ににじみ入るこの侘しさは何ならむ  大地に屋根に降りしきる雨のひびきのしめやかさ  うらさびわたる心にはおお雨の音 雨の歌 ( 以下略 )

梅雨空を名詩の名訳でしのいで欲しい。

2019年6月10日月曜日

高齢ドライバーの交通事故防止策

池袋での元高位官僚による死亡交通事故以来、高齢ドライバーによる重大交通事故のニュースが続いている。最近は街頭の各所に設置された監視カメラとマイカー設置のドライブレコーダーによりどのような状況で事故が起こったかはある程度解明可能となってきた。しかし、真の事故原因 ( なぜドライバーが突然理解しがたい運転をしたか ) は依然として未解明である。

昨日のNHK?テレビでオーストラリアのニューサウスウェールズ州 ( シドニーを含む ) の高齢者の運転免許制限の例が紹介されていたのはわが国にも一応の参考になりそうだ。同州の対策は、1 ) 5キロ以内の距離限定の運転免許  2 ) 85才の高齢者の路上試験  3 ) 75才以上のドライバーに対する医師による検診  の三種だという。

1 ) は高齢者の買い物などの生活上の必要を考慮したものであり、わが国でも地域限定の運転免許として論じられているところ   2 ) はわが国でも75才以上のドライバーに免許更新時に実施する路上テストに似ているが、わが国ではそれだけで不合格とならない多分に形式的なもの  3 ) はわが国でも認知症の筆記テストで低得点の人にだけ課されているが、75才全員に課される義務ではない。総じて日本はオーストラリアと比較して不徹底の印象は否めない。大学に合格すればほとんどが卒業できる温情主義?がここでも発揮されている。

悲惨な事故を防止するためとはいえ年齢による一律制限は、とりわけ地方在住の高齢ドライバーの生活への影響支障を考慮すれば取るべき対策ではないだろう。地域限定や夜間禁止などの限定免許の採用が望ましい。最近のクルマの事故防止装置の進歩はメーカーによってはかなりのものと聞く (  アクセルとブレーキの踏み間違い防止策はもとより、障害 ( 人も物も ) を感知してストップさせる装置も有効なスピード域の拡大、夜間の有効性など )。遠からず、特定車種のみの限定免許も有効な対策になりつつある。高齢ドライバーもそうした追加出費は買い替えも含めて受け容れなければなるまい。


2019年6月4日火曜日

日本共産党の天皇制容認

今朝の新聞各紙によると日本共産党は、昨日志位委員長名の文書で女性・女系天皇の承認 ( つまりは天皇制の承認 ) に踏み込んだ。同党は30年前の平成発足の際の賀詞に反対し、今年3月の平成天皇在位30年を祝う賀詞にも「過度に天皇を礼賛するもの」( 私もそう思う) として欠席したが、先月の新天皇の即位を祝う賀詞には賛成していた。したがって今回の「天皇の条項を含め現行憲法を遵守していく」との説明は正常な進化?とも言える。

たしかに歴史上君主制が民主主義の発展にとって障害であった事例は事欠かない。しかし世界で現在最も民主主義的なヨーロッパでいくつもの国が君主制を維持していることは時代が変わったことを示している。むしろ君主制は一等独裁や宗教独裁の危険を回避ないし一定程度緩和する効果があると言えるのではないか。

昭和前期の我が国ではソ連が指導するコミンテルン ( 共産主義インターナショナル ) の指令 ( 各国共産党は規約上その支部であった )に従い共産党は君主制の廃止を掲げさせられ、そのため多くの犠牲者を出した。他国の実情を知らぬモスクワの指令の方にこそ問題があった ( 最も早い指摘のひとつは松田道雄 『わたしの読んだ本』岩波新書 )。君主制と言っても国により様々だが、少なくとも全体主義イデオロギーや宗教原理主義への防止効果があるとすればその存在意義を認めてよい。もし日本共産党の転換が戦術的なものでなく、そうした理解に基づくものならばわたしは全面的に賛成である 。もっと早くても良かったとは思うが.........。

2019年6月2日日曜日

諏訪湖雑感

5月末日、私用で上諏訪温泉の「かんぽの宿」に一泊した。諏訪湖を見下ろす丘の斜面に宿はあり、諏訪盆地が岡谷まで一望できる。

朝のうちは雲が晴れず、右手の岡谷の町だけに日が差していたが、やがてほとんどの雲が退散した。自室からは画面に電線が入ってしまうのでカメラを持って最上階の展望室に移動した。シャッターを1、2回押したところにホテルの従業員 ( 機械保全の担当?)が来たので、眼下の小島 ( ずっと小さいが宍道湖の嫁が島に似て数本の木が生えている ) の名を尋ねたら初島とのこと。例年8月15日の湖上花火大会には打ち上げ基地になると教えてくれた。

最近は地方の人口減少が問題になっているが、諏訪盆地に関する限り昔と比べ物にならないほど拡大発展している。そのことに話題が及んだら従業員は湖岸の家並みを指して、かつてはあの辺りは湖中だったが天竜川の流出口の辺りを削って湖の水位を下げた結果、現在の町並みが可能となったと教えてくれた。

むかし評論家の大宅壮一が、長野県人はその勤勉さで日本人の典型であると書いていた。それに倣って言えば諏訪盆地の人々は勤勉な長野県人の典型と言えるだろう。以前、木曽出身の長野県人が、「諏訪の人間は賢いから」と語ったと従業員に紹介したら、意味深な言葉ですねと返された。 「賢い」とは本来は皮肉をこめた言葉ではなかったろうが、確かに賞賛一辺倒ではなかったろう。

この「かんぽの宿」は他の2箇所の同類とともに本年中に閉鎖される。他所と比較しても眺望も部屋も水準以上と思うのだが。やはり、武士の商法だったのだろうか?

2019年5月27日月曜日

今後おもしろくなりそうな大相撲

大相撲夏場所は新鋭朝乃山の優勝で幕を閉じた。平幕力士の優勝は珍しくないが、場所前、名前も知らなかった力士の優勝は予想外だった。私だけだろうか?

最近の大相撲は貴景勝や御嶽海のような押し相撲を得意とする力士たちの活躍が目立っていたが、朝乃山は四つ相撲を得意とし、それを強く意識しているとのこと。私は押し相撲を好まないので朝乃山には大いに期待する。

しかし、同じように今場所からその名を知った炎鵬の今後にはそれ以上に期待する。軽量小型 ( 私と全く同じ身長 )  の彼の変幻自在の取り口は舞の海以来だが、それ以上に多彩で型破りの取り口は素晴らしい。それでも将来の大関横綱候補とはいかないだろうが、舞の海同様に相撲人気を盛り上げてくれるだろう。

あと1勝で大関復活の栃ノ心が軍配差し違いで朝乃山に敗れた一番は問題だった。各紙の写真でも判定は微妙だったが、『朝日』の写真では栃ノ心のカカトは俵の上に残っており、少なくとも取り直しが妥当だった。外国人力士だから負けとされたとまでは言えないが、栃ノ心の心中はどうだったか。翌日の対鶴竜戦で彼がはたき込みで勝った取組は熱戦を期待していた相撲ファンは失望しただろうが、栃ノ心自身も忸怩たるものがあったようだ。しかし、張り手やカチ上げに比べればはたき込みは何ら恥ずかしい手ではない。大関に再昇進となって本当に良かったと思う。


2019年5月21日火曜日

丸山穂高議員の誤りとは?

日本維新の会の丸山穂高議員が戦争による北方領土の奪還を主張したとして野党6党?が議員辞職勧告決議案を国会に提出したという。国会議員が同僚の口を封じるということなら問題である。将来いつか現在の野党が後悔のホゾを噛む日が来ないとも限らない。

丸山議員の今回の発言が暴論であるとして野党やメディアがこれに反対するのは理解できる。しかし、発言に反対することと発言を封ずることとは別の問題である。戦前の帝国議会で斉藤隆夫代議士が反軍演説をして同僚により議会を除名された。それと今回のケースでは方向が正反対だとの反論は当然あろう。しかし、どちらのケースも理念 ( 超国家主義と平和主義 ) が先行して現実から出発していない点で共通する。

『東京新聞』( 5月15日 )の社説は「『戦争で奪還』  平和主義を踏みにじる」と題され、「外国による『不法占拠」が続く日本固有の領土は平和的な外交手段によって取り戻すべきであり.......( 丸山発言は )平和主義を踏みにじる」と主張する。しかし同紙は北方領土を「平和的な外交手段」によって取り戻せると本当に信じているのだろうか?  信じていないのに平和的な外交手段を口にするのは偽善だろう。

私も丸山発言は愚かであると考える。それは発言が憲法の平和主義に反するか否かではなく、現実を直視していないからである。北方領土を奪還するためにロシアと戦争したところで勝利するパーセントはゼロであるばかりでなく、ヤルタ秘密協定の調印国である米国が対露戦争で我が国を支持するはずもない。かくあるべしとの理念から現実を無視すれば太平洋戦争と同様、国民の不幸をもたらすだけだろう。

P.S.   前回のブログの「1ヶ月ほど何とかで快方」は「1ヶ月ほどで何とか快方」、「田子倉ダムとそれを作った巨大な田子倉湖」は「巨大な田子倉ダムとそれが作った田子倉湖」の誤り。ボケの始まり ( 中期? )のなせる技か?!

2019年5月18日土曜日

奥只見の春

今年は腰痛のため多摩市内でしか桜見物ができなかった。いよいよ万年腰痛持ちになるのかと悲観しかけたが、1ヶ月ほど何とかで快方に向かいつつあり、遅まきながら東北の春を求めて南会津の柳津 ( やないず )温泉に一泊してきた。

魚沼市の小出から会津坂下までJR只見線も通じているが、並行して約110キロの六十里越と呼ばれる国道252号線 ( 冬季閉鎖 ) が通じており、中間点に田子倉ダムとそれを作った巨大な田子倉湖がある。以前、越後側かろ会津地方に抜けたとき、満々たる只見川に面した柳津温泉に好印象を受けていたので、今度は逆コースの途次、同温泉の「瀞流の宿K」に宿をとった。この頃は公共の宿に泊まることが多かったので食べきれない量の食事には困ったが、気持ちの良い宿だった。

東北道の沿道の山桜の季節は終わっていたが、随所に藤の花が咲いていた。しかし宿の対岸の数本の杉の樹?の全体を藤の青い花が覆っている様ははじめて見る風景だった。しかし翌日、六十里越の至るところで文字どうり藤の花に覆われた木々を見た。桜の時期に負けない美景で、結果として良い季節を選んだことになった。田子倉湖では対岸の残雪の山々を背景にした湖は予想通り (それ以上?)の美しさで、来年の年賀用写真はこれで決まりかと思わせた。

六十里越の途中には戊辰戦争で敗れた長岡藩家老の河合継之助 ( 司馬遼太郎の長編『峠』に詳しい)が会津への逃避行の途次戦傷が悪化して死んだ家が記念館になっている。しかし今回も気が急いて素通りしてしまった。二度と訪れることはないだろうに........。

2019年5月15日水曜日

新しいもの好きなフランス人

パリのノートルダム大聖堂の火災から今日で1ヶ月とのこと。今朝のNHKニュースが、再建案に関してフランスでは論争になっていると伝えた。

フランスでの世論調査では火災前そのままの再建案と前代に囚われない新しい様式を取り入れた案では55対44で昔のままの再建案が支持されたという。予想通りと言いたいが、私はむしろ新しい様式との声が半数近いのに驚きを禁じえなかった。我が国では考えられないのではないか。

現在までに提案されている改築案として、1) 焼け落ちた尖塔をガラス製にする  2)屋根全体をステンドグラス製とし夜間に光り輝く外観とする  3)屋上に花や木を植えた「緑の庭園」とし、そこからのパリの展望を楽しめるようにする  の三案が番組で紹介されていた。まさかとは思うが.....。

フランス人の新し物好きは今始まったものではない。古くはエッフェル塔が芸術家たちの大反対にもかかわらず建設され、今ではパリの名所となっている ( 私も死ぬ前にもう一度見たい!)。30年以上前、ルーヴル美術館の入り口は国際コンペで中国人建築家のガラスのピラミッド案が採用された。それ以前は館内が複雑な上に案内表示が不備なためミレーの名画群など、私は二度目にはついに到達出来なかった。今では嘘のように便利になったが、外国人案の採用とともにミランス人の新しいもの好きを物語っている。

エッフェル塔が建ったのちも芸術家たちの不評は収まらず、小説家のモーパッサンは塔が目に入らぬという理由で塔内のレストランを利用したという。共産国時代のポーランドのワルシャワではソ連が寄贈したスターリン様式と呼ばれた武骨な「文化スポーツ宮殿」がそびえていたが、当時、現地の観光ガイドは「ワルシャワの最も眺めの良い場所は文化スポーツ宮殿だ。なぜなら文化スポーツ宮殿が目に入らないから」と客を笑わせた。モーパッサンの模倣かどうかは断定できないが、私はそれより30年以上前に『週間朝日』でワルシャワっ子のアネクドート ( 小話 )としてはじめて知った。30年後にも人口に膾炙していると知ってポーランド人のロシアに対する複雑な感情を再認識させられた。

2019年5月13日月曜日

休日の銀座

旧友数人で食事会をすることになり、昨日、久し振りに銀座に出かけた。以前は家内と休日に上野の美術展を覗いて昼食を銀座で取ることも稀ではなかった。しかし今や終活の季節となり、同地に何軒かある中古カメラ店を覗くのも無意味となったし、直接的には並木通りの北端に路上駐車して時間超過のため罰金を取られて以来縁遠くなっていた ( まだ女子警官が車を覗いていたところだった。男子警官だったら警告で済んでいた?)。

今回は東京の東郊と西郊に住むメンバーの中間点を会場に選んだ。尾張町交差点の銀座三越の入り口で集合し、予約してあった近くのRロシア料理店で昼食を摂った。半世紀近く前、渋谷にあったころ訪れたことのある店で、ロシア料理が特に好きではないが、雰囲気も良く満足だった。

何しろ全員が80歳台なので、健康は万全ではないが新旧の話題にこと欠くはずもなく、楽しいひとときだった。食後、私は以前の松坂屋の跡地に出来たGINZA  SIX を覗くつもりだったが、道路に面した欧米のブランド店や正面玄関のいかめしさに気圧されて結局入らずじまいだった (もともと買うものもなかったし!)。噂どうり銀座は外国人が溢れており、それ自体は結構なことなのだが、昔の銀座を惜しむ気持ちも多少抱いた。旧友たちとは秋の再会を約して東西に分かれた。

2019年5月6日月曜日

「ポツンと一軒家」の魅力

日曜日の夜のテレビ朝日の番組に「ポツンと一軒家」という旅番組??がある。まだ番組開始後いくらも経てないらしいが、最近、とくにNHK大河ドラマの「いだてん」が面白くなさそうなので ( 未見!) 、「一軒家」を見ることが重なった。先日のテレビ視聴率番付では何と5位?を占めており、費用対効果を考えればスタッフには金一封ものだろう。

番組は毎回制作スタッフが、衛星からの画像で発見した文字通りの山中の一軒家を2軒訪ねるというもので、ある意味他愛の無い番組ともいえるが、大都会のマンションの住民の対極とも言える山中の一軒家に住む老人たちが孤立し不便な生活をおくる理由には毎度感心させられる。

昨夜の場合、1番目のケースは和歌山県の奥地の道路の終点からさらに山道を2キロ歩く一軒家に孤り住む老人の場合だった。妻は足を痛めてもう20年?も麓の集落に住むが、当人は先祖の建てた家を捨てることもならず住んでおり、途中の五つの小橋は全て手作り。絶え間無い道路補修も自分でおこなっていた。

2番目の山口県のケースでは、他の多くのケースと同様に狭い山道が辛うじて住居まで通じているが、約300年前に先祖が開いた2000坪の田圃をイノシシやシカの被害を受けながら守って夫婦で住んでいた ( 冬には自力で道路を除雪!)。

番組に登場する人たちはたいてい「ポツンと一軒家」を見ていて ( そんな一軒家にも必ず電気はきている )、いつか取材されることを夢見た?ケースが大部分だった。かつては一帯に住んでいた隣人たちが家を捨てて麓で暮らす中で独り残留した理由の一端は立派な造りの家を見てある程度納得した。それにしても何を買うにも軽トラックで山道を往復する不便さの極致の生活に耐える人々には毎回尊敬の念を抱くことが多い。番組の人気の秘密もその辺りにあるのではないか。

2019年5月4日土曜日

皇室報道の洪水

新元号発表から新天皇就任まで1ヶ月あまり、与党贔屓のメディアも野党贔屓のメディアも多少の批判をにじませるか否かは違っても例外無く皇室関係記事のたれ流し?だった。新天皇に代わったからといって政治に関与しない象徴天皇制の下では国の指針に変りがあるはずも無い。そんなに騒ぐこともあるまいにと思うが、他紙にひけを取るまいとの一念としか思えない。毎日、運動不足解消を兼ねて駅前の図書館で各紙を読む私もこの2週間ほどはどれも同じような記事ばかりのため帰宅時間が早くなった!

そんな中で多少とも関心を持ったのは新旧の天皇皇后への人間的興味からだった。これとてもいずれも良く出来た方であることに異存は無いが、それでもそれぞれの個性は存在する。私としてはやはり新天皇夫妻が海外留学経験者であることに由来する変化に期待したい。皇后が常に天皇より半歩遅れて歩まれるのを見たくないし、全般的にもっと自然に振舞ってほしい。国民との間に時にはユーモアを交えたやりとりを見たい。

英国のチャールズ皇太子は品行優良とはいかなかったようだが、記者会見で「人類最古の職業である王族の一員として」と切り出して爆笑を誘った ( 「人類最古の職業」とは売春婦のこと )。我が国の皇位継承者にそこまでの自虐を期待しても何十年先か分からないが、平成天皇の口からウィットに富む発言を聞いた記憶が全く無いのは物足りなかった。無い物ねだりだったようだ。

今日の皇居への一般参賀は大変な人数のようだ。やはり新天皇夫妻が の清新さが大きいのだろう。

2019年4月27日土曜日

名歌を再現する歌碑

かなり以前から各地の観光地にボタンを押すとその地にちなむ歌謡曲や唱歌が鳴り出す碑のようなものが建ち始めた。特別に料金を取られるわけではないのでこれまで数箇所で試したことがある。

一番その場所にふさわしくなかったのは信州諏訪湖畔の、天竜川がそこから始まる釜口水門の傍の小公園にある「琵琶湖周航の歌」の碑である。作詞者の旧第三高等学校生の小口太郎の脳裏にあったのは故郷の諏訪湖畔の風景だったというのが長野県人の言い分なのだが、それで滋賀県人が納得するとはとても思えない。

美空ひばりの「みだれ髪」の碑は福島県の南端に近い塩屋埼灯台にある。観光旅行の途中に立ち寄っただけで私はひばりの持ち歌にその歌があることも知らなかった。数多いひばりの歌の中でも結構知られた歌らしく、確かに心に残る歌ではある。

東北地方の桜の名所の一つに北上展勝地がある。私が訪れた時はわずかに花の盛りは過ぎていたが、大河北上川の風情はあり、そこに「北上夜曲」の碑があった。往時そのあたりの物産品を河口の石巻まで運んだ和船が復元されて係留してあり、北上川の水運用としての価値をしのばせられた。

信州の小諸城址には以前から藤村記念館があるが、近年そこに藤村が教えた小諸義塾の記念館が加わった。その前に藤村の詩に藤井英輔が作曲した「惜別の歌」の碑があった。もともと作曲者の母校中央大学の学生歌であり、彼が、学徒出陣する友の無事を祈って作ったと聞く。そうした由来を聞けばいっそう心に染みる歌である。

2019年4月25日木曜日

博物館歴訪

40年ほど続いた奥多摩 (青梅市)の吉川英治記念館がこのほど閉館したとのこと。戦時中に吉川が疎開してそのまま住み続けた緑豊かな邸宅を歿後記念館としたもので、開館当時、近くに夫人が開いた和菓子店で夫人自身の笑顔の応対を受けた記憶がある。その後、学生の博物館学実習の視察 ( お礼参り?)のため再訪したが、入館者数の減少には勝てなかったとか。

いつ頃からか、博物館学実習という教科が導入され、教員が交代で一回は視察することになった。私はマイカー利用のため希望して遠い所を担当することが多く、山本有三記念館 ( 三鷹市。これは近い ) 、半蔵門のカメラ博物館 ( 我が家からは遠い!)、千葉県立関宿城博物館などを訪ねた。山本有三記念館は太宰治が入水自殺した玉川上水沿いの大正末期の典雅な洋館 ( 有三が住んだ ) だった。現在はそこから歩いて数分のジブリ記念館がポピュラーである。学生は本格的に学べる大規模施設よりも気楽な小施設を選びたがると感じた。カメラ博物館のことはこのブログで、「開運鑑定団」の常連の鑑定士に関連して触れたことがある。

千葉県立関宿城博物館は千葉県の北端の野田市のそのまた最北端の、利根川と江戸川の分岐点にあり、旧城跡の近くに再建された城にあった。担当の役職者が応対してくれたが、私の母が房総半島の突端の白浜町 ( 当時は安房郡長尾村根本 ) の出身で私も毎夏を母の実家で過ごしたと告げると、実習生の話題そっちのけで大いに話が弾んだ。博物館の直前には終戦時の首相の鈴木貫太郎の生家と記念館もあり、この日の私はすっかり行楽気分になった。千葉県の縁者だから贔屓するのではなく、一見に値するのでは?

2019年4月23日火曜日

日本は世界有数の安全な国!

スリランカで無差別テロが起き数百人の死傷者を出した。同国の国情は複雑で、わが国の南アジア専門家も直ちには犯人たちの推定が困難だったようだが、スリランカ政府はようやく宗教的マイノリティのイスラム教徒の犯行と断定した。専門家ではない私には憶測しか出来なかったが、キリスト教会と外国人がテロの目標ということなら仏教徒やヒンズー教徒よりも同じ一神教のイスラム教徒の犯行だろうと考えていた。

21世紀の世界で今回のような全く無関係な人々に対する凄惨な手口の犯行に弁解の余地はない。しかし、異教徒や異端派に対する蛮行は史上数多くあり、特定の宗教や民族に限られない。キリスト教世界にも中世以来宗教戦争は絶えなかった。本ブログで先日偶然言及したフランス南部の異端派 ( カタリ派 ) と正統派の宗教戦争もその残虐さは相当だったと聞くし、十字軍が聖地エルサレムで異教徒に蛮行を働いたことは事実のようだ。

それでも現代の欧米や我が国で今回ほどの凄惨な事件は考えられない。特定の宗教や民族性と蛮行との親近度がゼロとは私は思わないが、主たる理由は多くの途上国と欧米や日本との歴史的発展段階の差だろう。そしてその段階の差はまだまだ簡単に埋められないだろう。

あまり自覚されていないようだが、我が国とヨーロッパでは日本の方が人種や宗教に起因する暴力に対し安全度は高い。『東京新聞』(4月22日)の「ハーフと向き合う」という特集記事でスウェーデン人とのハーフの子育てをするノンフィクション・ライターの山本真弥氏は、「子育ては、しばらくは日本でする予定です。日本は子育てがしにくい国ではないし、医療体制も整っています。何より日本は安全です」と語っている。北欧諸国といえば人権が尊重される最も安全な国と思われがちだが、数年前、人種問題に発するテロで20~30人?の死者が出た。

何年か前、保育園に子供を入れられなかった母親が、「保育園落ちた。日本死ね」と発言して話題となった。私に我が国の母親の困難は所詮実感できないし、多少過激でも発言の自由は何よりも守られなければならないが、もう少し世界に目を向けて欲しいとは思う。

2019年4月21日日曜日

中国人学者の元号観

わたしは2週間ほど前の本ブログで元号騒ぎは「終わってみれば大山鳴動、鼠一匹」と書いた。発表までのメディアでの憶測騒ぎがこれで一段落すると思ったのである。それは大間違いだった。その後、テレビ・コメンテーターの吉永みち子によれば、「日本人がこんなに元号に興味を持つと思われなかったというくらいの大フィーバーだった」( 『毎日』4月20日 )。

日本人がフィーバーしたのか、メディアが勝手にフィーバーしたのかは確かでないが、元号決定後の内閣支持率が9%上昇した ( 同 )となるとやはり国民の関心事ではあるのだろう。何しろその間、閣僚の問題発言が相次いだのだから ( 今さら国民は驚かない?!)。

昨日の『朝日』に北京大学教授で元号問題の専門家のインタビュー記事が載っている。辛徳勇教授は「令和はわかりやすく、書きやすいので良いと思う」と好意的である。わたしは我が国が独自の年号 ( 大化 )を採用した意味をこれまで深く考えたことがなかったが、教授によると「元号は天命を受けたことを象徴する」ゆえに日中両国が「対等なのだと明確に示した」のであり、「中国の元号を併用した朝鮮半島などとは異なる」とのこと。

しかし、「中国との文化の違いや『日本化』をことさら強調するのであれば賛成できない。ナショナリズムを助長し、悪影響が出る」との教授の意見には全面的に賛成である。

教授はまた日本人が漢字を借用したと同様、「現代中国語には、明治以降に日本で考案された単語が大量に使われている。それらの言葉がなければ中国人は会話も書くこともできない」と言う。新しく用語を作らなければの意味だろう。私も戦前の中国のマルクス主義文献はすべて日本語からの重訳であると聞いている ( 毛沢東もそれら無しではマルクス主義者になれなかった?!)。その意味では初めて国書が元号に利用されたことなど特筆するほどのことなのか? 「東アジア共通の文化という大きな視点で考えたらいいと思う」との教授の意見に耳を傾けるべきだろう。

2019年4月19日金曜日

フランスの大聖堂の思い出

観光名所が数多いパリでも5本の指に入るのは確実なノートルダム大聖堂の火災をほとんど同時進行で見た驚きは大きかった。宗教心のない異邦人の私ですらそうだから、炎上する大聖堂を見上げるフランス国民の落胆は想像に難くない。
 
それでも被害は大きいとはいえ再建困難ではなさそうなのは良かった。これが完全な木造建築だったら文字通り「灰燼に帰して」いたろう。何より正面のバラ窓を含めステンドグラスの多くは安泰だったようだ。石造の部分はたとえ崩れてもかなりの程度に再建できようが、ステンドグラスの再生は困難だろう。

フランスには各地に華麗な大聖堂が存在するが、わたしが訪れた数か所ではステンドグラスの美しさといえばパリの西南数十キロ離れたシャルトルのノートルダム大聖堂が有名である。それもさる事ながら、遮るものもない大平原に立つ大聖堂が、近づくにつれ次第に大きくなって行くこと自体が感動的だった。

重要度で言えば、独仏国境に近いランスのノートルダム大聖堂は歴代のフランス王の戴冠の場所として知られている。パリの大聖堂と同様、フランス革命時に反宗教熱に取り憑かれた暴徒の破壊行為 ( ヴァンダリズムという言葉の語源とか )の対象となった上に、第一次大戦でドイツ軍の砲爆撃で巨きな被害を受けた。だが、素人が見た程度では完全に復旧されていた。

特異な大聖堂といえば南仏トゥールーズの近くのアルビの聖セシル大聖堂が第一だろう。石材を産しないための煉瓦造りでもあるが、この地で中世にカタリ派という異端派とローマ教会派の激しい宗教戦争を経て建てられたため、窓の小さな要塞としか言いようのない異様な聖堂だった。むしろ昔の司教館を利用したロートレック美術館が楽しかった。ロートレックといえばパリの歓楽街を描いたポスターで知られるが、馬の絵をたくさん描いていた。ヨーロッパでは競馬は上流階級の娯楽だった。

2019年4月15日月曜日

藤原正彦 『国家と教養』を読んで

1週間ほど前からこれまで縁の無かった腰痛に罹り、今春の花見は市内しか見ることが出来なかった。そのため、購入したが未読だった藤原正彦『国家と教養』を読んだ。

私はこれまで同氏の『国家の品格』も他の単行本も読んでいない。むしろ仄聞した氏の英語早期教育反対論に反感を抱いていた( 黒板に数式を書けば済む数学者が何を言うか!)。しかし、本書を読んで氏の行論に共感する点が少なく無かった。

教養といえば19世紀以来ドイツ文化は世界の最先端を行くものだった。しかしそのドイツ人がジェノサイドを実践した。その理由はむろん簡単では無かろうが、氏によればドイツでその高踏的?文化を享受したのは主に「教養市民層」と呼ばれる人たちだった上に、政治や経済や歴史などの「社会教養」や「科学教養」を欠いた。

ホロコーストもドイツ人がナチスの唱える優生学 ( 疑似科学 )を信じ、数値化できない「情緒」や人間性の重要性を忘却した結果起こった。「教養が無いと、一つの論理だけ猪突猛進」すると氏はいう。経験主義的でユーモアを忘れない英国人の国民性を氏はより高く評価する ( 私も同感 )。

「現代社会の病の本質は.........民主主義に教養がついていけない」点にあると考える氏は、わが国の大衆文化 的教養を( 童謡や唱歌や歌謡曲、映画、マンガなど ) を情緒を養うとして高く評価する。氏の論述には矛盾も皆無とは言えず、異論は多々あろう。しかし、「民主主義という暴走トラックを制御するものは国民の教養だけなのです」との氏の結論に同意する人は少なくあるまい。

2019年4月14日日曜日

相次ぐ自動車会社の検査不正

一昨日、昨日とテレビついで新聞でスズキ自動車の検査不正が大きく報道されている。この1年ほど?の間に日産から始まってスバルに至るまで各社での「検査不正」が発覚したと思ったら、ついに今回、スズキに至った。同社の場合、不正は二重三重という。由々しい事態と捉えるべきなのだろう。

しかし、毎年の米国民の自動車信頼度アンケートでは日本車は常に圧倒的に上位をを占める。日本車と言っても今は大半はメキシコを含む現地生産車だろうが、この落差は理解に苦しむ。

どの社の時だったか、最近の自動車部品の精度の向上は昔とは比較にならないほどなので車体完成後の安全テストはほとんど不要なのだが ( 米国車にはないとか ) 、検査不正とされるとこのブログで書いた覚えがある。じじつメディアでは毎日、交通事故が報ぜられるが、車の欠陥による事故とは滅多に聞かない。昔はドライブ中に道路脇に故障車をよく見かけたが、今はほとんど経験しない。

私の個人的体験でも、ユニークさで知られる某フランス車は購入後間もなくラジオの遠隔操作装置が不具合になったが結局修理はしなかった ( 当時のフランス車はその程度の故障は想定内だった。それに手を伸ばせば済むこと )。ドイツ車というと一見堅牢な印象を与えるが、世界の小型車の基準とも言われる某車の初代は高速道で突然加速が止まらなくなることが三度ほどあり ( 怖しかった ) 、四年後?手放した時はボディーの末端がサビはじめていた。

今回のスズキのケースはビドイと言われてもしかたが無いが、これでスズキの販売台数がそれほど減るかどうか。車の電子化の進展とともに故障の可能性を予告する表示装置も進化していると感じる。そちらにも一層注力して欲しいし、もちろん安全運転装置も ( 高齢者の最大の関心事!)。

2019年4月7日日曜日

菅官房長官と『東京新聞』望月衣塑子記者

。1月以来、内閣記者会での会見中、菅官房長官への『東京新聞』の望月衣塑子記者の度重なる質問に対し菅氏が返答を拒んだりした「事件」がメディアで一斉に問題視された。私は望月記者の質問が実際にどうだったのかを録音テープででも知りたいと思ったが、結局断片的にしか知ることができなかった。正確な報道を旨とするメディアが肝心の両者間のやり取りを明らかにしないことに納得できず、望月記者の質問がややエキセントリックだったのではないかとも疑った。

昨日の『東京新聞』に同社の「新聞報道の在り方委員会」( 部外者4名で構成 )の審議内容 (3月18日 )が大きく掲載されている。それによると、内閣記者会は幹事会が質問制限に反対の意向を口頭で伝えただけでその後の動きはないという。記者会の反応は何とも鈍いという印象だが、東京新聞の政治部長は「望月記者の質問の仕方や中身に様々な意見がある」。 当事者の「双方で解決してというのが ( 記者会の ) 本音ではないか」と解説?している。これに対し萱野稔人教授 (津田塾大)は「なぜ他社の協力が得られないのかは掘り下げて検討してもいいのではないか」。「望月記者は官邸側に突っ込まれるような、決めつけや事実誤認の質問をしている。質問にもそれなりの準備をすべきだ」と発言している。長官と記者のやり取りの報道が不明瞭なのはやはりそういう事だったのかと思う。他の委員たちは望月記者に迎合的だが、ともかく今回の両者のやり取りは反対意見の封殺などとは呼べないようだ。

2019年4月4日木曜日

イスラム教諸国の明暗

2日の朝日新聞の夕刊に、「不倫・同性愛行為は死刑  イスラム教国ブルネイで新法」との記事が載っている。それによると同国では今月から、「不倫と同性愛行為に投石による死刑を課す刑法が施行される。窃盗罪には手足を切断する罰則も導入される」のに対し、国際人権団体アムネスティー・インターナショナルが「人権侵害だ」と強く批判している。私は国際人権団体はもちろんのこと、国連人権理事会でさえ他国の人権状況にむやみに口出しすることに賛成しない。それでもこのブルネイのイスラム法導入 ( 外国人も同罪 ) にはアムネスティーの批判に賛成せざるを得ない。

これまで、中東諸国やパキスタンと異なり東アジアのイスラム教諸国の国民は穏健なイスラム教徒と見られてきた。しかし最近はインドネシアやマレーシアなどでも原理主義の台頭が見られる。私は我が国への外国人労働力の導入に賛成だが、多文化との共生など念頭にない宗教信者の移民には反対せざるをえない。

きのう、同じ『朝日』の朝刊に、「サウジ皇太子  揺るがぬ権力」「カショギ氏殺害事件から半年  『若き改革者』 若者から支持」との記事が載っている。もっとも宗教戒律が厳しいと言われたサウジアラビアでムハンマド皇太子が女性の自動車運転やスポーツ観戦やコンサート出席などを許可したことへのサウジ女性の喜びの声を伝えている。同国の女性の間では「サウジの春」との声もあると以前読んだ記憶があり、日本のアラブ通からも皇太子の改革は「庶民から絶大な支持を得ている」との指摘もあった ( 郡司みさお『毎日』11月7日 )。他方で同皇太子がジャーナリストのカショギ氏の殺害に関与した疑いは極めて濃いし、女性の権利を主張した活動家の拘束なども伝えられている。

カショギ氏は「イスラム教に誇りを持つ自由民主主義者だ」と語っていたという。それに噓いつわりは有るまい。しかし、「アラブの春」では下からの改革運動は果てしない混迷 ( リビア )か原理主義派の支配 ( エジプト ) に終わった。カショギ氏はこの現実から学ぶべきではなかったか。この地では上からの改革にはそれなりの正当性があると認めざるをえない。だれであろうとサウジ女性の地位向上を実現して欲しい。



2019年4月2日火曜日

元号決定す!

平成の次の元号がようやく決まった。前回は先帝の死去直後に決定が国民に知らされたので、今回のようにメディアが大騒ぎする暇もなかった。したがって単純な比較はできないが、終わってみれば「泰山鳴動、鼠一匹」の感もないではない。

私もどんな元号でも良いと思っているわけではない。感じが良い名称に越したことはないし、自分の名前の画数の多さに多年不便をかこっていただけに画数の少ない元号が望ましかった! その意味では令和は伝えられる他の5候補と比べ元号らしい語感も良いし、画数も少なかったので不満はない。

元号は中国の皇帝が臣民の時間を管理する制度であり、人民主権の現代に存続させるべきではないとの廃止論がある。一理も二理もあるとしても元号で時代を区切って特徴づける習慣は肯定的にも否定的にも一定の有効性はある。他方、元号を廃止した中国や朝鮮やベトナムなどの国民が日本国民より幸せのように見えない。今回の事態を中国国民は分家に本家の発明品を盗まれたと感じているのではないか?

それと別に、今回の元号発表が官房長官と首相のダブル発表となったのは感心できない。こんな機会にまで安倍首相が自国文化の宣伝をするのは無くもがなもいいところである。もともと奥ゆかしさがウリの首相ではないが、前近代の我が国がいかに中国の文化的影響を受けていたかへの首相の知識の浅さが露呈したのではないか。森友事件で自分も夫人も全く無関係と断言して自分から苦境に陥ったのと同じ思慮の浅さと言われても仕方がない。

2019年3月30日土曜日

別れの歌

朝日新聞の土曜版beの「beランキング」は3月30日で一先ず終了とのことで、最後のテーマは「心に残る卒業ソング」ベスト20だった。最後の号が卒業ソングとはよく考えたものと感じた。

第1位が「仰げば尊し」だったのは旧世代の私には納得できたが、最近は卒業式であまり歌われないと聞いていたので意外だった。アンケートの回答者に中高年が多かったのだろう。私は大好きだが最近の新聞に、聴いていて居心地が悪かったとの教員の投書が載っていた。私は教員として聴いたことは多分ないが、日ごろジャージー姿で教えるとそんな気持ちになるのだろうか( 高齢者の嫌味!)。

第2位は「蛍の光」だった。これには何の不思議もないだろう。卒業式と言わずあらゆる別離の機会に歌われるから。客船が出港する際、別れのテープとともに演奏される場面が1番に頭に浮かぶ。モンゴメリー・クリフト主演の名作映画『地上より永遠に』のフィナーレにハワイを出港する客船は「アロハオエ」の演奏で送られていた。これまた素晴らしい別離の歌だと感じたのは映画の余韻に浸っていたからか。ナホトカ航路のソ連の客船は横浜の出港時、「カチューシャ」を演奏した。「歌声喫茶」の時代、よく聞きよく歌った曲なので感慨ひとしおだったが、別れの歌とは知らなかった。

半世紀前の英国で、年末の休暇に親友のニューカースル・アプオン・タイン ( スコットランドに近いイングランド最北の都市。のちに郊外のサンダーランドに日産が進出した ) の家に招かれた。大晦日の夜、そこから奥地に小一時間ほど入った村で、村人がかがり火を載せた桶を頭の上に載せて歩く素朴な行事があり、最後に見物客が腕を組み大きな輪になって蛍の光を歌って旧年に別れを告げる。その後テレビ全盛時代になって観光客が増えたと聞いたが、忘れられない蛍の光の思い出である。

2019年3月29日金曜日

秋篠宮家の内紛?

しばらく前から秋篠宮家で親子間に波風が立っているかのような報道が週刊誌に報道されていたが、今週は『週刊新潮』と『週刊文春』の二大?週刊誌が派手に取り挙げた。「奔放プリンセス  佳子さまの乱  全内幕」とのセンセーショナルな見出しにもかかわらず、一読したかぎりではどの家族にもある親子間の意見不一致程度の内容だった。

佳子さんが「当人の意志を尊重してほしい」と仲良しの姉への理解を示したのは何ら驚くには当たらないが、父の秋篠宮が小室さんからの納得のいく説明がない限り話を進めないと既に意思表示をしていた以上、「乱」になるのは皇室メンバーの避けられない運命なのだろう。なにしろ両誌とも結婚には一億円以上の御下賜金があると書くことを忘れていない。

それにしても秋篠宮と紀子妃とくに後者に対する週刊誌ジャーナリズムにそこはかとない意地悪さを感じるのは私だけだろうか?何やら紀子さんを皇后と呼びたくないとしか思えない。たしかに屈指の名家出身の美智子さんやハーバード大学やオクスフォード大学に学んだ ( 東大も忘れないで!)
雅子さんと比較されて見劣りのしない人などそういるものではない。不公平と言えばそのとうりである。

それもこれも愛子さんが将来皇位に就かれないことへの国民の潜在的なわだかまりもあると私には思えてならない。そもそも君主制での最大で唯一の後継根拠は血筋だろう。合理的であろうと無かろうと国民は直系の相続者なら納得する。日本史上の女性天皇は中継ぎ的だったと聞くが、すでに先例があるということは小さな事ではあるまい。天皇は男子でなければならないとする人たちは皇室への国民の敬愛の念を掘り崩すのではないか。

2019年3月27日水曜日

訂正

先ほど大和和紀の『あさきゆめみし』の展示と書きましたが、同氏の『ヨコハマ物語』の誤りでした。悪しからず。

大佛次郎記念館を訪ねて

先週土曜日、横浜の港の見える丘公園の隣りにある大佛次郎記念館を訪ねた。3月25日まで特別展示「大佛次郎『天皇の世紀』1555回の軌跡  取材旅行から絶筆まで」が催されており、担当した私の元ゼミ生のYさんに訪問を要請されていた。出来れば桜見物もと不届きにも訪問をギリギリ引き延ばしていたが、桜はついに時間切れとなった!

大佛次郎が『鞍馬天狗』などの大衆小説から『帰郷』などの純文学、さらには『天皇の世紀』10巻のような歴史書まで執筆した知の巨人であることはむろん私も承知していたし、朝日新聞夕刊に1555回掲載されたときほとんど目を通していた。Yさんの解説付きでそれら関連資料を興味深く拝見した。他にも大仏が横浜生まれで生涯横浜を熱愛したこと、生涯に500匹の猫を飼ったほどの猫好きだったなど初耳の事実も多かった。

展示に接したあと昼食時、館内のコーヒールームで大きなサンドイッチを食べながらOさんとつもる話に興じた。天気が今ひとつだったので市内の見物は省かなければならなかったが、東横線が中華街駅まで延伸されていたなど浦島太郎の心境だった。

4月3日から横浜出身の漫画家の大和和紀の『あさきゆめみし』を中心とした展示が始まる。港の見える丘公園の桜とあわせて訪ねてはいかが。

2019年3月21日木曜日

大松博文と東洋の魔女たち

朝日新聞に今日まで8回にわたって 、1964年の東京オリンピックで金メダルを取った東洋の魔女たちと大松博文監督の回顧記事が載っている ( 未完?)。同チームの中核となった日紡貝塚女子バレーチームの猛練習は私もニュース画像?で見たことがあったが、壮絶とでも言うべき苛酷なものだった。当時でも、うら若い?女性に対してこんなことが許されるのかと思わせた。

それでも選手たちがついていった ( 大松の自著『俺についてこい』) のは「大松先生の厳しさにはすべて理由があった」との篠崎洋子選手が語るように、監督と選手の間には強い信頼関係があったからだろう。もっとも、途中から加わった篠崎選手は経験しなかったろうが、初期には総員ビンタ ( 今は何と呼ぶ?) も珍しくなく、選手たちは監督が全力を出せないよう出来るだけ密に並んで裏をかいたという!

想像だが、大松監督はなかなかの容貌だったので選手たちに一種の恋愛感情めいたものがあったのではないか ( 男子チームでも監督が女性なら同じだろう。女性監督は稀だろうが ) 。それがこの監督を優勝させるためならどんな苦しみにも耐えさせたのではないか。そうでなければときに払暁に及んだ自主練習など出来まい。

その証拠という訳ではないが、オリンピック終了後大松監督が日紡を退社すると栄光の選手たちも退社した。彼女らは日紡からの給料だけで世界一になっても報奨金はなかったという。その後は選手たちはママさんバレーの指導者になった。

国情も時代も違うとはいえ、欧米を中心にスポーツで年間億単位から十億単位の収入のアスリートは少なくない。以前にこのブログで言及した覚えがあるが、1900年のパリ・オリンピックを描いた映画『炎のランナー』で、試合当日が日曜日となりキリスト教の安息日には出られないとして予定の100メートル走から200メートル走に変更して優勝した英國青年は、その後は宣教師となり中国に赴いた。オリンピック優勝の栄誉以上を求めなかった点で65年後の東洋の魔女たちも同じだった。



2019年3月15日金曜日

記憶に残る選手

テレビに久しぶりに元スキージャンプ選手の原田雅彦氏が出ていた。1994年のリレハンメルオリンピックのジャンプ団体で日本男子チームは金メダルに手が届きかけていたのに失敗ジャンプをして国民をがっかりさせ、次の長野オリンピックの最終ジャンパーとして金メダル獲得に貢献したことを覚えている人は多いだろう。前よりは少し歳をとったと感じたが、人懐こい笑顔は健在だった。

20年以上前、オーストリア観光のツアーに参加したことがある。ミュンヘン空港からオーストリア入りして最初の観光地はスキーの競技場としても知られるバートガシュタインだった。トニー・ザイラーが世界選手権で三冠を達成した ( コルチナ・オリンピックに続いて ) スキー場のジャンプ台でガイドの説明を聞いていたとき、傍らの柱に目を走らせたら、ここでバッケンレコード ( このジャンプ台での最長飛距離記録 )を達成した選手たちの名を刻んだリストがあり、原田選手の名があった。エッ、原田選手って偉かったんだとびっくりした。

というのも、リレハンメルオリンピックでの失敗ジャンプの印象は強烈だったし、長野での最終ジャンパーとしての着地姿勢はいまにも尻餅をつきそうでヒヤヒヤものだった。それでも天は原田を見捨てなかった!

スポーツでは記録よりも記憶に残る選手はいる。原田は後者の代表だったが、立派な記録も残していたと知ってほしい!

2019年3月13日水曜日

はやぶさ2は無駄か?

昨日 ( 12日 ) の『朝日』の「声」欄に、「『はやぶさ2』偉業に酔う前に」との大学教員の松井利仁氏の大胆きわまる投書が載っている。インターネットで調べたら同氏は京都大学工学部出身で現在は環境騒音を専門とする北海道大学工学部教授とのこと。

はやぶさ2による小惑星探索が我が国のメディアで快挙として大きく報道されたことは記憶に新しい。しかし松井教授は「惑星探査は今の世の中で必要なのだろうか」と問いかける。「世界で5秒に1人が餓死し........、国の借金は1千兆円を超えている」。はやぶさ2は「『真理の探究』という美辞に包まれたエンターテインメントに過ぎないのではなかろうか」「惑星探査に正義があるとは思えない」と手厳しい。

こうした意見が正面きって表明されることは滅多にないが ( むしろ空前絶後?)、じつは国民の一部に分け持たれている意見かもしれない。しかし、ことは宇宙探索だけでなく純粋科学全般にかかわる深刻な問いかけである。大学理学部で追及される自然科学は結果として人類に貢献するかもしれないが、本来はこの世界の理解が目的だろう。ニュートリノ研究でノーベル賞を受賞した梶田隆章教授が研究目的を問われて「知の地平を拡大するため」と語ったのは、多年浴びた質問への考え抜かれた回答なのだろう。

他方、やはりノーベル賞を受賞した山中伸弥教授は、iPS細胞研究から画期的な創薬が為されないならば私の研究は何の意味もないと言い切っていた。同じ科学者でも山中教授が医学部出身であることと無関係ではないだろう。

じつは理学部の研究活動と同様、文学部の研究活動も実用に資することを目的としていない。あるいは前者以上に後者は「虚業」だろう。しかし理学と同様文学も効用が無いわけではない。何より基礎科学に手を抜いたとしても世界で5秒に1秒餓死者が出る現実に何の効果もない。基礎科学者からの松井教授への反発や批判は避けられないだろう。

それでも素人にも理解が容易な研究活動が過度にメディアに持て囃される事実は否めない。敢えて「暴論」?を語った松井教授に敬意を表明したい。

2019年3月11日月曜日

東日本大震災から8年

東日本大震災の第8回記念日にあたる今日は、テレビ各局とも終日震災回顧の報道で持ちきりだった ( 見る方も暇なのね!)。震災当日の津波の動画は何度も目にして来たが、改めて見ると乗用車が何台もまるで木の葉のように流されている様は壮絶とでも言うほかない。

あらためて今後は画期的津波対策が必要になるのでは。東京湾岸も堤防により守られていると言っても東日本大震災クラスの地震が襲ったとき果たして無事だろうか。ビルが林立する都区内では上層階に逃れれば失命することは無いだろうが物質的損害は巨額になるだろう。

東日本大震災よりも大規模災害になると予想されるのは南海トラフの移動で起こる西日本の太平洋岸をおそう大地震である。海岸沿いの都市や村落の住民は高さ10数メートルと予想される津波に技術的に対処できるだろうか。

しかし今日たまたまテレビ画面で見た四国の海岸地帯では避難用タワー ( むしろ壁の無いビル ) が視界内だけで3棟造られていた。たまたま先進地帯だったのかもしれないが、生命を守ることは可能だとの印象だった。今後早急にタワーを普及させることが肝要だろう。

震災後の東北へは五本の指で数えるほどは訪ねているが、石巻以外の被災地は訪ねていない。今年はなんとか三陸海岸を訪ねたい。ボランテイアは到底不可能だが。

2019年3月9日土曜日

沖縄と本土の戦後 (2)

現在、本土政府と沖縄県との間の最大の対立因となっているのは言うまでもなく米海兵隊の普天間基地の名護市辺野古への移転問題である。

1996年、村山氏に続いて自社さ ( さきがけ ) 政権の2代目首相となった橋本龍太郎は当時差し迫った「日米安保体制の再定義」問題の協議のためクリントン大統領と会談した。当時、米兵による少女暴行事件で沖縄県民の怒りは激しいものとなっていた。大統領の友好的態度にうながされて橋本首相は思いきって海兵隊基地の全面移転を提案したところ再検討が約束された。大田昌秀沖縄県知事にとってさえ「青天の霹靂 」だった展開に橋本首相が舞い上がったとしても無理はなかった。

しかしその後の日米交渉で決まった普天間基地の返還のための代替地は、当初の嘉手納米空軍基地への統合案に米軍も周辺住民も反対したため実現不可となり、最も抵抗が少ないと予想された米軍の既設基地 ( キャンプ・シュワブ ) のある名護市辺野古が選ばれた。しかしここでも米軍の要求と住民の反対の間に橋をかけることは困難であり、鳩山由紀夫首相の「最低でも県外」発言の後は沖縄の自民党までこれまでの条件闘争的態度から県内米軍基地の廃止に変わった。

20年以上も空しい期待を強いられた宜野湾市民の普天間返還の要望に早急に応えるべきは当然だが、辺野古の埋め立て予定地に新たな軟弱地盤が発見され、さなきだに長い工期がさらに延びる上に沖縄県の試算では基地完工まで2.5兆円の費用が必要とのこと。米軍の戦略変更でいつか海兵隊が去ったら全てが無駄になりかねない ( 米軍立川基地の前例もある。可能性ゼロとは言い切れない ) 。いっそのこと基地の危険と騒音を避けたい宜野湾市民に市内ないし市外への移住のための資金を給付する方が待機期間の大幅減少ともなり、賢明に思える。

6日の朝日新聞の夕刊に、「馬毛島に変更  一考を」との作家の池澤夏樹氏の提案が載っている。現在、岩国基地の米軍艦載機の離着陸訓練の候補地としても注目されている同島への海兵隊基地の移転は決して同氏の一時の思いつきではなく、20年来の持論とのこと。「短期間の工事で実用化が可能、付近住民の危険がなく、騒音問題もなく」はその通りだし、私も
離着陸訓練地としては最適と思う。しかし、樹木も無い裸島に水源があるとも思えず、短期利用以上の基地となりうるだろうか。

2019年3月6日水曜日

沖縄と本土の戦後 ( 1 )

こんにち、沖縄がわが国の一部であることは日本人 ( 少なくとも内地人 ) にとっては自明の理である。しかし、70余年前はそうではなかった。米英中の三国が発表し ( ソ連は未だ中立国だった ) わが国が受諾したポツダム宣言では、日本国の主権は「本州、北海道、九州及四国ならびに吾等の決定する諸小島に局限 」されていた。二度の原爆投下とソ連の対日参戦に意気沮喪した日本はそれを受諾するしかなかった。サンフランシスコ講和条約でも沖縄は米国の施政権下にとどまっていた。1965年に佐藤内閣が沖縄返還を公式に提起するまで、我が国は「諸小島」との歴史的人種的文化的つながりを指摘することしかできなかった。

その意味で佐藤首相の「 沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わっていない」との言明は、沖縄県民の日本復帰運動の高まりを受けてとはいえ画期的であり、その後の困難な対米交渉を含めて沖縄返還への佐藤氏の多大な貢献は否定できない。

その後も基地問題を中心とする対米交渉の陰には、メディアでは稀にしか報道されなかったが山中貞則、梶山静六、野中広務、小渕恵三、橋本龍太郎ら沖縄への思い入れの深い、あえて言えば贖罪意識に強く動かされた政治家たちの真摯な ( 最近乱発され価値低下した言葉だが ) 努力があった。官僚案では第8位 ( 警備や宿泊や輸送の困難から ) だった沖縄を敢えてサミット会場に選んだ小渕首相は沖縄説得訪問の1週間後、サミットに出席することなく脳梗塞で急死した。

本年1月に出版された塩田潮 『内閣総理大臣の沖縄問題 』( 平凡社新書 ) は新書版ながら300ページの内容の詰まった著作であり、私の失いかけた記憶をよみがえらせてくれた。深謝。

2019年2月28日木曜日

天皇陛下への衆院の「 賀詞 」議決

2日にわたり、平成30年間に活躍した各界の功労者が両陛下に「宮中茶会」に招待され、テレビ画面を賑ぎあわせた。連日かれらのお相手をされた両陛下にはご苦労様と申し上げたい。

それに比べて新聞各紙で地味な扱いだったが、衆議院で天皇在位30年に対して感謝と慶祝の意を示す「賀詞」が共産党を除く全党派の賛成を得て議決された。同党の反対理由は「過度に天皇を礼賛するもので、国民主権の原則に照らして賛成できない」というものである。

最も詳しい記事を載せた『産経 』で「賀詞」の原文を読む限り確かに礼賛一方だが、30年間の両陛下の行動に照らせば「過度の礼賛」とまで言えるかどうか。共産党の主張は国民一般の受け取り方に反するかもしれない。

しかし私は、日本共産党がときに示す独善的単独行動に賛成するものではないが、今回に限って言えば同党の反対 ( 欠席 )で「全会一致」とならなかったことは良かったと思う。少なくとも皇室に対しては批判を控える風潮がメディアを中心に社会に無いとは言い切れない以上、今回反対意見が明示されたことは我が国の民主主義が健在であることを世界に示したと思う。皇室問題であれ、ジェンダー問題であれ、民族差別の問題であれ、冷静な意見表明までタブーとするのは極めて危険な風潮である。

2019年2月25日月曜日

鉄道車両製造能力の国際比較から

昨日の朝日新聞の第一面トップは「中国製地下鉄  米を監視?」「『首都の機密守れ』 入札延期」というもので、驚くべき記事だった。米国の首都ワシントンの地下鉄にボストン、シカゴに続いて中国製地下鉄車両の採用が有力視され、議会や専門家から反対の声があがっているとのこと。現在の鉄道車両は単なるハコではなく、運行上必要な各種センサーの塊であり、中国に情報コントロールを可能にするとの危惧である。

私は I T技術の素人なので、国防総省の利用者の多い地下鉄に中国製車両を採用することがどれほど危険かは皆目わからない。しかし、国防総省と無関係なボストンやシカゴの地下鉄がすでに中国製車両を導入していること、すでに「米国では旅客車両を造るメーカーは淘汰され、もうない」ことは私にとって驚くべき事実である。

もっとも、次ページの図表によると、米国の鉄道車両製造能力は、世界の中で、14.6%とあるので、中小私鉄の要求に応える製造会社はまだ存在するということだろうか?  この図表によると世界の鉄道車両製造能力のシェアは中国43.1%、日本5.9%、その他 ( ドイツのジーメンスやフランスのアルストムなど?) 36.4% 。いかに中国が急速に製造能力を向上させたかが分かる。

車両製造以上に注目すべきは粗鋼生産力で、中国49.2%、日本6.1%、その他39.9%、米国4.8%。自由貿易により、より安価な製品を優先した結果がこれである。

1960年代の中ごろ、英国が自前の原子力潜水艦の製造を計画したとき、既に使用可能な優れた鋼材を自国では生産出来なくなっていた。世界で最初に産業革命を成し遂げ自由貿易主義の母国でもあった英国がである。既に覇権国では無くなっていた英国なら兎も角、米国が同じテツを踏むならば世界の安全にとりあまりに危険である。覇権国家の無い世界は理想ではあるが、中国が米国に代わって覇権国になるのは悪夢以外の何物でも無いだろう。

2019年2月20日水曜日

親による子の虐待の防止に法律は有効か

千葉県野田市の小学四年生の女児の父親による虐待死は信じられないほどの残忍な事件で、なぜ親が実子に対しあそこまで冷酷になれたか、納得がいかないのは私だけではあるまい。しかも周囲の人たちはこの父親の性格を全く予感していなかったという。完全な二重人格者とでも解釈すべきなのか。

女児の死に至るまで、学校、教育委員会、児童相談所のそれぞれにひどい失態があったと見られる。その後、親の体罰の行使を法的に禁止する動きが国会議員団から、関係閣僚から、さらに東京都議会 ( すでに立法に着手しているとか?) にまで拡大している。

しかし私は家庭内にむやみに法律を持ち込むことには反対である。世の中に躾けというものが必要である限り、それは学校教育以前にないし併行して家庭でまずなさるべきであり、そこで体罰が全く無用だとは思わない。親による子への虐待事件が絶えないとはいえ、全国の家庭からすれば例外中の例外であり、特殊例 ( それがいかに冷酷であっても )に対処するため全ての親子関係に関わる立法をすべきだとは思えない。じじつ親の体罰禁止の法があったとしても今回の事件が防止できたとは思えない。やはり、学校と弁護士との協力、必要とあれば警察との協力をさらに強めること。そのための人員や予算をこれまで以上に充実させることが先決ではないだろうか。

2019年2月16日土曜日

名門浪商の名選手たち

夕刊に元浪華商高野球部監督の広瀬吉治氏の逝去が報じられている。最近こそ大体大浪商高は高校球界の強豪校ではなくなっていたが、戦後復活した1946年の中等野球大会で優勝して以来、四半世紀以上も甲子園の強豪校であり続けた。

名前も知らなかった広瀬氏の訃報に驚いたのは、氏が戦後第一回の中等野球大会の優勝時の捕手だったとあったから。当時は日本中が食糧難に苦しんでいた時期だったが、京都2中との決勝戦で相手打者をバッタバッタと三振に討ちとる平古場投手の活躍は素晴らしく、中学1年の私はラジオ放送に聞き入ったものだった。その時の浪商の捕手が広瀬氏とは知らなかった ( 平古場は後に慶大で活躍。プロには進まず ) 。

再び夏の甲子園で浪商が優勝した時は怪童と呼ばれた高2の尾崎行雄投手が大活躍。彼はその後高3に進まないまま東映フライヤーズに入団し、1年めの1962年、20勝9敗で新人王になった。チームメイトだった元巨人の高田外野手は尾崎の球速は最高だと評価している。

三度目の甲子園になる春のセンバツ大会では広瀬氏が監督で、牛島和彦投手と香川伸行捕手のバッテリーで勝ち上がったが、決勝戦で敗れた。牛島と香川はそれぞれ中日ドラゴンズと南海ホークスで活躍し、香川は野球マンガの主人公の「ドカベン」の愛称でファンに愛された。

平古場も尾崎も香川も鬼籍に入り、その活躍を知る人は少なくなった。そうでなくとも引退後のプロ野球選手の後半生は一部を除き話題に上らないのは寂しい限り。私は決して忘れない。


2019年2月8日金曜日

中国移民に揺れる豪州

先日 ( 1月29日 ) 放映され録画しておいたNHKのB1スペシャル「静かな侵略  中国新移民に揺れるオーストラリア 」を見た。現地の放送番組の紹介である。

オーストラリアは第二次大戦後も白豪主義 ( 白人以外の移民は歓迎しない ) を取っていたが、その後は人種差別とみられることへの反省か、各人種に門戸を開いていた。しかし最近は逆流が起こっているという。それにしても「Silent Invasion 」とは穏やかでない。

逆流を誘発したのはいまや総人口の5%を占めるという中国人の流入である。番組ではそれが顕在化した南のタスマニア島の州都?ホバートを取り上げていた。同市はこれまで世界各国が南極大陸への補給基地として利用してきた。中国は先進国との30年の遅れを挽回するため自国の南極基地を4箇所から5箇所に増やしつつあり ( 南極海に人工島を計画とも ) 、そのためもあってかホバート市議会に初めて中国人移民の候補 ( 女性 )を立てた。

最近、世界の有名大学に「 孔子学院 」が設立され、文化的侵略や中国外交の道具ではないかと警戒されているが、ホバートでは中国人の仏教寺院がその役割を担っていると見られている ( 同国では留学生も選挙権を持つ )。

中国の影響力はむろんタスマニアだけではない。オーストラリア労働党の次期党首とも目された親中派の有力議員が中国移民から資金を提供されていたことが発覚し、政界引退を余儀なくされた。タスマニアには中国資金によるゴルフ場や空港建設の計画もあり、中国人移民の候補は落選したが当人はさして落胆の様子はなかった。

ヨーロッパでも移民人口が国民の数パーセントを超えると国民の警戒心を掻き立てると聞く。移民国家オーストラリアも例外ではなかった。まして中国が国際司法機関の判決を無視する政治的軍事的大国であることが一層の警戒心を掻き立てるのは理解できる。

2019年2月6日水曜日

インバウンド客の訪問地

今朝の「羽鳥モーニングショー」で、急増する外国人観光客の訪問県のリストが紹介されていた。京都府や東京都などが最大の訪問客数を競うのはむろんだが、最近の増加率だけをとるならば青森、大分、佐賀の三県が最高だという。

意外な結果だが、それにはそれなりの理由があるという。先ず、最近の格安航空便 ( LCC ) の便数増加により地方空港の利用率が高まっているとのこと。大都市空港の便数の制約や利用料金の高さもあるのだろう。数年前まで地方空港の乱造と赤字が話題となり、私もその驥尾に付して静岡空港批判を書いた記憶がある。弁解になるが、これほどのインバウンド客の増加を予想した人は少ないのではないか?

各地の事情としては、青森県の場合、津軽のストーブ列車やスキー客の増加が指摘された。大分県は別府や湯布院といった名湯の存在が大きいのだろう (格別の言及はなかったが )。佐賀県は失礼ながらその理由が解しかねた ( 私自身、長崎への往復に通過しただけ )。番組によると中国との地理的な近さや有田焼などもさることながら、棚田など何でもない緑あふれる風景が桃源郷として人気とのこと。何しろ観光目的にきれいな空気を吸いたい ( 洗肺 ) が挙げられる中国人である!

京都のように外国人観光客のために乗り物やホテルが混むという不都合もあるが、やはり多くの外国人に日本の風物や料理 ( 最近は訪日目的の上位に急上昇とか ) や人情に接してもらいたいと思う。いっときの日本人の冬ソナ聖地巡礼のように日本映画の聖地巡りも大歓迎である。我が家の周囲もアニメ映画の名作『耳をすませば』の聖地なのだが、今のところもっぱら日本人の若者だけなのが残念である。




2019年2月3日日曜日

私が選ぶNHK大河ドラマ

昨日の朝日新聞の土曜付録beの『beランキング』は「忘れられない大河ドラマ」20篇だった。我が家はかなり熱心な大河ドラマ視聴者であり、最初の2回の「花の生涯」と「赤穂浪士」( 長谷川一夫主演 ) はさすがに見ていないが、その後は8割りかた?見ていると思う。

ランキング第1位の「篤姫」を始め20位までの作品も大部分見ているが、その中で感銘を覚えた作品は6位「八重の桜」、10位「天と地と」、12位「樅ノ木は残った」ぐらい ( 感銘度はこの逆 ) 。私が最も感銘を覚えた「獅子の時代」と「琉球の風」は20位以内に入っておらず、平賀源内を山口崇が演じた「天下御免」は日曜の大河ドラマではなかったと今回知った。

加藤剛と菅原文太主演の「獅子の時代」は1867年のパリ万博から明治17年の「秩父事件」までの激動の歴史が多く織り込まれ見どころ十分だったし、「琉球の風」の細部は忘れたが、本土の不当な圧迫に抵抗した琉球王朝時代の沖縄がテーマで、深く共感を呼ぶ作品だった。どちらの作品も時代の流れに逆らって誠実に生きた主人公たちの姿が印象深い。

12位「樅ノ木は残った」は、芝居などで従来は極悪人とされてきた仙台藩家老の原田甲斐を、身を賭して幕府から仙台藩を守った忠臣と描いた山本周五郎原作の時代劇。私は時代の趨勢にあらがった悲運の主人公に弱いようだ ( お前だけではない!?)。伊達家の定宿だった宮城県の青根温泉不忘閣の庭には原田甲斐が仰いだ樅の大木がある ( むろん山本周五郎の創作だろうが )。


2019年1月31日木曜日

マルタ島の空港ピアノ

以前にこのブログで紹介したNHKのBS放送の「駅ピアノ」の姉妹編に「空港ピアノ」があり、数日前に放映されたものを録画で見た。今回は地中海のシシリー島のさらに南にあるマルタ島 ( 英語ではモールタと発音 ) の首都バレッタの空港ピアノだった。英国領から独立したのは50年ほど前なので公用語は英語。古代からの数々の遺跡に富み、とくに近世に騎士団により作られたバレッタ市街は美しく世界遺産となって居る。

現在のバレッタはヨーロッパで最も南の都市のひとつ ( アルジェやチュニスより南!)ということもあり、人気の観光地となって居るようだ。そのため空港ピアノに立ち寄る旅行者もヨーロッパのあらゆる国籍の男女であり、女性よりも男性がやや多かったのは日本と違うのではないか。

演奏曲目もショパンなどのクラシックから現代のポップス ( 多分!) と多彩だった。国境を越える音楽の力を感じさせられたと共に、黒人グループも含めてヨーロッパ ( 米国を含む ) 文化の共通性が印象的だった。地理的に近いアラブ人が皆無だったのは母国が観光客を送り出す余裕がないことも一因かもしない。マルタ島といえばおよそ日本とは無縁の地と思われがちだが、第一次大戦中に英国海軍を助けて地中海に派遣された駆逐艦乗組員の死者数十人が眠る旧日本海軍戦没者墓地がある。

空港のピアノ自体はNHKが各空港に設置しており、楽しくも考えさせる番組を考えたと感じる。日本にもピアノを設置する駅や空港はあるとも聞くが ( 私は知らない ) 、日本人の場合、恥ずかしがって挑戦者は少ないかもしれない。

2019年1月27日日曜日

やまゆり園事件 二年半後

相模原市の障害者施設「やまゆり園」での職員による大量殺人事件から昨日で二年半になるという。それを回顧したテレビの報道番組 ( 局名は忘れた ) を昨日見た。世に殺人事件は絶えないが、過去にたった一人の犯人によるこれほどの大量殺人事件がわが国にあったか思い出せない。抵抗のすべもない身障者相手だから有り得た陰惨極まりない事件だった。

番組中の指摘で19名の死者の名前は未だに匿名であると改めて知った。むろん家族の希望を尊重してのことだが、家族といっても必ずしも非公開を希望する人たちばかりではないとのこと。逆に、匿名により「すべてを否定されたように感ずる」「 ( 健常者と ) 命の重さが違うように感ずる」家族がいるのは十分理解できる。元職員には慰霊碑の建立を願う者もいるが、犠牲者の氏名を銘記すべきかどうか、結論に至らないらしい。

犯人の元職員はむろん特異な性格の持ち主だったろうが、本人は殺人に至った動機として、危篤状態の収容者を救ったのに家族から感謝の言葉がなかったことを挙げていた。そうした家族の存在も十分あり得る。家族の精神的負担の重さは部外者の想像を超えたものがあろう。

現役の看護師でもある宮子あずさ氏は一年前の東京新聞 ( 2018年1月29日 ) の『本音のコラム』に「これ ( 事件 )を知った瞬間、心が痛んだ」と回顧している。「せっかく救命できても、手がかかるようになった家族からは喜ばれない。そんな経験を何度もしたからだ」「介護にせよ看護にせよ、ケアを仕事とする人間は、きれい事で無い現実を見る」「この問題の存在を認めた上で、対処が必要だ」。

私は死刑存置論者であるが、この職員に死刑は当然であるとまでは言い切れないている。

2019年1月24日木曜日

日露領土交渉 打ち切りもあり得る

安倍首相とプーチン露大統領の25回目?の会談は何の成果も生むことなく終わったようだ。これ以上交渉を続ける価値があるかが問われている。

旧ソ連崩壊後のロシアの混乱期には4島返還の可能性もあったろうし、大統領職に復帰したプーチンが領土問題での「ヒキワケ」を口にした頃には少なくとも2島返還の可能性はあったろう。だがそれ以後明らかに彼の態度は後退した。以前からラブロフ外相は対日譲歩を否定する発言を繰り返してきた。これ迄はそれを、妥協も視野に入れるプーチンとの役割分担とも解し得たが、仮にそうだとしても度重なる外相発言がロシア国民に4島領有を正当と錯覚させる効果を果たしたとすれば逆効果だったことになる。じじつロシアの国民世論はいよいよ頑なになってきた。

領土の返還よりもロシアに対する経済支援を優先しているプーチンの発言は、ロシア世論を対日譲歩に導く効果を狙っていると解することも不可能ではないが、彼の真意はわからないし、何よりそれでロシア世論が妥協的になるとの期待はとても持てない。安倍首相は経済支援の食い逃げを許してはならない。

多年、日露間の交渉に従事してきたクナーゼ元ロシア外務次官に、「ロシアは歯舞、色丹を引き渡す用意がないと思います」( 『朝日』1月24日 )と言われては期待は持てない。経済支援の先行を許さない結果、2島返還が実現しなくても止むを得ない。漁業域 ( EEZ )の拡大を考慮しても2島返還にそれほどのメリットは感じられない。米国のシェールガス実用化により日露協力による資源確保のメリットもかつてほどではなくなった。

多大の流血を経ても兎も角も沖縄、小笠原を返還した米国の態度と比較したくもなる。それを知らしめたなら安倍首相の奔走もそれなりの意味はあったのだろう。意図とは違うとはいえ。

2019年1月22日火曜日

中等教育の危機

数日前? 東京の西郊の某都立高校の教師が生徒に暴力を振るったとして処分された ( されかけている?) との新聞報道があり、テレビ番組で教師が生徒を文字通り殴るスマホの場面が放映された。

ところが昨21日朝の日本テレビでそれ以前の1分15秒の動画が紹介され、驚き呆れた。その1分15秒間、その生徒は教師に暴言を連ねて挑発していた。そもそも動画は、怒った生活指導係の体育教師が暴力を振るうことを予想して仲間がスマホ撮りしていたのであり、ツィッター上で炎上させようとの発言も聞き取れた。

ところが今日の朝刊各紙はこの放映への論評もなければ独自の追加報道もなく、全くの黙殺だった。しかし、今日22日の昼のテレビ番組 ( フジとTBS )でこの不良グループの悪辣さが取り上げられたので、間もなく週刊誌が一斉に取り上げるだろうが、新聞の沈黙は何ゆえだったのか。

新聞以上に情けなかったのは当の高校長であり、今日のテレビによれば生徒の側に非は無かったと記者会見で語ったという。この不良グループの存在を全く知らなかったとは思えないが、少なくとも当の教員から事情聴取したはず。事なかれ主義もここまで来たかと思わざるを得ない。逆に職を賭しても罠に落ちた部下を守るのが上司の務めだろう。

最近、小中高教員の採用試験の倍率が低下しており将来が心配ととのことだが (『朝日』1月21日)、今回のような事件対応が一般化すれば教職の人気はさらに低下し、デモシカ先生ばかりになりかねない。大手新聞が教師へのこれほどの不可解な処分を黙視するならば、問題の高校の親たちが立ち上がり、教諭への不当処分を是正させるほかなさそうだ。

2019年1月19日土曜日

新入国管理法再論

今朝の毎日新聞の『経済観測』というコラムに日本の「ベトナム簿記普及推進協議会」の理事長なる人物が、昨年の入国管理法改正の結果が「大変に心配だ」と危惧を表明している。過去10年ほどもベトナムに関わってきたとのことなので実情に疎いとは思えず、「約束と違う低賃金や過剰な残業に苦しむ」との指摘はこれ迄の新聞報道でもよく指摘されたところである。

しかし、氏が指摘する日本語教育の充実を始めとし改善すべき点は多々あるとしても、ベトナム人研修生は強制的に徴用されてきた訳ではないし、両国間にこれだけの人的交流がある時代に日本の実情に全く無知で来日したとも思えない。

同じ毎日新聞 ( 12月24日 )に、元ベトナム難民で現在は日本国籍を持ち実習生事業  ( 人材派遣会社?)に従事している人の主張が載っていた。それによればベトナムの平均月収は約2万3000円。仮に悪質ブローカーに100万円の手数料を払って来日したとしても、月2~3万円の送金があれば家族は困らず、研修期間の3年間に100万円の貯金は可能であり、それで家が買えるとして受け入れ拡大に賛成している。

二人の主張はどちらも誤りではないだろうが、私には12月24日の記事の方が大局を捉えていると感じる。それによると3751人のベトナム人研修生が失踪したとのことだし、以前の新聞報道によると3年間に400人近い研修生の自殺があったが、どちらも分母である総数や同年齢層の日本人の自殺率との比較を欠いては一概に多いとは言えない。

ベトナム人は前大戦中 ( 日本による占領期 )に多大の人的被害を被ったのに親日的である。そこには中国への警戒心も働いているだろうが、死力を尽くして戦った相手のフランスや米国とも現在良好な国家関係を持つように、対中警戒心だけでは説明できない国民性の問題もあるようだ。私はベトナム各地に旧研修生の新築の家が見られれば素晴らしいことだと思う。彼らは宗教原理主義とは無縁のようだし。

2019年1月17日木曜日

相撲人気は安泰か?

今朝の新聞もテレビも稀勢の里の引退の話題で持ちきりである。横綱昇進後の成績は最悪だったのにこれほど惜しまれる関取も珍しい。寡黙で忍耐の人という日本人が好みそうな人柄も大きいが、やはり久し振りの日本人の横綱ということも大きかったろう。私にとっての彼は白鵬の連勝を阻止して双葉山の68?連勝記録を守った大功労者である。

今場所は大関陣も負けがこんでおり、新旧交代の時期ということのようだ。しかし、若手の先頭を切る御嶽海も貴景勝も突き押し相撲一辺倒のようで物足りない。栃若時代に帰れと言っても仕方のないことだが、豪快な投げの打ち合いこそ相撲の醍醐味と思うのだが。

じつは栃錦も横綱になるまでは出投げや二枚蹴りを得意としていたが、横綱昇進後は押し相撲に変わった。ガップリ四つでお互い十分よりも相手に何もさせない取り口の方が玄人の評価は高いと聞いたことがある。

しかし爽快な取り口という点では、変幻自在の四つ相撲だった日馬富士の引退は残念至極である。暴力は無論良くないが、相撲の稽古など素人には暴力との見分けがつかないほど激しい。相撲界に一般社会の基準を当てはめて角界から完全追放するほどのことだったのか。相撲はスポーツでもあるが興業でもあるなどと言えば今の世の中顰蹙を買うのだろうが、何より面白くない相撲は見たくない。それでも相撲人気は安泰だろうか。

2019年1月14日月曜日

韓国は友好国か?

我が国と韓国の間には従来からも慰安婦問題や元徴用工の補償問題など波風が絶えなかったが、自衛隊の哨戒機に対する火器管制レーダー照射問題でいよいよ対立が深刻化した。事実の評価いかんではなく、事実の有無そのものが問題となっているのは妥協を困難にする。

レーダー照射問題ではまだ結論が出たとまでは言いたくない。韓国側撮影の自衛隊機は遠く小さく見える。なぜ韓国は自国ではなく自衛隊機の撮影した画像で主張の大半を補強しなければならなかったのか。逆に自衛隊機の撮影した画像では韓国軍艦にかなり接近しているように見える ( ズーム効果を割り引いても ) 。

それでも照射自体はおそらく有ったろう。そうだとしても真の問題は艦長命令にせよ部下のハネ上がりにせよ、レーダー照射は韓国軍が日本を友好国とは考えていないことを示しているのではないか?  韓国側だけがそうだという気はない。日本の与党政治家が、「韓国は友好国なのにこんなことをするのか」と発言していたが、当人は本当にこれまで友好国と考えていたか?

私は民選大統領下の韓国は、キムデジュン大統領の期間を除いて日本の友好国だったとは思わないので、レーダー照射があっても驚かない。韓国は三権分立の国だから司法部の判決に安易に介入しないとの文大統領の主張は筋が通っている。しかし、国際法に反する日本大使館前の慰安婦像を撤去するのに法的問題はないはずである。友好国のリーダーならそれを放置するはずがない。

「冬ソナ」以来、日本のテレビは毎日複数の韓流ドラマを放映し、訪日外国人数では韓国と中国が首位を競っているというのに、日韓関係の冬はいつ終わるとも知れない。同じく日本に植民地化された台湾では、日本支配時代の神社が「町おこしの起爆剤などとして地方の人たちに見直されており、各地で復興されている」とのこと( 『東京新聞』1月12日 )。 煉瓦造りの風格ある旧総督府を保存する台湾と、堅牢一本やりの旧総督府を取り壊した韓国では美的観点からはどちらも理解できる!


2019年1月7日月曜日

蒐集癖の末路

旧年末の夕方、電話に出たら不用になった洋酒や切手があれば買いますということだった。皆無というわけではないが、最近いかがわしい回収業者の話も聞くので「有りません」と返事した。

最近の子供たちは知らないが以前には一定の年頃に切手を蒐集する子どもはよくいたと思う。私もその例外ではなくそうした時期があり、その後蒐集品の半ばは散逸したが、残りはスタンプブックに持っていた。むろん「見返り美人」のような珍品も印刷ミスの切手 ( とんでもない高価 )も無いが、記念切手が出ると買っていた。ところがその後、郵政省が金儲けのためやたらに記念切手を発行するようになり、馬鹿馬鹿しくなり切手趣味から離れた。今では当時の切手は現在との価格差のため使用もならず、その存在すらあやふやだった。

ところが最近になってスタンプブックが見つかった。貴重な切手は無いがシートで購入した切手が20~30枚あり、「奥の細道シリーズ」など、これまで訪ねた名所の風景が思い出され懐かしい。いまさら処分もならず、娘に後事を託した。

切手に限らず人間には蒐集癖というものがある。私もカメラを10台程度所有するが、それらはすべて使用をするために購入したものであり、蒐集癖からでは無い。むかし学生が博物館学習に従事している半蔵門近くのカメラ博物館をお礼のため訪問したことがある。応対していただいた館員は偶然その直前のお宝番組で見かけた人だった ( その後もカメラ鑑定のたびに見かける) 。同氏によるとその時のカメラには大したものはなかったとバッサリだったが、番組ではそれほど低評価でも無かった。カメラに限らず評価価格はこれから買えばということのようだ。