2019年9月7日土曜日

旧人類の教育観

最近の ( 大学以前の ) 学校教育ではアクティブ・ラーニングだの問題解決学習だの、旧人類には一読しただけでは判然としない学習方法が推奨されているようだ。従来の暗記中心の学習や教師の一方的知識伝授式学習への反省が最大公約数らしく、素人はそこから内容を推測するほかない。

問題解決能力を磨くことに反対などあるはずもないし、欧米と比較しても我が国の教育が知識注入式の色彩が濃いのは事実のようだ。欧米に追いつくのが主眼だった時代からはもう脱すべきだろう。ただ、的確な判断は多くの事例を知ることで強化されるとは言えるだろう。温故知新も一面の真理である。

問題解決型教育の一環なのか、大学の国語入試問題に企業内文書 ( 取扱説明書のような ) の理解力をテストする問題が出題されるとも聞く。それに反対ではないが私の個人的経験では古代から近代に至る日本文学に親しむきっかけを与えてくれたのは国語教科書や副読本のでのそれらの抜粋だった。教養とか情操を育てる教育の必要も忘れたくない。

大学受験時代の私はこんな事をしていて良いのかと危惧しながら徳富蘆花の『自然と人生』や【みみずのたはこと』を愛読していた。ところが受験した大学のその年の国語問題の一部は『自然と人生』からの出題だった。私は「やはり神様はいる」と心の中で叫んだ !

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