2019年6月26日水曜日

ゴーン氏の憂鬱

前日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏が拘束を解かれたりまた身柄を拘束されたりと、法律の素人にはよく分からない処遇を受けている。本人が招いた災難かもしれないが、異国での先の見えない拘束は辛いことだろう。

ゴーン氏が旧フランス植民地 ( 国際連盟の委任統治という名の ) のレバノンの出身であることは知られている。昨日の朝日新聞に日産自動車に君臨するまでの同氏の経歴がやや詳しく紹介されている。レバノンの名門校 ( おそらくフランス語での教育 ) を卒業した彼は、17歳でフランスの理系の最高学府で教育を受けた秀才中の秀才だった。しかし彼は「パリでは人間関係が希薄.......、溶け込めたと思ったことはありません」と語っているとのこと。フランス国籍の取得を勧められたが一度は拒んだという。

ロンドンでもパリでも外国人は珍しくないので、日本のように外国人 ( 少なくとも欧米人 ) だからといってちやほやされることは無い。このブログでも一度紹介したと記憶するが、エドウィン・ライシャワー博士はパリでの留学生活を自伝で回想して、「庶民との交流は皆無。私は留学生が留学先の国を憎むようになる気持ちがよく分かった」( 大意 ) とまで書いている。博士の場合、フランスの高名な日本学者の下で学ぶための留学でフランス語は得意でなかったと想像するが、完全にフランス語をマスターしたゴーン氏でもフランスに溶け込めなかったとは........。「他文化との共生」の難しさだろうか。

その後のゴーン氏はミシュラン・タイヤ社で異例の急速な昇進を遂げるが、家族色の強い同社ではトップには就けないと知り、ルノー社に移り頂点に達した。その並み外れた能力と努力を考えれば祝福に包まれての引退に値する生涯だったはずだが、そうならなかった。「犯罪」の真相は未だ完全に解明されたわけではないとはいえ、自らの「豪腕」に酔い謙虚さを失っていたとすれば罪は罪として何ともやるせないことである。

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