2019年8月20日火曜日

田島元宮内庁長官の『拝謁記』

田島道治元宮内庁長官は昭和天皇との5年間の詳細な対話録を残していた。今般、NHKがそれを入手し、NHKニュースで小出しに紹介するとともに、8月17日に「昭和天皇は何を語ったのか」との題で特集として一括放映した。 内容の相当部分はすでに『独白録』( 1991年 )などで知られていたが、後世の発言ではなく、当時書かれた「拝謁記」で後付けられたことの意義は大きい。

昭和天皇は既にマッカーサー司令官との会見で戦争の全責任を引き受けると語っていたが、同司令官の『回顧録』の記述だけでは断定は難しかった。しかし今回、天皇が講和条約成立に際しての談話に「反省」の一語を入れさせるべく1年間も固執したこと( 吉田首相の執拗な反対により反省表明は阻止されたが )が立証された。のちの記者会見で自身の戦争責任を問われて「そういう言葉のアヤについては」答えられないと答え責任回避との疑いを ( 私にも )抱かせたが、突然の質問に戸惑われたとともに政治的発言との批判を避けたかったのだろう。古川隆久氏の解説のようにこの問題については陛下は「腹ふくるる思いの連続」だっただろう。

東條陸相を首相に任命したことは外国にはいよいよ開戦を決意した人事と受け取られたろうが、当事者ともなれば陸軍も責任を自覚するのではないかとの期待からの窮余の策だったことは三笠宮崇仁親王の『オリエント史と私』でも強調されていた。今回それが天皇自身により確認された。天皇が南京虐殺を「まぼろし」などとは考えなかったことも自身の口から確認された。

戦後の再軍備に関してもその必要を説きつつも、「旧軍閥式の再台頭は絶対に嫌だ」と語っている。自衛隊の式典での「捧げ銃」にゾッとしたとの発言にもいかに軍部の専横を多年憎んでいたかがうかがわれる。

田島長官は天皇とのやりとりを記憶をもとに直後に手記にしたのだろうが、その記憶力には驚くほかない。願わくばもっと早く公開されていたら多くの誤解 ( 中傷も ) が正されていたろうにと思うばかりである。

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