2019年7月1日月曜日

独裁の二つの型

「アラブの春」当時のエジプトで選挙で選ばれたモルシ大統領が軍事クーデターにより打倒されてもう数年になるが、先日裁判を受けている最中に急死した。図式的に捉えればシーシ軍事独裁政権による民主主義の圧殺とも言える。しかし私はそうした新聞報道に納得できなかった。一昨日 ( 6月29日 ) の東京新聞の『本音のコラム』欄に常連寄稿者のカリーム師岡氏の「小粒のモルシ」との小文が載っており、同感するところが多かった。

彼女によるとモルシは他のイスラム同胞団の指導者たちが立候補を禁じられたため立候補した小粒の幹部で、「カリスマを求めるエジプト人から見るとモルシは大統領の器ではなく.......、宗教色の強い勢力のかいらいとも見られ、このままでは寛容な文化立国エジプトが失われてしまうという感情が広がった」「退陣を求める数百万人規模のデモと軍の介入によりモルシは失脚し.......、当時は多くのまっとうな知識人が退陣要求に賛同した」とのこと。師岡氏も元大統領の異常な死に「胸が痛む」とするが、「モルシが早々に辞任していれば」との思いを禁じ得ないという。

カリーム師岡氏の日頃のコラムは私にときにアラブ弁護色を感じさせるが、啓発されることも多い。エジプトの軍事独裁政権はナセル大統領の時代から一貫してイスラム同胞団を禁圧してきた。彼らは西欧流の民主主義をエジプトで直ちに実地に移すことはできないと考えたが、エジプトの近代化は目指していた。しかし、イスラム原理主義、広く言って全体主義イデオロギーにとっては他の思想は禁圧すべきものでしかない。カリームのように、「寛容な文化立国エジプト」を大切に思う人間には同胞団の支配は望ましくなかったろう。世界の四大文明の発祥地との彼女の自国への誇りは排他的イデオロギーに馴染めないのだろう。近代化を推進しようとしたケマル・パシャ流の独裁と近代化を否定する復古主義的独裁とは似て非なるものではなかろうか。

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