2019年4月2日火曜日

元号決定す!

平成の次の元号がようやく決まった。前回は先帝の死去直後に決定が国民に知らされたので、今回のようにメディアが大騒ぎする暇もなかった。したがって単純な比較はできないが、終わってみれば「泰山鳴動、鼠一匹」の感もないではない。

私もどんな元号でも良いと思っているわけではない。感じが良い名称に越したことはないし、自分の名前の画数の多さに多年不便をかこっていただけに画数の少ない元号が望ましかった! その意味では令和は伝えられる他の5候補と比べ元号らしい語感も良いし、画数も少なかったので不満はない。

元号は中国の皇帝が臣民の時間を管理する制度であり、人民主権の現代に存続させるべきではないとの廃止論がある。一理も二理もあるとしても元号で時代を区切って特徴づける習慣は肯定的にも否定的にも一定の有効性はある。他方、元号を廃止した中国や朝鮮やベトナムなどの国民が日本国民より幸せのように見えない。今回の事態を中国国民は分家に本家の発明品を盗まれたと感じているのではないか?

それと別に、今回の元号発表が官房長官と首相のダブル発表となったのは感心できない。こんな機会にまで安倍首相が自国文化の宣伝をするのは無くもがなもいいところである。もともと奥ゆかしさがウリの首相ではないが、前近代の我が国がいかに中国の文化的影響を受けていたかへの首相の知識の浅さが露呈したのではないか。森友事件で自分も夫人も全く無関係と断言して自分から苦境に陥ったのと同じ思慮の浅さと言われても仕方がない。

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