2019年12月4日水曜日

山岳写真家の死

新聞各紙に白旗史朗氏の訃報が載っている。同氏は白川義員氏と並び、わが国で最も知られた山岳写真家の1人だろう。国内の山々から始まり、ヒマラヤやアルプスなど世界の名峰の写真を撮り続けた人のようだ。同年齢とは知らなかった。

「ようだ」と言うのは私が知る同氏は郷里の大月市に近い南アルプスや奥秩父の山岳写真を山と渓谷社の『アルパイン・カレンダー』に載せていた1950年代後半から60年代前半の時期が中心であるから。氏がローライフレックスで撮った南アルプスの山々や秩父の笛吹川源流の東沢渓谷の写真など今でも記憶している。当時購入した『アルパイン・カレンダー』3冊ほどは書庫に有るはずだが見当たらない。

いま手元にある『 カレンダー』は1980年版1冊だけ。そこでの大型のリンホフで撮った氏の写真は日本アルプスなどの雪山中心で、他の山岳写真家たち ( 美瑛を有名観光地にする以前の前田真三も!) の同種の写真に交じって私の感興をあまり呼ばない。その後白旗氏はさらに海外の山々に撮影対象を移したようだ。

十数年前だろうか。某新聞社後援のフンザ ( パキスタン最北の秘境 ) 撮影旅行の広告に白旗史朗の名を発見して心が動いた。アンズやアーモンドの花咲く「秘境フンザ」を訪ねる絶好の機会と思ったが、ふんぎりがつかないうちに同地方に大きな地震があり、それどころでは無くなったと記憶する。私がフンザ撮影旅行に心が動いたのは無論春のフンザに憧れたからだが、白旗氏に会って半世紀以上前に氏の写真に惹かれたと告げたかったのかもしれない。

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