2019年8月24日土曜日

いじめ防止には

8月も後半になり新学期が近づくと、いじめを苦にして自殺する小中高生が増加するということで自殺防止をテーマにした記事が目立つ。自殺者を出した学校や教育委員会は今後の課題として生命尊重の人権教育を強化するなどと表明するのが常だ。関係者たちは本当にその効果を信じているのだろうか。無難なお題目を唱えているだけではないのか。

いじめによる学校生徒の自殺が増加しているとすればその原因として少子化 ( 兄弟間での「揉まれる」経験の減少。兄弟間でもいじめは皆無ではない ) なども考えられるが、私には昨今の「子どもの権利」の主張に比例して教員の権威が低下した影響も小さくないと思えてならない。

子どもを天使のように純粋と考えるのは親の願望に過ぎず一面的である。逆に子どもは残酷であるとの認識も必要ではないか。教育 ( 広い意味での ) を受けるにつれて子どもは言って良いことと悪いことの区別を学ぶ。最近、外国人 ( とくに白人 ) とのハーフが芸能界やメディアで多く活躍している。子どもの頃はクラスで人気があったのではと想像したが、逆にいじめられたと答える人が多い。子どもは自分たちと異なる人間に対し無遠慮であったり不寛容であったりするのではないか。

子どもとは未完成な存在だろう。そうした子どもの世界で「子どもの権利」を言い立てれば教員の権威は確実に低下し、弱い子にとっては学校は地獄ともなるだろう。子どもだけではない。最近、精神的不適合や疾患による教員の休職が増えていると聞くが、教員の権威の低下と無関係だろうか。そうしたことから教員志望者の減少や質の低下を招くなら何より子どもの不幸である。

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