中村氏が危険を十分認識していたことは十一年前に年若い同志の伊藤和也が殺されたのち他の協力者を帰国させ、独り残留したこと、住民に不人気な米軍の協力を一切拒んでいたことなどに明らかである。どれほど前途に危険があっても、一度始めた使命を全うすることを選んだのだろう。東京新聞 ( 12月6日 ) の関連記事の見出しはその使命感を「爆弾よりパン 掲げ」「政府に頼らず 貫いた非軍事」と表現している。
しかし、政治的であれ宗教的であれ、イデオロギーの正しさを確信した「信徒」は反対者へ容赦はしない。今日の『東京』の「本音のコラム」に師岡カリーマ氏が、「親身になって助けてくれる外国人もいる。地道に努力すれば、少しずつ生活は改善できる。平和が来れば、幸せな人生を築くことだってできる。こういう希望はすべて、絶望と被害者意識を餌にする武装組織のリクルートには邪魔なのだ」と書いているが、同感できる。
米軍を中心とするNATO諸国の軍事介入が成果を挙げていないことは明らかだが、非軍事的貢献なら成果が挙がるとは言えない。 反政府勢力が国土を支配すれば、女子教育否定、児童婚など女性抑圧の廃止は絶望的となろう。アフガニスタンの闇は深い。
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