2019年8月13日火曜日

日本軍の玉砕戦

例年通り、あるいは今年は例年以上に8月に入りメディアの戦争回顧の番組や記事が多いと感ずる。8月11日夜のNHKスペシャルが取り上げたガダルカナル攻防戦は興味深かった。

日米両軍による同島の攻防戦は米軍の勝利に終わったばかりか、太平洋戦争全体の転換点になったことで知られる激戦だった。しかし、戦争中は同島での日本軍の全面敗北は「撤退」と糊塗された。ようやく戦後になって日本軍の兵士たちは兵站 ( 物資の補給 ) を絶たれて主に餓死したと知られ、同島は「餓島」とも呼ばれた。

日本軍内の陸軍と海軍の対立と兵站軽視はこれまでも指摘されてきたが、今回の番組ではガダルカナルでその両者が結びつき、陸軍と海軍の連携さえ極めて不十分だったことが大量の餓死者を生む原因だったという ( 私にはそれ以上に日米両軍の圧倒的な物量の差が印象的だったが ) 。

ガダルカナル奪回作戦の失敗以後、太平洋の島々では日本軍 ( 軍属や民間人も ) の玉砕戦が常道のようになった。そのひとつにギルバート諸島のタラワ・マキン両島 ( 現キリバス共和国 ) での海軍陸戦隊の玉砕戦があり、司令官の柴崎少将の死は新聞で「軍神」並みの派手な扱いとなり、東京で盛大な葬儀が営まれた。

当時は世田谷区の小学校の4年生?だった私は、柴崎少将の遺児の同級生だった。玉砕が公表されると、どの新聞かは記憶にないが遺児の写真を撮りに来た。たまたま校庭に同級生が数人いたので騎馬戦の写真を撮ることになり、柴崎君と私が騎乗役となった。ところが最初から私は劣位を強いられ、写真を撮られた。大人にとっては当然かもしれないが、小学生には納得できなかった。私のメディア不信はここに始まった??

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