2019年9月3日火曜日

池内紀『ヒトラーの時代』( 中公新書 ) を読んで

ヒトラーとナチズムに関してはわが国でも翻訳書を中心におびただしい著作が公刊されており、日本人史家による著作も少なくない。それなのにドイツ文学者として広く知られる池内氏が今夏ヒトラーにかんし一書をものしたのは、氏がその高い文化を心から敬愛する「ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」( 本書の副題 ) を問わずにはいられなかったからだろう。本書はその意欲が生んだ力作である。

本書が論ずるのはおよそ1930年代後半までのヒトラーとナチスの歴史であり、ヒトラー伝の著者トーランドが、「もしこの独裁者が政権四年目ごろに死んでいたら、ドイツ史上もっとも偉大な人物の一人として後世に残っただろう」と評したほどに経済恐慌と社会の混乱からドイツをめざましく回復させた。しかし、その一方で政権当初からユダヤ人への無慈悲な迫害は同時進行的に進行していった。

本書の長所はヒトラーの肖像解析などもあるが、類書に無い ( 私の知る限りだが ) 一章として、ユダヤ人出版社からナチス治下 ( 1939年 )で刊行された『フィロ・アトラス』( フィロは出版社名 ) という題名の亡命者向けマニュアル本の紹介がある ( ナチスはこの段階ではユダヤ人が自ら国外脱出すれば好都合と考えていたのだろうか?  実現性は疑問だがナチスはユダヤ人のマダガスカル島への追放を計画していたとも言われる )。

『フィロ・アトラス』は亡命全般に関し実用書に徹しており、とりわけ移住先の情報は亡命者にとり貴重だったろう。ブランコのスペインとともにソ連やポーランドが推賞できない国とされているのは慧眼だった。逆に左翼からファシスト的独裁国とされたポルトガルには好意的判定だった。じっさい同国は大戦中10万人近い亡命者を受け入れた。

ともあれ新書版ながら本書は新しい角度からヒトラーとナチスを考えさせる良書だと思う。

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