1996年、村山氏に続いて自社さ ( さきがけ ) 政権の2代目首相となった橋本龍太郎は当時差し迫った「日米安保体制の再定義」問題の協議のためクリントン大統領と会談した。当時、米兵による少女暴行事件で沖縄県民の怒りは激しいものとなっていた。大統領の友好的態度にうながされて橋本首相は思いきって海兵隊基地の全面移転を提案したところ再検討が約束された。大田昌秀沖縄県知事にとってさえ「青天の霹靂 」だった展開に橋本首相が舞い上がったとしても無理はなかった。
しかしその後の日米交渉で決まった普天間基地の返還のための代替地は、当初の嘉手納米空軍基地への統合案に米軍も周辺住民も反対したため実現不可となり、最も抵抗が少ないと予想された米軍の既設基地 ( キャンプ・シュワブ ) のある名護市辺野古が選ばれた。しかしここでも米軍の要求と住民の反対の間に橋をかけることは困難であり、鳩山由紀夫首相の「最低でも県外」発言の後は沖縄の自民党までこれまでの条件闘争的態度から県内米軍基地の廃止に変わった。
20年以上も空しい期待を強いられた宜野湾市民の普天間返還の要望に早急に応えるべきは当然だが、辺野古の埋め立て予定地に新たな軟弱地盤が発見され、さなきだに長い工期がさらに延びる上に沖縄県の試算では基地完工まで2.5兆円の費用が必要とのこと。米軍の戦略変更でいつか海兵隊が去ったら全てが無駄になりかねない ( 米軍立川基地の前例もある。可能性ゼロとは言い切れない ) 。いっそのこと基地の危険と騒音を避けたい宜野湾市民に市内ないし市外への移住のための資金を給付する方が待機期間の大幅減少ともなり、賢明に思える。
6日の朝日新聞の夕刊に、「馬毛島に変更 一考を」との作家の池澤夏樹氏の提案が載っている。現在、岩国基地の米軍艦載機の離着陸訓練の候補地としても注目されている同島への海兵隊基地の移転は決して同氏の一時の思いつきではなく、20年来の持論とのこと。「短期間の工事で実用化が可能、付近住民の危険がなく、騒音問題もなく」はその通りだし、私も
離着陸訓練地としては最適と思う。しかし、樹木も無い裸島に水源があるとも思えず、短期利用以上の基地となりうるだろうか。
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