2020年12月30日水曜日

巨大自動車運搬船

  以前 ( 6月28日 )の当ブログで巨大コンテナー船のルポルタージュ番組を紹介した。たまたまチャンネルを回して途中から視たのだが、我々の日常とあまりに違う乗組員 ( 女性もフィリピン人も ) の生活は私には新鮮な驚きだった。
  年末のテレビ番組は手抜き番組も少なくないが、休日の視聴者を当てにしてか長尺のルポ番組もある。今朝も途中からだが米国への巨大自動車運搬船の紹介番組を視た。太平洋を無事航行した?船はパナマ運河を通過する。同運河を通過できるように幅狭くつくられた船が高低差克服用の数か所の閘門を通過する際の余裕は左右共数十センチしか無い。岸に接触すれば船腹に被害とのことで、操船の苦労は並大抵ではない。
  運河を過ぎればカリブ海の海賊への警戒。映画の中の話のようだが船側に鉄条網を巻きつけるのだからウソでも何でもない。ちなみにパナマ運河の通行料は3000万円とのこと。スエズ運河はたしか4000万円だった ( それでもアフリカ南端の喜望峰回りなら燃費は9000万円とのこと )。パナマ運河の場合、南米先端のマゼラン海峡利用は論外なのだろう。
  運搬船はジャクソンビル ( フロリダ州 ) やボルチモア ( メリーランド州 ) などで計5000台の積荷を下すのだが、港湾施設使用料を考え作業は超特急。帰路はヨーロッパに立ち寄り ( ヨーロッパ車を積み込む?)、スエズ運河利用で帰国とか。米国までで35日の旅には女性船員もフィリピン人船員もいないようだった。
  コロナ禍で経済活動が打撃を被っている中で我が国の自動車産業は一時の低下を経てほぼ正常の操業まで回復していると聞く。その陰には運搬船乗組員の努力もあることを忘れたくない。

2020年12月27日日曜日

Go To トラベルの終焉?

  半年ほど?続いたGo To トラベル キャンペーンが明日から2週間中断すると言う。現在の感染者の発生状況からすれば2週間後再開となるか大いに疑問である。
  Go Toトラベルの評判はメディアでは良くない。それが現在の感染拡大にどの程度寄与したかは断言はできないとはいえ、拡大に寄与したことは否定できないのでは。
  諸新聞の中では『日経』が唯一?批判とは一歩距離を置いている。「Go To 停止 地域経済に影」「打撃 2500億円 の試算 」との見出しで昨日の同紙は、11月15日までに5260万泊人 ( 人数×泊数 ) の利用者があり、10月の宿泊者数は東京、大阪、沖縄を除いた44道府県で前年を上回ったとの内閣府の発表を伝えている。
  『日経』は元来経済紙だからその視角から問題を評価するのは理解できるし、それはそれで評価すべきだろう。Go To キャンペーンに関連する業界が一息ついたことも否定できない。しかし、医療施設が受け入れ不能となる事態は何としても回避しなければならないから中断はやむをえない。さいわいファイザーの新ワクチンの有効性は実証されつつあるようだ。適用の優先権は家に籠ることの多い高齢者でなく、通勤に公共交通機関を利用せざるをえない勤労者に与えられるべきだろう。

2020年12月20日日曜日

「アラブの春」 十年後の反省

今年はチュニジアの「ジャスミン革命」を発端とする「アラブの春」後10年ということで、新聞を中心としたメディアに特集記事が見られる。
  チュニジアでの官憲の非情な扱いに抗議した青年の自殺が、同国ついでアラブ世界全般で独裁政権への抗議運動の口火となり、「アラブの春」と呼ばれた政変を惹起したことは記憶に新しい。しかし現在のところチュニジアで民主化が進んだことが唯一の例外とされ、逆に以前より厳しい独裁体制となったり、シリアやリビアのように内戦に引き裂かれた国もある。どうして人々の期待がこれほど無残に裏切られる結果となったのか。
  今朝の『毎日』は第一面に「 アラブ  失われた春」「始まりの町  覚めた夢」の見出しで、「革命前の社会は抑圧されていたが、生活は安定していた。今は悲惨だ」との市民の声を紹介する。さらに、「ベンアリ大統領時代の方がよかった」とのかの自殺青年のいとこの女性の声を伝え、「『春』は結局アラブ諸国に何をもたらしたか。それはわずかな民主政と多くの混乱だった」と結論する。
  なぜそうなったのか。『東京』は「まぼろしの春  アラブ民主化運動から10年」との続きものの記事の第4回の今朝、カイロ・アメリカン大学の教授の発言を紹介している。サイド・サデク教授は「革命への期待は自分たちの能力と資質を超えていた。革命後の混乱は予想以上に大きく、短期間で民主化が達成できるというのは幻想だ」と結論する。
  民主化と自由を命がけで求めたアラブの青年たちには厳しすぎる指摘かもしれない。しかし、発展途上国では軍人はときに数少ない知的エリートでもあり、いちがいに軍事独裁政権と決めつけることが正しいとも言い切れない。重視すべきは指導者たちが近代化を達成するために当面は民主主義を制限しているのか。それともイスラム原理主義者や最近の中国の習近平政権のように原理として西欧民主主義を拒否するのかであり、両者を区別する必要があろう。
 

2020年12月12日土曜日

フランスのイスラム教対策

  このたびフランスはイスラム過激派対策として「フランスの理念に反する行為」を処罰する法案を閣議決定した ( 『朝日』『毎日』12月11日 ) 。教祖ムハンマドの風刺画を教室で生徒に示した教員が殺害された事件が無論きっかけだが、最近の数次の同様のテロ事件の帰結といってよいだろう。
  ヨーロッパ諸国の中でもフランスは政教分離を国是とすることで知られる。発端はフランス革命だが、19世紀末には村の教会に警官隊が突入するといった激しい紛争にもなった。フランス人の何事にも徹底する国民性とカトリック教会の非妥協的態度が生んだ対立の激しさには、今日の日本人はそこまでやるかとの印象を持つのでは...........。
  問題は政教分離だけではない。イスラム教の女性に対する著しい差別 ( 女子教育反対、少女婚等々 ) も今日のヨーロッパでは到底受け入れられない。最近 (  2018年 ) に出版された2著、末近浩太 『イスラーム主義 』( 岩波新書 )と飯山陽 『イスラム教の論理』( 中公新書)はそのイスラム評価に大きな違いが感じられるが、それでも「イスラームの理念においては、ある国家を統べるために人が法を作るのではなく、神の法を体現するために国家がつくられるのである」(末近)とする点では両著に大きな差はない。飯山氏の説くようにイスラム過激主義とは実はイスラム原理主義であり、イスラムからの逸脱ではない。
  ヨーロッパも数百年前には中世的世界観 ( 神中心主義 ) が支配的だった。ヨーロッパが長年月をかけて克服してきた神中心主義を復活する試み=近代の否定をフランスが許せないのは当然と言える。

  

2020年12月7日月曜日

奥多摩訪問

  東京都民、とりわけ高齢者は他府県訪問を自粛せよとの政府の要請に屈したわけではないが、昨日曜日、「漂泊の思ひ止まず」? 東京の西端の奥多摩を訪ねた。
  当日、青梅マラソンが開催されると聞き、多少の不安はあった。しかし多摩川上流部には左岸の青梅街道 ( 山梨県塩山まで ) と右岸の奥多摩街道がある ので、ままよと出発した。案の定、前者は一般通行車両は禁止だったが、後者は渋滞も無く1時間半足らずで目的地の一つ、御岳渓谷の玉堂美術館に着いた。
  川合玉堂は戦時中当地に疎開し、その死まで同地で画業に勤しんだ。多分建て替えられた?旧居は落ち着いた和風の建物で、画伯の作品や画室が見られる。私は画伯の清楚な画風が大好きなので三度目?の訪問。展示作品の数が多くないのは不満だが、御岳渓谷を見下ろす絶好のロケーションにも惹かれる。
  作品鑑賞後、もう一つの目的である対岸の玉川屋のとろろそばを食した。青梅街道に面した正面は何の変哲も無い二階屋だが、御岳駅に向き合う正面は藁葺き屋根で気分満点である。30年~40年ほど前に3回ほど利用したことがあるが、コロナ禍のため食卓が半数ほどで昔日の面影は無かった。驚いたのは私自身もはや苦しくてあぐらがかけなくなっていたこと、そばを全量食べられなかったこと。
街道では警官たちが見守る中、ランナーたちが絶え間無く通過した。美術館の駐車場にとって返すと、目前の激流で若者たちがカヤックに励んでおり、30年の間にここはカヤック愛好者たちの聖地となっていた ( そのための建物や駐車場が整備されていた ) 。御岳山参詣者やハイカーは減っても同地は新たな生命力を発見したようだった。

2020年12月4日金曜日

週刊誌の役割

    少し前から女性週刊誌や男性週刊誌?で目に付いた現象に秋篠宮家と小室家関連の興味本位の記事があるが、先週 ( 11月26日号 ) から今週にかけて歴史ある出版社の『週刊文春』や『週刊新潮』までがその列に加わった。
  見出しにいわく、「眞子さま  小室さんオリンピック駆け落ち計画」「虚栄の履歴  小室さん母子の正体」( ともに『週刊文春』)、「『祝意なき婚儀』強行」「度を超えたお金目当て婚」「『髪結い亭主』との生活設計」( 『週刊新潮』)。一般市民と異なり反論もままならない相手にここまで書いていいものか。
  私は以上の記事を一つも読んでいない。しかし大半の国民もその点は同じだろう。小室さんの母は問題を抱えた人なのだろう。しかし、だからと言って小室圭さんにまで難癖を付けていいものか
  それだけではない。これまで秋篠宮妃紀子さんへのそこはかない悪意が感じられる記事が週刊誌に散見された。そこには女性天皇実現への障害となった妃への見当外れの不満が存在するのだろうか。私も女性天皇の実現を願う者だが、それへの障害は、後継問題の早期の検討を約束した政治の怠慢であり、直接にはこれまで問題解決の引き伸ばしを図ってきた安倍内閣だろう。
  これまで、週刊誌の追求が良い意味で問題提起になったテーマは少なくない。その功を否定する気はないが、弱い者いじめに加担してしくない。

2020年11月28日土曜日

教員の多忙

 最近、学校教師の過重労働が再三指摘されている。しかし、半世紀以上前にわずか3年間 ( 私立受験有名校2年、都立高1年 ) 専任教員として勤務した経験のある私には信じられなかった。当時は「教員は長い夏休みがあって羨ましい」とよく言われた。それが世間の常識だったようだ。
 今日の朝日新聞の「声」欄に、「多忙な教員  もっと力になりたい」と題するスクール・サポート・スタッフ ( SSS  文部省が予算をつけた教員補助職 ) の投書が載っている。それによると、「授業がない時間は、生徒が生活の様子を書くノートにコメントしたり、検温報告に目を通したり、昼休みも給食指導に張り付き、教員室に戻られない先生もいる。習熟度別のクラスが設けられ、試験前の放課後には質問時間の設定や補習もある」とのこと。
 60年前、少なくとも高校や附属中には給食など無かったし、生徒の書く生活レポートも無かった。新米教師の私にはクラス担任は無かったが、担任を持つ教員もそれほど多忙では無かった (私の勤務校は両校とも授業と学校行事を除いては勤務時間のしばりは無かった ) 。
 なぜそれほど学校風景は変わったのか。私見だが、企業と異なり学校には経営的考慮は働かない (超過勤務手当もない )。その結果、「良いことならやるべきだ」との建前論が支配しがちだ。しかし、学校で生徒にとって最も重要なことは心に残る授業を受けることではなかろうか。そのために必要なことは教員の心の余裕だろう。本務以外で教員が疲れるようではそれを期待できない。時代が違うとの言い訳を許すべきではない。

2020年11月22日日曜日

来世での御夫君との再会を!

 まだ11月というのにもう数枚の年賀欠礼の葉書が届いている。その中に娘さんが84歳の母親の死を報ずる一枚があった。84歳なら早死とも言えないが、私の友人だった夫君は40歳前に亡くなっている。その後の長い人生を思い厳粛な気持ちとなった。
 友人のW君とは大学院で知り合った。一学年上の同君は他大学の卒業生で修士2年間の在学だったので、ごく短い交際期間だった。その後私が英国留学から帰り名古屋の私立大に復職すると間もなく電話連絡してくれた。同地の名門県立高の定時制の教員をしているとのこと。他に大学時代の友人はおらず、早速旧交を温め、わずか半年のうちに若狭湾の海水浴、伊吹山や木曽の御嶽山の登山 ( 後者で遭難しかけたことはこのブログにも書いた?)など楽しい小旅行をともにした。その後私が東京に移ると、ロシア ( ソ連 )史専攻の同君は米国に留学し、落馬して亡くなった。その間、同君の論文はソ連の専門誌に日本人として初めて掲載されたと聞いた。
 ご夫人は夫君の死後、高校教師をしながら4人?の子供を立派に育てられ、その後世界を旅された。ラサから遠いチベット西部の同国仏教の聖地カイラス山を訪ねられたと賀状で知った。ツアーに参加したということだろうが、万年雪をいただく独立峰のカイラス山は聖地の名にふさわしく私もいつか訪ねたいと憧れながら果たせなかったので、その行動力に驚いた。
 夫君の米国留学は私の留学に触発されたのではと、ときには慚愧の念を抱かないでもなかったが、見事な人生を全うされた夫人には尊敬の他ない。来世での夫君との再会を信じたい。その節は是非私も仲間に入れて欲しい。

2020年11月18日水曜日

学術会議への無関心?

 日本学術会議が推薦した6委員の任命拒否問題は野党の国会質疑もあり、政府の説明不足 ( と言うより説明回避?)がクローズアップされている。新聞各紙の世論調査でもその指摘は一致している。しかし、メディアの度重なる批判記事や批判番組にも拘らず、世論調査の結果は意外の一言のようだ。
 最も発表が早かった『毎日』( 11月8日 )の場合、任命拒否は「問題だ」が37%、「問題とは思わない」が44%、「どちらとも言えない」が18%。会議の在り方の見直し検討が、「適切」58%、「不適切」24%、「分からない」が18%となる。
 これに対し、調査発表が遅かった『朝日』( 11月17日 )の場合、任命拒否は「妥当だ」34%、「妥当でない」36%に割れた( 「どちらとも言えない」への言及無し)。
 任命拒否への批判派の一角を占めた『毎日』にとってもこの結果はショックだったのではないか。記事の末尾では「野党は『論点のすり替え』だと批判するが、学術会議の改革を求める声も強いことがうかがわれる」と結んでいる。
 私はこうした問題での世論調査の結果には「参考」以上の意味を付したくない。しかし、メディアでの批判の嵐 ( 反批判派メディアは反論よりも黙殺を選んでいる ) にも拘らず国民が乗ってこない事実は否めない。
 福沢諭吉に倣えば私は二世 ( ふたよ )、天皇主権と軍国主義の世と国民主権の世を経験した。その一人として戦前回帰への警戒をすぐに持ち出す人には賛同しない。戦前にはどのような合理的な思考も「天皇に不忠である」との一言に勝てなかった。滝川教授事件も美濃部達吉教授の天皇機関説もしかり。戦前と戦後の本質的な違いをわきまえず、すぐに戦前の言論弾圧を持ち出すのは軽率ではなかろうか。

2020年11月15日日曜日

今も残る山村の生活

 日曜朝のNHKの『小さな旅』は毎回見ているわけではないが、落ちついた地方紹介番組で、最近はマンネリ化がいちじるしい民放の旅番組と比べて良質だと思う。今朝は宮崎県北部の五ヶ瀬川沿いの日之影村 ( 観光地の高千穂峡の少し下流 ) を山田敦子アナが訪ねた。
 ここで最初に紹介されたのは五ヶ瀬川でモクズカニ ( 稀にウナギも ) を獲る老人。都会で売っているワタリガニの一種?だが、かなり大きくズワイガニに近かった。数人の老人仲間との飲み会はおかげで楽しさ倍増である。
 村には平地は殆どなく、住居も棚田も先祖が築いた堅牢な石垣の上に存在する。現在は小型トラクターで稲刈りをしていたが、これまでの苦労は相当のものだったろう。
 老漁師はまた数カ所の草むらに日本ミツバチの巣を持っており、その蜜を採取している。それは何ら驚くに当たらないが、仲間と数匹のオオスズメバチを捕らえて白い糸をくくりつけて離し、望遠鏡でその行方を追う。そしてその巣から大量のハチの成虫を採取する。それはハチ入りの五目飯を作るためだった。
 最近は知らないが、昔は信州などではハチの子は好んで食された。貴重なタンパク源だったと聞く。戦争末期の農村の小学校では生徒たちに半日イナゴを捕まえさせた。バッタを食べる気にはなれないが、何の違いもないイナゴは何とか食べられた。その傍らで先生がヘビを割いていた!

2020年11月11日水曜日

熊本水害の報道

今朝の毎日新聞の第一面のトップ記事は「川辺川ダム容認へ転換 熊本県 治水代替策困難」との見出しで、人吉盆地を中心に今夏大きな人的物的被害を生んだ球磨川の水害を繰り返さぬため、一度は否定された支流の川辺川ダムの建設を県が容認に転じたと報じている。
民主党政権当時の脱ダムの風潮を私は一概に誤りだとは言いたくない。さらに球磨川の場合、地元が「日本一の清流」(当時そう呼ばれもした)を守りたかったおのも理解できる。しかし、建設中止前の三年間続いた水害にも拘らず、中止を命じた知事の責任はどうなるのかと本ブログ(8月6日)に書いた。ただ、今朝の記事によるとダム建設に人吉市長も反対だったとのこと。そうした場合、知事だけを責められない。厳しい言い方になるが水害被害の拡大は住民自身が招いたと言うべきだろう。
それにしても他紙とくに『朝日』が球磨川水害の続報を怠っているのは不可解である。同紙が当時の脱ダムの風潮に同調したことを厳しく評価したくはないが、多数の人的物的被害を生んだダム建設中止への反省は必要ではないか。

2020年11月9日月曜日

米国大統領選の結果

 この数日間、世界のニュース番組を席巻?してきた米国大統領選の話題にひとまず決着がついたようだ。トランプ大統領は決着とは認めていないし、連邦国家の米国には権力分立の仕組みが複雑に存在し、逆転の可能性さえあり得ると聞く。したがってまだ安心できないが、トランプの陣営からももうついて行けないという離反者が続出するのではないか? 最近、共和党色で固めたと言われる最高裁とても、トランプの今回の無軌道ぶりまで追認するだろうか? 
 それでも今回の大統領選は稀に見る接戦だった。コロナ禍が無かったら結果は逆だったかも。7100万票と前回よりも得票数が増したトランプ票 ( 投票者数の増加を考慮する必要はあるが ) にはそれなりの理由があると考えるべきだろう。
 例えば不法入国の防止。壁の構築の是非はともかく、新たな不法入国の阻止は主権国家の権利だろう。グアテマラ、ホンジュラス、エル・サルバドル三國におけるギャングの跳梁が国民の生命を脅かすほどならば ( そのようだ ) 、国連なり旧宗主国の介入で解決すべきであり、米国への非難は不当である。事実、アフリカの旧フランス領の「失敗国家」はフランス軍の派遣により支えられているのが実情である。
  米国ではこれまで「法と秩序」のスローガンは共和党系の専用だったが、今回略奪を恐れる商店が合板でショウウインドウを守る有様は先進国では異様というほかない。もし略奪者の大半がマイノリティ・グループに属する人たちならば民主党政権も当然に彼らへの批判を惜しむべきではない。
 それにしても新しい副大統領がマイノリティの女性となることは大きな進歩である。新しい政権チームは世界の祝福を受けるだろう。その順調な門出を願う。

2020年10月29日木曜日

『シャルリ・エブド』と風刺の自由

合理主義者というべきか、フランス人は理屈として正しいとなれば果敢にその考えを実践する。フランス革命で「自由 平等 友愛」を高らかに宣言したからには王政などという中途半端な政体にとどまれない。国王夫妻をギロチンにかけ共和政を採用した。 しかし、「第一共和政」と呼ばれたその政体は続かず、ナポレオン帝政、ブルボン王政復活、オルレアン王政、短い第二共和政ののちナポレオン3世の帝政と、(第三)共和政の確立まで数十年を要した。その後もカトリック教会と共和政府の間に紛争は続いた。そうした歴史からフランスの政教分離はヨーロッパの他国に比しても徹底している。
五年前、週刊の『シャルリ・エブド』がイスラム教の教祖ムハンマドを徹底的に戯画化してイスラム原理主義者の怒りを買い、襲撃されたことは記憶に新しいが、フランスでは官民挙げて表現の自由を擁護した。さらに最近、表現の自由をテーマとする授業で上記の風刺画を使用した学校教師が一匹狼の原理主義者に惨殺されると、マクロン大統領が「表現の自由は誹謗の自由を含む」と語った。
今朝の毎日新聞に、「エルドアン氏の風刺画に猛抗議」との見出しでシャルリ・エブド』がトルコの大統領を題材にした風刺画では、下着姿のエルドアン氏がスカーフをかぶったイスラム教徒と見られる女性のスカートをめくる様子が描かれている」とのこと。宗教の開祖とはいえ歴史上の人物でもあるムハンマドと異なり今回は他国の現職大統領であり、しかもあまりに品位を欠く。私はエルドアン氏の政治姿勢に好感を持たず、むしろ危険人物と考えている。しかし、風刺の自由は大切だが、そこに限界はないのだろうか。

2020年10月25日日曜日

首脳外交の重要性

昨日の朝日新聞の書評欄にゴルバチョフの新著『変わりゆく世界の中で』( 朝日新聞出版 )を保坂正康氏が紹介している。私は原著を読んでいないが、東西冷戦を終わらせた当事者たちの決断の裏面史であり、首脳相互間の信頼がいかに重要かを語っている。

終わってみれば必然のようにも映るだろうが、1990年頃までの東西冷戦は激しかった。朝鮮戦争やベトナム戦争を想起すれば冷戦とさえ呼べるかどうか。中でもソ連のミサイルがカストロ指導下のキューバに密かに導入されかけ米国の艦船が阻止線を張ったキューバ・ミサイル危機はついに米ソの軍事衝突が不可避かと世界を震え上がらせた。

そうした東西冷戦を終わらせた最大の要因はソ連側のゴルバチョフの登場だったが、西側ではサッチャー英首相とレーガン米大統領の柔軟な対応だった。書評には言及がないが、西側首脳として最初にゴルバチョフと会談したサッチャーはレーガンにゴルバチョフは信頼に値する人物だと伝えた。そのためアイスランドでのゴルバチョフとの最初の出会いのときレーガンは過度の警戒心を持たなかった。

世界は幸運にも互いに共感できる三人の指導者 ( とレーガンと交代したブッシュ ( 父 )大統領 )を同時に持っていたのである。残念ながらその幸運は長続きしなかった。ただ独り生存しているゴルバチョフは現在のロシアでは全く評価されていない。彼の現在の心境は「預言者故郷に容れられず」そのものだろう。それでも冷戦終結に彼の果たした功績は不滅と言っても過言ではない。

N.B.    前回のブログは新しいiPadに私が不慣れなためか、行間が詰まったものになった。そのため今回は取り敢えず旧機種を使って様子を見ることにした。適応能力の不足は自認するしかない!

2020年10月21日水曜日

芸術作品並みの果物

NHK教育テレビの『美の壺』は毎日曜日、進行役の草刈正雄のとぼけた登場に始まり、通常の芸術上の美に当てはまらぬ日常生活上の美にまで光を当てる番組で、毎週楽しみにされる方も少なく無いだろう。草刈のとぼけ振りも含めて私は毎週では無いが録画して楽しんでいる。 最近の回(10月18日)は「秋をまるごと 柿」というタイトルで、銘柄品の生柿や干し柿の紹介に始まり、柿の葉寿司や柿渋を利用した布(渋い!)や柿の大木の幹に稀に発生する黒い縞模様(黒柿)を取り込んだ器などまで紹介されていた。それぞれに興味はあり、作り手のこだわりに感じ入ったが、銘柄品の柿や干し柿に縁の薄い我が家として多少の違和感も感じた。 柿は一例に過ぎないがリンゴや梨や桃や葡萄など、最近の果物の大きさや見た目の美しさは目覚ましいが、価格も気楽に買い求める水準ではなくなってきた。摘花の結果、リンゴも梨も老人には一人一個を食するには難しいほど大きいし、桃なども表面の生毛まで完璧に残されている。 アジアを中心に海外では日本の果物は高級品として人気が高いと聞く。喜ばしい限りだが、はるばる海外から運ばれたバナナが一房百円余りで売られているのを見ると、この差は何なんだと言いたくもなる。自由主義経済のもと、嫌なら食わなければいいだけの事なのか。晩春から初夏の食べ物だった苺はもうその頃には店頭に無く、クリスマスの頃が収穫期になった。私という人間はつむじ曲がりなのか(今ごろ何を?)。

2020年10月16日金曜日

北朝鮮の変化??

どのメディアだったかは忘れたが、先日の北朝鮮成立75周年記念の式典での金正恩首席の演説などから鳩山由紀夫元総理が、北朝鮮は良い方向に変わりつつあると評してSNSなどでボロクソに評されていると知った。私は鳩山氏の首相時代を思い出すだに腹立たしいし、人柄も大嫌いだ。しかし伝えられる今回の彼の発言を頭から否定する気はない。私も若しかするととは淡い期待を抱くから。

新聞やテレビで金首席が国民の期待を裏切ったと涙ながらに演説した。単なる演技かもしれないし、それほどに現在の北朝鮮の経済は悪いのかもしれない。しかし、祖父や父が国民に謝罪したとは聞いたことがない。

最近のフジテレビは午後8時からの『プライムニュース』の前に30分の前座のような『プライムラインTODAY』を加えた。初めて見た今夜は自社の朝鮮半島専門家の鴨下ひろみ報道センター室長がゲスト発言者だった。氏は式典から窺える北朝鮮の変化として、1) 首席のネクタイ、スーツ姿、2) 米国式国旗掲揚、3) 米国式「愛国歌」独唱、4) 米国式の「国旗」へのキス、5) キーパーソンは妹の金与生、の5点を挙げ、式全体が米国を意識した演出で為されたと指摘した。

私は近年に国家指導者となった習近平首席と金正恩首席に期待しこれまで出来るだけ好意的に評価するよう努めてきた。前者については最早期待を持たないが、後者に就ては未だ断念したくない。就任以来の実績はむしろひどいものだったが、青少年の一時期をスイスで生活した氏がその影響を全く受けなかったとは思えなかったのである。今回の式典に関しては鴨下氏の挙げる5点以外にも式典を花火とともに夜間挙行したことも同国独特の非人間的マスゲームを避けたかったのではないか。希望的観測であることは承知しているが、そこに変化の兆しを見たいのである。

2020年10月11日日曜日

日本人は日本が大好き!

昨日の朝日新聞の土曜付録beに「生まれ変わったら日本人になりたい?」というアンケートの結果が記事になっている。私には意外な結果だった。

上の質問に対する答えは「はい」が77%、「いいえ」が23%とのこと。どの国でもいろいろ不満はあっても正面きって聞かれれば「はい」が多いのか。それにしても新聞などのメディアが日夜?現状批判の記事を載せている我が国でこの好感度?とは私には驚きだった。「いいえ」の23%の人たちも「日本が好きか」との質問には何と75%が「はい」と答えている。   

年齢や性別ごとの記述はないが、最初の質問への「はい」の理由の第一位の「治安、秩序の良さ」が第二位の「四季がある」の倍近く、第三位の「自然が美しい」の三倍もあるのも意外だった。最近の米国の銃器犯罪の多さ、ヨーロッパ諸国の人種間の緊張などを考えれば自然かもしれない。それに対し我が国では高速道のサービスエリアやパーキングエリアはもちろん「道の駅」でも犯罪の恐れなしに車中泊は可能だ。それでも「日本以外で生まれ変われるならどこ?」との質問への答えの第一が僅差でも米国なのは同国の多様な地域差やGAFAに見る先進性が魅力なのか。

「生まれ変わっても日本人に」に「いいえ」と答えた23%の人たちも、「日本という国は好きですか」との質問にはなんと75%が「はい」と答えている。これまでの複数の世論調査では日本の若者が世界でもっとも将来を悲観的に見ているということてはなかったか。合理的説明を超越するのが祖国愛なのか。今ごろ気づいたのかと言われそうだが.........。

2020年10月8日木曜日

日本学術会議のあり方

日本学術会議と菅内閣の間で会員任命をめぐって対立があり、数日を経た現在も収まっていない。巷間の噂では『朝日』『毎日』『東京』各紙が政府批判派、『読売』『産経』『日経』が決定黙認派とのこと。ところが昨日あたりから大西隆前々会長当時から政府の口出しが始まっていたことが判明し、『読売』なども大きく扱うようになった。

今回政府が任命拒否をした6名のうち、加藤陽子氏 ( 日本現代史 ) と宇野重規氏 ( 政治学 ) の両氏については私も研究者として敬意を抱いている ( 他の4名は判断不能 ) 。したがって「総合的、俯瞰的」といった漠然とした反対理由 ( もっとも元来は2003年の報告書中の用語とのこと ) ではなく、より明快な理由が示されるべきである。

戦後すぐ発足した日本学術会議では会員は選挙で選ばれていた。そのせいか、私の専門の歴史学では学問的業績よりも政治的活動に熱心な人が選ばれたりしたようだ。そのためある時点から各分野の学会が選ぶように変更され、さらに現会員が次期委員を推薦するようになったとのこと。現会長がノーベル賞受賞者の梶田隆章氏であることには大方の信頼が寄せられるのでは。

しかし発足時の時代の空気を反映してか会議は軍事目的の技術研究に反対し、最近そのため不満者の脱退騒ぎもあったと記憶する。しかし当時は国民感情に合致していただろうが、現在では自衛隊は法律的にも認められ、国民の支持も厚い。それに対し学術的協力をしてはならないというなら、むしろ学問研究の自由への制限ではなかろうか。

戦争といっても侵略戦争もあればそれに対する防衛戦争もある。ナチスドイツ軍と戦って死んだ英米仏ソの兵士たちは犬死したのではない。これら諸国の学者たちもその学識や語学力を活かして情報分野などで貢献した人は少なくないはず。私が学んだ英国のカレッジの学長は大戦中、ドイツ占領軍へのユーゴスラビアの地下抵抗運動との連絡のため落下傘で潜入した。平和は願うだけで手に入るとは限らないのでは........。

2020年10月5日月曜日

東欧諸国の過去と現在

一昨日は冷戦下で東西に分裂したドイツが30年前に統一を回復した記念日だった ( ベルリンの壁が崩れたのは前年の11月 )。当時の興奮は外国人の私でさえ強かったのだから、東独市民の喜びは半端でなかったろう。なにしろバナナが貴重品。車は我が国の軽自動車より窮屈な ( らしい!) トラバント ( トラビ ) の入手に数年待ちだったのだから当然である。しかし現在の旧東独市民は旧西独市民と比較して所得が低いことに不満を抱き、その一部は過激右翼を支持しているとか。世も人も変われば変わるものである。

統一より少し前の東独を訪ねたことがある。東独航空の主催?で、共産主義下のポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア ( 当時 ) の市民生活を垣間見られるとはヨーロッパ現代史専攻の私にとっては夢のようなツアーだった。その20年ほど前、シベリア鉄道経由で英国から帰国した際、東独を通過したが、東ベルリン ( 動物公園駅 ) ではプラットホームに降りることも許されなかった。

ツアーの訪問先は歴史的文化的に重要な場所ばかりで、共産主義の宣伝じみた事は一切無かった。逆にポーランドでは現地ガイドが、ワルシャワで一番美しい場所はどこか、それはソ連が援助して建てた文化科学宮殿である。なぜなら文化科学宮殿が見えないからと皆を笑わせた ( このブログで紹介済み?) 。どの国でも丁重に案内され、不愉快な事は無かった。東ベルリンではブランデンブルグ門から西ベルリンを望見しただけだったのは仕方が無かった。

間もなく東欧共産圏は崩壊し、各国は政治的自由を回復した。しかし最近、ポーランドやハンガリーなどでは権威主義的政治が一部復活したと聞く。人間は忘れ易い動物なのか。それとも民主主義を実践することは容易でないと言うことか。30年前の歓喜をどうか忘れないでほしい。



2020年9月30日水曜日

それでも秋は来た

今日で9月が終わる。異常気象のせいか8月の延長のような9月だった。そのせいかどうか庭の百日紅も未だに花をつけている。悪くはないのだが、道に散り敷く花の屑を毎朝のように掃いていた家内には有難いばかりではなかった ( なぜ手伝わぬ!)。それもあと4日で植木屋が来て終わる。

隣家から栗を頂いた。我が家の柿の木と同様半世紀の間に栗の木も大きく成長したようだ ( 我が家からは見えない ) 。柿の木の方は今年は僅かしか実がついておらず、有難味はないのにすでに大量の落葉 ( まだ青いまま ) が始まった。

今日、庭に出たら金木犀の微かな香りに気付いた。これも小さな木ではないが花つきは良くない方で有難味に乏しいが、それでも存在を主張するかのように毎年咲く。

コロナ禍のため旅行も出来ずあまり楽しくない今年の夏だった。明日から東京も晴れてGO TO トラベルの仲間入りをするが、感染者数に目立った減少は見られない。長生きをすると思いもかけない経験をするということか。我が家に感染者が出なかったことが唯一の救いなのか.......。

2020年9月25日金曜日

時代の歌

伝説的シャンソン歌手のジュリエット・グレコが亡くなった。戦後間もなく活動し始めたので、えっ、まだ存命だったのという感じで、じじつ93歳で死去という。代表作として新聞各紙には「枯葉」と「パリの空の下」が挙げられている。前者は私にはイヴ・モンタンの印象が強いが、戦後のシャンソンの最大の名作ではないか。他方、「パリの空の下」は『望郷』や『地の果てを行く』などで戦前の洋画界を風靡したジュリアン・デヴュヴィエ監督の戦後の第1作?として期待して見た。もう内容はすっかり忘れたが、シャンソンとして今でも時々耳にするし、女性歌手が歌っていた事は覚えている。良いシャンソンだと思う。

グレコはわが国でも人気だったようで、計22回も来日公演したという。シャンソンではないが、イージーリスニング界の名門ポール・モーリア楽団は、わが国での人気は本国以上だったようで、毎年のように来日公演し、モーリアはフランスを訪れた日本人たちに気楽に会ってくれたと聞く。フランス人と日本人 ( 少なくとも私の世代の ) の音楽の好みは相性が良いのかも ( 知ったかぶり!)。

昨日は歌謡曲歌手の守屋浩の訃報が新聞に載っていた。一世を風靡した歌手ではないし、若い人は初めて聞く名前だろう。それでも代表作「僕は泣いちっち」を記憶する人は少なくないだろう。恋人に東京に去られた地方人の若者の嘆きをうたった歌詞は妙に心にしみた。恋人に限らず、息子や娘を大都会に見送った親たちの心境も似たようなものだったろう。井沢八郎の「あゝ 上野駅」とともに我が国のある時代を良く表現した歌だと思う。それを忘れたくない。


2020年9月22日火曜日

薩埵峠の富士

富士山に初雪が降った。しかしテレビや新聞で見る限り山頂にごく薄く降った程度で、積雪というほどの量ではなかった。

三、四年前、やはり富士に初雪が降ったとき、広重の『東海道五十三次』の「由比」に描かれて有名な薩埵峠を見る好機会と思って出かけた。その時も積雪量は僅かだったが、それでも東側の足柄あたりの高速道からは白雪と認められたが、清水インターあたりになると少ない積雪が前日の西風に吹き払われて白い砂糖を薄くまぶしたケーキ程度になっていた。それでも今さら引き返す気にはならず、薩埵峠に着いた。

最近は眼下の東名高速道路、国道一号線、JR東海道線を見下ろす写真を覚えている人が多いだろう。その通りの景色だったが幸い好天だったので、初めての薩埵峠からの富士に満足した。

三日ほど前だったか、NHKテレビで広重の『東海道五十三次』を紹介する番組があった。これ迄にも断片的には親しんでいたつもりだったが、丁寧な解説を聞きつつ見るとその偉大さに感じ入った。私自身、これまでどちらかと言えば北斎の『冨嶽三十六景』の方に惹かれていたことを反省させられた。

2020年9月14日月曜日

日米の政治文化の違い

このところ我が国のメディアは立憲民主党の代表選と自民党の総裁選の話題で持ちきりだった。どちらも選挙のかなり前から結果は容易に予想出来たので、新聞にもテレビにも全然関心が持てたかったし、自民党の総裁選では勝ち馬への露骨なすり寄りはほとんど見るに耐えなかった。それに比べれば今回の米大統領選はいちじるしく品位に欠けても、あくまで国民の直接投票で決まるので無関心ではいられない。

メディアの予想では民主党のバイデン候補と共和党のトランプ候補の差は以前より縮まっているとも聞く。トランプの米国ファーストの主張はたとえ国際社会では不評でも米国の大衆には耳に快く響く可能性はあるし、内政面での「法と秩序」の強調も同様である。

さらに外交での対中姿勢の硬化は与野党を超えた米国世論の変化らしいが、香港問題と並んで最近の中国の南シナ海の岩礁の基地化は、同国の約束は紙切れに等しいことを世界に示した。こうした問題ではより強硬な発言をする側が有利 ( ジンゴイズム ) となるのが通例だし、トランプがそれを知らないはずがない。私はトランプが再選されても驚かない。「カサンドラの予言」をしたくはないが.........。

2020年9月4日金曜日

驚きの世論調査結果

安倍首相の辞意表明から始まった自民党の後継総裁選びでは、有力候補とは事前に伝えられなかった菅官房長官の圧勝が予想され、有力派閥は軒並み勝ち馬支持に回った。節操も矜持もない離合集散にはうんざりである。

ところが、今朝の朝日新聞の世論調査の結果 ( 他紙は未だのようだ ) では、「次の首相  ふさわしいのは」への回答は菅氏38%、石破氏25%、岸田氏5%とあり驚いた。安倍路線の継承を掲げる菅氏へのこの支持の理由は何か。 岸田氏や石破氏のように有力政治家の家系に生まれ一流私大を卒業した両氏と異なり、働きながら法政大の夜間部に学んだ菅氏への庶民の「今太閤」的共感が理由なのか ( 私もその点では好意を抱く ) 。たった今配られた『朝日』の夕刊では、「戦後日本を代表する日本人は」との2015年の調査では吉田茂を抑えて田中角栄がトップである。明るい人柄やユーモアのせいもあろうが.........。

同じ朝日の世論調査でそれ以上に驚いたのは「安倍政権を『評価』71% 、不評価28%である。コロナ禍もあり、最近の各社の世論調査では内閣不支持が支持を上回っていたのに何故?  森友、加計、「桜を見る会」でメディアにあれほど叩かれていたのに.....。海外メディアでは首相はむしろ評価されたようだが、その影響とも考えられない。

私は安倍首相の外交には一定の評価をするし、森友、加計の両問題では真相は未だ十分明らかではない ( 森友 ) し、一校しか許可されないならあり得ること ( 加計 ) とブログに書いてきた。しかし、「桜を見る会」の私物化、野党の国会開催要求の三百代言的黙殺など、不誠実な行為は少なくない。他人の不幸 ( 病気 )に心ない言葉を並べたくはないが。

2020年9月1日火曜日

レバノンの爆発事故


先日、レバノンの首都ベイルートの倉庫に保管中の爆薬の原料がずさんな管理により爆発し、死者三百名以上、負傷者数千名の大惨事となった。人的被害もさることながら、中東のパリと称されたベイルートの街は大きな被害をこうむった。

東京新聞の『本音のコラム』( 8月29日 ) に師岡カリーマ氏が、「父さんがついているよ」と題する小文を書いている。タイトルは事故の2日後に以前の植民地( 委任統治領 ) の母国のフランスのマクロン大統領が来訪し、レバノン国民への同情と支援を表明した態度がまるで父親のような上から目線だったと評したもの。

しかし、カリーマが本当に訴えたかったのはむしろコラムの後半だろう。マクロン発言はレバノン人に「お前たちに自治は無理と言われたようなものだが、無能と縁故主義と私欲がはびこる自国の『指導者』たちに辟易していた国民の一部からは歓迎された」ばかりか、「委任統治復活を求める嘆願に数万人が署名した」とのこと。レバノン人だけでなく、「『欧州列強に占領されていた方がまだまし』と皮肉を言うアラブ人は結構いる」と書く。それほど彼らの絶望は深いのだろう。

古代ギリシア以前から繁栄し、ヨーロッパのアルファベットの元となった古代フェニキア文字の母国にしてしかり。まして1950年代から60年代の植民地独立の時流に乗って独立を果たした途上国の中にはその後も部族対立や宗教対立を克服できず、混迷している国は多い。西欧諸国が数百年かけて克服したそうした対立を数十年で克服することが容易でないことは察しがつく。同じ新興独立国と言ってもそれぞれの国民の苦悩はさまざまである。

2020年8月28日金曜日

民主主義の枠

米国の民主共和両党の大統領選の候補者も決定し、舌戦の激しさはいちだんと高まった。わが国でも7年8か月続いた第二次安倍内閣は首相の病気再発で終わりを告げた。これからの両国の政治の季節は荒天に向かうのだろうか。

米国の大統領選の道義的水準がこれまでどうだったかは詳しくは知らないが、すでに大統領選は序盤で激しい攻撃の応酬と成っており、とりわけトランプ大統領のバイデン候補への攻撃は礼節を全く欠くばかりか、ファクト無視の低水準のものとなっている。それに対し、安倍首相の辞職は病気によるためもあり、野党も礼節を欠く言動は慎むだろう。

このように日米の政局は今後大きな変化を予想させるが、米国でトランプ氏が敗北しても政治裁判にかけられるとは思えないし、無論わが国でも考えられない。当たり前のようだが、世界ではベラ・ロシアはもちろんロシアでも政権交代が平和的になされるか大いに疑わしいし、中国に至っては平和的な指導者交代は夢のまた夢である。

ヨーロッパでは君主無答責の原則 ( 君主は政治的責任を追及されない ) が少なくとも立憲君主国では慣例となり、その伝統からか、君主ならぬ大統領も将来の身の安全を心配することは通例考えられない。いかに米国の政情が今後悪化しようとも基本的には一定の枠内にとどまるのではないか。あまりに表面だけを追うと判断を誤ると私は思う。

2020年8月23日日曜日

大学講堂の思い出

今朝の毎日新聞の『日曜くらぶ』というページは「レトロの美」と題して東京女子大の礼拝堂がカラー写真入りで紹介されている。私も三十余年の在職中、式典のたびに出席したので懐かしく読んだ。アントニン・レーモンドの1938年設計の礼拝堂 ( 兼講堂 ) の外観の美しさと内部のステンドグラスから降り注ぐ光の美しさがそこに紹介されていた。確かに美しいが、ヨーロッパの礼拝堂のように聖書の物語などの絵入りのステンドグラスを見慣れた目にはシンプルでそれほどの感激はない。

式典では一般教員の席は学生と同じ高さだったが、無宗教の学校で学んだ私には賛美歌と祈り入りの式典は珍しかった。校歌は男性にはとても歌えない高音入りだった!

それでも私は二度壇上で話したことがある。一度目は就職翌年の大学紛争時で、教員は壇上に上げられて団交という名の吊るし上げの対象になった。私が話したのは確か、貴女たちの行動はマルクス主義に反するといった内容で思い出すだけで赤面ものだが、なんとか闘争学生たちを改心させたいとの一念だったと理解してほしい。

二度目は宗教部主催の集会で、専門に関連する話を求められた。丁度その頃読んで感銘を受けたクレンチン・ベレズホフの『私はスターリンの通訳だった』( 同朋舎出版、1995年 ) について話した ( 現在、ウクライナの外交官の必読書と聞く )。スターリンに気に入られヤルタやポツダムの首脳会談でソ連側の通訳を務めた数奇な生涯のウクライナ人の回顧録で、私には全編、面白さ抜群だった。なかでも、大戦後米国に亡命し亡くなった両親の墓に、ソ連崩壊後初めて訪れたら新しい花が供えられており、妹が生きていることを知り再会を果たしたとの最後のエピソードには涙が溢れて止まらなかった。講堂では再び泣くかもしれないと予告して話したが、見苦しいことにならなくて良かった!

2020年8月20日木曜日

コロナ禍が社会を変容させる?

このところ何十日か、朝刊を開くとまず全国のコロナ感染者数を確認してしまう。現在はコロナウィルスとの戦いのまだ序の口なのか、もう中盤なのか。誰にも分からないようだ。

一説ではコロナ禍でテレワークが促進されて大都会の中心 ( 東京なら23区 ) の人口が郊外や地方に分散するという。郊外の住民としては歓迎だが、本当にそうなるのか。地方の過疎化は深刻なようだし、メディアのお先走りではないのか。

それでも大都市近郊に関しては中心の拡大の余波で人口は増加するかもしれない。私の住む多摩市では駅と多摩川との間に33階520戸のタワーマンションの工事が始まっている。そこは昨年多摩川の増水の恐れで避難勧告が出た一帯なのだが、それでも駅まで5分という便利さの魅力には逆らえないようだ。

半世紀前、私が市民 ( 当時は町民 ) の一員となった頃、多摩川の水位が2回ほど上昇した。見物に行ったら二段式の護岸の境目あたりを川波が洗っており、大波が来るたびドジョウが何匹も打ち上げられた。平常時は水量は少ないのに魚はいるものだと感心し、自宅にとって返し昆虫採集用の網で数匹を捕らえ、食した。そのあたりに今やタワーマンションが建つとは...........。コロナウィルス程度で趨勢は変わらないようだ。

2020年8月17日月曜日

腰痛クリニック再訪

一年以上?前に初めて経験した腰痛が再発した。今後は余生をこれと共生することになるかと思うと憂鬱だが、薬で痛みが軽減するだけでもありがたいと思わなければ.........。

前回と同じ駅前のクリニックで受診する際、原因らしいものを記入する欄があった。他に思い当たることもないので時期が一致する高速道路での事故渋滞に起因する長時間運転を挙げた ( と言っても4時間程度だが )。60歳台~70歳台と思われる医師は前回は無愛想な人と感じたが、車の運転が好きらしく、今回の運転の行先や理由まで聞かれ、前回よりは打ち解けた態度だった。趣味の偶然の一致でもそれで今後の対応が良くなるなら迎合もやむを得ない!(本当に迎合だけ?)。

コロナ禍以前は多くの患者で混んでいた院内は、休業明け2日目だったが一つ置きになった座席が一杯になるくらいで、思ったより来院者は少なかった。やはりコロナ感染者になりたくないためだろう。気持ちは分かるが以前の混雑は本当に切実な患者だけだったのか? それにしても必ず勤務しなければならない医療従事者には感謝するしかない。どの職業であれ、労働は尊い。

追記  何故か、ブログ発信の煩雑化が収まり旧に復した。原因は私のiPadではなかったようだ。老人には戸惑うことが多くなった!

2020年8月10日月曜日

楊逸氏の近著を読んで

2008年に『時が滲む朝』で外国人 ( 中国人 ) として初めて芥川賞作家となった楊逸氏の近著『我が敵「習近平」』( 飛鳥新社 )を読んだ。純文学作家である彼女にしては激しすぎるタイトルだと思ったが........。

共産主義ソ連は鎌と槌を国旗に取り入れたように労働者と農民の国と自らを規定した。その結果、知識人などそれ以外のカテゴリーの人間は軽視されたばかりか、むしろ疑惑の目を向けられた。その頂点がソ連の後を追った中国の下放運動だった。楊氏の父は教員だったため一家は辺地に送られ地獄のような苦しみを味わった。激しいタイトルは共産党政権への絶望から生まれた。

私は習近平が中国の指導者に選ばれたのち出来るだけ好意的に見守ろうと心がけた。文革で彼の父も一時失脚し、彼自身も辺地に下放させられた前歴があるからである。彼の汚職撲滅運動も他派閥排除の側面を持つと感じながらも中国にとって何よりも必要と考えたからである。私が本書を購入したのは少しでも売れ行きに貢献したかったこともあるが、楊氏が私と同じ期待を抱いたがその期待を裏切られたため激しいタイトルとなったのではと想像したからである。しかし、理不尽極まる下放を経験した氏には習近平への期待など最初から持ち得なかったようだ。

本書のもう一つの主張はコロナウィルスが武漢の研究所から流失したものであり、米国弱体化の作戦の一部だというもの。私には判断できないし、本書も決定的証拠を示してはいないが、一般論として現在の中国が目的のためには手段を選ばない国家体制であることは同意したい。本書は何よりも日本人への警告の書なのである。

2020年8月9日日曜日

自然との共存?

昨日、西側の隣家との幅1メートル程度の空き地を歩いたら何かがサンダル履きの素足に触れた。何かと見たら体長数十センチの山かがしだった。マムシと違い毒性はずっと弱いと聞くが、それでも危ういところだった。

我が家の敷地内で蛇に会うのは半世紀前に一度あるだけ。今朝、現場には蛇の影はなかったが、庭に移動した可能性もあり、気持ちの良いものではない。東と西の隣家とはそれぞれ一メートル弱の標高差?があるのでそれを超えて来たとは思えない。北面の土手とも数十センチのブロックの基礎があり、南面は道路である。不思議に思ったが、よく調べると隣家との間に数センチの隙間があり多分そこから侵入したのだろう。その先の土手は夏草に覆われているが、いろは坂と呼ばれるバス道路に囲まれ、ベビといえども簡単には超えられないと思っていたが.........。、、


以前にアライグマとの共存を強いられていると書いたが、蛇との共生存
は有難くない。しかし、タワーマンションに住むほどリッチでない身としては自然との共存をするしかない。誰だ、自然との共存を賛美する奴は!

2020年8月6日木曜日

言い忘れ

小旅行後、故障でブログが打てなくなった。家人の助けで修理してもらったが、作成前の準備が倍加した!  今後も続けるつもりだが、回数が減るかもしれない。悪しからず。

球磨川水害におもう

熊本県の水害被害からの復旧作業が遅れていると報じられている。皮肉なことにコロナ禍の流入を警戒してボランティアを熊本県人に限ったことが復旧の遅れを生んでいるという。県の判断を誤りだとは誰も言えないが、被害者の皆さんの困難はそれにより一層深刻になっているようだ。

ボランティアにせよ自衛隊員にせよ、梅雨明けのこの猛暑の中での作業に本当に頭が下がる。ボランティアに金銭的に報いるというのには矛盾があるが、せめて栄誉の面で報いる道はあるのではないか。

被害画面を見ていると人吉盆地からすぐの下流の渓谷の狭さが印象的である。球磨川の最大の支流の川辺川のダム計画は住民の反対で2009年?に中止となった。それが今度の水害の原因とは言えないとしても被害を大きくしたことは否定できないのではないか。被害とダムとの関連については『読売』がその可能性に触れていたが、昨日の『毎日』はほぼ1ページを費やして被害拡大論と反対論の学者の対立する主張を紹介している ( 後者は反対運動の支持者だったようだ ) 。

素人の私に軍配を上げることは困難だが、中止に代わる代替案として10通りの治水案が示されたのに、そのそれぞれに疑問や反対論が出て、結局どれも実現できずにきた結果が今度の水害を生んだと言っても過言ではないのでは。中止を決めた蒲島熊本県知事はその特異な経歴から私も敬意を抱いてきたが、今度の水害の責任が皆無とは私には思えない。とまれ、知事はそうした疑問に答えるべきだし、被害の報道ばかりでその原因を全くネグレクトする他紙は怠慢至極と思う。
テスト

2020年7月28日火曜日

野党はもっと地方に目を向けなければ

今朝の朝日新聞に北海道で最北の ( ということは日本最北の) 豊富 ( とよとみ )温泉の記事が載っている。それによると石油が微かに混じった温泉は頑固なアトピー性皮膚炎に多年苦しむ人たちにとって大変有り難い温泉で、全国から移り住む人も少なくないという。

私も同温泉に一泊したことがある。病気治療のためではなく、稚内や日本北端の宗谷岬を訪れる途中に立ち寄った。温泉に石油が浮いていた記憶はないが、利尻富士を間近に見るサロベツ原野の初夏は一級品である。

温泉そのものよりも古い温泉宿の雰囲気に惹かれ、これまで各地の温泉を訪ねた。高級旅館は経済事情とともにサービス過剰を好まぬためほとんど無縁だったが、かつては有名だったが今ではそれほどでもない?旅館を含めて文学者が泊まった宿、川端康成の「布半 」( 越後湯沢 ) 、大町桂月の「蔦温泉」( 青森 ) 、井上靖の「カク長」( 下北、下風呂 ) 、「樅の木は残った」の「不忘閣 」( 青根 ) 等々は満足感が高かった。

それら由緒ある旅館がコロナ禍のため苦しんでいると想像すると何とか政治に一肌脱いでほしい。「Go To トラベル」は特にその実施時期の突然の繰上げもあり、各社の世論調査では反対が軒並み6割以上のようだ。これには業界との結びつきの強い与党幹部とくに二階幹事長への反感が働いているのだろう ( 私も大嫌い ) 。しかし、全国の観光関連の業界に関わる人口は500万人とも聞く。野党は浮動常なき世論やメディアの「Go To トラベル」批判に加わって地方を忘れるなら、やはり頼りになるのは自民党と500万人に確信させないだろうか。心して欲しい。

2020年7月25日土曜日

嘱託殺人の捉え方

ALS患者の女性に対する嘱託殺人の疑いで二人の医師が逮捕された。法定刑は6か月以上7年以下の懲役または禁固とのこと。重い刑とは言えないが、有罪となれば医師免許は没収となろう。軽い処罰とも言えない。

2人の医師は本来の担当医だったわけではないし、医師の一人は130万円の報酬を得ていたとあれば裁判官の印象は良くないに違いない。しかし、医師側と依頼者とのSNS上での交信は1年近い期間と聞くし、もう一人の医師が報酬を得ていたとの報道はない。130万円の報酬といえども弁護費用としては大赤字だろう。

林優里さんと報道される依頼女性は留学経験もあり、人生に積極的に向き合ってきた人のようだ。そのような人に自殺願望に至らせた肉体的精神的苦痛はどれほどのものだったか。想像するだに心が痛む。

同じ病に苦しむ国会議員もいる。そうした同病者が嘱託殺人が安易に認められることに反対するのは理解できる。しかし、患者により病苦の程度は様々だろう。もう少し安楽死が認められる範囲が拡大されてよい。そう考える人は多いのではないか? 今回のケースがその端緒となるならば林優里さんの霊も大いに慰められるのではないか。

P.S.   三回前のブログで戦前の軍人が帯剣していたと書いたが、士官以上の誤りでした。当時の軍人の態度が兵卒に至るまで大きかったので......というのは言い訳だが、軍人が市民を一段下に見ていたのは事実である。

2020年7月21日火曜日

異教徒より憎い異端派

半世紀前の第三次中東戦争でのイスラエルの勝利以来、同国によって続けられたヨルダン川西岸のパレスチナ領への入植活動はネタニヤフ現政権のもとで公然たるものとなり、トランプ米政権がそれを是認すると最近報ぜられた。これまでと同様アラブ諸国の強い反発を生むと予想されたが、反発は形だけに留まっている。

今朝の毎日新聞の『火論』というコラムに大治朋子なる人 ( 同紙の記者?) の「中東勢力圏を変える脅威」と題する解説が載っている。それによると今回のアラブ諸国の反発の鈍さには二つの理由がある。一つにはスンニ派の諸国にとっての「共通の敵イラン」の攻勢に直面して対イラン包囲網が形成されつつあり、いまや彼らにとっての主敵はイスラエルではなくイランとなりつつあることである。

二つにはイスラエルの有するサイバー技術が「中東や南米で引く手あまた」の現状であるとのこと。両地域に多い独裁政権にとってはこの技術が「反政府活動家らの携帯からデータを盗み出し......監視するために使われている」とのこと。

それ以外にもパレスチナ解放機構 ( PLO ) の腐敗など理由は単純ではないだろう。かつて中世にはヨーロッパでもカタリ派などローマ教会により異端とされた勢力は無慈悲に弾圧された。異教よりも異端が許せないという心理に洋の東西はないが、それではイスラエルからの被占領地の回復という目標は遠ざかるばかりだろう。

2020年7月16日木曜日

Go To キャンペーンの是非

コロナ禍をめぐって、Go To キャンペーン ( 観光旅行者への金銭支援 ) の是非が差し迫った話題としてメディアに取り上げられている。感染者の再拡大が起こっているときに政府がその開始日を繰り上げることが賢明かどうか。どこかのテレビで四人の出席者が意見を問われて3対1 ( 高木美保 )でキャンペーン促進が多かったのは意外だった。

無論その理由は理解できる。観光業界や交通機関 ( 航空会社やタクシーなど ) は正常時の最大9割まで顧客を失って苦境に喘いでいる。これを放置して良いのか。そうでなくとも世界的なモノからコトへの消費の変化とともに外国人観光客の増加は日本経済の救世主ともなりつつあった。

他方、5月ごろまでのコロナ禍には先がまったく読めない不気味さがあったのに対し、最近は重症者は多くなく、死者に至っては無しか1人という日が続いていた。企業の経営破綻の方がより重大な結果をもたらすとの判断に私も傾いていた。

ところが今日の感染者が286人と発表され、私も動揺せざるを得ない。あちら立てればこちら立たず。今月いっぱいは様子を見た上で、全国一律ではなく県ごとの実情を加味して判断するのがベターなのかも。他県への私の旅行計画も空中楼閣となりそう。それにして、Go To キャンペーンとの命名は誰の発案か。感じが良くない!( 八つ当たり)。

2020年7月12日日曜日

八十年間の変化

日本社会の高齢化が指摘されて久しい。私自身も昨日87歳になった。思いもかけなかった年齢である。父よりも四半世紀長生きしたことになる。当時、父の死がそれほど早いとは感じなかった。改めて時代の差を想う。

以前このブログで紹介したと思うが、福沢諭吉は自分が一代で二世 ( ふたよ )を経験したと記した。封建の世と近代の世である。私の世代の場合、それほどの変化では無いが、それでも軍国主義と戦争の世と平和の世の違いは大きかった。幸い一年違いで戦時中の学徒の勤労動員 ( 授業無し)も免れ、『学徒動員の歌』を歌うだけで済んだとはいえ。

軍国主義の世と言っても私自身が思想弾圧を受けたわけでも無い。それでも街で軍服と帯剣の兵士を見かけるときの緊張感は覚えている。今はハチ公前広場となっている市電の乗り場から青山通り経由で都心に向かうとき、表参道との交差点で乗客は一斉に明治神宮遥拝をさせられた。戦時の後半は地方にいたため量的な飢えは経験しなかったが、質的な飢えもあることを知っている。

そういう年代の人間からすると、いまの世は極楽のように映る。1944年の東南海地震と1945年の三河湾地震を経験したが、国家が何かしてくれたとは聞かない。それどこか戦時のため被害の報道さえ抑えられた。今も汚職、選挙違反など問題は多々あるが、国民が主権者である以上、それは有権者の責任である。根気よく改めて行くしかない。

2020年7月6日月曜日

白人層の不安を利用するトランプ大統領

ミネアポリスの白人警官による暴行殺人事件以来、米国における人種間の分断が改めて問われ、各地で人種差別を糾弾するデモが頻発している。最近はそれが歴史上の人物の銅像の破壊にまで発展している。その頂点?が「建国の父祖たち founding  fathers 」への評価の変更を求める動きだろう。これがトランプ再選にどう影響するか。

米国独立戦争の二大震源地は商工業中心のマサチューセッツ植民地と大農経営中心のヴァージニア植民地だった ( 未だ、州とはいえない )。そのうち、初代大統領ワシントンや独立宣言起草者ジェファーソンら、ヴァージニアの代表者たちは多くが農場主であり奴隷所有者だった。彼らを奴隷主なるがゆえに批判することは誤りとはいえないが、これまでの米国の歴史教育の否定になりかねない。

徹底した実利主義者のトランプ氏はこの状況をむしろ好機と捉え、自らを米国の政治的伝統の擁護者を演じている。遠くない将来、米国の白人は国民の少数派になる。前回の大統領選でも予想を覆して当選したのは衰退州の白人貧困層の支持者とともに、未来に不安を抱く「かくれトランプ支持者」の支持だった。

ボルトン元補佐官の回想録により、トランプ大統領の目指すのは一にも二にも自分の再選であることは明白になった。トランプ支持者たちもそれに気付かないほど愚かではあるまい。しかし彼らも白人がマイノリティになる未来を何としても受け入れたくない。米国史の「偉人たち」の否定がトランプ再選を助けないよう願うばかりである。


2020年7月1日水曜日

香港国家安全法の起源

昨6月30日、中国の全国人民代表大会で国安法が可決された。即日施行ということなので香港住民は今日からいつ告発され罪人とされるかわからない。きのう香港の自由は死んだも同然である。英国旅券を所持する人は別として亡命を希望する香港人は、母国語が通用する台湾やマレーシアを第一に考えるだろうが、希望者があれば我が国も全員を受け入れたい。彼らは難民なのだから。

中国が全体主義独裁国であることは23年前から明らかだったが、50年間には中国経済は発展し、独裁も緩和されるとだれもが予想した。独裁制が自ら平和的に退陣する例は極めて稀であっても、予想がこれほど残酷に裏切られるとは.........。

日中戦争後、中華人民共和国を樹立した共産党とて、共産主義による人民の幸福達成を願っていたはず。それが裏切られた理由は幾つかあろうが、最大の理由はソ連型共産主義の創始者レーニンの「前衛党理論」を継承したことだろう。

前衛とは大衆の先頭で敵と闘う人を意味する。とすれば大衆より早く真理を獲得した前衛が大衆の意見に左右されるのは不合理である。こうしてソ連型共産主義では党大会より党中央委員会、中央委員会よりも中央委常任委員会、常任委員会よりも党主席 ( ソ連では党書記長 ) の権威が上回っていた ( ソ連で書記長が解任されたのはキューバ危機で面目失墜したフルシチョフだけ ) 。そうした体制が全体主義独裁に至るのは避けられなかった。

香港の民主化運動のリーダーの一人の周庭氏 ( アグネス・チョウ ) の最近の訴えを今朝の『天声人語』が紹介している。「日本の皆さん、自由を持っている皆さんがどれくらい幸せなのかをわかってほしい。本当にわかってほしい 」。私はこの香港自由人の叫びを『朝日新聞』自身に真っ先に肝に銘じてほしい ( もっとも全国紙のうち同紙だけが、この「白鳥の歌」を紹介しているのだが..........)。

2020年6月28日日曜日

その労働に感謝

一週間ほど前 ( 6月21日 ) に民放テレビで放映された『超巨大コンテナー船に乗せてもらいました』というドキュメンタリーを見た。二夜放映なのだが、前半 ( 往路 ) は一部しか見なかったので、録画した後半 ( 復路 ) を今日見た。圧倒的な迫力があった。

全長400メートルの巨大船に約1万個のコンテナー積んでヨーロッパに往復するのだが、我が国には接岸できる港は存在しないので、日本向けのコンテナーはシンガポール港で降ろし、別のタンカーで日本に運ぶとのこと。乗組員30名ほどは3名のフィリピン人コックを除けば全員日本の海の男たちと言いたいところだが、25才の女性三等航海士が独り乗っている。

ヨーロッパの最終寄港地はドイツのハンブルグ。そこで北欧産の木材などを積み、次の寄港地ロッテルダムで大麦など各種のコンテナーを積む ( 我が国のビール原料の大麦の9割は外国産とのこと ) 。地中海を横断しスエズ運河を抜けると紅海からアデン沖まで海賊の襲撃に備えて放水銃や船の周囲を囲む鉄条網まで準備して最高度の警戒態勢をとる。自衛艦と自衛隊機の協力が何と有り難い事か。

ドバイより東はコロナウイルス警戒のため上陸許可が出ない。シンガポールで下船予定だったテレビチームも下船できず、中国や韓国にも寄港を断られ、やっと香港で上陸を許可された ( コンテナー船は同地から再びヨーロッパへ )。力仕事に耐えた女性航海士ら乗組員、日本の料理本を手渡され立派な和食を作ったフィリピン人コックたち、航路の安全を確保した自衛隊員たち。感謝とともに、せめて物質面でその労働に応えてあげたいと思った。

2020年6月25日木曜日

河野防衛相の決断をほめたい

河野防衛相が口火を切ったイージス・アショア配備計画の撤回に内閣が同意した。むろん安倍首相が不承不承でも同意しなければ防衛相の発表もあり得なかった。それでも私は河野氏の決断を高く評価する。今朝の朝日新聞による内幕報道によると、河野氏の配備中止論を首相はやはり不承不承受け入れたようだ。

イージス・アショアの導入計画が当初から賢明でなかったかは専門家でない私には何とも言えない。しかし秋田と山口の配備予定地の住民の強い反対もさることながら、ブースター落下防止のための改良に多額の追加費用と長期の配備の遅れが明らかとなった。それを指摘され首相も不承不承受け入れたようだ。
しかし、その背景には北朝鮮のミサイル技術の大幅な向上があった。最終的に数千億円 ( それ以上?) 必要なイージス配備といえどもミサイルが一発でも防衛網を突破すれば基地は廃墟と化すだろう。仮に性能向上が言われるほどでないとしても数十発も同時に撃ち込まれたら同じ結果となろう。現在ではミサイル攻撃に対する防御は経済的に成り立たないようだ。

一方、トランプ大統領が配備見直しに怒るだろうことは間違いあるまい。すでに韓国には従来の5倍の駐留費を要求している米政権が、防衛費をGNP1%枠の我が国を大目に見るはずがなく、NATO諸国並みの2% ( 守られていない国も少なくないが ) を求めてくるだろう。それに抵抗するには限界があろう ( NATO諸国も基地提供をしている ) 。それでも所持金をドブに捨てるようなイージス配備よりはずっとマシである。


2020年6月22日月曜日

フォークランド戦争の捉え方

「妻にして母にして一国を負ふ者が  撃て撃て撃てと叫びて止まず」「画面より『鉄の女』の声ひびき  東のわれの今日のおののき」。今日の東京新聞の『昭和遠近』という連載コラムに三国玲子歌集『鏡壁』の短歌を歌人の島田修三氏が紹介している。「鉄の女」で分かるように、サッチャー英首相のフォークランド戦争 ( 1982年 ) に際しての行動を批判した三田氏の短歌である。

フォークランド戦争は、アルゼンチン沖数百キロの英領フォークランド諸島 ( アルゼンチンではマルビナス諸島 ) を当時のアルゼンチンの軍事独裁政権が自らの不人気を挽回するため占領した紛争で、記憶しておられる人も多いだろう。米国を含む列国の仲裁の試みを退け一度は全島を占領したアルゼンチン軍に対し、サッチャー首相は二百数十名の戦死者を出しながらも軍事力で数千キロ先の島を奪回した。アルゼンチン側は女性と見て英首相を見くびった面もあろうが、それ以上に、反植民地主義の旗を掲げれば英国は反対できないとタカをくくったのだろう ( 島民は英国人の意識 ) 。サッチャーは勝利し、ガルチエリ首相はは敗北した。

英国艦隊がポーツマス港に帰還したとき出迎えた民衆の熱狂をニュースで見て、平生は冷静な ( 冷静を装う?)英国民とは思えなかった。思えば1956年の第二次中東戦争 ( ナセル政権によるスエズ運河会社接収を怒り英仏イスラエル三国軍がスエズ地区を占領した ) で米国にまで反対されて撤兵して以来、かつて「太陽の沈む事なき」英国は反植民地主義を掲げる現地勢力につねに譲歩を強いられて来た。その無念を晴らす機会をついに英国民が捉えた故の熱狂と私は理解した。

その後、フォークランド戦争を回顧した「勝利の代償」という題の英国の民間放送 ( グラナダテレビ?)の番組をNHKで見た。事実を冷静に辿っており、アルゼンチンに好意的とは言えなかったが、同国の兵士たちには同情的だった。最後に息子を戦死させた英国の母親の深い悲しみが語られていた。私はこの番組の偏らない姿勢に感じ入って授業で録画を紹介した。


2020年6月18日木曜日

コロナ禍と米国プロスポーツ

我が国のプロスポーツもコロナ禍に苦しんでいるが、当然ながら外国でも同様のようだ。昨日の朝日新聞に「泥沼大リーグ  選手会との交渉難航   年俸削減で溝   最悪中止も」との見出しの記事が載った。当初はオーナーの代表と選手会との間で試合数に比例する減俸ということで合意したが、のちにオーナー側が無観客試合による収入減を加味して追加の減俸を求め、選手側が交渉決裂を表明したという。オーナー側の対応のブレも問題だし、無観客試合でもテレビ放映料は入るだろうから選手会側の不満はわかるが、選手側ももう少しファンへの配慮を示してほしい。

野球に限らず米国の一流スポーツ選手の年俸の高さは驚異だ。しかしファンが一流のプレーに満足して試合場を後にするのだから何の問題もないとの見方もあろう。それでも長期の中止に対するファンの失望に心が痛まないのだろうか。

私の草野球の経験など比較に不適当かもしれない。しかしスポーツをする者ならアマチュアであれプロであれ自分の絶妙な美技や快打を見せる喜びは何物にも代えがたいと感ずるのではないか ( 私見ではとくにファインプレー!)。

大谷翔平選手は一年待てば契約金が何倍にもなると予想されたのに一年でも早くプレーしたいと昨年渡米した。米国のアスリートもプロである前にスポーツ選手である事を示してもらいたい。


2020年6月15日月曜日

緊急時の対応

コロナウィルス対応の追加対策を盛り込んだ第二次補正予算が成立した。それを報ずる朝日新聞の見出しは「2次補正  疑念残し成立。   給付金事業委託 『中抜き』。  予備費10兆円『白紙委任』」とある。しかし私には事態の緊急性の認識を欠くと思われてならない。

もっとも批判を浴びた「持続化給付金」の場合、一日千秋の思いで待つ零細企業にとってスピードを欠く救済は無意味となり兼ねない。他にも各種援助金審査を抱えて忙しい役所が直接に扱えなければ業界団体に依頼するほか無いし、応募した2グループのうちより無理がきくと思われた「サービスデザイン協議会」が選ばれたのは不自然ではない ( 電通色が強いと明らかであっても ) 。同会が20億円「中抜き」したとの批判も送金手数料だけで15億円かかるとの報道もあり、予想外の事態も考えれば「中抜き」というほどのものだろうか。

給付実務が2次3次 ( 4次?)の下請けに肩代わりされたとの批判も事務量から考えれば何らおかしくないのでは。資格審査不要の10万円給付に比べれば、売り上げ低下が50%以上との条件つきの持続化給付金の手続きは対象数の差をしのぐ煩雑さではないだろうか。同日の同紙によれば、10万円の給付金の支払い済み38%に対し、持続化給付金の場合74%とか。批判に値する数字とも思えない。

予備費10兆円という額は異常であり、正常時なら許される額ではない。しかし今後の展開を予想することは困難である。スピードが死活的意味を持つ時、わずか数日の遅れも重大な結果を生み兼ねない。総じてメディア各社 ( 全部とは言わないが )の批判は事態の緊急性の認識が不十分ではなかろうか。


2020年6月11日木曜日

私の東京物語

東京新聞に「わたしの東京物語」と題した全30回の続きものがあり、3人の筆者が書き継いでいるようだ。昨10日は「東京03 」というお笑い三人組の一人角田晃広の7回目だった。私はこれまでこのコラムの存在に無関心だったが、今回「西永福と永福町」という見出しだったので思わず目を通した。

京王電鉄の井の頭線は渋谷と吉祥寺の間12.7キロを走る路線で、その中ほどに永福町駅と西永福駅がある。私は戦前戦中に永福町かろ渋谷寄り2駅目の東松原に住んでいた。現在は同線には普通の他に急行電車もあり、西永福や東松原は急行は止まらない。しかし戦前には急行はなく、普通車の半数は永福町止まりだった。

永福町の近くには大宮公園 ( 現在は和田堀公園 ) があり、何回も訪ねたことがある。大きな池には10メートルほどの高さから舟が滑走して着水するウォーターシュートという名の遊具があり、乗るとスリル満点だった。ウィキペディアによると豊島園とここしか無かったとか。

西永福には小学校 ( 国民学校と呼んだ ) の担任のK先生の習字塾があり、私は書道は上達しないまま終わったが、なぜかその担任には気に入られていたので一年ほど通った。帰りの西永福駅からは永福町駅で折り返す電車が見えた。

間もなく疎開が始まり、級友が一人また一人と姿を消した。そのさなかに父の転勤のためではあったが私も愛知県に移った。数年後、東京の大学に入学し早速西永福の先生宅を訪ね歓待された。しかし、先生自身も鳥取に疎開しておられたので、旧教え子たちとの交流はあまりなく、むしろ私に幹事役になって同窓会を開いて欲しいとの口ぶりだった。しかし、私とても級友たちに別れを告げるいとますら無く東京を離れていたので旧師の願いに応えられなかった ( のちに再会できた友は二人だけだった ) 。私よりずっと辛い思いをした同級生は多かったろうが、寂しい思い出である。

2020年6月8日月曜日

ミネソタ州の警官犯罪

米国の人種差別反対デモは鎮静化の兆しはない。同国ではこれまでも黒人に対する警官の暴力 ( とくに銃器による )による死は珍しくなかったとしても、今回の蛮行の悪質さはきわだっており、黒人たちの怒りは当然である。

私の見落としかもしれないが、死亡した黒人男性が何をした結果事件となったかは報道では分からなかった。一昨日 ( 6月6日 )の東京新聞の『本音のコラム』に「悲劇の背景」と題する師岡カリーマ氏の小文があり、やや詳しく事情を知った。

それによると死亡した男性はスーパーで20ドルの偽造紙幣を使用し、スーパーの店主が警察に連絡したことが事件の発端だった。しかし、米国の紙幣はニセ札が少なくないことは常識であり、男性が店の前にとどまっていたことから、かれはニセ札使用とは知らなかったとカリーマは判断する ( 私もそう思う ) 。一方、ニセ札と知って店主が警察に通報したとしても落ち度とまでは言えない。かれの店はその後、「脅迫や掠奪、破壊行為にあった」が、それでも遺族に葬儀の費用負担を申し出たという。

スーパーの店主はパレスティナ移民二世で、店は父が30年前に設立したとのこと。その故か、あるアラブ紙は「仮に客が白人や美女でもすぐ警察を呼んだか。我々はアラブ人差別を非難する一方、自らは黒人を差別していないか」と強い言葉で追及するこラムを掲載したとのこと。厳しすぎる感じもしないではないが..........。

以前読んだ各国歴史教科書の国際比較の書 ( 現在手元にない ) によると、アフリカの北部のアラブ系住民はかつてしばしば南部の黒人の奴隷狩りをした。しかし、アジア・アフリカ諸国の連帯のためか、アフリカ諸国の教科書には現在そうした事実への言及はないとのことだった。

「誰であれ、自らの差別意識を自問自省するのは大切だ」とのカリーマの結論には賛成である。

2020年6月5日金曜日

先進国とは

米国の黒人男性殺害事件が惹き起こした混乱状態に米軍派遣による対処を公言したトランプ大統領に対し、新旧の国防長官が反対を表明した。しかも両人とも元職業軍人であり、波紋をよんでいる。かつて原潜の艦長だった人が反核運動に加わったように、米国の軍隊には上官絶対服従の旧日本軍とは違った伝統が存在するようだ。

じつは我が国でも半世紀以上前に、日米安保条約改定に際し岸首相が自衛隊出動の可能性を打診したとき、赤城宗徳防衛庁長官が反対したため沙汰止みとなった。誕生したばかりの自衛隊を政治から出来るだけ離したいとの赤城氏の判断は賢明だった。原則論からすれば日米両国とも国民が選んだ最高指導者が任命した閣僚はかれに従うべきである。しかし何事にも例外はある。米軍を政治的対立から離したいとの願いは軍出身のゆえにむしろ強いのかもしれぬ。

その翌日?、31年前の天安門事件の犠牲者を追悼する香港住民の集会が本土に配慮する当局により禁止された。本土政府の要人が米国の黒人殺害事件を例に米国批判を強めている。しかし中国の要人が香港の自治侵害を批判すれば辞職どころか即重罪人となるだろう。

香港人がどれほど一国二制度を護ろうとしても本土との力の差は如何ともし難く、亡命しか道はないかもしれない。幸い、ジョンソン英首相は英国発行の「海外市民旅券」所持者35万人の英国滞在期間を延長 ( 半年→1年 ) するだけでなく、申請資格者250万人への「 将来的な市民権獲得」にも言及した。英国一国で受け入れ可能とも思えず、オーストラリア、カナダなどの英連邦諸国の協力も必要となろう。それでも旧宗主国の責任を多少とも果たそうとの意思は立派と言えるのではないか。

2020年6月3日水曜日

東京の憂鬱

昨日、東京都は「東京アラート」を発令した。なにやら警戒心を掻き立てる小池知事得意の英語使用だが、べつだん以前のステージ1に復帰するわけではないとか。しかし、地方が東京からの訪問者に疑いの目を向けるのではないかと思うと憂鬱である。

一昨日ようやく1人10万円の給付金の申し込み用紙が届いた。嬉しいのは否定しないが、公務員諸氏と同様我々年金生活者も収入が減少したわけではないので申し訳ないとも思う。かといって何処か有益な機関に寄付する義侠心もまだ湧いてこない..........。政府は消費振興のため給付したのだから使わなければいけないが、後期高齢者がモノを購入してもあと何年使えるのかと考えてしまう。その点、旅行はピッタリなのだが......。

私どもと違い、個人企業者とくに飲食業者などの苦しさは半端でないだろう。早急な支援が欠かせない。しかし、ガールズバーやホストクラブにまで支援金を配ると聞くと複雑な気持ちにもなる。

私には実感は全くないが、リモートワークの進展が通勤難を軽減したり、人口の大都市集中に少しでもブレーキをかける結果になれば、コロナ禍もすこしは日本の課題の解決に資するのではと願う。

2020年5月30日土曜日

責任転嫁

先ほど配達された朝日新聞夕刊のコラム『素粒子』欄に「当たり前の原則を何度説いても、政権は馬耳東風。もはや担い手を代えるしか.........」とある。米国の新聞は党派色が鮮明で隠そうとはしないと聞く。それに対しわが国では昔から新聞は「不偏不党」を標榜しており、政権やその政策をどれほど激しく批判しても直接に政権交代を要求することは稀だった。しかし、昨今の安倍政権の動向を見れば無理もないとも思う。

もっとも最近の賭けマージャンが理由の黒川氏処分問題では森雅子法務大臣の答弁のしどろもどろぶりが目立つ。私は彼女の能力をうんぬんする資格はないが、彼女の混迷ぶりが首相の不誠実な発言と辻褄を合わせるためであることぐらいは理解できる。彼女の本心は「馬鹿馬鹿しくてやってられない」と辞表を叩きつけたいぐらいのものだろう。大臣に取り立てられた恩はこれほどのものか!

今朝の東京新聞の『時事川柳』に「責任は痛感するより取ってくれ」との一句が載っているが、言い得て妙である。どこにも誰を指しているか、説明はないが。

二週間ほど前だろうか。『朝日』のコラム「天声人語」に岸信介元首相がどれほど批判されても日米新安保条約を国会承認させ、責任を取って首相職を退いた硬骨漢ぶりを伝えていた。業績評価ではないとはいえ、当時先頭に立って岸批判を展開した『朝日』が口をぬぐって何を......と言いたくなったが、人の評価はやはり棺を蓋って定まるということか。

2020年5月25日月曜日

事実を曲げない報道を!

今朝の東京新聞の『本音のコラム』欄に、看護師で評論家の宮子あずさ氏の「煽らない報道を」が載っている。都下の吉祥寺に住む氏は、街に出た土曜日 ( 5月16日 ) にテレビの街頭インタビューに意見を求められた。「緊急事態宣言後も吉祥寺は人出が多いと話題になっていますが、住民としてどう思いますか」との問いに氏は、「一日を通して見れば、人出は減っていると思います。なのに、わざわざ混んでいる時間や場所を選ばれ、とても心外です。望遠で撮って、混んでいるように見せるのもやめてもらいたいですね。.......非難がましく報ずるのは自粛警察と呼ばれる相互監視を煽ると思います」と答えた。

吉祥寺の駅前通り ( 名前は忘れた!)は私が電車通勤する場合の最寄駅だった。宮子氏がインタビューを受けたテレビ局だったかは分からないが、私も同じ場所のかなりの人出のシーンを見た。しかし直線の通りの人出を望遠レンズで撮れば混み具合はどうにでも撮れると感じていた。

宮子氏によると後日の放映では「予想通り、放映された街の声は、『人出が多い』『混んでてびっくり』。そんな声ばかりだった。やはり結論は最初から決まっているのだろう」とのこと。同氏の発言は放映されなかったのである。インターヴューアーは、相手が評論家で後日論評されるとは思っても見なかったのだろう!  他人叩きの陰湿な自粛警察への協力は願い下げにしたい。

2020年5月21日木曜日

高校野球大会の中止

夏の甲子園大会が中止と決定した。中止を伝えられた高校球児たちをテレビ画面が写し始めたら気の毒で見ていられなくなりスィッチを切った。「安全と健康を最優先に」との公式声明は理解できるし、大会関係者自身が誰よりも失望しているとは想像するが、それでもなお従来の形式にまったく囚われない開催方法は無かったかと思いたくなる。

『毎日』は開催困難の理由を「移動  宿泊  過密日程」との見出しで報じている。全国の50?代表校が甲子園に集うためには公共交通機関を利用することになるし、長期の宿泊が避けられない。1日最大4試合を行う日程はプロ野球とは違う。これらの障害は無観客試合となっても避けられない。

それでも移動の困難は、貸切バスや特別機を利用する方法もある。宿泊も外国人観光客は当分少ないだろうから関西のホテルを可能な限り借り切れば何とかなるのでは。日程も早朝からナイターまででも選手たちは喜んで受け入れるだろう。そうした変則的開催方法では各チームへの公平な開催条件の提示は不可能だが、それでも選手たちは喜んで受け入れるのではないか。( 従来も試合間隔など、不公平はあった ) 。

開催による感染者の発生はもちろん死者さえ予想されないではない。そうなればメディアは開催者の責任を言い立てるだろう。生命や健康の確保が最大の基準とされがちな現代の日本ではその可能性は大きい。それでも前途が五里霧中だった春のセンバツ大会当時と比べれば今回は対策も立てやすいとも思うが。後援社が春の『毎日』、夏の『朝日』で、扱いが違ってはいけなかったと考えるのはゲスの勘ぐりなのだろうが。

2020年5月19日火曜日

テレビ番組の劣化

コロナ禍で旅行も駄目、知人と会うのも駄目とあっては無職の人間は身の置きどころの無い心境にもなる。いやでもテレビを視聴する機会が多くなる。ところが、多人数が出演する番組の制作は困難になりつつあり、テレビ局の苦境は深刻のようだ。NHKの朝ドラも日曜時代劇も撮り置きが無くなり、間もなく一時中止になると聞く。『麒麟がゆく』は見ていないが、朝の『エール』は毎朝見ているので心配である。

日曜夜に見ている『ポツンと一軒家』は出演者が少数のためか今のところ番組内容の劣化もないのでますます愛聴している。最近は視聴率1位が少なくないのはうなずける。友人に勧められこのところ欠かさず見ていた『東大王』は東大生チームに対抗する芸能人チームが集められなくなり、内容の劣化が著しい。

それでもテレビ局もタレントたちも存続を脅かされているとまでは言えない。それに対し、飲食業や、内外の観光客に依存する旅館業や交通機関 ( とくにエアライン ) の経営難は素人にも想像できる。旅行や会合が困難になった程度の私の悩みなど比較にもならない。とはいえ.............。


2020年5月14日木曜日

証拠無しの批判はいかがなものか

政府提出の検察幹部の定年延長法案がメディアの激しい批判を浴びている。法案が「官邸の守護神」呼ばわりされている黒川弘務検事長の検事総長就任を可能にするための手段だとの批判である。森友問題や加計問題が検察により不問に付された後とあれば法案反対の「世論」が強いのは無理もない。しかし、具体的事実の提示無しに個人批判するのは正しいのだろうか。

昨13日の『朝日』によると複数の検察幹部は黒川氏が「事件に口を挟んだことはなく、そもそも決裁ラインにいない」と証言しているとのこと。もっとも「早くから総長候補」と見られた黒川氏のことゆえ、直接に関与しなくとも影響力皆無ではないかもしれない。しかし「官邸の守護神」視とは隔たりがある。

今朝 (14日 )の『朝日』には「普段の説明不足  疑念を生む」との見出しの江川紹子氏 ( 民主党政権時代の法務省諮問の会議で黒川氏とも仕事をした ) の意見が載っている。氏によると旧社会党出身の千葉景子法相に黒川氏は「本当によく尽くし」て、「当時の民主党政権でも高く評価されていた」とのこと。「おそらく彼は、上司にとことん仕える能吏なのでしょう」ということなら役人の鑑!とも解せられる。私はハッシュタグ ( 使い方も知らないが!) に表明された声よりも千葉景子元法相の意見を聞きたい。

2020年5月10日日曜日

訂正

前回のブログの李白の詩の煙火は煙花の誤り。私が特に好きなのは詩の後半なので注意力不足 ( 言い訳は見苦しい!)。

2020年5月7日木曜日

記念切手の販売停止

新聞休刊日なので昼間から民放テレビのニュース番組を見ていたら、中国がコロナ禍の克服を記念して記念切手を発行したがすぐ販売を中止し、別の切手に切り替えたと報道していた。なにごとかと思ったら、販売停止の切手の画面には背後にごく薄くだが楼閣が立っている。中国人なら一見しただけで武漢の長江に臨む名所の黄鶴楼だと分かるだろう。コロナ禍を特定の都市と関連づけたくないと考えたのは理解できる。

高校の国語教科書で李白の詩「黄鶴楼にて孟浩然を送る」を知った。私の記憶する唐詩など今では十指に満たないが、李白に限らず唐詩の中で一番好きである。
「故人西のかた黄鶴楼を辞し 煙火三月揚州に下る  孤帆の遠影碧空に尽き  ただ見る長江の天際に流るるを」 長江の雄大な景観を何と余すところなく表現していることか ( 黄鶴楼から見たことはないが!)。

わが国で最も知られた唐詩といえば杜甫の「春望」( 国破れて山河あり.....)だろうが、中国では蘇州の寒山寺を詠んだ張継の詩「楓橋夜泊」( 月落ち鴉啼いて霜天に満つ......) が最も知られていると現地のガイドが教えてくれた ( 郷土愛?)。私も好きな詩だが、寒山寺自体は立派だが黄色く塗られていてわが国の仏閣との違いが印象的だった。もうひとつ私の好きな唐詩を挙げれば杜牧の「江南の春」( 千里鶯啼いて緑  紅に映ず........)だろうか。知ったかぶりもこの辺で!

2020年5月5日火曜日

やはり非常事態宣言の延長だった

政府は、コロナウイルス問題での非常事態宣言を5月末まで延長する、ただし、感染者の多い13都道府県以外は今後の状況しだいで企業などへの休業要請を柔軟に適用するとの新しい結論に達したようだ。取りあえずは妥当な決定だろう。

わが国のウイルス感染者数や死者数が少ないのはそもそも検査数が少ないからだとの批判が欧米にはあると聞く。しかし、死者数には大きな見落としは無いはず。米国でのアジア系住民への警戒視と同様、人種偏見もちらつく ( 欧米先進国が日本に後れをとるはずが無い!)。

国内の新規の感染者数を見ると、東京都が全体の半分を占めており、次いで大阪、福岡、愛知などが多い。わが国が中国のような強権体制の国なら東京都と他府県との人の出入りを完全禁止すれば良いのだが、わが国ではせいぜい県境での体温測定が精一杯のようだ。

より深刻なのは飲食業やホテルなど客商売の苦境だろう。政府ももちろん種々の対策を発表しつつあるが、膨大な件数に迅速に対処するのは困難である。と思ったらフジテレビで橋下元大阪府知事が、米英独などでは建物の所有者の店子への退去要求を一時的に禁止していると指摘していた。それなら強権的体制の国でなくとも可能な筈。不動産の貸し手の側も銀行などの融資に頼ってきたケースが多いだろうが、救済対象の企業数は激減するだろう。100年前のスペイン風邪以来の事態には衆知を集めて対応するしかない。

2020年4月30日木曜日

高級食材の値下がり 是が非か

最近、コロナウイルス騒動のため高級食材 ( ブランド牛、カニなどなど ) が値下がりしていると新聞で読んだ。料亭や高級レストランからの需要が縮小したためだろう。食材価格のあまりの上下差を日頃不快に感じていたので、小気味良ささえ感じないでもなかった。何しろ我が家は数年前、高校教師時代の教え子の年賀状の「お年玉」のおかげでブランド牛肉を食べたが、前回は思い出せなかった。

今朝のテレビニュースで高級食材の常陸牛の生産者の苦境を紹介していた。牛肉価格が2割低下しただけで一頭120万円の売値が20~30万円安くなり、それがそのまま赤字になるとのこと。牛肉、オレンジなどの貿易自由化以来、わが国の畜産農家は多頭化とブランド化で生産を維持してきた。その間の生産者の努力を考えれば価格低下を小気味良いなどと感じてはいけないのだろう。

新聞の平飼いたまごの広告をよく見かけるが、スーパーで買うたまごの数倍の違いがある。かつては鶏卵は牛乳とともに「滋養」のための食材でもあった。その時代を覚えている身には、同一食材のあまりの価格差に好感を持てないが、違いのわからない男の偏見もあろう。生産者の努力が報われ、一般の消費者も何とか手が出せる食材の多様化をそれなりに評価すべきなのだろう。

2020年4月27日月曜日

我が家のコロナ禍

コロナウイルス騒動のおかげで読める新聞はせいぜいニ紙程度だし、テレビはどこの局も同じコロナ禍の話題。まったく無関心でもいられないのでつい見てしまう。時間の浪費のような、そうでないような。

紙面で一番に視線が向かうのはやはり東京都、日本全国、諸外国の順で感染者数と死者数。ようやく昨日は東京の感染者数が百人を切ったと喜んだら、休日のため検査数自体が少なかった可能性があるとの専門家の指摘にがっくり。20年ほど前の春の連休、伊豆の旅先で持病の胆嚢炎が再発し一週間ほど入院。共に惜しむ「近江の人」もなく行く春を空しく見送った年の今年は再来か? 家族に発病者や医療関係者のいる人から見れば何を気楽なと叱られそうだが.......。

ヨーロッパや米国の感染者数や死者数と比較すればわが国の対策は成功しているとさえ言えるのだが、今回のウイルスには地域ごとに微妙に違う3種のウイルスがあるとの指摘も目にしたし、単に流行期が遅れている可能性など、まだ断定するには尚早だろう。しかし、医療水準が低くない筈のヨーロッパの現状に対して休業の「要請」程度でわが国がこれまでやって来られたのは凄いとも言える。 善悪は別にしてわが国民の国民性の力とも考えたくなる。

都会のビジネスホテルはともかく、全国の観光地の宿泊施設は現在ほぼ休業中のようだ。これは従順な国民性のためというよりも、数少ない宿泊客からの収入よりも休業補償などに期待したためなのだろう。それにしても長野県は高速道を降りる県外車の乗員への体温測定を始めるという。これも国民性の故なのか、それともやはりコロナ禍が国難だからなのか。

2020年4月20日月曜日

服装は個人の自由だが..........。

テレビの国際ニュース番組でイスラエルのユダヤ教超正統派が取り上げられていた。フロックコート風?の黒い服と山高帽風?の帽子を身につけた彼らは人口の12%を占めるが、女子にも兵役義務のある同国で男女とも兵役を免除されている。テレビやインターネットの利用を許さないばかりか、最近のコロナウイルス関連の規制に従わないため感染者が同派の居住地域に逃げ込む事態まであったという。

イスラエルではネタニヤフ首相が汚職容疑で司法の追求を受けている。他の中東諸国で彼ほどの強力な首相がそうした事態に追い込まれるなど稀だろう。それほどの近代法治国家のイスラエルで超正統派が特権を享受しているとは驚きである。彼らの代表は入閣さえして同国の政治を一層歪めている。

一目で分かるほどの超正統派の服装だが、数年前に第二次大戦前のポーランドの街頭での動画で見て異様な印象を受けたことを今回思い出した。当時、大国ロシアからの独立を成し遂げ新興の意気に燃える同国やバルト三国の国民にはそうした服装は大変目障りだったろう。旧アウシュビッツ収容所のポーランド人の説明員が、ポーランド人も多数収容されていたと妙に強調したのを思い出す。バルト三国はナチス占領時代のユダヤ人抹殺に大変協力的だったと読んだ記憶がある。ポーランドはどうだったのか。

「多文化共生」の声が高い現在、「郷に入れば郷に従え」など口にするのも憚られる。しかし人間性は理想主義者の考えるほど急には変わらない。むろんマジョリティの側の努力は必要である。今回の十万円一律給付案は住民基本台帳を利用するとのことで、外国人も対象と聞く。彼らもわが国の納税者であれば当然の措置でもあろうが、実現すれば思わぬ形での一歩前進ではなかろうか。


2020年4月17日金曜日

全土に緊急事態宣言

昨日、47都道府県すべてに緊急事態宣言が適用されることになった。未だに感染者ゼロの岩手県まで必要かとも思うが、同県だけ除外すれば逆に県民は疎外感を覚えるかも? 

公明党が提案していた全国民一律に10万円給付案もほぼ実現しそうだ。先般の消費税増税時の食料品への税率据え置き提案と同様、同党の大衆迎合は目に余るが、書類提出などの手続きが必要な当初の政府案 ( 30万円案 ) よりは迅速かつ確実でベターと思う。

生活に困らない人にも金銭供与するのはおかしいとの批判は大いにあり得るし、GDP2年分の財政赤字を抱える国家財政をどうするのだとの批判もその通りだ ( 私だって同感 )。しかし、メディアで指摘される1930年代の世界恐慌以来の危機との指摘も今や現実味を帯びてきた。仮にそうなったら配分の不公平性や国家財政の困難も問題にならないほどの混乱となりかねない。今は国民に国家への信頼を抱かせることが優先する。

1930年代の米国発の恐慌はルーズベルト大統領のニューディール政策により米国に関してはある程度克服されたと歴史教科書にもある。それに対し前任者のフーヴァー大統領は、景気回復は角を回った其処まで来ている ( just around the corner )と繰り返しただけの無能な大統領だったとの評価が一般的である。しかし、ニューディールの施策のいくつかは彼が創設したもの。徹底性に欠けたのが彼の失敗の原因だった。

中国でコロナウイルス危機が一応回避されたとは、政府による情報操作の可能性はあるが事実のようだ。自由世界は強権的な体制でなくても回避が可能であると示す必要がある。

2020年4月12日日曜日

コロナウイルス対策の行方

コロナウイルス対策として休業や一時閉鎖を要請する対象施設に関して政府と東京都との協議がまとまり公表された。伝え聞くところでは都知事の側が施設の休業に積極的で、経済への影響を憂慮する政府側が押され気味だったようだ。理容業や美容業など都側の当初の要請項目には行き過ぎと思えるものもあったが ( 私はどうすれば良いのだ!)、パチンコ、バー、カラオケなどの遊興施設への休業拡大や酒場などの営業時間の短縮に都が貢献したとすれば小池都知事はよくやったと言いたい。

米国や南欧諸国の感染者数や死者数と比べれば我が国の数字は驚くほど少ないが、増加傾向にある以上油断は禁物である。「要請」の段階で局面が変われば言うことなしだが、効果が思わしくないなら諸外国のように「禁止」に進むのもやむを得ない。私自身はここ一ヶ月ほど近距離の病院までしか公共交通機関 ( 電車 ) を利用していないが、車内で咳が続いたら白い眼で見られるのは想像するだに不安である。

英国では休業中は給与の80%を政府が給付するなど、ヨーロッパでは休業補償は我が国より寛大なようだ。私も当初日本でも一人10万円とか聞いた時は思わず使い道をあれこれ想像した ( 情けない!)。 しかし銀座のクラブや多数のパチンコ店に休業補償など支払う必要はない。カジノ ( IR )に反対する人たち ( 私もそうだが ) が百万人単位の賭博依存症患者を生んでいるパチンコを問題視しないのは不思議である。

2020年4月9日木曜日

緊急事態宣言の発令

政府や都の意向には逆らえず、今日から日野市の図書館もついに図書の返還業務以外は閉鎖になった。感染者ゼロの多摩市の図書館が2週間ほど前から椅子利用の禁止、1週間ほど前から図書返却以外は利用禁止だったのに、数名の感染者を出していた日野市の図書館はまったく平常通りの利用方法だった。今日まで頑張った館員たちには心から感謝したい。

新聞も読めないなら旅行をと言いたいところだがどうなのか。我が家はこのところほとんど毎年、東北地方の春を楽しんでいた ( 一泊や二泊の駆け足旅行を大げさな!) 。震災後の東北を応援したいという気持ちもいくらかは混じっていたが、今年の同地の旅館は東京からの宿泊客を歓迎するだろうか? 生活のためもあり内心では歓迎されるのではとも思う一方、逆のようにも思える。

毎年の今ごろ、大田区在住の友人がドライブを兼ね多摩市の桜を見に来ていたのだが、今年は御免こうむりたいという。40名ほどの感染者を出している大田区のような区部の住民と、ゼロの多摩市の住民とではコロナウイルスに対する警戒心が違うようで、東北旅行など歓迎されるはずがないと言われた。今こそ、「寂しさの果てなむ国」を訪れたいと思うのはおかしいのか!

緊急事態宣言による大都市の義務教育や高校の授業が中断されるのを心配する声が挙げられている。しかし、1ヶ月程度の遅れなら夏休みを利用して回復することも可能だし、大都市と地方の教育格差を考えれば望ましくはないにしてもそれほど騒ぐことなのかと疎開世代は考えてしまう!

2020年4月4日土曜日

古関裕而の時代

作曲家古関裕而がモデルであるNHKの朝ドラ『エール』が始まった。主人公は未だ小学生だが、受け持ちの先生に音楽の才能を発見されたことになっている。その真偽は私には確かめようがない。

昭和ひとけた生まれの日本人には古関裕而作曲の数々の歌は忘れようにも忘れられないほど心に残っているのではないか。『暁に祈る』『露営の歌』をはじめとする彼の戦時歌謡=軍歌は従軍兵士にも好まれたと聞くように、どこか哀調を帯びており、戦意を鼓舞するものでは必ずしもなかった。

それでも戦後、彼は戦時中の作曲活動に忸怩たるものを感じていただろう。『長崎の鐘』にはその気持ちが込められているように感じる。その他、『君の名は』のテーマ曲や『オリンピック・マーチ』など数々の記憶に残る曲を彼は残した。私自身は夏の甲子園野球大会の歌『栄冠は君に輝く』が一番の好みである。

これ迄の朝ドラ同様、福島市内の「古関裕而記念館」に多くのひとが訪れることになるだろうか。私は2年前同館を訪れた。しかし、画家の記念館はふつう多くの作品を展示しているのに対し、作曲家のそれは遺品や楽譜などの展示が主で、千葉県の御宿の『月の砂漠』記念館のように単一の曲の場合はともかく、それほど感興を呼ぶものではなかった。

それはともかく、古関裕而は昭和の音楽界に巨きな足跡を残したひとであり、私も今後の毎朝の『エール』を欠かさず観ることになるだろう。

2020年3月29日日曜日

弥生三月の雪

昨日から、今日の東京地方は積雪との予報が発せられていた。予報通りなら三月末の降雪は稀なことなので ( 30年ぶりとか ) 、あまり信用せず、積雪は奥多摩からせいぜい八王子市までのことと予想していた。何しろ最近の天気予報は予想外れによる災害の責任を恐れてか大げさに警告する傾向があったから。

今朝は6時ごろ起きて屋外を見ても雪ではなく雨天だったのでやはりと思った。ところが8時ごろから雪が降り出し、テレビ画面の都心とは異なり午前中は激しく降り続いた。私が神経質になっていたのは、自宅前の道路は十軒余りの住民だけが使うので我が家の前 ( の此方側 ) は自ら除雪せねばならず、一年前から腰痛と無縁で亡くなった身には大雪は脅威そのものだから。

さいわい正午ごろから雪は止み、4,5センチほどの積雪はやがて車が通れる程度には溶けてくれ、ホッとした。しかし、それに気を取られている内に夏みかんの上に積もった雪が溶けてしまい、久しぶりの傑作写真を撮り損ねた!

積雪はともかく、東京の気温は昨日の21.9度から今曉の0.9度まで低下した。やはり異常気象なのだろうか。

2020年3月24日火曜日

春を待つ心

「春を待つ心」と言えば、文字通りの意味の他にも寓意的に使われることが少なくない。しかし何故か今年は文字通りに感ずる機会が多いと感ずる。

気候温暖化の影響だろうが、桜の開花は年々早くなり、都心よりも通常遅い多摩市でも今年は都心に負けないスピードで開花し、他にも木蓮をはじめ咲きだした花木が少なくない。これを書いている現在も、北風に乗って桜の花びらが庭に舞っている。そういう状況で春を待つ心などと書くのは気がひけるが、実感なので仕方がない。私自身の高齢化の影響もあろうが、今年の春が異常な暖かさとともに低温の逆襲が二度三度と続くこともある。

我が家の庭には山椒の木が二本あり、1メートルにも足りない一本は緑の葉を出しかけたが、大きい ( と言っても2メートルほど ) の木が音無しだった。後者には去年思いもかけず多くの実がなり、数軒におすそ分けしたほど。気掛かりだったら家内が、前年多産だった木は枯れることが少なくないとの情報をもたらした。しかし今朝見ると小さいながら芽が出だしたようでホッとした。

世の中もそれを映すメディアもオリンピックの開催如何で大忙しの時に老人は天下泰平だなどと言われそうだが、人智では予測不可能なことも多いと斜に構えている。

P.S.  前回のブログで検察審査会が佐川元局長を無罪放免したかのように書いた。しかし、審査会は起訴相当としたが検察が再度不起訴としたようだ。これも記憶力減退のなせる技か?

2020年3月20日金曜日

森友事件の闇

コロナウイルス問題が目下の最大の案件だが、最近は他にも植松被告に対する死刑判決、父親による我が子への虐待への判決など新しい記事ネタに事欠かない。どれも小さな案件ではないが、森友事件で文書改ざんを強いる上司との板挟みになって自殺した下級官吏の手記の公表は痛ましい限りである。

その上司が当時の本省の佐川理財局長だったことは当時から知られていたが、検察は彼を起訴せず、検察審査会もそれに異を唱えなかった。いちおうの法的決着がついている以上、残された家族による損害賠償請求しか方法は無いのかもしれない。佐川元局長の執拗な文書改ざん要求が安倍首相の軽率極まる「無関係」発言を正当化するためとの疑いは濃い。役人の世界は清張の『点と線』の時代から変わっていないのか。

ところで、自殺者の手記は『朝日』に要旨が、『毎日』に全文が掲載されているが、大きな違いがある。手記全文では末尾に「この事案は、当初から筋の悪い事案として、本省が当初から鴻池議員などの陳情を受け止めることから端を発し、.........課長クラスの幹部レベルで議員等からの要望に応じたことが問題の発端です」とあり、他にも記事中にそれが言及されているのに対し、要旨にはこの箇所は省かれ、むろん記事中の指摘も無い。森友事件では記録の改ざんの追求も大変大事だが、十億円近い不正値引きの原因追求は『朝日』にとっては大事ではないと読めないでも無い。

2020年3月17日火曜日

植松被告に死刑判決

やまゆり園事件の植松被告に初審は死刑判決を下した。同被告はどんな判決でも上告しないと語ってきたので、その意思を変えなければ死刑が確定する。私は植松被告にせめて上告には同意してほしい。メディアが言うほど ( 『朝日』「偏見強めた経緯 未解明」『東京』「『なぜ犯行』今なお残る」) 再審で経緯が今後解明されるとも思わないが、一審の結果だけで死刑確定とは死刑存置論者の私でも同意したくない。

私が死刑制度を是認するのは私利私欲のために残虐な殺人を犯した犯人には死刑もやむを得ないと思うから。麻原彰晃以外のオーム事件の被告たちにも感じたことだが、彼らは誤った教義のため殺人に及んだ。被害者やその家族にとっては到底許せない気持ちだろうが、犯人たちが人間として卑劣とまでは言い切れない。罪を憎んで人を憎まずということも場合によれば有ったのではないか。植松被告の場合も犯した罪は重大だが、少なくとも私利私慾が動機ではなさそうだ。障害者施設で勤務したことがない私は彼を死刑にすることに躊躇を感ずる。

それにしても弁護士連合会の会長をはじめ我が国には死刑廃止論者が少なくないのに彼らはなぜ黙っているのか。「空気」を気にするメディアが彼らに発言の機会を提供しないのかもしれないが、現在はSNSをはじめ発言の機会が皆無とは思えない。まさか植松被告は例外とは言わないと思うが.........。


2020年3月15日日曜日

ちょっぴり訂正

前回のブログで鳩ヶ谷の公団住宅が1Kだったと書きましたが、家内によると1DKだったとのこと。小生の記憶と違いますが、いちおうテーブルと椅子で食事をしていたので狭くとも2DKだったのでしょう。次の公団住宅を上福岡団地と書きましたが、上福岡駅を下車すると南に霞ケ丘団地、北に上福岡団地があり、我が家は前者でした。記憶力減退で困ったことです。なお、鳩ヶ谷団地にやってきた数人の教え子の1人の写真が今日の『朝日』の第1面に載っています ( これは記憶違いではありません!)。

2020年3月10日火曜日

自虐映画『翔んで埼玉』

一ヶ月ほど前に録画した『翔んで埼玉』という映画 ( 原作は漫画 ) を観た。全国に知られているかは知らないが、首都圏では埼玉県 ( 民 ) はダサいということで「 ダ埼玉」と揶揄される。本当は東京都民が埼玉県を見下した言葉というよりも埼玉県民の自虐の言葉なのだが、ついに映画にまで昇華?された。

映画では、「都会指数」!に劣る埼玉県民と千葉県民は東京に入るため関所で通行手形を見せなければならないほど差別され、過去には「埼玉解放戦線」や「千葉解放戦線」の反東京闘争もあった。今回は東京都知事の息子 (二階堂ふみ ) と埼玉出身のヒーロー( GACKT ) が協力して東京に攻め入り、知事の不正を暴くという筋。これで埼玉県民の溜飲が下がるというものでもなかろうが、そこは漫画というしかない。もともと自虐の言葉が出発点なのだから。

私自身、二度埼玉県民だった。住宅難の当時は公団住宅への入居がうれしがられた時代。埼玉県の公団住宅への入居も数倍かそれ以上の倍率だった。所沢など数箇所にふられ、ようやく川口市の隣の鳩ヶ谷の1K住宅に潜り込めた。その6畳の居間兼寝室兼書斎に教え子の高校生数人が遊びに来た時には家内と幼児はキッチンにいるほかなかった。幸い三、四年後、東武東上線の上福岡団地の2DKに移ることができた。そのころ埼玉住まいを卑下する空気などまったく無かった。その後の東京の驚くべき発展が埼玉県民に自虐の言葉を発明させたのだろう。

映画で神奈川県民が特別扱い ( 関所がない!) されていたのは可笑しいが、幕末の開港地横浜を含む神奈川県は文明開化の発祥地ということか。たしかに文化施設や観光地の多彩さでは首都圏ではナンバーツーだろう。埼玉県民の自虐も分からぬではないが、それなら旧制高校は埼玉県 ( 浦和 ) にあっても神奈川県には無かった ( 確か!)。

2020年3月8日日曜日

コロナウィルスへの対処

運動不足の解消を兼ねて閉館日の木曜を除いて毎日駅前の図書館分館で新聞各紙に目を通しているが、数日前、突然感染症対策のため二週間ほど閉館となった。ところが5キロ足らず離れた日野市の高幡図書館は閉館しないので、このところ毎日通っている。多摩市の場合、本当に閉鎖の必要があるのかと文句を言いたくなる ( その程度の不便に何をほざく!)。

今日の『産経』に「政治休戦が必要だ」との見出しで作家の佐藤優氏が、小中高校などの臨時休校を要請した安倍首相の決断に賛成している。「脅威は、ウイルスの感染力、致死率だけでは判断できない。........国際社会がどう受け止めているか、この感染症が国民の心理や経済に与える影響を総合的に評価する必要がある」「感染症との戦いは時間との勝負だ」との氏の意見に私は賛成する。

安倍首相の「決断」に対するメディアの評価は概して悪い。専門家の意見を徴さなかったに始まり、決断力を誇示したかった、観桜会や検察人事などへの不評をこれで消したかった、学校を始めとする関係者の困惑や混乱をどうするのだ等々。

それらの指摘が誤りだというのではない。そもそも首相の「決断」は要請であって命令ではない 。まだ感染者のいない県が一斉休校する必要はないだろう。しかし専門家の意見と言っても容易に一致するとも思えない。現在程度でも日本経済に様々な影響が及んでいる。今回の決断でも遅かったとの評価もありうる。

佐藤氏は「いわば『独裁的』に安倍首相が決断したという事実が、危機に直面したときに日本国家の中枢が機能していることを示している」と考える。逆説的だが、そういう見方も可能ではある。今は首相の動機をあれこれ詮索している時期ではないだろう。

2020年3月5日木曜日

美麗なマンホール蓋の流行

我が家から駅に向かってすぐの階段の下で先日ちょっとした工事があった。まったく気にも留めなかったが、工事が完了したら下水道のマンホール蓋が大きくなり、カラー化されていた。それでもその模様をろくに見ようともしなかったが、今朝配られたミニコミ紙『タウンニュース』に新しいマンホール蓋を設置」としてカラー写真が載っている。

それによると駅周辺に4箇所設置された由。図柄はアニメ映画『耳をすませば』に出て来る洒落た喫茶店の絵 ( 駅前に郵便ポストになった模型がある )と共に大きなあらいぐまの絵が描かれている。1970年代?に放映されたアニメ『あらいぐまラスカル』の絵らしい ( 製作した?日本アニメーション社は今も多摩市にある ) 。

しかし、当ブログでも紹介したことがあるが、我が家のある住宅地は軒並み?あらいぐまらしい動物の被害 ( ゴミ荒らし ) を経験しており、生ゴミを庭に埋めていた我が家も例外ではなかった。本来は米国からの外来動物を有り難がることもあるまいと思うのだが、テレビ人気には勝てない。

最近はこの種のマンホール蓋が流行のようだ。市のもう一つの玄関口の多摩センター駅の周辺には『ハローキティ』のマンホール蓋が9箇所に設置されているとか。数で負けるのは面白くないが、あちらには「サンリオピューロランド」があるので仕方がないか。

2020年3月1日日曜日

ムバラク元大統領の死

2月25日、エジプト大統領を30年間務めたムバラクが亡くなった。大統領時代は現代のファラオー呼ばわりされるほどエジプトに君臨したが、2011年の「アラブの春」とともに反政府デモが激化し退陣した。イスラム同胞団出身の次のムルシー大統領下の裁判で一度は終身刑判決を受けるが、反ムルシー政権の軍部クーデターで成立した現シーシ政権の下で無罪放免となった。その功罪の評価は両極端に分かれている。

昨日の東京新聞の『本音のコラム』欄で師岡カリーム氏が複雑な胸中を吐露している。氏も「強権政治や私腹肥やしは許し難い」とする。しかし、大統領の来日に際して通訳を務めた氏は、「本音でしゃべるときの茶目っ気とユーモア」や「飾らない人柄」に接し、「政権は憎んでもムバラク本人は憎めなかった」。

人柄だけではない。氏によれば「強権的な警察国家を維持したのは事実だが、市民が喫茶店やバスで大統領を罵るぐらいの自由はあり、一部周辺国と比べれば風通しはよかった」。失脚後は国外逃亡しなかったのが評価され、同情する声も多かったとか。

ナセル、サダト、ムバラクと続いた軍部政権は世俗主義をとりイスラム教に特権的地位を許さなかった。「アラブの春」後成立したムルシー大統領も米国で大学教員だった経歴もあり、イランのハメネイ最高指導者ほどの狂信者ではなかったようだ。しかし、イスラム同胞団出身ということでイスラム過激派が勢いづき、人口の1割を占めるコプト教徒 ( キリスト教の一派 ) の迫害が横行した。その後ムルシー政権は軍部のクーデターにより打倒されたが、エジプト国民がそれに抗議して立ち上がらないのは政権側の軍事警察力だけが理由ではなさそうだ。

2020年2月27日木曜日

韓国映画『パラサイト・半地下の家族』

韓国映画がカンヌ映画祭の最高賞パルムドールを受賞したばかりか、外国映画として初めて米国のアカデミー賞作品賞を受賞した。立派としか評しようがないが、洩れ聞くストーリーはかなり過激らしいので躊躇したい気持ちもあった。しかしこれほど高く評価された作品を見逃したくはないので上映最終日の今日近所のシネコンで見た。平日の午前なので観客は十人ほどだった。

これから観る人のため筋書きは明らかにしないが、途中で退場したくなる時もあった。同じく一家で犯罪を犯す『万引き家族』( 同じくパルムドール賞受賞 ) が心温まる?家族愛を描いたのに対し、『パラサイト』は同じく家族愛を描いていてもハラハラドキドキの末の殺人で終わる。

私は『冬のソナタ』のファンであり、聖地巡りまでした。当時の韓国ツアーに春川や南胎島が組み込まれていたからだが、けっこう楽しんだ。しかし、次の『チャングム』で女主人公がこれでもかこれでもかばかり不運に見舞われるのに辟易して途中から見なくなり、以後の韓国ドラマは一つも見ていない。

『パラサイト』が韓国における甚だしい貧富の差を告発する意図を有するということなら、みごとにその意図は実現しており、しかも世界から高く評価された。その上何を望むかと言われそうだが、「そこまでやるか!」と『チャングム』に感じた私の違和感は良くも悪くも国民性の違いだったのだろう。ともあれ、「受賞おめでとう」は欠かせない。

2020年2月24日月曜日

ウイルス禍への対処方法は?

コロナウイルス被害の拡大は世界全体でもわが国でも未だ終息には遠いようだ。それとともにメディアではクルーズ船からの下船禁止措置 ( 船内への閉じ込め ) への批判が高まっている。 結果として下船禁止が逆に船内のウイルス罹患者の増加を招いたことは事実だろう。しかしそれが国全体へのウイルス拡大を阻止した面もあったかもしれない。未だ結論は出ていない。

メディアでは米国など外国からの批判が紹介されている。しかし外国と言っても政府からの批判はごく最近のことで、主な批判はニューヨーク.タイムズをはじめとするメディアからである。それも当然。昨日の朝のNHKニュースによれば、当初日本政府が米国人乗客の早期下船を提案したのに対し、米国政府は在日米軍基地に収容する余裕はないと断ったという。私など米国メディアの人種偏見を感じてしまう。

全乗客の早期下船は理想だったろうが、乗客2000余人一括の収容施設も食事提供 ( 宗教別の ) も容易に手配できるとも思えないし、各地への分散収容よりは船内の滞在がベターと思われたのは理解できる。ただ、船内滞在中の医学的配慮は十分ではなかったようだ。しかしそれも早急に十分な人数の医師や看護師を確保できたらの話である。

今後もこうした事態は予想されるとすれば病院船か地上の専用施設が必要となろう。むかし田舎の町には伝染病患者を隔離する「避病院」があったりした。自然災害時も考慮すれば病院船がベターかも。もっとも、正直に言うと、80歳台の私には寝たきり老人になるよりも2週間でおさらばできるのはそんなに悪くないと思える (  話をそらすな!)。

2020年2月22日土曜日

歴史的評価の難しさ

昨日 ( 2月21日 ) の東京新聞に、幕末の開国を強行した井伊直弼作の能狂言が29日に横浜の能楽堂で上演されるとあった。その記事によると直弼は「茶道、和歌、禅なども究めた」文化人だったという。

敗戦までのわが国では幕末の勤皇の志士たちが絶対の善であり、「安政の大獄」をおこなった井伊直弼は絶対の悪だった。当時は小学生の私でも吉田松陰の歌「かくすればかくなるものと知りながら、止むに止まれぬ大和魂 」や、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」( 辞世 ) に胸を熱くしたが、それは私だけではなかったろう。

戦後、井伊直弼の悪名を一変させたのは、大衆小説家舟橋聖一の『花の生涯』( 1953年 ) だった。直弼は本書により開国に一身を捧げた先覚者となった。人間とりわけ政治家の評価がいかに変わるかの好例だった。

今回の韓国映画『パラサイト』のアカデミー賞作品賞受賞にトランプ大統領がケチをつけた。彼は「韓国とは貿易分野で様々な問題を抱えている。その上、今年最高の映画 ( である作品賞 ) の栄誉を与えるのか」と不満を述べ、「1939年の『風と共に去りぬ』や脚本賞などの『サンセット大通り』を持ち出し、こういった作品が受賞すべきだと主張」した ( 『産経』2月22日 )。

これに対して『パラサイト』の米配給会社がツイッターで、「(  トランプ氏が作品を嫌いなのは ) 理解できる。彼は ( 英語の字幕を ) 読めないからね」とやり返したのは自由の国の面目躍如である。中国で同じことを習近平主席に言ったら国家指導者侮辱罪に問われるのでは? それとも国家誹謗罪?

P.S.  『サンセット大通り』は往年の大女優グロリア・スワンソンを起用してハリウッドの醜い内幕を描いた作品で、佳作ではあるが秀作ではなかった。ハリウッドは『イヴのすべて』など、自業界の歪みを描くのが好きである。

2020年2月15日土曜日

日本プロ野球の懐古

二、三年前に4コマ漫画を見ていたらピッチャーが「懸河のようなドロップ」を投げるとあって心底驚いた。「懸河のようなドロップ」とは戦後間もなくプロ野球の松竹ロビンズのエース真田重蔵の得意球の形容語でその後使われるのを聞いたことはないし、そもそもドロップという言葉自体死語同然である ( 今はカーブと呼ぶようだ ) 。漫画作者の偶然の造語とはとても思えない。

野村克也が亡くなり各紙とも驚くほど大きく取り上げている。長嶋や王ならこの扱いも分からぬでもない。しかし野球人としての業績なら彼らに一歩も劣らないしむしろ上だろう。長嶋の華麗な三塁守備はアンチ巨人の私にも眼福だったが生涯成績では野村に劣るし、王の人柄にはたいへん好感を持つが、当時の後楽園球場の外野は狭く、大リーグの記録との比較には疑問がある。

プロ野球人としての野村の偉大さは打撃成績からしても文句なしだが、監督としての成績も素晴らしい。成績日本一の回数では巨人8連覇時代の川上には劣るが、二流三流のチームを率いての成績としては最高だろう。

彼は京都府の丹後半島の峰山高校の出身である。30年?近く前、山陰旅行の途次峰山を通り過ぎながら家内に説明していたらスピード違反で捕まってしまった。町の入り口に40キロ制限の表示があったのだろうが、見落としたのである。私は野村選手の大ファンでしたと訴えれば違反を大目に見てもらえたのではないかといまでも心残りである ( 日本の警察はそんなに甘くない!)。

2020年2月13日木曜日

「ブラック校則」の是非

二、三日前のNHKのテレビ番組 ( 朝のニュース?)で「ブラック校則」の問題を取り上げていた。実例として挙げられたのは下着は白色だけ、天然の髪の毛が黒くない場合その旨の証明書を提出させるなどの校則で、自由の束縛を理由とする一部生徒の抗議は人権侵害を口にするに至っているという。

番組は実状紹介が主だったが、5人の中高校の教員が出席し意見を求められていた。5人の意見は一致したわけではないが、服装の乱れなどは学校のイメージとなって生徒に返ってくるとの意見も出、何より父兄からはもっと厳しくと要求されがちとのこと。

逆の例として、私服もOK、ピアスも金髪も許される中央大学付属高校が紹介されていた。自由に考える癖をつけるのが学校の方針だとか。私の印象では入学が容易でなく生徒が誇りを持っている学校と、中位以下の学校とでは実情は違うと思う。後者では父兄が学校の評判を第一に考えるのは無理ないのではないか?

一般論として生徒が自由意志で入学する私立校の方が、公立校より校則は厳しく処罰も容易だろう。私の懸念は、そうでなくとも受験が中心に据えられがちな私立校に対し、公立校が親の目にいっそう魅力の無いものに映るのではないかということである。今年から私立高校の授業料が無償になる ( 所得制限はあるが ) と聞く。公立中高で学んだ私は、校則はより自由になったが公立校の地位は低下したということは望まない。かつての東京都の学校群制度の失敗を繰り返してもらいたくない。

2020年2月10日月曜日

藤原正彦氏の暴論

月刊『文藝春秋』の1月号 ( 新年特別号 ) に藤原正彦氏の「英語教育が国を滅ぼす」が巻頭に載っている。子弟に英語を使える人になって欲しいと公立校より英語教育に力を入れると考えて私立の中高一貫校に入学させた親たちにも、望んでもそれが叶わなかった親たちにも不安を与える内容である。しかし、私には暴論としか思えない。

氏は「英語が世界一下手な日本人」の例証として「先進国 ( OECD ) 36ヶ国中の圧倒的ビリ」「スピーキングに関しては何と全170ヶ国のビリ」との数字を紹介する。それなのに何故「英語はカタコト ( で結構 ) 」とされるか。

小学校高学年への英語導入などの最近の英語力向上の施策について氏は、「決定的問題点は、この改革が経済界のイニシアティヴで進められてきたことである」とし、「グローバル人材の育成」という目標に反対する。しかし、立場上もっとも英語使用を強いられる人たちの提言が何故いけないのか。

氏は現在の英語教育について 1) 壮大な無駄、 2) 日本人としての自覚の妨げ  3) 教養を積む妨げ」の三点の欠陥を挙げる。たしかに 1) いかに国際化が進んでも英語が必要な職業に就く人は国民のうちの少数派だろう。しかし、それらの人たち無しにわが国は国際社会でふさわしい地位を保持できるだろうか?  2)についても英語 ( 外国語 ) 学習が「日本人としての自覚の妨げ」になるとは思わない ( 小学校での義務化の当否は別問題 ) 。英語学習もかならずや当人の視野の拡大に役立つ。3)についても、「知識を世界に求めた」明治大正の時代と違い今のわが国で教養を身に付けるために外国語は必須でも何でもないだろう。しかし、その妨げになるとは思わない。

藤原氏の専門の数学は必要とあれば黒板に数式や図表を書けば済むこともあろう。しかし、文系の学問は言葉が生命であることが多い。「カタコト」で済むはずがない。「カタコト」は氏にとって意図的挑発の言でもあろうが、2月号の読者欄に載った全面賛成論の単純さには身震いする思いである。

2020年2月9日日曜日

コロナウイルスの脅威

遠い武漢発の新型ウイルスにより周辺の国々は脅威にさらされている。被害と言うならむろん発生国の中国のそれが一番深刻だが、ダイアモンド・プリンセス号の乗客乗員のようにとんだとばっちりを受けている例は他にもあるようだ。同情に耐えないが、将来の拡大の予測がつかない以上、もっと融通を利かせてはとばかりも言えない。

観光への悪影響もさることながら、今後の展開次第ではあらゆる種類の行事やイベントの中止もありうる。影響が長引けば東京オリンピックとパラリンピックの開催さえ危ぶまれる。仮に1年後の開催となっても選手たちの当惑は大きいだろう。

これまで戦争以外の理由によるオリンピックの中止は聞いていないが、交通手段の発達による世界の一体化は思いもよらない困難を生むことが分かった。中国当局とくに武漢市と湖北省の初期対応の不手際も大きいが、似た状況に追い込まれることは無いと言い切れる国は少ないだろう。

それにしてもクルーズ船の巨大化と普及ぶりがこれほどとは知らなかった。重い荷物を抱えてホテルを移動する必要が無いので乗客に高齢者が多いのは理解できる。もはや海外旅行に自信が持てない私も、今度のように台湾と香港 ( 訪ねたこと無し ) ならクルーズ船を利用したいものだが、資力の関係で窓のない船室になりそうでクワバラ、クワバラである!

2020年1月31日金曜日

英国のEU脱退があっても..........

明日をもって英国はEUを正式離脱する。第二次大戦後、ドイツとフランスが再び戦争をしないため石炭と鉄鋼の共同体を発足させて以来、EEC、ECと経済統合の歩みを進め、並行して進展したNATOと共にヨーロッパ統合の歩みはこれまで前進し続けた印象がある。しかし、英国の立場はこれまでも単純ではなかった。

1966年、ドゴール仏大統領は英国のEEC加盟申請を素気無く拒否した。ドゴールの眼には対米関係を引きずる英国は完全なヨーロッパの一員では無いと映ったのだろう。テレビのマイクを向けられたフランスの若者は「Oh  mon president !  Oh mon president !(おお、我が大統領!)」とドゴールの頑固さにお手上げの様子で笑いを誘った。しかし、2020年の時点で振り返るとドゴールの拒否にも一理はあったのだろう。 

そもそも戦争の再発を防止するため、また米国の経済力に対抗するため進めてきた欧州統合だとすれば、ヨーロッパの大国間の戦争など考えられない現在、統合に揺り戻しがあっても不思議では無い。しかし、英国のEU脱退決定の日、ヨーロッパ議会では議員たちが自然発生的に「蛍の光」を歌っていた。私にはそれはヨーロッパの文化的一体性を示すように思われ感動を禁じえなかった。今後どれほど経済的に対立しても、「蛍の光」とベートーベンの「歓喜の歌」はヨーロッパ人の共通の歌として歌われるだろう。

2020年1月29日水曜日

矜持に欠ける安倍首相

一国を代表する総理が真実を積極的に明らかにせず逃げ口上を並べているのは見苦しい限りである。
私はこれまで安倍首相を軽率な発言をする人だと思ってもメディアの批判には必ずしも同感できなかった。森友学園への土地払い下げ問題は疑惑に満ちていたが森友氏の人格は最低で、その言はとても信じられるものではない上に、彼は大阪選出の国会議員たち ( その中には引退前は大物議員だった人物も ) とも親しかったと報じた新聞もあったので、安倍夫妻の影響の結果と断定出来なかった。加計学園への獣医大認可問題も事前に首相が知らなかったとの主張は到底信じられないが、公的機関の獣医不足は深刻であり同学園の申請が最も早かったとあったので、認可されても不自然とは言い切れなかった。

しかし、今国会での「桜を見る会」に関する総理の説明は不誠実としか受け取れない。確かに招待者数などに関する取り決めはこれまで明快でなかったにせよ、それを悪用し、民主党政権下の8419人から在任7年間に1万1700人から1万8200人に増やした ( 『東京新聞』1月28日 )。招待客の名簿を抹殺したことなど臆面もない振る舞いというほかない。なにより、後援会関係者との写真撮影のため苑内を小走りになって移動する姿に一国の総理の矜持のかけらも無い。新型肺炎騒ぎなどで追求が半端に成ってはならない。

2020年1月27日月曜日

ダンケルクは奇跡か悲劇か

今朝の産経新聞に英国のBBC製作の『ダンケルク』の大きな広告が載っている。第二次大戦初期にドイツ軍によりベルギー海岸の町ダンケルクに追い詰められた40万の英軍 ( 一部仏軍 ) が10日間に脱出帰国したエピソードは英国では「ダンケルクの奇跡 」として有名である。DVD3枚という分量は製作陣の並々ならぬ意気込みを感じさせる。漁船や個人のヨットに至るまであらゆる船舶を動員して弾雨の中で遂行された救出作戦は英国民にとって大成功だった。

じつは同名の、こちらは映画の『ダンケルク』( 1964年 ) はジャン・ポール・ベルモントの主演で1964年に公開されたフランス映画である。惨めな敗戦の上に脱出もかなわず海岸に取り残されたフランス軍兵士を描いたこの作品の印象はむろん暗かった。私は戦後のフランスが原爆開発を強行した理由は国連の五大常任理事国の面子と共に、いざとなれば同盟国も自国の都合を優先することをダンケルクで思い知らされたことも理由の一つと思う。

ヴェルサイユ条約などで軍備を厳しく制限されていたドイツはナチスのもと英仏を上回る軍事力を短期間に建設した。英仏の政治家は前大戦で自身戦傷者となったヒトラーが戦争を始めるとはどうしても信じられなかった。ナチスドイツの危険を説いたチャーチルは好戦的とみなされた。その結果戦争準備は遅れフランスは降伏し、英国は米国の援助で辛うじて踏みとどまった。父が当時の駐英大使だったジョン・ F・ケネディーのハーバード大学での卒業論文は「英国はなぜ眠ったか Why England Slept 」だった ( 同名の邦訳あり ) 。

2020年1月19日日曜日

前進座の足跡

朝日新聞の土曜版beの先週号 ( 1月18日 )に演劇集団の前進座の歴史を辿った記事が載っており、断片的にしか知らなかった私には大変興味深かった。歌舞伎界の封建制や因習に反発して前進座の2人の若者の中村翫右衛門と河原崎長十郎が、固い結束で戦前戦後の演劇界に大きな足跡を残してきた。しかし、戦後の翫右衛門の新中国への一時亡命や、長十郎の中国文化革命への心酔などが契機となり、2人は袂を分かつことになったとのこと。両雄並び立たずの側面も皆無ではなかったろうが、高い理想が歴史にもほんろうされ和解を見ることなく両人の相次ぐ死で終ったのは痛ましい。

私は前進座製作の映画『箱根風雲録』( 1952年 )を多分見ているが、劇場での上演作品としては井上靖原作の『天平の甍』しか記憶にない。中国で仏教を学ぶため渡海した5人?の若い僧たちが主人公を除き挫折や方向転換を経験する。或る者は寂しさに負け現地妻と結婚し帰国を断念させられる。或る者は自分の能力の限界を知り仏典の翻訳と将来 ( 持ち帰ること ) に専念する ( その仏典は海難を避けるため海中に投ぜられる ) 。或る者はインドに出奔し行方知らず。或る者は中国の高僧鑑真を日本に招くことに自分の使命を見出す。ただ独り、戸惑いながらも愚直に仏教を学んだ主人公は帰国後重用される。

ちょうど留学をひかえていた私には『天平の甍』の渡海僧たちの生き方は他人事とは思えなかった。そこに偶然、前進座の『天平の甍』の名古屋公演があり、長十郎らの力演に感じ入った。前進座の演劇活動はいまも続いているが、あの頃がその活動の山脈の中のひとつの頂点だったのだろうか?

2020年1月18日土曜日

全国統一大学入試の今昔

今日と明日は最後の大学入試センター試験の日。関東地方は雪との予報だったが、大した降りでなくて良かった。しかし毎年降雪情報に一喜一憂しないよう、世界の大勢に合わせて7月入試、9月入学に改めたらと思うのだが、桜咲く校庭での入学式のイメージには今年も勝てない。

ほとんど忘れられているが、全国統一の試験は1950年代の「進学適性検査 ( 進適 ) が最初と思う。各大学での二次試験への「足切り」に使用されたとも聞かず、文系と理系への自分の適性を知るくらいしか利用されなかったと記憶する。私の場合両者の点数差が2点だったのでそれにさえ役立たなかった!  しかし記憶力より理解力重視という最近の「 改革」の方向は進適への先祖返りのようにも映る。

進適は数年も続かず姿を消し、長い中断ののち1990年に「共通一次試験」が発足した。その理由は各大学での試験に難問奇問が少なくないとのことだった。その指摘は正しかったが、全て教科書からの出題となると点数が高くなる。すると統計学をかじった同僚がこれでは得点の理想的な分布曲線から外れるなどと主張する。正式な会議ではどうしても「正論」が勝ち、出題のレベルを高める他なくなる。

現在の入試センター試験の導入事情は良くは知らないが、入試科目の部分利用を許すことで私学の利用率が大幅に高まったようだ。しかし受験者数が増大すれば採点の手間は増大する。そうした中で英語のヒャリング・テストなど良くも実施してきたと感服するが、今回の入試改革案で話す力もテストするとして袋小路に入ってしまった。私も入試の公平性は何としても守って欲しいと思う。

私も含め我が同胞たちの国際シンポジウムなどでの発言が少ないのは否定できない事実だ。その大きな理由はヒャリングに自信がないので発言も少なくなると私は見ている。その意味では聞く力を伸ばせば、公平を期し難い「話す力」を民間業者 ( しかも複数の ) に依頼してまで導入する必要はないと思う。

2020年1月13日月曜日

シーア派の三日月形

香港、台湾と続く若者の異議申し立てはようやくイランにも波及し始めた。ガソリン値上げをきっかけとする反政府デモは多数の死者を出して鎮圧されたが、今回のウクライナ機撃墜事件をきっかけに復活し、公然とハメネイ最高指導者の退陣を要求し始めた。その底には都市民を中心に民主主義からファッションまで西欧化を容認し歓迎する欲求があろう。しかし、地方民のスレイマニ革命防衛隊司令官への追慕の念も強いようで、一直線に民主化に進むとは思えない。

スレイマニ司令官について私はウィキペディアで知る程度だが、その高い人気は否定できないようだ。それは米国や周辺諸国からイランの国土を守ったとの評価から生まれたものだろう。しかし、彼が守ろうとしたのはイラン国家だったのか。それともシーア派イスラム教だったのだろうか。

今朝の東京新聞の『本音のコラム』で定期寄稿者のカリーマ師岡氏がイラン情報省の内部文書に言及している。氏によればその文書は「司令官率いるシーア派軍団が残虐行為により一部イラク人の反イスラム感情を煽っていると警鐘を鳴らした」ものだとのこと。事実、スレイマニ司令官はこれまでスンニ派に対する激しい戦いに従事していたと聞く。

スンニ派中心のフセイン体制の下でイラクのシーア派が抑圧されていたことは知られている。フセイン打倒後の新体制が多少とも反スンニ派的となるのは自然だった。しかし、それはイラクのシーア派が主体であるべきであった。

師岡氏がイスラムかどうか私は知らない。しかし、父親がエジプト人なので、イスラムならばおそらくスンニ派だろう。それがスレイマニ司令官の本当の動機が中東での「シーア派の三日月形」の完成だったと師岡氏に見抜かせたのかも知れない。

2020年1月11日土曜日

カニを食するの記

一昨年あたりからか、新聞に大々的にカニの広告を見かけるようになった。なかなか高価だし、地元のスーパー辺りで買う方が安心に思えて注文したことはない。ところがその影響からか、脚だけのカニ肉はスーパーに並んでいるが、一匹丸ごとのカニをあまり見かけなくなった。見かけないと食べたくなるのは人間の性である。

二駅ほど離れた日野市 ( いまや土方歳三ブームが大変!) の八王子バイパス沿いに魚類専門の市場がある。鉄道駅からは遠いので駐車場はいつ行ってもそこそこ混んでいる。ここでも最近は一匹づつのカニを売っているとは限らないが、このままではカニを食することなく冬が過ぎてしまいそうなので、今週市場を訪ねた。少し小さいとは思ったが手頃な価格だったので毛ガニを二匹買い求めた ( 自宅の皿の上に乗せたらそれほど小さくはなかった!)。生きているので鍋の中の熱湯に入れる時にはその罪深さに我ながらたじろいだ ( 偽善者め!)。

カニに限らず今は電話一本で食品を注文できるのが多忙な人たちの助けになっているとすれば、無職の老人が反対しても仕方がない。自分が注文しなければよいだけの話である。しかしその結果近所のスーパーで入手困難になったり価格が上昇するなら、老人以外の人にも有難くない話だろう。マグロもタイも養殖可能な現在、カニも早くそうなってほしい ( お前の存命中はとても無理!)。

 最初に毛ガニを食したのは1991年 ( 日本海フェリー乗船中ゴルバチョフ追放クーデターの報を聞いた ) 3度目の北海道旅行で札幌の時計台に面した法華クラブの夕食だった。ホテルでも食事付きだったのだろうか。往時茫々である。

2020年1月9日木曜日

トランプ氏を動かしたもの

米国がイランのソレイマニ革命防衛隊司令官を爆殺したのに対しイランが報復を宣言。世界が成り行きを案じていたところ、イランはイラクの米軍基地をミサイル攻撃した。イランは米兵80人を死去させたと主張するが、米国は人的被害なしと発表している。真相は未だ不明だが、両国とも世論の沈静化を図る本音は透けて見える。

直前にイランに対する軍事行動に否定的発言をしていたトランプ米大統領が突然前言を翻した理由は未だ明らかではないが、民放テレビの報道番組で元NHKのキャスターの木村太郎氏 ( たしか ) が、カーター元大統領の二の舞いを演ずることをトランプが恐れたためと発言していた ( 昨晩には在日アメリカ人ジャーナリストのモーリー・ロバートソンがほぼ同様の理由を挙げていた ) 。

1979年のホメイニ革命で王位を追われたイラン国王の亡命を米国が許したことを怒ったイラン国民の一部が、テヘランの米国大使館を占拠し館員52名を一年以上監禁した「大使館人質事件」に対しカーター大統領が無策だった ( 人質の安全を考えれば別の行動の仕様があっただろうか?) として二期目の大統領選でカーターはレーガンに大敗した。二期目の大統領選をひかえ何よりも再選を優先するトランプが年末31日、在イラク米国大使館が群衆に襲撃される様子を見て軍事行動を決断したことは大いにあり得る。

あるいはトランプが31日の大使館襲撃の様子に単純に怒りを覚え衝動的に決断したのかも知れない。いずれにせよソレイマニ殺害が賢明だったかは別にして、外交官や公館の不可侵性など500年間に成立発展してきた外交の規約や慣例を単に欧米人の勝手な産物と軽視するのは誤りである。それらは人類共同の貴重な遺産と考えるべきである。

2020年1月7日火曜日

ホテル三日月のベトナム進出

今朝の新聞各紙にスパホテル三日月の1ページ全面広告が載っており、目にされた方は多いだろう。同社がベトナム中部のダナンに総額120億円を投じてホテルを中心とする一大リゾート施設を建設するとのこと。ダナンは天然の良港を持ち、ベトナム戦争中の米軍の基地として再三その名を見聞きしたし、古くは日本海海戦で敗れるロシアのバルチック艦隊の最後の寄港地だった。

ホテル三日月といえば房総半島一周の途次、鴨川の国道沿いのそれを再三見ているが、最近では舛添前都知事が木更津の同ホテルに公金で家族と宿泊した ( 真偽は知らない ) として名を知られた。しかし、ダナンの三日月の全面オープンは一年以上先の事とのことなので、本当は今広告の下部三分の一で紹介されている鴨川、木更津、鬼怒川の三つのホテル三日月の宣伝が主目的なのかも ( ゲスの勘ぐり?)。

いずれにせよ、ベトナムへのホテル三日月の進出にはわたしは大賛成である。日本人を中心とする?外国人観光客が落とす外貨はベトナムにとり貴重なだけではない。我が国で三年間研修生として滞在したベトナム人が本当に希望した職についたかは大いに問題とされるべきだが、三年間なら日本語はある程度身についたはず。このホテルなどの進出日本企業で有用な働き手として評価されるだろう ( わたしの最後の中国旅行の四川省での日本語ガイドがそうだった ) 。

以前にも書いたと思うが、ベトナムやフィリッピンなど我が国が前の戦争で多大な被害を与えたにもかかわらず親日的な国の国民には大いに日本で働いて少しでも豊かになってほしい。中南米など過去の日本人移民の子弟にあるような特別の居住条件に準ずるような措置があってよい。

2020年1月5日日曜日

北朝鮮帰還事業の欺瞞

昨年12月14日が、北朝鮮帰国事業による帰国船第一便が新潟港を出港した60周年に当たるというので、その前後に新聞各紙の記事が続いた。年が明けて1月2日、NHKのBS1で同じタイトルの番組があった。当時を知る者としても初耳の事実が幾つかあった。

同事業は北朝鮮にとっては韓国よりも自国の優位を誇示する「政治的勝利」だったのだろう。したがって韓国の李承晩政権は猛反対したが、米国は韓国にも同じことをせよというだけで本気の反対はしなかった。日朝両国の赤十字の交渉結果を日本政府は人道的事業として受け入れたが、在日コリアンの生活保護受給者の比率が日本人の十一倍だったこと、朝鮮総連系の人たちが不穏分子と見られがちだったことなどから本心は渡りに船と応じたのだろう。

「地上の楽園」と誰が最初に言いだしたかは知らないが ( 朝鮮総連? マスコミ?)、諸新聞によりいっとき北朝鮮の代名詞のようにも使われたこの言葉にうながされて北朝鮮に渡った帰国者たちにどんな事態が待っていたかは他言する必要はないだろう。日本への帰国を許されぬ彼らの苦難を救ったのは在日の肉親の送金だった。しかし、それが逆に住民からの帰国者への嫉妬となる場合も少なくなかったという。

帰国事業は1967年には一旦終了したが、4年後に再開された。しかし在日コリアンが多数応じるはずもなく、総連幹部は北朝鮮からの厳しい要求に直面して自分の子弟を送り出す人も少なくなかったという。

我が国のメディアは当初の「人道的事業」への協賛?を控えるようになったが、稀な例外を除いて帰国事業の評価には沈黙を決め込んだ。その一方で韓国の「軍事独裁政権」への批判は紙面や誌面で絶えることなく続いた。