2020年5月30日土曜日

責任転嫁

先ほど配達された朝日新聞夕刊のコラム『素粒子』欄に「当たり前の原則を何度説いても、政権は馬耳東風。もはや担い手を代えるしか.........」とある。米国の新聞は党派色が鮮明で隠そうとはしないと聞く。それに対しわが国では昔から新聞は「不偏不党」を標榜しており、政権やその政策をどれほど激しく批判しても直接に政権交代を要求することは稀だった。しかし、昨今の安倍政権の動向を見れば無理もないとも思う。

もっとも最近の賭けマージャンが理由の黒川氏処分問題では森雅子法務大臣の答弁のしどろもどろぶりが目立つ。私は彼女の能力をうんぬんする資格はないが、彼女の混迷ぶりが首相の不誠実な発言と辻褄を合わせるためであることぐらいは理解できる。彼女の本心は「馬鹿馬鹿しくてやってられない」と辞表を叩きつけたいぐらいのものだろう。大臣に取り立てられた恩はこれほどのものか!

今朝の東京新聞の『時事川柳』に「責任は痛感するより取ってくれ」との一句が載っているが、言い得て妙である。どこにも誰を指しているか、説明はないが。

二週間ほど前だろうか。『朝日』のコラム「天声人語」に岸信介元首相がどれほど批判されても日米新安保条約を国会承認させ、責任を取って首相職を退いた硬骨漢ぶりを伝えていた。業績評価ではないとはいえ、当時先頭に立って岸批判を展開した『朝日』が口をぬぐって何を......と言いたくなったが、人の評価はやはり棺を蓋って定まるということか。

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