2020年12月4日金曜日

週刊誌の役割

    少し前から女性週刊誌や男性週刊誌?で目に付いた現象に秋篠宮家と小室家関連の興味本位の記事があるが、先週 ( 11月26日号 ) から今週にかけて歴史ある出版社の『週刊文春』や『週刊新潮』までがその列に加わった。
  見出しにいわく、「眞子さま  小室さんオリンピック駆け落ち計画」「虚栄の履歴  小室さん母子の正体」( ともに『週刊文春』)、「『祝意なき婚儀』強行」「度を超えたお金目当て婚」「『髪結い亭主』との生活設計」( 『週刊新潮』)。一般市民と異なり反論もままならない相手にここまで書いていいものか。
  私は以上の記事を一つも読んでいない。しかし大半の国民もその点は同じだろう。小室さんの母は問題を抱えた人なのだろう。しかし、だからと言って小室圭さんにまで難癖を付けていいものか
  それだけではない。これまで秋篠宮妃紀子さんへのそこはかない悪意が感じられる記事が週刊誌に散見された。そこには女性天皇実現への障害となった妃への見当外れの不満が存在するのだろうか。私も女性天皇の実現を願う者だが、それへの障害は、後継問題の早期の検討を約束した政治の怠慢であり、直接にはこれまで問題解決の引き伸ばしを図ってきた安倍内閣だろう。
  これまで、週刊誌の追求が良い意味で問題提起になったテーマは少なくない。その功を否定する気はないが、弱い者いじめに加担してしくない。

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