2020年2月10日月曜日

藤原正彦氏の暴論

月刊『文藝春秋』の1月号 ( 新年特別号 ) に藤原正彦氏の「英語教育が国を滅ぼす」が巻頭に載っている。子弟に英語を使える人になって欲しいと公立校より英語教育に力を入れると考えて私立の中高一貫校に入学させた親たちにも、望んでもそれが叶わなかった親たちにも不安を与える内容である。しかし、私には暴論としか思えない。

氏は「英語が世界一下手な日本人」の例証として「先進国 ( OECD ) 36ヶ国中の圧倒的ビリ」「スピーキングに関しては何と全170ヶ国のビリ」との数字を紹介する。それなのに何故「英語はカタコト ( で結構 ) 」とされるか。

小学校高学年への英語導入などの最近の英語力向上の施策について氏は、「決定的問題点は、この改革が経済界のイニシアティヴで進められてきたことである」とし、「グローバル人材の育成」という目標に反対する。しかし、立場上もっとも英語使用を強いられる人たちの提言が何故いけないのか。

氏は現在の英語教育について 1) 壮大な無駄、 2) 日本人としての自覚の妨げ  3) 教養を積む妨げ」の三点の欠陥を挙げる。たしかに 1) いかに国際化が進んでも英語が必要な職業に就く人は国民のうちの少数派だろう。しかし、それらの人たち無しにわが国は国際社会でふさわしい地位を保持できるだろうか?  2)についても英語 ( 外国語 ) 学習が「日本人としての自覚の妨げ」になるとは思わない ( 小学校での義務化の当否は別問題 ) 。英語学習もかならずや当人の視野の拡大に役立つ。3)についても、「知識を世界に求めた」明治大正の時代と違い今のわが国で教養を身に付けるために外国語は必須でも何でもないだろう。しかし、その妨げになるとは思わない。

藤原氏の専門の数学は必要とあれば黒板に数式や図表を書けば済むこともあろう。しかし、文系の学問は言葉が生命であることが多い。「カタコト」で済むはずがない。「カタコト」は氏にとって意図的挑発の言でもあろうが、2月号の読者欄に載った全面賛成論の単純さには身震いする思いである。

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