2020年1月18日土曜日

全国統一大学入試の今昔

今日と明日は最後の大学入試センター試験の日。関東地方は雪との予報だったが、大した降りでなくて良かった。しかし毎年降雪情報に一喜一憂しないよう、世界の大勢に合わせて7月入試、9月入学に改めたらと思うのだが、桜咲く校庭での入学式のイメージには今年も勝てない。

ほとんど忘れられているが、全国統一の試験は1950年代の「進学適性検査 ( 進適 ) が最初と思う。各大学での二次試験への「足切り」に使用されたとも聞かず、文系と理系への自分の適性を知るくらいしか利用されなかったと記憶する。私の場合両者の点数差が2点だったのでそれにさえ役立たなかった!  しかし記憶力より理解力重視という最近の「 改革」の方向は進適への先祖返りのようにも映る。

進適は数年も続かず姿を消し、長い中断ののち1990年に「共通一次試験」が発足した。その理由は各大学での試験に難問奇問が少なくないとのことだった。その指摘は正しかったが、全て教科書からの出題となると点数が高くなる。すると統計学をかじった同僚がこれでは得点の理想的な分布曲線から外れるなどと主張する。正式な会議ではどうしても「正論」が勝ち、出題のレベルを高める他なくなる。

現在の入試センター試験の導入事情は良くは知らないが、入試科目の部分利用を許すことで私学の利用率が大幅に高まったようだ。しかし受験者数が増大すれば採点の手間は増大する。そうした中で英語のヒャリング・テストなど良くも実施してきたと感服するが、今回の入試改革案で話す力もテストするとして袋小路に入ってしまった。私も入試の公平性は何としても守って欲しいと思う。

私も含め我が同胞たちの国際シンポジウムなどでの発言が少ないのは否定できない事実だ。その大きな理由はヒャリングに自信がないので発言も少なくなると私は見ている。その意味では聞く力を伸ばせば、公平を期し難い「話す力」を民間業者 ( しかも複数の ) に依頼してまで導入する必要はないと思う。

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