2020年8月23日日曜日

大学講堂の思い出

今朝の毎日新聞の『日曜くらぶ』というページは「レトロの美」と題して東京女子大の礼拝堂がカラー写真入りで紹介されている。私も三十余年の在職中、式典のたびに出席したので懐かしく読んだ。アントニン・レーモンドの1938年設計の礼拝堂 ( 兼講堂 ) の外観の美しさと内部のステンドグラスから降り注ぐ光の美しさがそこに紹介されていた。確かに美しいが、ヨーロッパの礼拝堂のように聖書の物語などの絵入りのステンドグラスを見慣れた目にはシンプルでそれほどの感激はない。

式典では一般教員の席は学生と同じ高さだったが、無宗教の学校で学んだ私には賛美歌と祈り入りの式典は珍しかった。校歌は男性にはとても歌えない高音入りだった!

それでも私は二度壇上で話したことがある。一度目は就職翌年の大学紛争時で、教員は壇上に上げられて団交という名の吊るし上げの対象になった。私が話したのは確か、貴女たちの行動はマルクス主義に反するといった内容で思い出すだけで赤面ものだが、なんとか闘争学生たちを改心させたいとの一念だったと理解してほしい。

二度目は宗教部主催の集会で、専門に関連する話を求められた。丁度その頃読んで感銘を受けたクレンチン・ベレズホフの『私はスターリンの通訳だった』( 同朋舎出版、1995年 ) について話した ( 現在、ウクライナの外交官の必読書と聞く )。スターリンに気に入られヤルタやポツダムの首脳会談でソ連側の通訳を務めた数奇な生涯のウクライナ人の回顧録で、私には全編、面白さ抜群だった。なかでも、大戦後米国に亡命し亡くなった両親の墓に、ソ連崩壊後初めて訪れたら新しい花が供えられており、妹が生きていることを知り再会を果たしたとの最後のエピソードには涙が溢れて止まらなかった。講堂では再び泣くかもしれないと予告して話したが、見苦しいことにならなくて良かった!

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