2020年11月28日土曜日

教員の多忙

 最近、学校教師の過重労働が再三指摘されている。しかし、半世紀以上前にわずか3年間 ( 私立受験有名校2年、都立高1年 ) 専任教員として勤務した経験のある私には信じられなかった。当時は「教員は長い夏休みがあって羨ましい」とよく言われた。それが世間の常識だったようだ。
 今日の朝日新聞の「声」欄に、「多忙な教員  もっと力になりたい」と題するスクール・サポート・スタッフ ( SSS  文部省が予算をつけた教員補助職 ) の投書が載っている。それによると、「授業がない時間は、生徒が生活の様子を書くノートにコメントしたり、検温報告に目を通したり、昼休みも給食指導に張り付き、教員室に戻られない先生もいる。習熟度別のクラスが設けられ、試験前の放課後には質問時間の設定や補習もある」とのこと。
 60年前、少なくとも高校や附属中には給食など無かったし、生徒の書く生活レポートも無かった。新米教師の私にはクラス担任は無かったが、担任を持つ教員もそれほど多忙では無かった (私の勤務校は両校とも授業と学校行事を除いては勤務時間のしばりは無かった ) 。
 なぜそれほど学校風景は変わったのか。私見だが、企業と異なり学校には経営的考慮は働かない (超過勤務手当もない )。その結果、「良いことならやるべきだ」との建前論が支配しがちだ。しかし、学校で生徒にとって最も重要なことは心に残る授業を受けることではなかろうか。そのために必要なことは教員の心の余裕だろう。本務以外で教員が疲れるようではそれを期待できない。時代が違うとの言い訳を許すべきではない。

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