2020年3月24日火曜日

春を待つ心

「春を待つ心」と言えば、文字通りの意味の他にも寓意的に使われることが少なくない。しかし何故か今年は文字通りに感ずる機会が多いと感ずる。

気候温暖化の影響だろうが、桜の開花は年々早くなり、都心よりも通常遅い多摩市でも今年は都心に負けないスピードで開花し、他にも木蓮をはじめ咲きだした花木が少なくない。これを書いている現在も、北風に乗って桜の花びらが庭に舞っている。そういう状況で春を待つ心などと書くのは気がひけるが、実感なので仕方がない。私自身の高齢化の影響もあろうが、今年の春が異常な暖かさとともに低温の逆襲が二度三度と続くこともある。

我が家の庭には山椒の木が二本あり、1メートルにも足りない一本は緑の葉を出しかけたが、大きい ( と言っても2メートルほど ) の木が音無しだった。後者には去年思いもかけず多くの実がなり、数軒におすそ分けしたほど。気掛かりだったら家内が、前年多産だった木は枯れることが少なくないとの情報をもたらした。しかし今朝見ると小さいながら芽が出だしたようでホッとした。

世の中もそれを映すメディアもオリンピックの開催如何で大忙しの時に老人は天下泰平だなどと言われそうだが、人智では予測不可能なことも多いと斜に構えている。

P.S.  前回のブログで検察審査会が佐川元局長を無罪放免したかのように書いた。しかし、審査会は起訴相当としたが検察が再度不起訴としたようだ。これも記憶力減退のなせる技か?

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