京王電鉄の井の頭線は渋谷と吉祥寺の間12.7キロを走る路線で、その中ほどに永福町駅と西永福駅がある。私は戦前戦中に永福町かろ渋谷寄り2駅目の東松原に住んでいた。現在は同線には普通の他に急行電車もあり、西永福や東松原は急行は止まらない。しかし戦前には急行はなく、普通車の半数は永福町止まりだった。
永福町の近くには大宮公園 ( 現在は和田堀公園 ) があり、何回も訪ねたことがある。大きな池には10メートルほどの高さから舟が滑走して着水するウォーターシュートという名の遊具があり、乗るとスリル満点だった。ウィキペディアによると豊島園とここしか無かったとか。
西永福には小学校 ( 国民学校と呼んだ ) の担任のK先生の習字塾があり、私は書道は上達しないまま終わったが、なぜかその担任には気に入られていたので一年ほど通った。帰りの西永福駅からは永福町駅で折り返す電車が見えた。
間もなく疎開が始まり、級友が一人また一人と姿を消した。そのさなかに父の転勤のためではあったが私も愛知県に移った。数年後、東京の大学に入学し早速西永福の先生宅を訪ね歓待された。しかし、先生自身も鳥取に疎開しておられたので、旧教え子たちとの交流はあまりなく、むしろ私に幹事役になって同窓会を開いて欲しいとの口ぶりだった。しかし、私とても級友たちに別れを告げるいとますら無く東京を離れていたので旧師の願いに応えられなかった ( のちに再会できた友は二人だけだった ) 。私よりずっと辛い思いをした同級生は多かったろうが、寂しい思い出である。
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