2020年1月13日月曜日

シーア派の三日月形

香港、台湾と続く若者の異議申し立てはようやくイランにも波及し始めた。ガソリン値上げをきっかけとする反政府デモは多数の死者を出して鎮圧されたが、今回のウクライナ機撃墜事件をきっかけに復活し、公然とハメネイ最高指導者の退陣を要求し始めた。その底には都市民を中心に民主主義からファッションまで西欧化を容認し歓迎する欲求があろう。しかし、地方民のスレイマニ革命防衛隊司令官への追慕の念も強いようで、一直線に民主化に進むとは思えない。

スレイマニ司令官について私はウィキペディアで知る程度だが、その高い人気は否定できないようだ。それは米国や周辺諸国からイランの国土を守ったとの評価から生まれたものだろう。しかし、彼が守ろうとしたのはイラン国家だったのか。それともシーア派イスラム教だったのだろうか。

今朝の東京新聞の『本音のコラム』で定期寄稿者のカリーマ師岡氏がイラン情報省の内部文書に言及している。氏によればその文書は「司令官率いるシーア派軍団が残虐行為により一部イラク人の反イスラム感情を煽っていると警鐘を鳴らした」ものだとのこと。事実、スレイマニ司令官はこれまでスンニ派に対する激しい戦いに従事していたと聞く。

スンニ派中心のフセイン体制の下でイラクのシーア派が抑圧されていたことは知られている。フセイン打倒後の新体制が多少とも反スンニ派的となるのは自然だった。しかし、それはイラクのシーア派が主体であるべきであった。

師岡氏がイスラムかどうか私は知らない。しかし、父親がエジプト人なので、イスラムならばおそらくスンニ派だろう。それがスレイマニ司令官の本当の動機が中東での「シーア派の三日月形」の完成だったと師岡氏に見抜かせたのかも知れない。

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