チュニジアでの官憲の非情な扱いに抗議した青年の自殺が、同国ついでアラブ世界全般で独裁政権への抗議運動の口火となり、「アラブの春」と呼ばれた政変を惹起したことは記憶に新しい。しかし現在のところチュニジアで民主化が進んだことが唯一の例外とされ、逆に以前より厳しい独裁体制となったり、シリアやリビアのように内戦に引き裂かれた国もある。どうして人々の期待がこれほど無残に裏切られる結果となったのか。
今朝の『毎日』は第一面に「 アラブ 失われた春」「始まりの町 覚めた夢」の見出しで、「革命前の社会は抑圧されていたが、生活は安定していた。今は悲惨だ」との市民の声を紹介する。さらに、「ベンアリ大統領時代の方がよかった」とのかの自殺青年のいとこの女性の声を伝え、「『春』は結局アラブ諸国に何をもたらしたか。それはわずかな民主政と多くの混乱だった」と結論する。
なぜそうなったのか。『東京』は「まぼろしの春 アラブ民主化運動から10年」との続きものの記事の第4回の今朝、カイロ・アメリカン大学の教授の発言を紹介している。サイド・サデク教授は「革命への期待は自分たちの能力と資質を超えていた。革命後の混乱は予想以上に大きく、短期間で民主化が達成できるというのは幻想だ」と結論する。
民主化と自由を命がけで求めたアラブの青年たちには厳しすぎる指摘かもしれない。しかし、発展途上国では軍人はときに数少ない知的エリートでもあり、いちがいに軍事独裁政権と決めつけることが正しいとも言い切れない。重視すべきは指導者たちが近代化を達成するために当面は民主主義を制限しているのか。それともイスラム原理主義者や最近の中国の習近平政権のように原理として西欧民主主義を拒否するのかであり、両者を区別する必要があろう。
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