2021年12月30日木曜日

私の2021年回顧

  多彩(多難?)だった2021年も残すところ一日となった。 振り返ってみると私にとってはコロナ禍と東京オリンピック・パラリンピックと大谷翔平の活躍が記憶に残る年となりそうだ。

 前年から続くコロナウイルスとの闘いは未だ総括の時期ではないかもしれない。幸い高齢者の特権で6月初旬までに夫婦とも2回のワクチン注射を受けることができたが、夕方のテレビで今日の感染者数を確認するのが現在も続く習いとなった。幸いコロナ禍は他の先進諸国と比べても軽症で済んできたが、その理由はハッキリしないまま。島国で国を閉ざしやすいこと、従順な国民性などいろいろ考えられるが、どれも決定的な理由とは思えない。菅内閣の対策遅れへの批判も多く聞かれたが、福島原発事故の際の菅直人(こちらはカン)内閣の慌てぶりと同様、全く予想外(スペイン風邪から百年)とあれば対処に戸惑うのは無理もない。

 そうした状況下でのオリンピック開催に反対や疑念の声が高まったのは自然だが、観客ゼロやバブル方式(選手団の厳重な隔離)となどの対策のおかげか、結果論ぽくなるが開催は間違ってなかったと思う。現在のオリンピックの巨大化、商業化へのブレーキはパリ大会までの大きな課題として残るが。

 米国のプロ野球界での大谷翔平選手の投打盗の三重の大活躍は野球ファンの日本人としてこころ躍るし、彼の野球への真摯な姿勢がコロナウイルスの中国起源を宣伝したトランプ以来のアジア人への一部の米国人の敵意を緩和する効果は小さくなかったのではないか。一個人の活躍の効果として抜群だったと思う。来年も今年に劣らない活躍を期待するのはファンの身勝手とは思うが、そうでないとしても今年の彼の活躍は米国プロ野球史に燦然と輝く。

2021年12月25日土曜日

死刑廃止論者の不思議な沈黙

 大阪市の精神科医のクリニックが放火され、医師や看護師を含めてほぼ全員が死亡した事件がメディアに連日取り上げられている。自殺希望者によるか否かは別とし京都アニメーション社への放火事件をはじめ大量の巻き添えの死者を生んだ事件が絶えない。
 今朝の朝日新聞に「死刑 その現実」と題する三人の識者の死刑制度への発言が載っている。しかし、死刑を是認する一人を含めて絞首刑という方法や告知時期への疑問を指摘するだけで(私も現行の絞首による刑執行には反対)で、死刑そのものの是非は論じられていない。
 現代の日本には日弁連会長をはじめ死刑廃止論者は多いと聞くのに、なぜこの機会に彼らはだんまりを決め込むのか。メディアが今は時期が悪いと「忖度」してかれらに発言を求めないからか? それとも彼ら自身が時期が悪いとして発言したがらないのか。彼らの廃止論はその程度のものなのか。
 私は身内や知人が今回のように何ら正当な理由もなく殺害されたら当然に死刑を望む。それ無くして正義は回復されないと思うから。極言すれば、国家が義務を果たさない場合、近親者による私的報復さえあり得る。
 昨日あたり死刑囚3人が刑を執行されたが、死刑囚は200人前後?もいる由。そのこと自体、速やかな刑の執行を定める法律に違反していると聞く。国家が明白な法律違反を重ねて良いとは言えまい。

2021年12月21日火曜日

人口激減の韓国

  私が中高生だった頃でも正規の学校教育以外のいわゆる家庭教師やピアノを始めとする習い事は皆無ではなかったが、現代日本の学習塾や習い事の盛況ぶりは老人の予想を超えているようだ。しかし、お隣の韓国の大学入試や企業入社のための競争は日本のレベルではないとも漏れ聞いていた。その結果韓国では経済事情と子供の将来とを考慮して出生率が異常に低いとも。

 NHK BS1の「ママにならないことにしました。韓国ソウル出生率0.64の衝撃」(12月19日)を見た。それにより、「反出生主義」や「非婚」の原因は単純ではないと知った。番組によると韓国の出生率は0.84、ソウルなら0.64 (日本は1.34)。 2以下なら人口は減少するし、韓国の人口は2100年には半減。2750年にはゼロになる。それでも反出生主義や非婚が増加するのは現政権の下でソウルのマンション価格が倍増という経済的理由もあるが、1)「自分を磨くこと」を優先、2)「子どもが幸せになれない社会」への失望 も大きいという。

 1)は、育児退職を迫られたり、弁護士のようなハイクラスの職業人でも出産と育児の数年間の空白は不本意だし、2)は、現代日本以上の競争社会への反発や失望があるという。しかし、孫の誕生を望む両親の失望、とりわけ儒教道徳の残る地方の両親の反対を押し切るばかりでなく、子を持ちたい夫君の反対も乗り越えて0.84や0.64という低い出生率が記録されているとは..........。我韓国女性の強さが印象的である。我が国の女性もやがて韓国女性の後を追うのだろうか。

2021年12月19日日曜日

欧米化と孤独

  多摩市(当時は町)に私が住み始めたころ駅周辺にスーパーは無く、日常の食材調達は八百屋、肴屋、肉屋でなされた。そのため家人が店主らと顔見知りになることが多かった(とりわけ肴屋は我が娘の同級生の家だった)。 しかし数年後駅前に電鐵系のスーパーが開業し、食品の個人商店はほぼ消滅した。客がスーパーの店員と顔見知りになることはほぼ皆無。いまや支払いも精算機相手となりつつある。人間関係はいやでも希薄になった。

 近年、1ページ全面の新聞広告が多くなったが、コロナ禍と関連するかどうか食品とくに生鮮食料品の広告がその仲間入りをしつつあり、今朝の全国紙はほぼ3ページが魚類を中心とする食料品の広告だった(『朝日』は3ページ半)。最近の冷蔵輸送技術の進歩が可能にしたのだろう。しかしそれによりスーパーへの行き帰りの途中に多少でもあった隣人同士の会話も、便利さと引き換えに減る筈。スポーツジムの隆盛と食品入手の多様化とは無関係ではないかも?

 英国では最近、孤独担当大臣が創設され、我が国も後を追っているらしい。西欧諸国では我が国よりも一歩も二歩も先に個人主義が伸長した。しかしその結果、孤独な老人が増え、その隙間を犬や猫が埋めた。日本女性の憧れのパリは路上に犬のフンが多く、回収のためのスクーター隊もいた(最近は知らない)。  我が国でも犬を連れた人と行き交う機会が多くなった。日本人はフランス人より行儀が良いのでまさか糞回収のスクーター隊は出現しないと見るが............。 

2021年12月12日日曜日

日本アカデミー賞受賞作品群への私の独断と偏見評

 昨日の朝日新聞の土曜版be on saturdayには過去44年間の日本アカデミー賞最優秀賞作品群への読者の人気投票ベストテンの結果が載っている。第7位の『舟を編む』と第9位の『新聞記者』は私は見ていない。
 第1位はこの賞が始まった第1回に受賞した『幸福の黄色いハンカチ』である。米国のポップミュージックの翻案とのことだが、主人公の高倉健と、武田鉄矢と桃井かおりの現代風の若いカップルの対比が絶妙だった。第2位はスタジオジブリの『千と千尋の神隠し』。記憶は定かではないが、同じジブリ作品なら『もののけ姫』の方が私には印象が深い。第3位の『おくりびと』は納棺師という特異な職業の人たちに光を当てたことが興味を引いたし、本木雅弘も好演だった。
 第4位『ALWAYS 三丁目の夕日』は高度成長期が始まるころの東京の下町の姿が良く描かれ、『ああ 上野駅』の歌詞が描く東北出身の中卒の少年少女の姿と重なり、私なら第一位に推したい。第5位の『万引き家族』は同年?の米国アカデミー賞受賞作の韓国映画『パラサイト 半地下家族』がハラハラドキドキの連続なのに対し、同じ小悪人を描くにも対称的な抑制された描写。どちらが良いというよりも一衣帯水の隣国との相違が印象的だった。
 第6位の『鉄道員(ぽっぽや)』は実直そのものの鉄道員高倉健と娘の広末涼子の物語で、浅田次郎の直木賞受賞作を巧みに映像化し好印象を残す。
 第8位の『マルサの女』は伊丹十三監督の作品らしく、娯楽性満点の作品で好き嫌いは分かれるかもしれない。第10位の『Shall we ダンス?』は怪優竹中直人の魅力いっぱいの作品。それを引き出した周防正行の腕前は特筆に値する。

2021年12月6日月曜日

ギリシア旅行の思い出

 昨夕、民放テレビ(TBS)で「世界遺産 2015米の山頂に天空ピラミッド」という30分番組を見た。番組表では国名は分からなかったが、現在のトルコのアナトリア高原のとある山頂に細石を数十メートル積み上げたピラミッド状の墓があり、その麓にギリシャ風でもありペルシャ風でもあり両国文化の融合を示す石像が三つ四つ並んでいる。私の貧弱な古代史の知識ではギリシャとペルシャはマラソンの起源でも知られるペルシャ戦争やアレクサンダー大王による後者の滅亡など対立抗争の側面しか知らなかったが、交流や融合の側面もあったと知らされた。

 ギリシャを訪ねたことは某社のツアー利用の一度しかないが、アテネやオリンピアや神託で知られるデルフォイなどの遺跡群や第一回近代オリンピックの競技場など興味満点のツアーだった。丁度元ゼミ生(大学院は専門家がいる他大学)がアテネ大学に留学中(それもこの期にギリシャ旅行を選んだ理由の一つ)で、現地の日本人ガイドは彼女の友人(駐在員夫人?)だった。お陰でペルシャ戦争でスパルタ軍が勇戦全滅して知られるテルモピレーという地名は温水が出る門という意味(英語の体温計と同じ語源)など教えていただいた。

 しかし、私が西洋史の教師で友人の旧師ということで神経過敏にもなっていたようで、ソクラテスの言葉として有名な「汝自身を知れ」が元はギリシャの先哲タレスの言葉との説もあると私がうっかり口にしたら居合わせたギリシャ人の大学生を証人に立ててきた(ギリシャ人だからといって誰でも知っているわけではなかった)。 北部のメテオラ遺跡(絶壁の上に修道院。最近テレビコマーシャルにも)で、彼女が「皆さん、この絶壁をどうやって登って修道院を開いたか分かりますか」と問いかけた。どう工夫したか、その方法を尋ねているとは予想できたが、からかい心から「よじ登った」と答えたらまたまた彼女はキッとなった。あとで元ゼミ生に私のことをどう酷評したかは聞き漏らした!

 

2021年12月2日木曜日

印象操作の見本?

  数日前から、国民に結局配られなかったマスクが一億枚近く(8272万枚)残っているとの報道を見かけていたが、昨日報道機関に現物が公開され、新聞各紙に写真入りで報道されている。ところが内容が甚だしくミスリーディングな社もある。

 代表的なのは『東京新聞』で2ページにわたり「在庫なお8000万枚 保管費用6億円超 さまようアベノマスク」「もう捨てるしかない 『税金の無駄 責任取れ』」との見出しで、その激しさに驚いた。『朝日』は夕刊に小さめの記事(朝刊で他紙に後れをとったから?)だが写真入りで、「アベノマスク 倉庫に山積み 布マスク10万箱 使われぬまま」との見出しで報じている。

 両紙ともこの記事では8272万枚が全てアベノマスクだと受け取る人が大多数だろう。しかし、同日の『毎日』によればアベノマスクは405万枚。全体の5%だった。まさか安倍政権時代に配られたマスクはすべてアベノマスクと呼ぼうというのだろうか。配られた当時その貧弱さを指摘していたのに。

 じつは我が家もアベノマスク(真の!)が未使用で残っている。別のマスクとほぼ同時に入手したのでより大型のものを優先使用したので。

 最初にマスクの残存が封じられたとき、予備と考えれば1億3000万人に8000万枚は大きな数ではないと思った。オミクロン株が大問題となった現在、一層そう思う。なによりマスク2種が配布されるまでの当時の不安感は忘れられない。

2021年11月27日土曜日

放置自転車と『自転車泥棒』

  昨日の夕刊(『朝日』)の第一面に、「放置自転車 職人がアシスト」との見出しで、国内で撤去される放置自転車年間100万台超の再生の試みが紹介されている。自転車の価値がそれほど低下しているとは............。

 またまた古い話になるが、 戦争直後のイタリア映画はネオ・リアリスモと総称される一群の作品を生み、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』やヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』は一世を風靡した。なかでも後者は、仕事に必要な自転車を盗まれた主人公が追い詰められた挙句、他人の自転車をぬすむが、幼い息子の面前で警官に逮捕されるという衝撃的な映画だった。

 それ以後わたしはデ・シーカ監督のファンとなり、『ミラノの奇蹟』(1951)、『終着駅』(1953)、『ひまわり』(1970)などの作品を見たし、1966年の最初の大陸旅行で映画の舞台となったミラノの大聖堂( ドゥオーモ)の屋根を歩いた。

 その後のイタリア映画はフェデリコ・フェリーニ監督の難解で独りよがりの?映画が主流になった。そうした傾向に対して映画は大衆に理解されるものであるべきだと考えたデ・シーカの『ひまわり』は、第二次世界大戦に翻弄されたイタリア人夫婦の物語で、ヨーロッパ現代史を教える私にはヘンリー・マンシーニ作の主題曲とともに忘れられない映画となった。

 放置自転車の話題から大きく外れてしまったが、自転車を粗末に扱う人たちに生活のため一台の自転車を盗んだ時代のことを知ってほしいとの願いは、お節介と思われても失いたくない。


2021年11月22日月曜日

「民族(人民)解放戦線の詩と真実

  今日の『朝日新聞』にニカラグアが米州機構(OAS)から脱退するとのニュースが載っている。同国のオルテガ大統領が5選をめざして対立候補を拘束・軟禁しているとの理由でOASが大統領を批判したためという。

 もう記憶している人は少ないだろうが、1960年代後半から当時の独裁者ソモサに武力抵抗する「サンディニスタ解放戦線」の主要人物として知られた。その人物がみずからの政権の延命のため強権に頼るとは.........。

 オルテガ氏が当初は民主主義を求めて闘った人物であることを否定しない。しかし、現在は自身が強権政治家となっている。そうした例はこの半世紀枚挙にいとまがない。なにより現在の中国の独裁政権を支えているのは「人民解放軍」である事が想起される。当時は「人民から針一本奪わない」と喧伝されたのだが。

 多くの「解放戦線」の中には当初から「人民解放」など口実に過ぎなかった場合が少なくないだろう。しかし、当初どんなに真剣に「人民解放」をめざしたとしても、言論の自由や法の支配を軽視すれば最後には人民を抑圧する体制になることは歴史が示しているのではないか。名は実をあらわすとは限らない。


 訂正 前回のブログで「英国とフランスとくに前者で」としたのは「とくに後者で」の誤り。フランスは万国博のたびにエッフェル塔、グランパレ、プティパレ、アレクサンドル3世橋などをつくりパリを美化してきた。

2021年11月19日金曜日

都市の変貌にとまどう

  先週末、およそ半年ぶりに都心を訪れた。新宿駅西口の超高層ビル街の一つで年下の友人たちと計4人で昼食をとったのである。新宿が久し振りなのだから超高層ビルはさらに久し振り。少なくとも前回から十年ぶりでは無いか。

 何しろ超高層ビルが四つか五つの時代しか確かな記憶はないので、Nビル内の某店ということだけで電話番号もメモせずに出かけた。しかし、新宿駅から西に歩き出したら新しい奇抜な外見のビルなど初めて見るビルがいくつかあり、Nビルがどれなのか駅近くまで出直して地図で確認するほかなかった。記憶が間違いだったらと思ったら不安に襲われ、東京が怪物のように思えてきた。

 シンガポールが多くの観光客を惹きつける観光都市に発展したように、今は都市間競争の時代とか。ロンドン・オリンピック後の同地を私は見ていないが、それを機会にイーストエンドと呼ばれた東部を再開発したと聞く。そもそもパリとロンドン、とくに後者は過去の万国博に際して建てたいくつかの施設は今も世界から人を集めている。少し考えれば我が国も東京や大阪や札幌や長野など同じ道を歩んできた。私のような老骨はせめて古いものも残して欲しいと願うばかりである。


2021年11月11日木曜日

結婚披露宴の賓客??

 瀬戸内寂聴さんが亡くなった。最近まで作家、僧侶、講演者として活躍されていたので九十九歳で死去とは信じられないほどである。

 氏がまだ瀬戸内晴美だったころ私は学生の結婚披露宴でお会いした事がある。新郎は大手商社の社員だったが実家の関係か比叡山で本格的に修行したことがあり、瀬戸内氏とは修行仲間だった。したがって元来の話し上手も加わり氏のスピーチは内容豊かで楽しいものだった。それに対し新婦は米国史専攻でゼミ生ではなく、話すべきエピソードもゼロ。まことにつまらないスピーチしか出来なかった。瀬戸内氏からは今どきの母校の教師はこの程度かと思われたかと思うと、うっかり出席を承諾した自分が腹立たしかった。

 我々教師は恩師と言うことで通常スピーチの順番は早い。しかしあるときの婚儀では新郎と新婦はそれぞれ県都と第二の都市の出身だったので双方の国会議員や名士たちのスピーチが先行した。それ故に気楽だったが、航空料金を払って私を呼ぶ価値が果たしてあったのか?

 別のケースでは新婦はわが大学の同僚の元ゼミ生だった(古参の彼は大学紛争の渦中で出席できず)が、私が出席したのは新郎の高校時代の恩師としてだった。当人とは授業以外にも山岳部の顧問と部員として特別に親しかったので話題には事欠かなかった。しかし、彼の級友の某君は一度立てば必ず満座を爆笑させるスピーチの名手だった。私がとても勝てる相手では無かった。日ごろ冗談ばかり飛ばしている彼が後年、某省の事務次官になるとは予想できなかった。官界は意外に懐の深いところだと認識を改めた。

2021年11月8日月曜日

訂正  前回、ロンダ渓谷訪問を60年後としたのは10余年後の誤り。ご海容を!

『わが谷は緑なりき』再見

 1941年度の米国のアカデミー賞作品賞を受賞したジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』を六十余年ぶりに録画 (10月26日放映)で再見した。ジョン・フォードと言えば『駅馬車』などの西部劇で有名だが、この作品は英国の南ウェールズのロンダ渓谷の小炭鉱の労働者一家を描いた作品で、 戦後間も無く我が国で公開された。

 主人公の少年は男5人、女2人の兄弟姉妹の歳の離れた末っ子に生まれた。時代ははっきりしないが、ビクトリア女王存命中なので十九世紀末か。敬虔なキリスト教徒の両親は労働組合員の兄たちと意見が合わない。やがて不景気の時期となり、炭鉱主の賃金引き下げに反対して労働者たちはストライキに訴えるが敗北し、兄弟4人はそれぞれ米国やカナダやニュージーランドなどに去る。

 少年は当時の労働者の子弟としては珍しく小学校に通うが、卒業後は父と同じく炭鉱夫となる。やがて炭鉱火災があり父親は死ぬ。時代の大波に流された一家を描いたこの作品に感動した私は、映画に続いて邦訳された『わが谷は緑なりき』を読んだし、およそ60年後ロンダ渓谷の現地を訪ねた。道路に沿って立つ炭鉱夫たちの住宅は映画のセットほど古めかしくはなかったが、いまは人影もまばらで時代の変化を感じさせた。それでも作家となった主人公のおかげでロンダ渓谷の名は多少とも世界に知られるようになった。

 坑内の描写は事故を除けば映画は映していなかったが、昨年出た岩波新書の『ジョージ・オーウェル』によると、英国北部の炭鉱の調査に携わった際、採炭現場までの2キロの坑道は120センチほどの高さしか無かった。どこの炭鉱もそうだったかは断定できないが.........。

P.S. 前々回の『自由を我等に』の主題歌の出だしは「我らの願いは自由よ」としたが、多分記憶違いで「我らの命は自由よ」が正しい。確認するにはDVDでも借りなければならないが?

2021年11月3日水曜日

一方的決めつけはいただけない

  11月3日といえば文化の日と記憶していたが、今年は日本国憲法公布75年に当たるというので朝日新聞は「憲法公布75年 学術・研究取り巻く危うさ」と題する社説を載せている。「危うさ」の具体例二つの一つは学術会議の委員任命問題だが、もう一つは新型コロナ禍への政府の対応である。後者が学術・研究を取り巻く問題性の具体例と言われると戸惑うが、社説によると政府が科学者たちの提言を「つまみ食い」し、「自らの施策に役立つものは採り入れ、そうでないものには耳を貸さないという、政治のご都合主義」が問題とのこと。その例として「唐突な一斉休校、Go To事業の強行、緊急事態宣言下での五輪の開催」が挙げられている。しかし、公正な批判と言えるだろうか?

 「一斉休校」はたしかに唐突な印象があった。しかし、当時はウイルス拡大防止は急務と考えられた。教育評論家の尾木ママは教室に何十人もの児童や生徒が閉じこもることの危険を訴えていた。その後になって年少者の危険はそれほどでないと判明したが、批判は結果論に過ぎない。

 GoTo事業が一時的であれ地方の観光関連業にとって救いだったことは事実だろう。制度導入に際し業界の後ろ盾だった二階氏が暗躍したことは推測されるが、都会人の感覚だけで判断すべきでないと当時わたしは指摘した。

 「緊急事態下での五輪の開催」に多くの問題があったことは指摘の通りである。私も当時ブログにさらに一年の延期が望ましいと書いた。しかし、そうなると同一年に冬期と夏季の二つの五輪が開催されることになり、中国は猛反対しただろうし、我が国より感染者が一桁も多い国々からどう思われたろうか。自分から誘致しながらその程度で中止要請とは身勝手と映ったろう。当時、他紙の多くが開催への疑問を並べ立てるだけなのに『朝日』が開催中止を主張したことは一つの見識だと私は評価しているが、その判断が正しかったかは別問題である。『走れメロス』が我々の心に響くのは約束を守り切ったことの尊さではないか。

2021年11月1日月曜日

総選挙の結果は?

  衆院選が終わり結果が明らかとなった。しかし自民敗北説 (『毎日』)と善戦説(『産経』)があるようにその評価は難しい。 自民党は当選者を減らしたが減少幅は1割にも達せず、敗北は言い過ぎだろう。維新の会は今は与党視されないが、その政策は与党とかなり重なるので政府はホッとしているのでは。有権者は自分たちを甘く見た甘利自民党幹事長を許さなかったが、党そのものには厳しくなかった。

 立憲民主党は共産党との選挙協力を取り付けたことで一時はかなり有力視されたが、共産党とともに微減という思いがけない結果になった。両党の選挙協力で得たものは少なくなかったとしても、逆にこれまでの支持層 ( 労組の「連合」を含めて)が一部離反したのだろう。先を読むことは本当に難しい。

 今後の自民党に多少とも期待することがあるとすれば、岸田首相が自民党のピンチを乗り切ったことで安倍、麻生といった厄介な派閥領袖の影響力からある程度自由になったではないかということ。希望的観測かもしれないが.............。

 

2021年10月26日火曜日

日本国民の保守化?

 近づく衆院選について今朝の朝日新聞の予想は「自民 過半数確保の勢い」とある。私も間違っても政権交代はないと予想しているが、自民党単独で過半数とは思い切った予想である。しかし、最新の政党支持率からすれば自然な結論なのかもしれない。

 安倍・菅内閣と計9年も続けばその政策に不満でなくとも有権者に飽きがきても不思議でないのにこの予想とは何ゆえか。昨夕の同紙の『取材考記』という最近新設の?記者名入りのコラムは、「社会への諦めと不安 放置した政治に責任」との見出しでその理由を論じている。

 国民とりわけ若者の保守的傾向ないし政治への無関心は最近ひろく言われており、それはこの欄が挙げる数字でも明白である。近年、諸外国の国民一人当たりの所得が上昇しているのに我が国ではほとんど変化はない。コラム筆者はかつての安保騒動や大学紛争当時のようには現代の若者が怒らないと指摘 する。不満のようだが、その間の我が国の工業発展や貿易自由化により物価は収入との関連では相対的には下落している。古い話で恐縮だが、世界初のソニーのトランジスターラジオは我が家の資力ではすぐには買えなかった。外国旅行はほんの一部の国民にしか可能ではなかった。他方、国際報道の日常化で、世界には国民に十分な食料を供給できない国も少なくないこと、先進国と呼ばれる国でも人種や宗教など種々の難題を抱えていることを国民は知るようになった。国民が守旧的になったのには理由がある。

 しかし、我が国にもまだ達成できていない課題は多い。政府与党に反省を迫ることは必要である。そして選挙はその最大の武器である。

2021年10月22日金曜日

小室家バッシングの裏の動機?

  秋篠宮家の真子さんが婚約者の小室圭さんと3年ぶりに会われたという。三年間も合わなかったとは、小室さんの母堂の不祥事?が無ければあり得なかったのではないか。女性週刊誌が口火を切った小室家バッシングは『週刊文春』や『週刊新潮』に拡大した。内容に目を通したわけではないが、新聞紙上の広告だけでもここまで人格を傷つける見出しが許されて良いのかと感じていた。週刊誌の発行部数は全盛時の三分の一とか。貧すれば鈍すると言うことか。真子さんが皇室の一員でなければ反論も出来ただろうにと同情した。

 最新の『週刊文春』の新聞広告に、「愛子さまが天皇になる日」との大見出しが載っている。目を通した訳ではないから想像だが、週刊誌のバッシングには矢張り皇位継承順位への不満が底流にあるのではないか。私自身もその点では同感するところ無しとしないので。

 以前のブログで君主制の基本原理は血統ではないかと書いた。現在の日本なら愛子さんが天皇位に就くのが自然である (世論調査でもそう考える人が多数だった)。 しかも日本史上に女性天皇は8人10代在位したと聞く( ウィキペディア)。二人の男性天皇の間の中継ぎ役だったとも聞くが、天皇は天皇。

 私は党派を超越する君主制の効用を否定しないので、天皇が国民から敬愛されることが他の考慮に優先すると考える。男性天皇に固執する人たちは皇室への国民的支持を掘り崩すことになるとしか思えない。

2021年10月19日火曜日

柿の木の除去

  これまでもこのブログで言及したことのある庭の柿の木を植木屋に依頼して除去した。半世紀前、緑の無い殺風景な庭に1メートル余りの苗木を京都の種苗店から取り寄せた( 当時は花や苗木を扱うホームセンター的なものは稀だった)。

 隣家から数十センチの場所に植えたのは将来予測を欠いた選択だった。それでも毎年立派な実を多数つけるようになり、食べきれずにご近所にお裾分けしたりした。しかし、木が成長するにつれ枝は隣家にも容赦なく伸びたし、秋の落ち葉の量も年々半端ではなくなった。その上、2年前から熟する前に実がすべて落下するようになり、恩恵も無くなった。

 除去には二人で半日を要した。地上50センチほどで直径30センチの切り株を記念に残した。これで落ち葉に悩ませられることは無くなったが、隣家との距離が狭まった感じがする。必要に迫られて切ったとはいえそこまでは予想できなかった。一長一短とはこのことか!

 柿の木だけではない。思いがけない成長を持て余し気味なのはハナミズキやムクゲや椿など他にもある。狭い庭に植えた私の先見の明の無さを反省するしかない。

2021年10月14日木曜日

『自由を我等に』の斉唱

 今朝の朝日新聞によると、明15日から新宿武蔵野館で1930年代のフランス映画の名匠ルネ・クレールの諸作品が回顧上映される。『巴里の屋根の下』『巴里祭』『自由を我等に』などすべてフランス人らしいエスプリの効いた作品で懐かしい。

 私は戦後間も無くこれらの作品を見た。クレールの作品ばかりでなく、ジュリアン・デュヴェビエ監督、ジャン・ギャバン主演の『望郷』『地の果てを行く』などなど。戦後の英米両国の作品にも秀作は少なく無いが、戦前の外国映画ならフランスとの評価は一般的だったと思う。その中で最も好きな作品はと訊かれると困るが、後味の良さなら『自由を我等に』が断トツだった。

 親友の二人の囚人(AとBとする)が脱獄を図るが失敗し、Aを逃すためBは囚われる。逃亡したAはやがて大会社の社長となるが、そこに刑期を終えたBが再会に来る。AはBがゆすりのために来たと早合点し当初は知らぬ顔を決め込むが、再開を喜ぶだけのBをみて思わず抱き合う。しかし、それは追われる身への復帰でもあり、二人は浮浪者となる。ふざけ合いながらかなたに消える二人の姿は心を洗われる素晴らしいフィナーレだった。

 その後私は二年間、某有名進学校の世界史の教師を勤めたが、もう一人の世界史教師はフィリピン戦の生き残りと聞いていた(本人は何も語らなかったが)。その後数年たち彼の葬儀に出席するため大宮に近い京浜東北線沿線の彼の自宅を訪ねた。葬儀の終わり、現役の教え子たちが突然『自由を我等に』の主題歌を歌いはじめた。「我らの願いは自由よ この世の定めを破り 求るものは自由 朗らかな空のもと いざ行かん我が友.........」。元同僚が授業中に教えたのだろう。生徒たちの心遣いに感心しながら私も声を合わせた。最良の弔辞だと思った。

2021年10月10日日曜日

ノーベル平和賞の効用

  2021年度のノーベル平和賞はフィリピンとロシアの二人のジャーナリスト、マリア・レッサ女史とドミトリー・ムラトン氏に決定した。同賞には過去の実践に対してよりも将来の良き変化を促したいとの願望が込められている場合があり、金正日首席の受賞などその例だろう。しかし今回は表現の自由を守るため生命の危険を顧みない両者の受賞は素晴らしい人選である。

 どちらも強権的政権(ドゥテルテとプーチンの)への批判が受賞理由だが、ドゥテルテ批判に対して私は全面的に賛成して良いか迷う。むろん過剰な権力行使とりわけ無実の人の殺害など是認されて良いはずはない。しかし、中南米諸国の中には麻薬取引を発端とするギャングの跳梁で国民が国外逃亡しつつある国が稀ではない。フィリピンがそうした破綻国家になることをドゥテルテ大統領が阻止している面もあるのではないか? 彼自身も命がけかも........。

 それに対してロシアはゴルバチョフのもと一時期は民主主義国だったし、そもそもギャングが跳梁している国ではない。そうした国で反政権の言論活動を展開したジャーナリストが殺害されるなどあってはならないこと。こんなロシアの現状を見ていると、ロシア革命がロマノフ王朝を滅亡させたことが果たして良いことだったか疑問に思えてくる。

 いずれにせよ今回のノーベル平和賞受賞で政権が両人の命を狙うことはほぼ不可能になったのではないか今はそれが何よりと思う。。

2021年10月7日木曜日

大谷翔平選手の偉業

  米国のプロ野球はまだワールドシリーズ出場をめざす闘いが続いているが、大谷選手とエンゼルスにとってはすでに幕が下りた。大谷にとって投手としての10勝と打者としてのホームラ王の二大目標?は、一時は達成目前と思われたが最後は息切れした。

 目標に到達できなかったことは本人にとってもわれわれ日本人のファンにとっても残念な結果だった。しかし私はそれも悪くなかったと思う。米国の野球ファンにとって球聖ともいうべきベーブ・ルースの記録を凌駕することを彼の地の熱狂的野球ファン( とくに白人の)が快く思うかどうか。私は確信が持てなかった。それに何より26盗塁をはじめ100打点、96四球など総合的に見て大谷がMLBの百余年の歴史に輝く並外れた大選手であることは誰も否定できないから。

 エンゼルスの全試合が終了したので毎朝大谷選手の前日の活躍を確認する?楽しみが無くなった。 日本のプロ野球も昨年までと異なる異変で、日本シリーズ出場の常連の巨人とソフトバンクが苦戦中。 後者はほぼ脱落した。私は常に弱者の味方なので!、今年の両リーグの展開は理想的だが、ヤクルトと阪神のどちらも久しぶりの優勝を応援したいので悩ましい限りである。

2021年10月3日日曜日

野生動物との共存の難しさ

 十日ほども経つか、札幌の市街地でクマによる人的被害があったが、NHKのクローズアップ現代  (9.28)が「史上最多クマ被害 都市出没の謎を追う」と詳しく報道していた。死者が出なかったゆえかメディアの扱いもそれほど大きく無かったが、肋骨を折る通行人(防犯カメラ?に一部始終写っている)など4人の負傷者を出し、市街地でのクマ被害としては史上最多とか。

 かつて無い事件となった理由として番組は、近年の生物多様性の尊重の一環として市街地を取り巻くような植生と水路の「ミドリのネットワーク」が創出されたことを挙げ、クマはそれを伝って市街地に侵入したという。そうしたネットワークに反対する人は少ないだろうが、それが市民と野生動物の不幸な遭遇を生んだとしたら残念なことである。

 もう一つ、射殺されたクマの腹中からサナダ虫が発見されたことは野生のクマとしては初めてとか。その原因として1970年代後半からの「カムバックサーモン」運動が考えられるという。自然環境の改善が思わぬ結果を生んだとすれば残念である。これも野生動物との共存の難しさの一つなのか。

 私は幸い野生動物に襲われた経験はないが、30年以上前、ロープウェイで大雪山旭岳を訪ねたとき、片道ぐらいは自分の足でと思い下山は徒歩を選んだ。ところが家内と歩き出したら意外にも他人とまったく会うことがなく、急にクマとの遭遇が怖くなった。幸い遭遇も襲撃もなかったが、せめて鈴か携帯ラジオを持参すべきだったと深く後悔した。


2021年9月27日月曜日

ハイチ難民という難問

  ハイチ難民が米国への不法入国を試みるのに対し騎馬隊を使った米国(正確にはテキサス州?)の手荒な阻止行動に会う様子が報じられている。ハイチでは最近、大地震と大統領暗殺が相次ぎ国内の混乱は甚だしいと聞く。米国内でもハイチ難民への対処方針で国論が割れているようだ。

 ハイチ難民に同情はするが、入国を許可するか否かは主権国家の米国が決めることだろう。不法入国の阻止自体を非難はできない。バイデン大統領が前任者のトランプ氏よりも難民に寛大だとの印象が広がり、中米諸国からの入国希望者が最近激増していた。政治的自由を求めて脱出する政治難民には出来るだけ手を差し伸べるべきだが、より良い生活を求める経済難民を同一視はできない。今回のハイチ難民の場合、「米メディアによると今回、集団で越境したのは2010年の大地震後にブラジルなどに渡り、バイデン政権の寛大な移民政策に期待しているハイチ人が多い」という(『毎日』9.27)。 米国政府が歓迎しているとの虚報まで広がっていたとか。

 ハイチはフランス革命に触発された黒人奴隷たちが反乱を起こし、新大陸で米国に次ぎ二番目に誕生した独立国である。その後の250年は同国にとり何だったのだろう。

 第一次大戦後、アフリカやアジアに散らばったドイツの植民地は国際連盟の新設の「委任統治」制度のもと日本を含む戦勝国が統治を任された。その理由付けである連盟規約第22条「近代世界の激甚なる生存競争の下に未だ自立し得ざる人民」は植民地の分けどりの偽善的美化との評価が一般的で、多分私も大学の現代史の講義でそう紹介した。現在の私ならそう語ることを躊躇するだろう。

2021年9月23日木曜日

「いろは坂」の今昔

  拙宅の最寄り駅の聖蹟桜ヶ丘駅と丘の上の桜ヶ丘住宅地の間は健康な人なら徒歩二十分あまり。道の前半は平坦だが後半は標高差30メートル?ほどの坂道となり、つづら折りのバス道路は「いろは坂」と呼ばれる。拙宅はその途中にあり、北側の崖下をバスが通る。

 今日無料で配布されたタウン紙によると、パラリンピックの自転車ロードレースで二つの金メダルを獲得した杉浦佳子選手は隣の稲城市の住民だが、いろは坂を練習コースにしていた。そう言えば最近、若者のレース姿をよく見かけるようになっていた( 杉浦氏は50才!)。

 この坂はスタジオ・ジブリのアニメ映画『耳をすませば』の中に出てくるので春秋の休日は若者たちの「聖地巡礼」の場になっていると紹介した記憶がある。多摩川を見下ろす坂上には無人の金毘羅宮があり、見晴らしが良い。

 新田義貞の鎌倉攻めの戦いの一つ「分倍河原の戦い」はわが地元では「分倍河原・関戸の戦い」と呼ばれる。我田引水と言われそうだが、多摩川の北岸は丘もない平坦地なので北条軍が陣を張るのは不自然であり、河原を一望できる金刀比羅宮を含む関戸が真の戦場だった可能性はある。半世紀も住むと愛郷心が生まれるのか。これで拙宅の敷地から合戦の遺物でも出ると申し分ないのだが!

2021年9月22日水曜日

生を受けた国ゆえの幸不幸

  昼寝から目覚めてテレビのスイッチを入れたらNHKで私の好きな番組『ふれあい街歩き』を放映していた。私は国の内外 (昔は国内外などとは言わなかった!)の旅行番組をよく見るほうだったが、最近は国内の場合目新しい風景は種切れになったのか、やたらに食事処を訪ねる場面が多くなり、つまらなくなってきた。外国訪問の場合、珍しい場面がまだまだ多い。中でも『ふれあい街歩き』は良質だと思う。

 今回はニュージーランド南島のダニーデンに近いオアマルという町。「ビクトリア愛あふれる街」という題名のように、英国のビクトリア時代の風俗を再現した行事が中心で、AI時代などどこ吹く風といった風情だった。表面に触れただけだが........。

 昨日の『朝日新聞』の第一面(第三面も)はギリシアのレスボス島( レズビアンの語源の島)に小舟で密入国を図り追い返されるアフガニスタンやシリアの難民の話題だった。ギリシアの対応は冷酷のようだが、EU諸国が以前のように難民を受け入れなくなった現在、ギリシアを非難する資格のある国は稀だろう。それにしても高額のヤミ渡航費を業者に支払い身の危険を冒した結末がこれとは。

 アフガニスタンについて私はほとんど無知だが、シリアは長い歴史を持ち、ダマスカスは中東の一中心だった。この明らかな退歩が一時的であることを願う。何処の国や地域に生を受けたかによりこれほどの差がある。焼け石に水の感はあるが、国連などを通じて少しでも現状の改善を図る他ない。

2021年9月17日金曜日

日本の林業の現状は?

  NHKのクローズアップ現代で「宝の山をどう生かす 飛躍のカギ」という題で最近のわが国の林業を取り挙げていた(9.15)。題名と異なり問題山積の現状の紹介との印象だった。

 国土の三分の二が森林であるわが国の林業は1960年代に木材輸入が自由化された結果、東南アジアからの輸入が激増し、略奪的皆伐を蒙った国もあると聞いていた。その後とりわけ1990年代から木材価格が下落し、国内の林業は大きな打撃を受けた。ところが最近、米国の金融緩和の結果住宅建設が著増し、我が国でも木材価格が高騰した(ウッドショック)。従来は価値が無かった細い木材もチップとしてバイオマスの原料として利用が拡大したという。

 林業不振の長い期間、政府は林道建設や大型機械(1000万円もする)導入への助成など支援に手を尽くしたようだ。しかしそれが手っ取り早い皆伐を生み、土砂災害の原因ともなっているという。若者にとって必ずしも魅力的とも言えない(厳しい労働)林業が長い不振ののち木材価格の上昇という明るいニュースと予想していたら、皆伐や盗伐による土砂災害という暗いニュースが番組の主旋律のようだ。これまで林業不振の報道に心を痛めていた私にとって皆伐の問題点への警告も大切だが、林業が生業として成り立つことも国土保全の前提ではなかろうか。日本の林業の現状報告として片手落ちでないか。拍子抜けだった。

訂正。 前回のブログで「法人向け」としたのは「邦人向け」の誤り。転換ミス!

2021年9月13日月曜日

旅行業界の苦境

 今朝は新聞休刊日なので朝からテレビニュースを見ていたら(いつものことだろう!)、コロナ禍での旅行業者の苦境が報じられていた。その社はリモート授業の要領で沖縄各地の風物を有料で紹介するが、契約者には前もって各地の名産品を送り、食べながら画面を楽しめるようになっているとのこと。そこまで努力しているとはと同情を禁じ得なかった。

 私も各社の海外旅行ツアーに参加した。大手のツアー会社も利用したが、、中小会社の特色あるツアーにも何度か参加した。冷戦末期の東欧諸国やソ連など職業的関心も多大だったし、観光目的としても中国奥地やカムチャツカなど各社の工夫ぶりを見ることができた。最近は個人情報の秘匿のためか参加者同士が名前も知らず終わるのが普通だが、以前は自己紹介の機会があるのが普通で、その後年賀状をやりとりしたこともあった。さすがに長続きはしなかったが。

 『読売新聞』( 9.11 ) にHIS社の赤字が332億円に拡大し、売上高は前年同期比で77.4%減とあった。研究休暇で半年パリに滞在中、途中で家内を呼び寄せたことがあり、HISを利用した。まだ名前も広くは知られておらず、現地の法人向け週刊?新聞でパリ支店を知った。邦人社員二人の事務所でモスクワ経由のアエロフロート便を予約した( 当時大手航空便の割引きは一般的ではなかった)。ドゴール空港に無事到着したが、オルリー空港近くの寓居まで地下鉄でパリをほとんど横切る必要があった。しかし、夜遅いメトロは安全とは言い切れないと聞いていたが、大きなトランクを抱えて利用せざるを得なかった。じっさいには何事もなかったが、いくら昔でも楽しい思い出ではない。ともあれHISの健闘を祈ります。

2021年9月8日水曜日

ニューヨークからカブールまでの二十年

  9月11日が近づくにつれ、新聞各紙にニューヨークの同時多発テロ事件の回顧記事が目につくようになった。あらためて読み返して事件の理不尽さ、非人間性に圧倒される思いである。米国が20年間アフガンで戦っても戦死者は7000人程度なのに、9月11日の死者は1日で3000人(乗客らを含む)。この犯罪の犯人と彼らを庇護する者は必ず罰せられなければならないと米国民が決意したのは無理からぬところがあった。主犯とされるビン・ラディンを殺害したのはオバマ大統領時代の米国だった。

 それではビン・ラデインを殺害した時点で米国(NATO諸国も)は撤兵すべきだったのか。結果論で言えばそれが少なくとも賢明だった。しかし、言うは易いが、それまでの十余年間にアフガンでは和解できない二つの勢力の併存状態となっており、一方を見捨てる決断は困難だった。たとえ結果がそうなっても。 

 米国はアフガン人の人権のため戦争をしたのではない。しかし、結果としてアフガニスタンの少なくとも都市部では多数の女性が教育を受ける機会を手に入れた。その人たちの中から十数人が女性の人権を主張してデモを行なった。タリバン指導部は国際的反響を考慮してただちに弾圧はしないだろうが、兵士たちはどう反応するか。彼女たちの勇気には敬服の他ない。昨日あたり、それが男女数千人の人権要求デモの口火となっている。ビルマやベラルーシの弾圧の再現とならぬよう祈るしかないのが残念である。

2021年9月4日土曜日

首相の退陣

  菅首相が自民党総裁選への不出馬を表明した。全く突然のことで自民党議員たちにも寝耳に水だったようだ。テレビでは政治評論家たちがあれこれ不出馬の理由を論じているが、未だ推測の域を出ないようだ。より重要なのは首相としての業績評価だろう。むろん評価が定まるのは五十年後、百年後だろうが、同時代人としても無関心ではいられない。

 わずか一年間の施政だったが、コロナ禍や東京オリンピックやアフガン戦争終結と多事ではあった。その間、菅首相としては誠実に問題に向き合ったと言いたいだろうし、私も否定的にばかり捉えるのは公平でないと考える。それでも各社の世論調査が低下する一方だったのは認めなければならない。

 世論での低評価の理由は首相の発信力の低さではなかろうか。この一年間、菅首相の印象に残るスピーチを聞いた記憶がない。欧米諸国と違いいくら腹芸や忖度が横行する国柄とはいえ、やはり言葉で勝負する印象が皆無では人気が出ないのはやむを得ない。学術会議員の任命拒否の問題にせよオリパラ開催問題にせよ、信念を持って決めたのならもっと説得に努めるべきだった。それで野党側が納得する見込みは乏しいが、大事なのは国民の反応のはず。その結果がオリンピック開催への国民の一定の満足が、期待された内閣の支持率の向上とならなかった一因ではないか。

 ただ、諸外国からはコロナ禍にもかかわらずオリンピック開催の約束を守った首相と評価されるかもしれない。

2021年9月1日水曜日

自由貿易の恩恵?

  スーパーで数本入りで百円余りのバナナを買った。3種ぐらい売られている内で1番低価格のものを買ったのは、それが皮に一番青みを残していたから。私はわずかでも酸味の残るバナナを好む。もっとも三日も持たず青みも酸味も無くなるが。

 買う時には気付かなかったが購入したバナナは南米ペルー産だった。ペルーと言えば地球儀で最も対極にある国の一つである。その国からかくも新鮮で安価なバナナが届くとは.......。バナナといえば戦前は台湾あたりから輸入されていたのだろうが、戦時中は手に入らなくなった。輸送船に余裕が無かったのだろう。ところが一度だけ干しバナナの配給があり、砂糖など入手できない時代に本当に美味しく感じた。しかし、都会だけでなく全国に配給する量が有ったのだろうか。

 現在はバナナも葡萄もパイナップルも外国産が当たり前となりつつあるようだ。それに対して国産のフルーツは高級化で対抗している。今年一度しか買わなかった桃はまるで貴重品扱いで緩衝材が二重に使われていた。

 果樹農家も限られた耕地で収入を増そうとすれば高級化するしかないだろう。かつて「貧乏人は麦を食え」とも取れる発言をして顰蹙を買った大臣がいたが、現代なら「貧乏人は輸入品を食え」となるのか? 輸入品の味で満足している私は別に腹も立たないが。

 

2021年8月28日土曜日

事態に即応できない日本

  アフガニスタンで勤務していた邦人と彼らを助けていた現地人の国外脱出を実現するため派遣された自衛隊機は能力を発揮できず、今現在十数人の現地人の出国を助けただけ。残された時間は絶望的に少ない。新聞報道によればドイツなどNATO加盟諸国の脱出計画は終わりに近いという。これら諸国は軍隊を派遣していただけに情勢の悪化を肌に感じていたのだろう。。しかし、韓国さえ390人の移送作戦を終えたとなると(『朝日』8.28 )、我が国の立ち遅れはいちじるしい。

 同様の即応力不足はコロナ禍にも言えそうだ。ワクチン承認の遅れもそうだが、我が国の病院の病床数は列国以上と聞くのに二万人以上が自宅療養を強いられている。「酸素ステーション」も「野戦病院」も未だ緒についたばかり。そうした対応の遅れにはむろん政府の責任が少なくないが、特定の個人やグループの責任に帰すことが妥当なのか。制度の欠陥もあるのではないか。

 そもそも民主政治の運用は時間を要することは事実としても、欧米諸国はもちろん韓国よりも対応が遅いとあっては我が国の特殊性も与って力あると理解すべきだろう。戦前の経験に懲りて戦後の日本はできるだけ多くの意見を集約するのが正しいとされた。それが誤りとは言わないが、何事にも長所と短所はある。古代の共和政ローマには二人の執政官が存在し権力の分散を図ったが、戦争などの際にはそのうちの一人を選んで独裁官としたと聞く。我が国には、「船頭多くして船山に登る」とのことわざがあった。

2021年8月26日木曜日

コロナウイルスとの闘い方

  オリンピックが終わりパラリンピックが始まるまでの2週間あまり、コロナ感染者の数は増え続けている。その原因はオリンピック開催と関係があるのだろうか。外国人のオリンピック関係者を日本の市民から徹底して隔離する「バブル作戦」は幾つかのほころびはあったようだが、四万人とも言われる外国人関係者数を考えれば失敗したとはいえず、感染者数の増大の原因とも言えない。それに対してオリンピック開催が日本国民のコロナ禍への警戒心を弱めたとの説は数字で示すことは不可能だがあり得るだろう。

 他方、欧米諸国でも一時は抑え込んだかに見えた感染者数は日本以上に上昇している。こうした再増加に対しフランスの場合、ワクチン注射を証明する「健康パス」をレストラン(室内)や映画館で提示しなければならず、ニューヨークも同様らしい。しかし、そうした政府の施策に対して両国とも市民の自由の制限は許されないとする抗議運動も盛んだとのこと。自粛中心でなんとなく収まる我が国との長短の比較は人それぞれだろうが、自粛警察だけは願い下げにしたい。

 我が国ではコロナ感染者用の病床の不足への対策として「酸素ステーション」(医師と看護師を各1人配置)や「野戦病院」の新設で対応しようとしており、私は大賛成であり、むしろ遅すぎたと感ずる。しかし、現役看護師でもある宮子あずさ氏は、「社会全体の気分が戦時になるのは、決して好ましいことではない」「戦争気分の醸成には、特に注意しなければと思う」と野戦病院という呼称への強い違和感を表明している。私は宮子氏執筆のコラムにはこれまで共感することが多かったが、今回は賛同できない。入院を許されず病状の急変を恐れながら自宅での待機を強いられている患者の不安は如何ばかりか。野戦病院ほど緊急性を感じさせる呼称を思いつかない私は語彙が乏しいのか?

2021年8月22日日曜日

香港人亡命者の苦境

  NHKのBS1スペシャルが香港問題を取材した『香港ディアスポラ・ロンドン移民たちの一年』(7月17日放映)を録画で見た。このところオリンピックやアフガニスタン情勢など大イベントや大事件が続き私の関心も香港からやや遠のいていたので、録画再生が後回しになっていた。だが、香港人の苦境を改めて実感させられた。

 番組が主に紹介していたのは二年前まで香港の英国公館で勤務していた青年サイモンの近況である。彼も香港の自由が失われる事態を怖れて反中国デモに参加していたが、所用で本土を訪れた途端に逮捕され拷問を受けた。もう香港には居られないと感じ英国に亡命した。

 国安法が提起され、英国首相が香港人亡命者を受け入れると発表したとき、私は旧植民地母国の責任を果たす措置として立派だと思った。それに変わりはないが、英国は生活の面倒まで見るわけではない。さらに亡命審査中は就労が認められないのでレストランなど不本意な場所で働かざるを得ないとのこと。そのため少しだが先輩であるサイモンは戸惑う同胞たちの亡命手続や生活相談が仕事になった。ロンドンの中国人街も本土政府を恐れ亡命者に冷たく、最近は数多い中国人留学生も香港人亡命者を敵視するとのこと。

 英国は19世紀後半、ヨーロッパ大陸の革命家の亡命先となった(E.H.カーの名著『浪漫的亡命者』に詳しい)。当時は現代のように国家が出入国を厳しく管理することはなかったろうし、亡命者も家族のために使用人を雇用するなど余裕のあるケースが多かったようだ。自由を求めての亡命という点では同じでも、現代の香港人亡命者の困難には同情を禁じ得ない。

2021年8月21日土曜日

山椒の実の熟する時

  今朝、新聞を取りに屋外に出たついでに庭(そう呼べるとして)を見たら、初夏に採り残した山椒の実が真っ赤に熟していた。2メートルほどの樹高でも実が十分取れたので採り残したのだが実が赤くなるとは知らなかった。

 夏みかんや一口柚子の木には豊凶の差がそれほど無いが、温州みかんはそうではなく、昨年は収穫ゼロだった。それが今年は未だ青い実だが200個近くありそうで我が家なら買わなくともほぼ自給可能。甘さは四国あたりには敵わないが静岡県産なら負けない(この項、二番煎じ?)。

 実の成る木は他に富有柿があり、御近所にお裾分けするほど実るが、半世紀の間に大きくなりすぎた。先年、登って実を採っていたら向かいの家の奥さんが「危ないからやめて」と叫んだ。庭木も適当なところで成長をとめてくれると有難いのだが。それでも落ちてもカーポートのプラスチックの屋根が受け止めてくれると期待している!

 本ブログの題は明治の文豪の『桜の実の熟する時』をもじったのだが、iPADで内容を確認したら、えっ、こんなストーリーだったのと驚いた。読んだつもりだったのか、それとも記憶喪失か。どちらにせよ情けない。

2021年8月17日火曜日

アフガニスタン政治の行方

 アフガニスタンの首都カブールがタリバーンの手に落ちた。事態の進行は予想より多少速かったが、驚くほどのことではなかった。政府軍に戦意など無いことは明白だったから。たぶん仕事口もなく生活のため入隊した者が大部分だったのだろう。バイデン大統領の先見性の無さは呆れるばかりである。しかし、バイデンの米軍撤兵の決定自体は誤りではない。二十年間も援助しても効果がなく感謝もされないとあってはそれが当然だろう。トランプが早速バイデン批判を始めたが、撤退自体はトランプ大統領が決定したのである。

 大国が住民のゲリラに手を焼いた例は歴史上数多いだろう。ゲリラは住民の支持を得ているから強いとの思い込みは必ずしも正しくない。ゲリラは戦う時と場所を選べるから強いのである。今次大戦後まもなく英国はマレー半島の共産ゲリラ( と言われた。真偽は不明)に悩まされたとき、ゲリラに勝利するには数倍の兵力を必要とすると同国の専門家が語ったことを微かに覚えている。それでも英国がゲリラを根絶したのは、「戦略村」と呼ばれた場所に住民を収容しゲリラの糧道を絶ったためと聞く。

 今度のアフガン戦争のため米国は多くの兵士を失ったが、NATO加盟国も同様である。日本と同じく前大戦の敗戦国だったドイツやイタリアも同盟の実を示すため少なくない戦死者を出した。今のところタリバーンは民主主義や人権、とりわけ女性の権利に対し以前の政策を踏襲しないと語っているようだが、それが本心かどうか。国連を中心に国際的な働きかけが望まれるが、それが有効か否かは確かではない。

2021年8月13日金曜日

オリンピックの開会式演説

 私はオリンピックの開会式を幾つもは見ていないので評価はしたくないが、今回の東京の場合も評価はさまざまなのだろう。しかし、バッハIOC会長と橋本組織委員会長の開会演説が長すぎて退屈だったとの声は強いようだ(私もろくに聞いていなかった)。 偉い人はどうして長い演説をしたがるのか。 米国の南北戦争の激戦地ゲティスバーグの墓地献納式でのリンカーン大統領の演説は、末尾の「人民の、人民による、人民のための政治」により広く知られているが、英語による演説の中でも不朽の名演説とされているようだ。リンカーンは演説の準備には労を惜しまない人だったという(以下、史実は主に井出義光『リンカーン 南北分裂の時代に生きて』清水新書 1984に依拠)。

 当日、リンカーンに先立って演説したエヴェレットはハーヴァード大学の学長を手始めに国務長官など要職を歴任し、その雄弁で知られてもいた。しかし、彼の演説は2時間近い長広舌で、会衆はすっかり退屈した。それに対してリンカーンの演説は3分足らずで終わり、写真師には大統領を撮影する時間もなかった(当時の写真撮影は現代とは違い、時間を要した)。

 のちに不朽の名演説とされるゲティスバーグ演説だが、当初の反響は芳しくなかったとのこと。しかし、エヴェレットは翌日、「自分が2時間かかって述べたことも、あなたが2分で語ったことに及ばない」と手紙に書いた。流石に彼はこの演説の不朽の価値を認めた最初の米国人となった。

 バッハ氏にしろ橋本氏にしろリンカーンと比較されるなど迷惑千万かもしれない。しかし、これまで演説の機会が多かった筈の両氏は、長広舌は聴衆を退屈させ感動を減殺することを学んでいなかったのだろうか。

2021年8月9日月曜日

祭の終わり

  半月続いた東京オリンピックが終わった。未だパラリンピックが後に控えているので関係者の努力は終わらないが、それでも一段落も二段落も通り抜けたとの思いはあろう。1万1千人の選手の競技生活を支えて来たのだから。

 一テレビ視聴者の私は全競技の何百分の一も見ていないが、やはり日本選手が出場する種目が関心の的だった。いずれ劣らぬ熱戦に上下優劣をつけるつもりはないが、私がもっとも応援したゲームは卓球混合ダブルスと女子バスケットボールだった。

 私のような高齢者は「卓球日本」が世界でトップを争い中国に外交利用された時期(卓球外交)を経て、その中国が世界の卓球界に君臨した時代は不本意だった。その「不敗中国」をやぶって金メダルを掴んだ水谷隼・伊藤美誠のチームの活躍は素晴らしいの一語だった。伊藤選手の神童ぶり?は勿論だが、長年男子卓球界をリードした水谷選手が近年は張本選手の台頭で存在感が低下していたのを一挙に覆す活躍は素晴らしかった。これ以上の引退興行は考えられない。

 女子と言わずバスケットボールは私の関心外だったので白状すると米国チームとの決勝戦さえ全部は見ていない。しかし、バスケット王国の米国チームと互角に戦って銀メダルを得たのは奇跡に近いのでは。選手は勿論だが、米国人のホーバス監督は日紡貝塚の女子バレーチームを率いて東京オリンピックで金メダルを取った大松博文監督を彷彿させる硬軟両面を備えた指導者のようだ。坊主頭で大松監督ほど見てくれは良くないが。

 オリンピック東京大会の評価は開催反対から関係者への熱い感謝までさまざまだろう。我が国が独裁国家でない以上当然である。私は開催実現への感謝を口にした競技者たち、とりわけ外国人選手(難民選手を含む)の感謝は全関係者にとり一生の思い出になると信ずる。

2021年8月6日金曜日

無公害車の本命は?

  地球温暖化対策が焦眉の急であり、自動車の排ガス対策が火力発電所のそれと並び対策の核であることは明らかである。今朝の新聞によればEU諸国に続いて米国政府も、近い将来ガソリン車やディーゼル車の製造を禁止して電気自動車に転換する(2030年までに50%)方針を決めた。ハイブリッド車 (HV)も製造禁止となるが、米国もEUもプラグインハイブリッド車 (PHV)は禁止されない。ハイブリッド車に強い日本車を警戒しての禁止と見るのは私の邪推か?

 私自身は低公害と低燃費をうたうトヨタのプリウスの2代目を2003年の発売後間もなく購入し数年間使用したが、従来の同クラスのガソリン車よりリッター当たり1.5倍は走る好燃費 (と言うことは公害が3分の2 ) に感心した。プリウスPHV ( 最初の数十キロは蓄電池の電気で走る)はさらに低公害車の筈。長距離を走らない人ならほぼ無給油だろう。

 しかし、電気自動車の優位にも疑問がある。それはリチウムイオン電池の寿命である。3年から5年程度で交換を迫られる鉛電池とは比較にならないだろうが、たとえ十年後でも交換を強いられるなら省資源とは言えない。それより何よりガソリン補給と異なり充電に要する時間は何十倍だろう。充電施設の新設の費用も半端でないだろう。

 たまたまテレビで、用意された充電済みの電池にそっくり交換する中国の例を紹介していた。思いもかけない方法に驚いたが、同一の規格の大きな電池を底部で交換しなければならず、中国でもタクシーに使用され始めただけのようだ。自動洗車機に似た専用の交換機械 を使用するので時間的にはガソリン車の注油に近くなるが、自車の新しい電池を古いものに交換される可能性は小さくないだろうし、当初から車体の設計を大きく制約される可能性は大だろう。欧米諸国がPHVを排除出来なかったのもそのためではないか?未だ前途は見通せないようだ。

2021年7月31日土曜日

オリンピックの拡大にストップを!

  今回、NHKと民放のオリンピック番組を見ていて開催するスポーツ種目の多さに驚いている。他国の都市での開催では放映時間も限られるので、これほど競技種目が多くなっているとは知らなかった。何しろ柔道だけで目下のところ金メダル獲得数が9個とは驚きである。いくら日本発祥のスポーツとはいえ現在の柔道人口はフランスに劣ると聞くのに.............。柔道が初めて1964年の東京オリンピックの競技種目に採用されたろとき、種目は男子のみ4種だったのが、今回は男子7、女子7、  今回新しく追加された「混合」1と計15種目である。

 柔道は極端な例かも知れない。 だが、それを別にしても種目の増加は著しい。その結果、今回の競技者だけで1万人以上と聞く。もはや中小国が主催国になることは不可能に近い。それで良いのだろろうか。私はそう思わない。

 縮小することは何事によらず容易ではないが、テニス、ゴルフ、サッカーなど、オリンピック以上に権威も人気もある大会を持つスポーツから外すべきだし、3人制バスケットボールや7人制ラグビーなど普及度の高くない種目は除外すべきだと思う。次のパリ大会ではストリートダンスが正式種目になると聞く。野放図な拡大は全体を殺すかも知れない。

 1950年代末、英国の政治学者パーキンソンは、同国の植民地省( 海軍省?)の職員数は英帝国が縮小しているのに増加した事実から、「役人の数は仕事の量とは無関係に増え続ける」との「パーキンソンの法則」を発見した。組織というものは警戒を怠れば拡大をすることはスポーツ団体も例外であるまい。

2021年7月27日火曜日

母国に弓を引けるか?

  いつの間にか昼寝し、目覚めてテレビをつけたら卓球の伊藤美誠選手が試合をしている。昨夜の混合ダブルスの激闘の再映かと思ったら新しくシングルの試合を闘っていた。昨夜の疲労は残っていないのかと驚いた。相手は東アジア系の女性で、画面の国籍表示はPORとあった。はてどこの国かと迷ったが、試合の途中なのでアナウンサーも事新しく国名に言及しない。やっと終了してからポルトガルと判明した。

 卓球王国の中国を代表するプレーヤーになるのは至難であり、彼女はポルトガルの国籍を取って代表となったのだろう。その例は珍しくないようで、数年前、ドイツの卓球代表4人のうち3人が中国名だったことを覚えている。大坂なおみ選手のように元来二重国籍であれば日米どちらの国の代表となってもおかしくない。しかし日本人でメダルを目指して国籍を変えた者は、お笑い芸人の日本人がカンボジャ人として出場したことはあったが、他に知らない。同胞からは母国に弓を引くものとして冷たい目で見られるだろう。

 オリンピックに出場するため国籍を変えても非難には当たらない。そもそもオリンピックは個人間の闘いであって国家間の闘いではないのだから。しかし母国代表との対戦はありうる。そのとき日本人なら????。

 私を含めて日本人が卓球王国の中国に勝って国を挙げて祝っている( 今朝、テレビ三局が同時間に昨夜の試合を再映していた!)。これは国として強みなのか弱みなのか?

2021年7月26日月曜日

訂正

 昨年の12月7日の奥多摩訪問記のカヤックはカヌー・スラロームと訂正します。どう違うのかはわからないが、いまオリンピックで闘われているボート競技を見るとそう呼んでいるから!

2021年7月23日金曜日

オリンピック開会式直前の「不祥事」

  今朝の新聞各紙は東京五輪の開会式のディレクターを務める筈だった劇作家の小林賢太郎氏の大会組織委員会による解任を報じている。それによると解任理由は同氏が昔のお笑い芸人時代にホロコーストを「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」と言及したことらしい。

 私は小林氏の名は初耳だったので問題発言以外のことを知りたかったが、各紙は東京新聞以外はほとんど言及がない(『読売』は未見)。したがって『東京』の記事に依拠するしかないが、それによると「多才な小林氏は.........パントマイムやマジック、イラスト、映像などを駆使したステージで、パリやモナコなど海外公演も行った」とあり、開会式のディレクターには適任者のようだ。組織委員会が同氏をディレクターに選んだことはおかしくない。問題は若年のころの発言までは知らなかったことだが、国際問題化した以上、解任はやむを得ないだろう。しかし、オリパラ開催問題で政府を批判したいメディアの格好の餌食になったとの印象は否めない。

 『産経』(7.23)のコラム「産経抄」が紹介する文春新書の近現代史研究者の業績『超空気支配社会』によれば、「前回の東京五輪でも準備計画の変更が相次ぎ、組織委員会の無責任体質が批判の的になっていた」。「トラブルだらけの大会の評価は、後世の判断に任せればよい」との産経子の言葉が妥当なところではないか。

 サイモン・ウィーゼンタール・センターはユダヤ人の意向に弱い米国政府や新聞に影響力を持つ報道監視機関だが、過去に「女性アイドルグループの「欅坂46」の服装がナチスの制服に似ているとしてレコード会社に謝罪を求める(『毎日』同日)など米国の威光をカサにきる機関。私は同機関がイスラエル政府の東エルサレムやヨルダン川西岸の占領地に入植地を拡大する不法行動に抗議したと聞かない。ナチスの蛮行は「言語道断」だが、それを利用して他国に指図したがるのは有難くない。

2021年7月19日月曜日

君主政の効用?

 昨日の『朝日』にレバノン政治の混迷が取り上げられていた。一年前の倉庫の大爆発からの一年間 、政治の空白を解決できていないという。同国は複雑な宗教人口比のためマロン派キリスト教、シーア派イスラム教、スンニ派イスラム教が大統領と国会議長と首相をそれぞれ分担する特異な政体であり、それが政治の不安定の一因となっている。しかし、中東政治の混迷はレバノンに限らない。

 映画『アラビアのロレンス』に描かれているように、多年オスマン・トルコに支配されていたアラブ人は第一次大戦中にメッカの太守ハシム家のフセインとその息子ファイサルに率いられ英国の援助を得てトルコを駆逐した。しかし戦後の英国はこの地に独立を許さず、国際連盟からの委任統治領という形でハシム家の一族を各地の王位につけた。しかしフランスが英国の影響力のの独占に反対したため、シリアやレバノンはフランスの委任統治領となった(概略)。

 第二次世界大戦後に独立国となった中東諸国のうち、イラクは軍事クーデターにより国王が殺され、アラビア半島はサウジ家に奪われ、ハシム家の王統はヨルダン王国だけとなった。しかし現在の中東で政治が安定しているのはヨルダン王国がほとんど唯一と言ってよい。むろん矛盾や困難を抱えてはいるだろうが、少なくとも内戦による荒廃はない。

 君主国の場合、君主はいちおう正統性の護持者と看做される。それに対して非君主国の支配者はつねに自分の正統性が問われていると感じる。 じじつ国民はとりわけ選挙で選ばれたのではない支配者の正統性を信じない。君主制といっても千差万別で、打倒されて当然の場合もあろう。しかしそれに代わるものが無慈悲な軍人独裁や内戦ならどうか。現在のシリアを見るとどうしてもヨルダン王国と比較したくなる。

2021年7月14日水曜日

大谷翔平への期待

 今年の日本のプロ野球は阪神の佐藤輝明やスワローズの奥川恭伸ら新戦力の活躍が顕著なようだ。しかし、海の向こうの大谷翔平の活躍の前にどうしても影が薄くなってしまう。

 何しろ渡米前から投手と打者の二刀流を移籍条件とすることで話題を集めた。しかし、本場の米国でそれが通用するかには疑問もあり、身体の故障もあってすぐ大活躍とはいかなかった。しかし、今シーズンは未だ途中とはいえ、その借りを返して余りある活躍である。

 昨日のホームラン競争と今朝のオールスターゲームは日本に住む我々にも視聴しやすい時間に行われたので私も楽しんだ。前者は緒戦で敗れたのが意外だった。だがあまりに怪物扱いされるのがよいかどうか。ときには負けるのも人間的で悪くない( そこまで言うか! )。

 オールスターゲームも打撃は今ひとつだったが、投手として走者ゼロだったのは立派だった。それにしても1インニングだけで勝利投手とは......。バスケットボールやアメリカンフットボールに人気を奪われかけていたMLBが大谷の人気にどれほどあやかろうとしているかが窺われる。

 それにしても大谷の人気は「敵地でも恒例となりつつある『MVP』コール」(『毎日』7.14)にも窺われる。それには彼の人柄も大きいのだろう。投打の活躍の上に盗塁にも懸命な姿はまるで高校野球選手で、胸が熱くなる。彼の地のファンもその真剣さに打たれるのだろう。シーズン後半も大活躍してほしい。

2021年7月8日木曜日

アフガン女性に生まれる不運

  バイデン米大統領の公約だったアフガニスタンからの米軍の撤収が9割完了した( 『東京新聞』7月8日)。米国に協力して出兵したNATO軍兵士たちも同様だろう。いかに豊かな米国でも20年に及ぶ戦争に終止符を打ちたくなるのは当然である。しかし、タリバンとの協定なしの撤兵となれば、現アフガニスタン政権は半年も持たずに崩壊するだろう。これまで米軍に協力してきた通訳をはじめ多くのアフガン人がタリバンの報復を予期して出国援助を米国に要請している。米国が要請に応じなければ南ベトナムのボートピープル以上の悲劇となりかねない。

 外国軍がいつか去ることは善も悪も無い必然だろう。しかし、タリバンがすでに奪回した地方では男性に髭を義務付け、女性には一人の外出を禁ずる規制を発布した(同紙)。タリバンが女性の教育を禁じていることは周知の通り。 女性は無知のままが都合がよいということ。アフガニスタンで男女同権が実現するのはいつの事だろうか。その間、我々は目覚めた勇敢な女性にノーベル平和賞を授与するしかないのだろう。

2021年7月5日月曜日

訂正

  昨日のブログでギガ・ワーカーとしたのはギグ・ワーカーが正しいようだ。また、題名の「詩と現実」は「詩と真実」の誤り。意味は殆ど同じだが、ゲーテの訳書名を尊重して。読みもしないで題名だけ利用しては悪かったか⁈

2021年7月4日日曜日

中国の「詩と現実」

 今朝のNHKの『日曜討論』は、「徹底分析! 中国共産党創立百年」とのテーマで、各界の中国通が討論した。一方に中国批判派の阿古智子、藤原帰一の両東大教授が中国の人権問題や攻撃的外交を問題としたのに対し、他方に中国理解派?の宮本雄二元中国駐在大使を中心に現中国が経済のめざましい成長を達成したと評価する人たちがいた(台湾は曲折はあったが自由のうちに経済成長を果たしたが)。ともあれ、賛否両論代表を招いたNHKの方針には賛意を表したい。今回の天安門広場の式典に参加した若者たちの明るい表情が演技だったとは思わない(党の祭典だから彼らは党員だろうし、エリート候補だろうが)。

 同じNHKの『クローズアップ現代』(7月1日)は「自信を深める若者の’リアル’」と題してより丁寧に問題を取り上げていた。近年、中国から米国に留学した者たちのおよそ8割が相次いで帰国したとのこと。やはり彼らを受け入れる高給の就職先が増大したと言うことだろう。至るところにカメラのある監視社会も犯罪減少をもたらしている。

 しかし、格差社会では学歴の無い者はなかなか定職に就けず、ギガ・ワーカー(フードデリバリーなどインターネットで単発の仕事につく人)は2億人に達するという。つまり勝ち組と負け組がはっきり分かれるということ。そうなれば「中国の夢」や「中華民族の偉大な復興」といった愛国的スローガンに頼ることになる。自然に生まれる愛国心を否定しないが、為政者が愛国心を口にするとき、18世紀の英国の文学者のサミエル・ジョンソンの名言、「愛国心はならず者の最後の拠り所」との名言が思い出される。

2021年6月28日月曜日

栄光の「大長征」が産んだもの

 もう30年近く前、中国南部の雲南省を訪ねるツアーに参加した。北京よりもかなりの辺境の地である雲南省を優先した理由は、ツアーを企画した旅行社が、優れたツアー企画を選ぶ業界の賞を受賞したと紙上で読んだから。

 恥ずかしいトイレをはじめ戸惑うことの多いツアーだったが、長江の上流部の激流(虎跳峡)や少数民族(ナシ族)の住む麗江など楽しめた。長江の河岸に大きな太鼓に似た岩のある小村の太鼓鎮は中国の歴史を二度動かしたとガイドが言った。13世紀に蒙古軍が渡河して南宋を滅ぼし、20世紀に国民党軍に追われて共産党軍が、延安への1万キロの「大長征」の途中渡河した(毛沢東は不在とか)。

 今年は中国共産党の第一回党大会から百年になる。大会とは名ばかりの個人宅に集まった10人余りの集会から、14億の民に君臨する党への変化は当事者にとっては栄光の百年だろうが、死者数千万人と言われる性急な「大躍進政策」や文化革命の狂気に翻弄され現在も独裁下に自由を失った国民にとっては大災厄の百年であった。

 どんなに高い理想を掲げて出発しても、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」。学生時代、毛沢東の『矛盾論』は多くの文系学生に争って読まれた。しょせん美辞麗句と分かった時には中国人には批判する自由はなかった。腐敗した国民党と清潔な共産党との対比は当時常識とされたが..........。

2021年6月26日土曜日

訂正

 書き写した紙片を処分したので確認はできない が、6月18日の難民入管法案廃案についてのブログで引用した『本音のコラム』の筆者をサヘルローズとしたのはおそらく師岡カリーマの誤り。似ているためのミスって。失礼な!

2021年6月25日金曜日

ウイルスとワクチンの競争

  とうとう東京オリンピックの初日(予定だが)まで1ヶ月を切ってしまった。そうなるとコロナワクチンの接種状況が気がかりで(私も家内も個人的には第二回の接種も済み)、夕方はテレビの前に座るのが日課のようになった。

 昨日現在、高齢者の全国接種率(第一回の)はようやく半数を超えたが、全国民のそれとなると19.5%だそうだ。これを案外早いと見るか、未だその程度かと見るかは人によるだろう。しかし、オリンピック開催ということならもどかしいと感ずる人が多いのではないか。あとは日本人の得意芸?の奮闘力がものを言うかどうかだろう。

 出場選手たちの願いを思いやれば私はオリンピックとパラリンピックの実施の可能性を直前まで追及することに反対ではない。しかし、観客数ひとつをとってもIOCの権限の前に主催国の意向は軽視されているとの印象を禁じ得ない。それが米国のテレビ局をはじめとする多数のスポンサーの意向だとすれば、どこかで根本的に再検討する必要がある。

 私自身は限られた種目だがスポーツ観戦を楽しむ方なので、オリンピックもパラリンピックが今後も続いてほしいと思う。しかし、巨大化が衰退の始まりにも通ずるのは恐竜だけではないだろう。商業化興業化にブレーキをかける契機となればコロナ禍もマイナスばかりではないかも。

2021年6月19日土曜日

野生動物との共存の難しさ

  札幌市内に熊が出現し、負傷者を残し射殺された。同市には複数の元教え子が住むが、同じ札幌でもかなり離れた場所のようだ。

 近年全国で熊や猿や鹿や猪が人里に出没して農作物を食い荒らし、その被害は相当深刻と聞く。『ポツンと一軒家』を見ていても、畑をフェンスで囲っている家をしばしば見る。相手も食料確保に必死だから本格的なフェンスでなければ効果はない。二度ほどテレビで人形の?狼(実物より大きく、他の動物が近づくと恐ろしげな叫び声をあげ、目が爛々と赤く輝く)を紹介していた。鹿も猿も一目散に逃げ出し痛快だったが、価格は半端ではないだろう。

 農作物への被害という点では同じだが、鹿の害のほうが樹木に害をなす点でよりしんこくかもしれない。積雪期の食糧に困った鹿は木々の樹皮を食べるので、食べられた木は養分を吸い上げられなくなるなり、枯れてしまう。日光の戦場ヶ原などあまりに被害が大きいので、鹿が食べそうな高さに厳重に鉢巻した木が多い。無論被害は日光だけではない。

 市町村も猟友会などに依頼して全国で年間十数万頭を駆除しているそうだが、頭数増はそれを上回るという。人口が減少している地方を助ける良い方法はないのか。ジビエ料理も人口に膾炙するようになり、じじつ長野県などでは観光客向けの「道の駅」などで鹿や熊の肉を見かける。しかし、それほど売れているようには見えない。人間と野生動物との共存は理想だが、現実は厳しい。

2021年6月18日金曜日

入管法廃案は賢明だったか?

  国会が16日に閉会し、外国人の収容や送還を見直す入管難民法改正案は野党の反対で廃案となる公算が大きくなったとのこと。私自身は法案を読んだこともなく、読んでも理解できるか自信はない。しかし、我が国の年間の難民受け入れ数が百人にも達しないなどと聞くと、恥ずかしいと思う。同時に、これだけ我が国も姿勢を改めなければと叫ばれているときに、今回の法案がメディアや野党の主張する様に通してはならぬほどのものかには疑問を感じていた。

  昨日 ( 6月17日 )の朝日新聞に元入管職員で入管問題を発信する市民団体の木下洋一氏は、「改正案には良い部分もあり『改悪』とまでは思っていなかった」「どんな人に焦点を当てるかによって、改正案も反対論も正しい」と語っている。同氏は、もっとも反対論の強い難民申請の回数制限について、「現状を見れば申請回数の制限は必要」と理解を示す一方、現在のように入管当局の裁量ではなく、司法など外部のチェックの仕組みを求める。

  東京新聞の『本音のコラム』(11月2日)でサヘルローズ氏は「日本は移民に対し冷酷というイメージが先行する。確かに改善の余地も必要も大いにあると同時に、私の周りのアラブ人が次々に国籍を取得しているのも事実」「正直、日本は外国人の帰化にそれほど消極的ではないという印象だ」と書いていた。

  私は今回の入管法改正案へのメディアや野党の反対が、内心は難民入国を制限したい政府自民党に利用されたのではないかと思いたくなる。突飛過ぎるだろうか。

2021年6月12日土曜日

ジョークを追放して何になる

   9ヶ月ぶりに北関東に一泊旅行を楽しんで帰宅し、図書館で毎日新聞 ( 6月11日 )に眼を通したら政治家の発言が掲載されていた。見出しは「1回目接種の細田氏『だいじょうぶだあ』」。安倍前首相も所属しいまや自民党の最大派閥を預かる細田博之氏が、第一回のコロナ・ワクチンを接種後に同派の会合で、ワクチンを「打ってみると、だいじょうぶだあ。 志村けんではないけどね。そういう気持ちになるんですよね」と語ったという。

 この記事の扱いは小さいとは言え、『毎日』はどういう意図でこの記事を載せたのだろうか。またまた政治家が不謹慎な発言をしたということなのか?  しかし細田氏はこのジョークで特定の個人や民族やジェンダーを揶揄したのではない。単にタレントの常套句を利用したに過ぎず、森喜朗氏の発言とは異なる。実は私自身もワクチン接種後、同様の安心感を抱いた(志村けんの常套句は知らなかったが)。政治家だからといってジョークを言ってはいけないのか。

 以前、米国研究家の猿谷要氏が新聞紙上で、米国の政治家は10分?の間にジョークの一つも言えなければ人気が出ないと書いていた。たかがジョークというなかれ。私はトランプ前大統領の政見には反対だったが、次に何か面白いことを言うのではないかとの期待もあった。我が国の政治家が国民とりわけ若者の関心外なのはユーモアに欠けていることが理由ではないか。

2021年6月8日火曜日

省力の時代

  我が家の朝食はほぼパン食であり、飲み物は家内はコーヒー、私は紅茶が主でときどきコーヒーである。紅茶はレモン一切れを添えるが、ときどきミルク入りとする。それが長年の習慣だったが歳のせいか世の変化につれ最近少しばかり変化した。

  家内も私もコーヒーに特別の好みはないのでインスタントもので不満はないが、最近は1回分に分包したコーヒー・ラテを飲むことも多い。他方、紅茶は最近はリプトンの「レモンティー・パウダー」( 50杯分) を利用している。その名に反してレモンを使用してないと書いてある。私の好みより少し酸味が強いが、面倒でない。最近はさらに1回分に分包されたミルク・ティーを使い始めた。

  以上すべて昔は無かった飲用方法である。 女性の社会進出も背後にあるのだろうが、時間の節約自体に問題はない (長い時間をかけて雰囲気まで楽しむ飲み方も否定しない)。むかしチャップリンの傑作『モダンタイムス』の中で主人公の労働者( チャップリン)に機械が無理矢理食物を口に当てがう場面があった。さすがに未だそういう機械は存在しないようだが、将来、病人などを対象に利用( 善用だが) されるかも知れない。それにつけても私は安楽死を早く認めてほしい!

訂正 前々回の影山清六氏は梶山静六氏の誤り。転換ミスと言いたいが.......。

2021年6月2日水曜日

ワクチン効果は予想以上?

   テレビや新聞によると前日の英国のコロナ禍による死者がゼロとのことで驚いた。これまで450万人が感染し、12万5千人が死亡した国のこととは思えない ( ちなみに我が国の感染者数は75万人、死者は1万3千人)。英国ほど劇的な減少ではないだろうが、パリでも久し振りにカフェやレストランの屋外席は営業可能となり、幸せそうな客の姿があった。米国ではラスベガスで規制が廃止されたとか。

  西欧諸国の感染者数や死者数が激減した理由はワクチン効果以外考えにくい。仄聞するところではこれらのワクチンはごく最近開発された技術によるものらしい。科学者たちには感謝あるのみ。最近問題になっている変異型ウイルスに対しても今のところ有効性が確認されているようだ。

  しかし、世界全体に目を向ければ楽観には程遠いようだ。南米、アフリカなど、ワクチン導入がこれからの国は少なくない。我が国自身、今日の数字ではワクチンの初回接種率は16.2%、2回目は僅か1.3%。  これでは当面は「人流」制限に頼らざるを得ない。ただ、西欧の例からは、国民の大半にワクチンが行き渡らなくても感染者数の大幅減少は期待できるようだ。我が国も同じなら、7月中の接種完了は無理としてもウイルス拡大のヤマは超える可能性はある。踏ん張ってほしい。

2021年5月27日木曜日

沖縄への同情は口先だけ?

  5月15日は沖縄の本土復帰の49年の記念日だった。米国の施政権からの解放は一にも二にも本土復帰を願った沖縄県民の強い意志の結果だが、「沖縄の本土復帰なしに日本の戦後は終わらない」と訴えた佐藤栄作首相をはじめ、小渕恵三氏や影山清六氏ら当時の自民党内には沖縄に贖罪意識を持つ政治家がいた。私は政界事情に疎いので、今はそうした人がいないなどとは言わない ( 言えない )。ただ、与野党を含む一般論として自分の選挙区の有権者の地域エゴをたしなめる政治家は少ないと感ずる。それが米軍基地の沖縄集中と無関係とは思えない。

  最近私にそう思わせた契機のひとつは鹿児島県の無人島馬毛島の基地化の問題である。当初は米空母の艦載機の着艦訓練のための飛行場建設ととして注目されたが、最近はそのためばかりでなく、航空自衛隊のための基地建設是非の問題ともなったようだ。今は米軍の岩国基地の艦載機は着艦訓練のため1400キロ離れた小笠原群島の硫黄島まで飛ばなければならないが、馬毛島なら400キロに短縮するという。

  最近、種子島 ( 馬毛島が属する )の西之表市長選で馬毛島基地化に反対する候補が僅差で当選した。しかし馬毛島に最も近い同市でも14キロ?離れている。滑走路の方向からしても大きな騒音被害があるとは思えない。そもそも硫黄島以前の米軍の着艦訓練地は人家が密集する厚木基地だった。ちなみに作家の池澤夏樹氏は米軍機の着艦訓練とは無関係にかねてから沖縄の基地負担軽減のため馬毛島を普天間基地の代替地と訴えていたという。

  現在の普天間基地の辺野古移転計画は埋め立てなどあまりに不確実な点が多いし、完成までの歳月も長い。私はかつての立川基地と同様、米国が戦略的見地から突然方針を変える可能性は小さくないと危惧する。馬毛島の可能性は真剣に調査すべきではなかろうか。

  沖縄の米軍基地の縮小に反対する人はおるまい。しかし、自分の近くに来ては困るということなら沖縄の基地の縮小は期待できない。



  

2021年5月22日土曜日

東京五輪・パラリンピックを開催すべきか

  現在の我が国にとっての最重要事はコロナウイルスへの対処だが、それにともない東京五輪・パラリンピックの開催の是非も大きな争点となってきた。今朝の朝日新聞は 全面2ページを読者の意見 (「声欄」)と識者?3人の意見に1ページづつ当てている。「声欄」の最上段は「理念を失った大会  中止すべきだ」と、「選手たちの機会  奪ってよいのか」の正反対の二篇だが、他の7篇は「小さな努力を重ね無観客でも」一篇を除けばすべて開催反対ないし延期の意見である。識者は開催賛成の猪瀬直樹前東京都知事以外の2人は反対とそれに近い留保である。

  どちらの側の意見もそれぞれ一理も二理もある。「理念を失った大会」とは東日本震災からの復興五輪という当初の理念からの逸脱をさすが、私はもともとそれは五輪誘致の口実だったと考えるので気にならないが、昨今の五輪の巨大化商業化に対しては諸国民の友好促進との当初の理念からの逸脱だと思う ( 大国しか開催困難 )。

   他方、開催をさらに三年延期との意見には、選手にあまりに過酷だし、誘致をした国から先に提案する事かとも思う。真偽は確かでないが、日本から中止を求めれば巨額の損失費用を負担させられるとの報道もある。「中国は来年の北京冬季五輪を必ずやります。そうなったら......日本は国際的な信用を失い、国際的イベントを開催できなくなるかもしれません」との猪瀬氏の意見もあり得ないでもない。

  私は可能ならさらに一年の延期提案が望ましいと考える。北京冬季五輪との同年開催となるが、夏季と冬季と半年の時間差があれば開催可能だろう。欧米の例に照らせばワクチン接種の効果は大きいようだ。1年先なら十分開催可能ではないか?

2021年5月18日火曜日

二つの正義の間

  このところ毎日、パレスチナのガザを支配するハマスとイスラエルの間で前者によるミサイル攻撃、後者による爆撃が展開し、双方とくにガザ市民の間に200人を超える死者を生んでいる。国連を中心に停戦の試みがなされているが、双方とも聞く耳を持たない。

  現代はテレビで現地の状況にある程度接することができる。疑問だったのは、イスラエル軍による爆撃の激しさ、恐ろしさは十分感得できたが、その割りに犠牲者数は多くないことである。イスラエル建国以前の両大戦間のパレスチナでは、委任統治国の英国の施設へのユダヤ人過激派の時限爆弾攻撃がなされたが、原則としては直前の予告があった。今回もやはり爆撃前の予告があり、あれほどの激しい爆撃にしては死者数が抑えられているようだ ( 宣伝戦でも有利 )。

  今朝の『毎日』のコラム『火説』に元エルサレム特派員の大冶朋子氏が書いている。「当時ガザで取材していた私 ( が見たの )は、ハマスが病院や住宅街の下にトンネルを築いて身を隠し」、「爆弾を学校に、軍事拠点を海外メディアの居るビルに隠す.....『人間の盾』戦術だった」という。私も今回投石するアラブ人が少年ないしそれ以下の子供たちだったことを知っている。ある意図を感じざるを得ない。ヨルダン川西岸のPLOが動かないのもハマスの本質を熟知するからではないか。

  大冶氏は「『外野』の過激な言論を含め暴力は大抵『正義』の顔をしている。......市民の犠牲をいとわぬ者に正義が宿るはずもない」と、二つの正義の間で苦しむのは民衆であると結んでいる。

2021年5月14日金曜日

コロナワクチン接種の優先度

  一昨日午後、コロナワクチンを接種した。開始初日に接種できたのは申込日の5月6日に電話と別にインターネットによる申し込みを家人に依頼しておいたから。電話は予想通り不通続きだったと聞く。当日の接種会場は徒歩10分の駅前のビルで、開始直前にすでに20人ほどの先客?がいた。会場の準備が最初から最後まで完璧だったのはスタート初日という緊張感とともに、75歳以上の高齢者への配慮ということもあったのか。15日接種の家内の場合も変わらないと思うが.......。

  他の自治体の会場も多摩市と同様だろうと思っていたら、今朝のテレビは各局一斉に?、町長が特別扱いで当日接種したと報じ驚いた。今後他の自治体のケースも出そうだが、現在のところ茨城県の某町長と兵庫県の某町長がどちらも当日会場でキャンセルが出たとの連絡があり、接種したとのこと ( ワクチンは開封後6時間以内有効とか )。

  どちらの町長の弁解だったか、会場設置者の私は医療従事者の一員だからとの説明は全くいただけなかったが、私は両人への接種は何ら問題はないと思う。これだけ国民がワクチン接種を熱望している時にキャンセルされたワクチンを利用しないなど私には到底納得できないし、もし利用されずに廃棄されていたら今回以上にメディアは関係者を厳しく批判していたのではないか。南相馬市は日ごとの接種者を市が指定しているとのことだが、それでもキャンセル者は出るだろう ( もっと多数?)。

私が見た限りでは視聴者に番組中にアンケートを呼びかけたのはフジテレビだけだったが、町長への接種を優先したことへの回答は、是59%、非41%だった。気のせいか同番組での問題視の程度が以後弱まったと感じたのは私の僻目だろうが..........。

  

  

2021年5月10日月曜日

米軍立川基地に反対した人たち

  毎日新聞 ( 5月9日 )に、60年前の米軍立川基地拡張反対闘争に学生の身で参加し、現在も基地反対の立場を堅持する人の記事が載っていた。『己の道8』と見出しにあるので、同じように初心を堅持した人々の列伝かと思うが、他の回は記憶にない。

  立川基地拡張反対闘争と聞いても同時代人として記憶する人はもう多くあるまい。冷戦時代のさなか、米空軍が当時独占使用していた立川空軍基地を北側に拡張する計画を立てた。それに対し農民主体の地元民と急進的大学生たちが拡張反対を唱えて基地内に強行侵入した ( 砂川事件 )。事件を担当した一審の東京地裁の伊達秋雄裁判長は日米安保条約そのものが憲法違反であるとして無罪判決を下した ( 政府の上告を受けた最高裁が逆転有罪判決 )。

  記事の人は当時大学生で共産党員であったということだが、その後も最高裁判決を不服として闘ってきた。しかしその間、沖縄住民に本土の基地反対運動のおかげで基地が沖縄に移ったと言われ困惑したという。本土で嫌われた米軍基地を沖縄が受け入れさせられたのは事実だが、立川基地の場合、すぐ近くの横田基地がその役割を代替した可能性が高いのでは........。

  大学卒業後に立川基地拡張反対闘争に参加したと聞く友人がおり、クラスでは親しい方だった。その後長く交流はなかったが、卒業後20年あたりから始まった同窓会で再会して以来、年一回の交際が復活した。彼はその後も野党的立場を変えなかったが、両家の子女を集める有名な学園で教え、亡くなる前、中学部の校長だったと聞く。武骨で政治的立場を隠そうともしない彼を重用した学園も懐が深いと思う。

2021年5月8日土曜日

宇宙探索の新展開?

  先月末、中国が最初の宇宙ステーション ( の中核部分?)の打ち上げに成功した。すでに米国やロシアが先行しているならば、中国とて後塵を拝してばかりではいられないのだろう。

  人類の宇宙空間への挑戦は周知のようにソ連のガガーリン少佐の搭乗するボストーク1号が第一号で世界を驚かせ ( 当初はその意味すら素人にはよく分からなかった! )、米国を悔しがらせた。私はソ連時代末期にツアーの一員としてモスクワの産業博覧会?でボストーク1号を見たが、私のような閉所恐怖症の人間でなくともあんな身動きもままならない空間に乗り込みたい人は少ないのでは?

  それ以来の宇宙探索競争で他の惑星探索は国威発揚の目的だけでなく、将来の資源獲得や移住可能地発見をめざして水や酸素の存在を確認する努力にもなりつつあるようだ。しかし、地球の未来が温暖化などで必ずしも明るくないとしても、人類を受け入れるほどの水や酸素の豊かな惑星が存在するとも思えない。もっと地球の危機への対処に力を集中した方が良いのではと素人は思う。

  宇宙探索の唯一の正当化の可能性は地球が他の宇宙物体と衝突して人類が絶滅の危機に瀕する時だろう。かつて地球で栄えた恐竜類はそれが原因で滅びたと言われる。それでも数十億人の地球人が移住できる星も移住手段も考えられない。せいぜい、ブルース・ウィリス主演の米国映画『アルマゲドン』のように宇宙技術が地球を救う ( 危険な小惑星を爆破する )ことを期待するぐらいか??


2021年5月4日火曜日

コロナ禍雑感

  テレビのニュース番組を毎日開始時間から見ることが多かった私も最近は途中からが多くなった。開始後しばらくはどうせコロナ禍関係のニュースに決まっているから。そんな私でも午後3時にテレビをつけてその日の感染者数を知ろうとする。旅行も知人との会合も困難では感染者の増減を気にしないではいられない。

  十日ほど前ようやく市役所から夫婦二枚のワクチン接種券が送られてきた。75歳以上優先との市の方針のおかげらしい。当ブログで通勤族優先を訴えたくせにと批判されそうだが、矛盾するがやはり嬉しい。とはいえ実際の接種は5月中旬以後いつになるか分からない。せめて初夏までにと願うばかりである。

  欧米を中心とした先進国の中では日本の感染者数も死者数もきわめて少ない。しかし、それらの国々がワクチンのおかげでコロナ禍も峠を越えたかに見えるのに、我が国のワクチン接種数は大きく後れをとっている。やはり自国産のワクチンを持たぬ国の悲しさだろうか。その分野では我が国は先進国ではないのか!

  もう一つ当初から気になっていたのはニュースがまず東京の感染者数 ( 最近は大阪や兵庫も )を取り上げること。全国の合計値は集計が遅れることは理解するが、夜のニュースでも全国の感染者情報は東京や大阪ほどには優先して発表されない。私が地方在住者だったらさぞイライラするだろう。私は特別短気な人間なのだろうか?

2021年4月29日木曜日

『ポツンと一軒家』の魅力

  今日の朝刊に載ったビデオリサーチによるテレビ視聴率 ( 4月19日~25日 )によれば、テレビ朝日放映の『ポツンと一軒家』がNHKニュースに次ぐ堂々の2位となっている。この番組については本ブログで取り上げたことがあるかどうか記憶が定かでない。しかし、録画された同番組 (4月25日)を昨夜偶然見たので印象を記したい。

  同日の番組は通常の2倍の2時間放映だったので訪問先は二軒。前半は和歌山県の山中のゆづ農家で、かつてのみかん栽培は経営的に成り立たず瓶詰めのゆづ液で生計を立てている。家族は飲食店で働いていた東南アジア ( 国名は忘れた ) 出身の妻と男子中学生2人。ゆづの木は余計な枝の除去など樹上での作業が欠かせず危険も伴うが、妻も先頭に立って作業をしていた。

  番組後半は徳島県の一軒家で、長い山道を登って辿り着いた家は吉野川を見下ろす住まい。夫以外の家族は平野部の自宅に住む。テレビ局の協力で古い8ミリフィルムが上映され、何十年前の夫婦の結婚披露宴に数十人の親類縁者が着飾って山中の家に集まった様子が映し出された。夫婦にとっても久しく無縁となっていた記録だが、フィルムの存在すら知らなかった高校生?の娘は感涙にむせんでいた。

  一軒家と言っても当初からのケースもあれば、昔は数軒の小部落がいつか一軒残されたケースもあるが、電気はどんな山奥でも利用でき、道路も一応は舗装されている。しかし市町村道への何キロかは落葉掃除など自分で維持しなければならない。

  当番組の人気は不便に耐えて先祖の家と生業を守り続けている人たちの頑張りに心洗われる思いが理由なのではないか。この番組を構想したプロデューサーら関係者はすごいと思う。訪問先の家族がまさかの訪問に喜ぶ場面は住民への何よりの励ましだろう。

2021年4月23日金曜日

現代の『勇気ある人々』

  このブログで言及したことがある気もするが、ジョン・F・ケネディの上院議員時代の著書に『勇気ある人々』( 1967  日本外交学会。最近の別訳あり )がある。現在ではケネディの演説のゴースト・ライターのソレンセンの著と知られるが、世論に逆らって真実を訴えた人びとの物語である。いつの時代でもそうした「地の塩」のような人たちがいた。

  一昨日、元従軍慰安婦たちの対日賠償を求める訴訟をソウル中央地裁が却下した。同地裁では1月に日本政府に賠償を命ずる判決があったのだから逆転判決と言えるが、注目されるのは他国の判決は我が国に対し効力を有しないとの日本政府の主張や2015年の日韓慰安婦合意の有効性など、日本政府の主張をほぼ全面的に認めていることである。

  前兆と言えるかどうか、政権発足時に日韓慰安婦合意を破棄した文大統領が最近前言をひるがえしてその有効性を認めていたし、1月の地裁判決に今になって「すこし困った」と発言していた。それでも「親日」という言葉がマイナスのレッテル貼りとなる現在の韓国で日本との再交渉を命じた判事の見識と勇気には頭が下がる ( すでに激しい非難が。『読売』4.23 )。

  「中華民族の偉大な復興」を目標に掲げる習近平主席のもと、最近の中国の一方的な国権主張は目に余る。その最中に温家宝前首相がマカオ紙に寄稿した。文化革命時代の教員の父親の受難を回顧し、「私は貧者や弱者に同情し、侮蔑や抑圧に反対する」と強調。理想の国家像として「思いやりや人道、人間の本質に対する尊敬と青春や自由、奮闘の気質があるべきだ」と記しているという( 『朝日』4.21 )。明らかな習指導部批判と読める。その証拠にSNS上の関連する投稿は削除されたりしたという。今後政権から不当な扱いを受ける危険を冒しても、沈黙していられないと決意した前首相の勇気に敬意を表したい。

  

2021年4月21日水曜日

より良い入試制度とは?

   記事の扱いは目立たないが、今朝の各紙に「英語民間試験・記述に消極論」との見出し( 『朝日』)で昨日の文科省の有識者会議で2025年以降の大学入試共通テストの英語の民間試験利用は「見送りを求める意見が大勢を占め」、国語と数学への記述式問題導入についても「消極論が強く」、「入試改革のかつての二大看板は当面実施されない公算が大きくなった」とのこと。二大看板の導入を決めた有識者会議とはメンバーの大幅交代もあったのか、何とも奇妙な結末である。

 なぜ方針転換となったのか。私見によれば、理想の入試問題を追求するあまり、他の条件を軽視したことに尽きる。私は退職後もしばらくは新聞掲載の大学入試センター出題の世界史と英語とくに前者には出来るだけ目を通していたが、数年前からやめていた。問題の質の向上は明らかだったが、解答への負担が大きくなるばかりだったから。

 大学としてできるだけ的確に受験生の能力を知りたいと思うのは当然だろう。しかし、今回の「改革」に限って言えば、 受験生の便益や親の財政的負担にもっと留意すべきだったろう。入試の質の向上の必要は留学でヒヤリングに苦労した私にもよく分かるが、競争条件の平等もそれに劣らず大切に思える。

 かつて有名進学校で教えた際、受験生活は辛いだろうが今後の人生で大学入試ほど公正な扱いを受けることはないと知れと激励した。その意見は残念ながら今も変わらない(この項二番煎じ?)。

2021年4月19日月曜日

新疆ウイグル自治区の現状は「ジェノサイド」か?

  日米首脳会談が終わり共同声明が発表された。台湾問題が注目の的だが、「香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念」との箇所もわずか1行だが前者に劣らず重要である。

  他国の内政問題への批判は濫用されるべきではない。しかし、程度にもよるし、中国は国連の五大常任理事国メンバーであり、人権問題でも模範でなければならないはず ( 国連設立当時、米英仏中ソは「5人の警察官」にも例えられた )。

  米国はバイデン政権になってウイグル自治区での人権状況に「ジェノサイド」という表現を使用し始めた。私は当初そこまで言い切れるかとの疑問を抱いた。ジェノサイドとは単なる大量虐殺ではない。一民族つまり子供に至るまで抹殺する行為を意味する。軽々に使用されるべきではない。

  しかし、昨日の朝日新聞の『天声人語』によれば同自治区では中国の統計でも不妊手術は「2014年3千余りだったのが、18年には約65万件」「じつに18倍の増加」をしたという。それが事実ならジェノサイドの呼称は誇張とは言えない。

  現在の自治区の人口はウイグル族と漢族がほぼ同数らしい。国策で多くの漢人が送り込まれた結果だろうが、イスラム教徒のウイグル族は産児制限をしないはず。中国政府はウイグル族が再び多数派になることを恐れているのだろう。しかし、だからと言って国策による強制的な「間引き」が許されて良いはずが無い。中国は早急に国際機関による調査を受諾すべきである。

  

2021年4月16日金曜日

韓国の軍備は何のため?

  今日の『産経』によると、韓国が新しく国産戦闘機を完成披露したという。当然最新の装備を盛り込んだろうが、レーダーに映らないステルス性能はないという。それでは米国製のF35戦闘機より劣るが、超高価なF35を購入するよりも同じ費用で非ステルス機を何機か入手する方が利口と考えてもおかしくない。それより何より時刻生の戦闘機を持つ誇りはどの国民も同じだろう。

  我々は韓国の軍備は北朝鮮の攻撃に備えるものと思いがちだが、ヘリ空母 ( 2007年、「独島」の完成 ) や、給油機をエアバス社に4機発注、射程1500キロのミサイルも開発中と聞くと、目的は別と知れる。北朝鮮の奥行きは300マイルで、給油機も中距離ミサイルも必要ないから。

  以上の知識は朝日新聞の元軍事記者の田岡俊次氏のAera ( 9月9日号 )掲載論文による。それによれば「陸軍49万」の韓国は日本の自衛隊の3.6倍。国防予算は日本の76% ( GDP比 7.5% ) で遠からず日本を上回る。「韓国はすでに軍事大国であり、日本を仮想敵国としていることを認識すべきだ」との結論。

  私はこれまで何度も田岡氏の新聞紙上の記事を読んでおり、朝日新聞の論調との違和感を覚えたことはなかった。しかし、同氏の掲げる数字を無視して良いとは思えない。日本による韓半島の再侵略など米国も中国も許すはずがない。韓国の軍備強化は水も自給できない独島死守のためなのか。それとも最新の兵器を持ちたがる軍人の本性の現れなのか。現在の韓国がそれほど軍人主導の国とは思えないが。

2021年4月14日水曜日

原発処理水の海洋投棄

  日本政府は東電福島第一原発の処理水を海洋投棄する方針を決めた。それに対し全国と福島県の漁業団体の長がそれぞれ絶対反対を表明した。新聞各紙は、「唐突な政治判断  地元反対を押し切り」との見出しの『朝日』から、「他に選択肢はなかったろう」( 社説 )との『読売』を両極に、日頃の政治姿勢を反映した主張をしている (『産経』は未見。『日経』は地元との対話が不十分だったとしながらも、「決定内容は妥当」とする )。

  福島県を中心に漁民が風評被害を心配して反対するのは理解できる。それに対して、有識者会議が海洋投棄を是認していると反論しても、各国の原発もトリチウムを海洋投棄していると反論しても有効ではない。漁民自身が風評被害であることを認めているのだから。風評ならば敷地内のタンクがすでに1000基に達していても、今後何年経とうが賛成に変わることはあるまい。

  2021年現在、中国、韓国をはじめ少なくない数の国が我が国の水産物の輸入を禁止したり制限している。そうした国々からすれば、処理水の放出を我が国が許さないことは禁止の絶好の口実となっているのではないか( まだ正常復帰していない )。私には処理水の海洋放出は、長い目で見れば漁民を不当な状態から脱却させると思える。

  

2021年4月11日日曜日

旬の食材

  タケノコを八百屋の店頭に見かける季節となった。私は自分の味覚に幻想は持っていないが、季節の食材は一度や二度は味わいたいし、タケノコは中では好きなほうで、やはりこの時期に欠かしたくない。

  最近、テレビニュースで二度タケノコ堀りの場面を見た。1度目はプロの農家のタケノコ堀りで、素人には分からないほどの微妙な地面の変化を察知し、完全な形で掘り出すわざに感心した。2度目はレクリエーション的なタケノコ堀りで、すでに地上40センチほどに伸びたものを掘っていた。固くなっているのではと思ったが、楽しい行事ならそれはそれでいい。

  図書館分室への途次の竹林でもタケノコは何本も膝の高さに育っているが、掘る気配は皆無。店頭ではそう安くもないのに日本も贅沢な国になったと昭和ひとけたの人間は思う。

  半世紀前、斜面に立つ現在の我が家に入居したとき、バス道路に面した北面に孟宗竹を植えた。竹は一年で成長する。出来るだけ早く家を緑で囲みたかったし、竹の葉ずれの音に憧れたのである。目論見どおり三年か四年で竹林となったが、同時に竹の根が盛大に下水溝に侵入した。放置することもならず、私の名案は御破算となった。

2021年4月9日金曜日

医療費負担の変更

  政府がようやく重い腰をあげ、医療費の9割を負担免除される層と7割を免除される層の間に8割免除の層を設定する案を国会に提出するとのこと。将来の一層の少子高齢化を考慮すると若年層の負担は増大する一方だろう。それに備えて高齢者の負担率を上げるべきだとこのブログでも書いた記憶がある。

ところが、私自身が80歳の大台を越すと医療機関通ひの回数が倍増し、なるほどそうした事情も斟酌する必要もあると反省した。それでも高齢化社会の進展は避けようのない事実であり、これまでの延長では済むまい。

その点で今度の政府提案は遅まきながら第一歩として評価できる。これまで所得金額により患者負担が1割から3割にジャンプするのは唐突すぎた。もっとも三種への分類変更となって私自身はどこに属するかが分からなくなってしまった!

立憲民主党は政府案に反対して高額所得者の自己負担の増額を提案するという。しかし、彼らへの負担増額だけで将来の危機を回避できるとも思えない。かつて社会党が政権を取ったとき、それまでの日米安保条約の評価を百八十度変えた経過をもう一度繰り返すのだろうか?

2021年4月2日金曜日

ロンドン・オリンピックをふりかえる

  吉村大阪府知事が大阪市の聖火リレーを中止すべきだと発言した。府と市の関係がどうなっているかは知らないが、このところの大阪の感染者数の激増を考えれば聖火リレー中止は妥当だろう。オリ・パラ大会自体の開催すら危ぶまれるが、あくまで開催を目指すなら競技以外はできるだけ簡素にすべきだろう。

  第二次大戦中の中止を経た戦後最初のオリンピックは1948年のロンドン大会だが、未曾有の戦火、とくに「ロンドン空襲」として名高い大きな被害の後、通常の大会など開催できるはずも無く、節約に徹した大会だった。

  今朝の毎日新聞のコラム『金言』に小倉孝保編集委員がロンドン大会の実情を紹介している。競技場はむろん新設など論外。選手や関係者の宿は軍や大学の施設を利用。交通は選手も地下鉄など公共交通機関を利用。大会期間中の食料も自前で調達だった。競技施設の不備もカナダが水泳の飛び込み板を持参。スイスは体操用具を、アルゼンチンは馬術用の馬を提供。ある競技は実施が予定より長引き日没となったが、自動車のヘッドライトの光を集めて続行したという。

  それでも今日、ロンドン大会にケチをつける人は居ない ( 敗戦国日本は参加を許されなかったが、それは別問題 ) 。コラム筆者の言いたいのも初心に帰れということだろう。私も同感だ。1948年と現在では比較できないと言う人もあろう。しかし2021年は対コロナ戦争の最中であることを想起すべきではないか。

2021年3月30日火曜日

スエズ運河異聞

  日本船籍の大型コンテナー船によるスエズ運河の不通はようやく解決に向かうようだ。なにしろ欧亜を結ぶ物流の大動脈だけに世界経済への影響が心配されたが、最悪の事態を免れそうなのは大慶至極である。

  スエズ地峡に運河を通し欧亜を結ぶとの構想は古いらしいが、それを実現したのは外交官兼事業家のフェルディナン・ド・レセップスと彼を後押ししたフランスの第二帝政 ( 皇帝ナポレオン3世 )だった。苦心の末だったが、エジプトの宗主国オスマン・トルコと大西洋航路重視の英国の妨害工事を排して運河を開通させたレセップスは英雄となった。

  ついで開通が目指されたパナマ運河は当然のようにレセップスとフランス ( 帝政は倒れ第三共和制になっていた )が事業主体となった。しかし、スエズには無い高地越えの困難と黄熱病流行により開通は困難を極め、最終的には米国により完成された。しかし、工事を完成したかったレセップスは工事期間を延長するため政治家たちにカネをばらまく「パナマ疑獄」を起こし刑事被告人となった。

  工事を引き継いだ米国はフランスの土木技術の高さに驚き、なぜ途中放棄したのかいぶかったという ( 大佛次郎 『パナマ事件』1960年 )。フランスでは、ナポレオン帝政はスエズ運河を完成させたのに共和制はパナマ運河を完成できなかったと、右翼の格好の宣伝材料となった。世論を無視できない民主政の辛さである。

2021年3月25日木曜日

二人の退場を惜しむ

  柔道男子71キロ級の金メダリストの古賀稔彦氏が53歳で亡くなった。私は柔道を習ったことはなく、特別の関心を寄せたわけではない。それでも古賀氏の早すぎる死去には惜しむ心を禁じえない。

  その理由の一つは氏がガンに勝てなかったこと。嘗てと異なりガンはもはや不治の病では無くなりつつあると信じていたのに、古賀氏のような強靭な肉体の持ち主でもガンには勝てなかったとは......。 理由の第二には氏が背負い投げを極めたこと。柔道が世界に広まるにつれ勝負にこだわる選手ばかり。寝技は本来認められた勝負手だろうが、寝技専門のような選手が現れたり、時間内に技らしい技をかけずに優勢勝ちを狙っているとしか思えない選手もいる。それに対し古賀氏ほど美しい柔道、これぞ柔道と思わせる背負い投げに徹底してこだわった柔道家は居なかった。第二の古賀は現れるだろうか。

  横綱鶴竜が現役を引退する。優勝回数は全6回とのこと。ここから強い横綱との印象は薄いかもしれない。しかし、彼は白鵬の全盛期に横綱を務めたのである。同時期の日本人力士が琴奨菊も稀勢の里も1回しか優勝していないことを考えれば、立派な横綱だったと言える。さらに古賀氏同様、その勝ち方は爽快で、張り手など美しくない勝負手に頼らなかった。最後の数場所休場を続け、協会から決断を迫られたが、私は鶴竜関は欲などで無くただもっと相撲をとりたかっただけと信ずる。今後は親方として相撲界に尽くして欲しい。

追記  前々前回、私の病気の告知が全文大きな活字だったのは当方の操作ミスで、不本意なことになりました。ご理解を!

2021年3月19日金曜日

他人の容姿の問題

  東京オリンピック・パラリンピックの開閉式の演出の総括の担当役だった佐々木宏氏がタレントの渡辺真美さんの容姿を茶化す場面を仲間に明かしていたとして辞任した。私は氏の名前は初めて知ったが、氏が制作した「白戸家」シリーズは私が柴犬好きという事もあるが、毎回機知に富んだ終り方が大好きだった。

  他人の容姿を茶化すことは対象が男性であれ女性であれ品位を欠く行為であり、まして今回渡辺さんをブタに例えたのは最低である。しかし、制作仲間とのLINEでの対話中のことであり、仲間の批判によって取り下げられていたとすれば、辞職は止むをえなくともこれほど批判されることかと思う。
  米国のPC ( Politically  Correct )運動を先頭に反差別運動が各国で高まっているようだ。当然と言えるが、それが問答無用式の糾弾となることには賛成できない。渡辺さんのコメントが朝刊に載っているが、りっぱなぶんしょうである。私は彼女が内心でも佐々木氏を許すと信じたい。

2021年3月16日火曜日

社会民主主義の後退

  朝刊に、ドイツで一昨日おこなわれた南西部2州の選挙結果が、「メルケル与党痛手  緑の党は堅調」との見出しで報じられている ( 『朝日』)。同国では戦後長い間、保守二党と社会民主党 (SPD)の政権交代が当り前になり、ブラント、シュミット、シュレーダーの3人の社民党政権がそれぞれ立派な業績を残した。ところが最近は「緑の党」がSPDの上位にあるらしい。信じられない思いである。なぜならSPDといえば、19世紀後半の創立以来100年以上も世界の社民勢力の模範となっていたから。それなのに何故?

  しかし、翻って考えれば我が国の社会党はもっと惨憺たる事になっている。私の学生時代、与党はつねに自民党だったが、社会党の躍進を願って深夜まで選挙結果を知るためラジオに聞き入ったのは私だけだっとは思わない。しかし、野党連立内閣でも誇らしい成果を挙げられないまま、福島党首一人の党になってしまうとは..........。

  原因として社民勢力にとって嘗て打倒対象だった資本主義が予想を越えてしぶとかったことが大きいだろう。また、愚かにもソ連や新中国 ( さらには北朝鮮まで!)に長いあいだ幻想を抱いた時期があり、中ソ対立以後矛盾が表面化した事も大きい。政党は高い理想を持ち、何れほど善意や誠意に溢れていても正しい方針を示さなければ支持を失う。それでも占領期以後の我が国では政治家がその政見のゆえに刑務所入りすることは無い。 ある時期、 日本社会党がそれに貢献したと考えたい。

2021年3月12日金曜日

追記  この一週間、熱を発しました。さいわいコロナ・ウイルスではないと診断されましたのでご安心を!

 morning

後悔先に立たず

  朝日新聞の夕刊に今夕まで5回、「チェルノブイリを伝える」と題する連載が載り、その第一回は評論家の東浩紀氏による「ダーク・ツーリズムの光と影」と題されていた。チェルノブイリの廃墟前に記念グッズなど観光化の兆しを目にした東氏の造語のよし。

  現代におけるダーク・ツーリズムの代表にアウシュヴィッツ強制収容所をあげてもよかろう。しかし、ガス室まで備えた「絶滅収容所」が主流と言うわけでも無いようで、通常の収容所でも不衛生や食糧不足や労働加重でホロコーストは実行されたようだ。

  ところで第二次大戦でドイツに敗れる前のフランスの首相たち、軍総司令官、労組指導者、ファシスト呼ばわりされた団体の指導者など10人近いフランス人は敗戦後、ドイツ内の各地の強制収容所に抑留された。やがて戦況悪化に伴い、オーストリアの古城に集められた。彼らの待遇はドイツ時代もその後も囚人などと言うものではなかったらしい。なぜなのか。

  ナチスの人種理論ではフランス人はユダヤ人やスラブ人と異なり、ピラミッドの底辺ではなかったためか?  しかし、ブルム元首相はフランスで最初のユダヤ人総理だっことは誰でも知っていた。外交的配慮が理由だったのだろうか?  しかしフランスの元リーダーたちは米軍に救出されて初めてその生存が確認され、世界を驚かせたのである。

  彼らフランスの各界の元リーダーたちは古城で、反省をタップリ話し合ったことだろう。何しろナチスドイツが強大化に邁進したあいだ、彼らは政治的ライバルとの小さな違いを誇大視し、政争にふけったのである。そして天罰を被ったのである。


2021年3月1日月曜日

安楽死承認を阻むもの

  先日、図書館に新聞読みに立ち寄ったら、人目につく場所に十数冊の近刊書が並べてあり、その中に科学史・科学哲学者の村上陽一郎氏の『死ねない時代の哲学』(文春新書 2020 )があったので借り出して読んだ。ちょくせつ安楽死問題に是非の断を下してはいないが、文中の指摘には同感する部分があった。

  昨年末にニュージーランドの国民投票で安楽死合法化が多数を得た。2001年のオランダをはじめスイス、ベルギー、ルクセンブルク、コロンビアと、最後のコロンビアを除き全て先進国に数えてよい国々が安楽死承認に踏み切っている。それなのに我が国は安楽死 ( 薬剤使用らしい )どころか極度に厳しい条件でしか治療停止を認めない。これでは医師も我が身の安全を考えたらめったに同意しないだろう。

  我が国のこの動きの鈍さは他の問題にも頻繁に見られ、切羽詰まらないと動かない国民性と私は考える。他方、村上氏は国民性には触れず二つの歴史的要因を挙げる。ひとつは長く続いた戦争体験であり、「そうした世の中への深い反省、強烈な反動というものが、戦後の日本社会に非常に大きく働いているのではないでしょうか。某首相は『命は地球より重い』などと不可思議な言葉を吐いて、テロに屈する言い訳にしました」「1日でも長く生き延びることが100%の『善』である、という思想です」に私も同感である。
 
  氏は続いて、「もう一つ、直接医療と関係ないところでの安楽死・尊厳死への根強いブレーキがあります。それは『ナチスの悪夢』という形で語られる側面です」と言われる。これは一見別の事のようだが、ナチスによるユダヤ人虐殺が、大戦前から続く同胞の精神障害者の抹殺の延長線上の事象だったことが我が国でも近年たびたび紹介され、優生思想の危険性が大きくクローズアップされた事実と安楽死嫌悪との関連の指摘であり、鋭いと思う。

しかしヨーロッパ諸国も日本と同様に戦争を体験したし、ホロコーストは我が国以上に身近な体験だったはず。それでも安楽死をやむを得ないものと受け入れる。高齢者の一人である私には他人事ではない。
追加 。  前回のブログで紹介したNHKの番組は『飽食の悪夢』( 2.17 )でした。食料の3分の1がムダになるとは世界ではなく日本のことの間違いか?

2021年2月24日水曜日

遠くない食糧危機?

  NHKテレビで国谷裕子さんも出演 ( お久し振り!)した世界の食糧事情の紹介番組があった。昔は考えられなかった低価格で米国産牛肉が街で売られており有り難いが、将来はうそ寒いとのこと。

米国産牛肉の主要産地である中西部のカンザス州には650万頭の肉牛がトウモロコシを飼料として飼われている。以前から、中西部の農業は過去数百年 ( 数千年?) 間に蓄積された地下水を費消していると聞いていたが、番組によるとカンザス州では水は地下60メートルに減少し、今後十年で無くなるという。そうなればトウモロコシ生産も衰退せざるをえない。人類の飽くなき牛肉消費が生んだ現実である。

美食追求の結果の将来不安は牛肉に限られない。今や世界に拡大したワイン生産も危機に一役買っている。ワイン1本の生産には652リットルの水が必要である。牛肉とワインをはじめとする食糧を大量輸入する日本は年間80兆リットルの水を輸入していることになる。

対策としては世界の食糧の3分の1が捨てられているというムダ排除が第一だろうが、大豆とココナッツオイルで造る人工肉 ( バーガーキングではすでに提供とか )の利用も時間の問題かも。ふりかえって2021年頃は何でも安く手に入ったと嘆くことになるのか。「ゼイタクは敵だ」と教えられた世代の杞憂だけでも無いのでは?

2021年2月22日月曜日

ビルマの民主主義の苦難

   不幸の予言をしたくないが、軍事クーデター以後のミャンマーの軍政と民衆の対立は前者による後者への武力弾圧に近づきつつあるようだ。欧米を始めとする民主主義諸国の批判も経済制裁も、ひとたび「ルビコン川を渡った」軍人たちには効果はないだろう。

   十余年前の軍政から民政への移行は極めて不十分なものだったが、それでも方向としては民主化の歩みだった。それを逆転させた今回の政変に弁護の余地はない。

 それでもイラクやアフガニスタンへの介入で苦杯を呑んだ米国は自国民への被害でない以上、説得と経済制裁以上の行動は不可能だろうし、我が国も同様である。結局のところ弾圧されたミャンマー人をできるだけ多く政治難民として受け入れるぐらいしか我が国は考えられないのは歯がゆい限りである。デモ参加者の無事を祈るしかない。

2021年2月19日金曜日

美辞麗句には注意を!

  ようやく森喜朗東京五輪組織委員会会長の後釜に橋本聖子氏が決まった。その間、新聞各紙では候補者検討委員会の運営をめぐって「密室」「密室人事」の文字が踊らない日はなかった ( 『毎日』2.17 『東京』2.18 『朝日』2.19 など )。だが、そうした批判は正しいだろうか。

  今日のTBSの情報番組『ひるおび!』 で片山前鳥取県知事が、検討委員名の非公開には疑問を呈していた。しかし議事内容の公開は、審議中に批判されたり反対されたりした候補者 ( 立候補したわけではない ) にとり耐え難い事態であり、人権にも関わると言っていたが、全く同感である。記者たちはその程度の配慮すら持ち合わせないのだろうか。

  少し前に山下泰裕JOC会長がJOCの審議内容を非公開に改めたときに私はこのブログで賛成した。今回も同氏は委員会で非公開を主張した二人の一人と明かした上で、「メンバーが自分の信念に基づいて自由に発言するには、何としても (非公開にして ) その人たちを守らないと、圧力がかかる。透明性より、本音で考えを述べる機会をつくることの方が大事だ」と述べ、非公開を支持する立場を明確にしたとのこと ( 『朝日』2.19 )。日頃から各競技のボスの伝声管のような委員の発言にうんざりしてJOCの改革を実行した同氏の真意を記者たちは理解できなかったようだ。

  透明性も公開性も可能な限り尊重されるべきだが、状況によっては逆効果を生む場合がある。言葉に酔って良いはずが無い。

2021年2月15日月曜日

人類の進歩とは?

  昨日、駅前の図書館分室ではなく、別の分室に出かけた。運動不足を多少とも解消したいとの無駄な抵抗なのだが。自宅からの距離の差は僅かだが、坂の上り下りの回数が倍ほど違う。

  途中、竹林の中の小道で鳩のものらしい 羽毛 ( 色から判断 ) が20メートルほどの間に散らばっていた。人間の仕業とも思えない。猛禽類に襲われ餌食となったのだろう。人間が勝手に平和の象徴扱いする鳩も動物間の生存競争を免れられない。

  野生動物をテーマにしたテレビ番組をときどき視る。その大部分は肉食動物で、他種の動物を殺して生活している。動物界は生存競争そのものである。考えてみれば人間も同じで、他人が殺してくれた動物の肉を食している。

  録画してあったアマゾンの奥地の先住民「イゾラド」の紹介番組を視た。同じ先住民でも分散して生活し文明社会との接触を全く持たない未開人で衣服というほどのものは無く、合計しても最大500人ほどと推測される。他の文明化した先住民を殺したことから調査がなされたとのこと。

  極度の警戒心を持つ ( 好奇心も ) 彼らにアンケートを実施した結果は、1)  「文明側の人間をどう思うか」の質問には、「あなたたちが怖い」。2) 「何故ひとを殺めたのか」との質問には「怖いから先に殺した」。 3) 「あなたたちは幸せか」には「わからない」との答えだった。

  この番組の与える印象は人様々だろう。私自身は誕生以来の人類が歩んだはるかな道を想った。

2021年2月11日木曜日

川淵新会長に期待

  森喜朗東京五輪組織委員会会長の辞任が決定したようだ。遅まきながら妥当な結末である。何がこの辞任表明への決定打となったのか。国民世論の逆風か。IOCが一転強い批判声明を出したからか。最大の協賛企業のトヨタ会長の批判も辞任を促進したのか ( あまり可能性は大きくない?)。テレビは米国のNBCテレビの批判も伝えている。

  私はNBCの名前を見て極めて不快に感じた ( なぜ米国の商業テレビがしゃしゃり出るのか!)。NBCがテレビ放映権を独占した事実を直ぐには思い出せなかったのである。しかしトヨタの協賛は直接の企業利益との関連は薄いのに対し、NBCの場合は企業利益と直結している。仮に同社の影響力が働いたのならオリンピックの商業化の結果とも言え、別の問題を感じる。

  オリンピックもパラリンピックも選手たちの活動を通じて諸国民の友好に貢献するものだろう。観客の参加は望ましいが、これだけテレビ放送が全世界で見られる時代にそれが不可能だからと言って中止すべきだろうか?  コロナ禍の今回は聖火リレーも華麗で長時間の開会式も必須ではあるまい。競技の開催を最優先すべきである。

  森会長の後任には川淵三郎氏が有力候補とのこと。企業スポーツだったサッカーを今日のJリーグに育て上げた同氏なら最適任だろう。探せば適任者は現れるものである。組織委員会ら関係者は新会長に協力して最後まで開催の可能性を追求してほしい。


2021年2月6日土曜日

訂正

 前回のブログに「森会長が辞めたら五輪が持たない」と書いたが「もたない」が正しく、続けられない、中止になるの意。悪しからず!

2021年2月5日金曜日

森喜朗氏の問題発言とメディア

  今日の『朝日川柳』に「森会長どこに出しても恥ずかしい』との一句が載っている。同氏がこれまで幾つもの問題発言をしてきたことは記憶に新しい。ということは今回を老害と言って済まされない。

  それとともに外国紙を含む複数のメディアで、同氏の発言に対する反論が評議員会の席で挙げられなかったことが批判的に言及されている。NYタイムズの「一番のニュースはJOC評議員会という公的な場で、記者もいる中で発言し、誰も差別を止められなかったことです」はその代表だろう ( 『本音のコラム』での北丸雄二氏の紹介 ) 。しかし、森会長の相変わらずの問題発言と、評議員たちの態度とは分けて評価すべきである。

  多くのメディアが東京オリンピック ( とパラリンピック ) の中止を訴えている。だがその結果、同日の東京新聞の「記者の目」という記事によると、「五輪開催を切望する選手の発言がインターネットに載ると、コメント欄はしばしば『炎上』する。.....ある女性選手は最近、『人生を賭けてきたし、もちろん開催してほしい。だけど、今の世の中的に、うかつなことはしゃべれない』と漏らしていた」。「主役であるはずのアスリートたちが世論を意識して言葉を選び、言いたいことを控えながら今夏へと黙々と汗を流す一方で、'外野'が奔放な発言を繰り返している」。同日の『毎日』によると、「世論の反発とは対照的に、大会関係者の間では森氏に辞任を求めるどころか、『森会長が辞めたら五輪が持たない』との声が大勢を占める」という。

  私も今夏の両大会の開催はたとえ無観客でも困難かとは思う。しかし、決定権はIOCにあるなら、我が国が開催不能を云々して選手を苦しめてなんのよいことがあるのだろう。

2021年2月2日火曜日

鶏卵生産のジレンマ

  昨年後半以来、鳥インフルエンザへの感染が国内で拡大し、防疫のため大量に鶏が殺されている。今日も茨城県の城里町の飼育場で84万羽が駆除されるとテレビが報じている。昨年以来駆除された鶏は合計711万羽に達するという。

  これ迄このブログでも物価の優等生として鶏卵に言及してきた。おそらく大規模飼育が原因だろうとは想像していたが、飼育規模がこれほど巨大とは知らなかった。これほど一斉処分されたら鶏卵価格が急騰するのではと心配したが、今のところ値上がりしていない。全国の飼育数はさらに巨きいということだろう。それにしても巨大生産のジレンマではないか。

  我が国の鶏の飼育は鶏卵生産にせよブロイラー生産にせよ、狭いケージに一羽ずつ閉じ込める方式が主流のようだ。ところが最近ヨーロッパ諸国から非人間的?飼育方法であり、止まり木などを備えた鶏舎で飼うべきだとの批判が強いと聞く。それに屈しないため業界が自民党の農林族に献金していたことが汚職事件となっているのは御承知だろう。

  どうせ最後は殺され人間の胃袋に収まるのだからヨーロッパの非難は「ワニの涙」のようでもある。しかし一生をケージで過ごし搾取されて終わるというのも人間の身勝手そのものである。せめてある期間は広い空間で飼育させたいとは思う。そのため現在の鶏卵価格が上昇しても私個人はある程度 ( 2倍くらい?) は我慢したい。それも「ワニの涙」と言われれば否定はしないが.........。

2021年1月29日金曜日

歴史上の人物の評価の難しさ

  トランプ前大統領の言動が惹き起こしたと言えるかは分からないが、米国史上の著名人物の評価に異論しきりである。南北戦争での南軍の司令官のロバート・E ・リー将軍の立像が南部で撤去される ( ヴァージニア州知事の発議 ) との話が惹き起こした対立が発端だった。

  その後、リー将軍の名を冠した米軍基地が改名されたと聞くが、立像がどうなったかは知らない。しかし、今朝の東京新聞のワシントン支局の記者のレポートによると、サンフランシスコ市の教育委員会が27日、「人種差別などに加担したと認めた歴史上の人物に由来する公立学校名の廃止を決めた」。具体的にはワシントンとリンカーンの名を冠した二校が改名する。ワシントンは奴隷所有者として、リンカーンは「1862年、先住民ダコタ族との戦いで、38名の一斉絞首刑を認めたことが問題視された」とのこと。全体の3割に当たる44校が見直し対象に当たるという。
  
  「建国の父祖たち」に奴隷所有者が少なくないことは間違いない。リンカーンについては私は知らないが、南北戦争中なのでダコタ族が南軍に味方したのだろうか?  リンカーンはもともと奴隷即時解放論者ではなかった。しかし、独立戦争を闘ったワシントンと奴隷解放宣言したリンカーンが世界の民主主義や人権に貢献した事実はどうなのか。

  昼食後たまたまチャンネルを回したテレビで、米国の黒人解放運動 ( 地下鉄道 ) に尽くしたハリエット・ダナマン ( 黒人女性 ) をアンドリュー・ジャクソン大統領に替えて米国の紙幣の肖像に採用する話が出ていると知った ( これまでトランプが実現にストップをかけていた由 ) 。米国の1ドルから100ドルまでの紙幣には超有名な7人の政治家の肖像が採用されているが、新しく黒人女性の肖像が採用されることには私に異論はない。しかし、ワシントンやリンカーンの名が学校名から除外されることには疑問を感じる。彼らが直面した時代状況も考慮されてよい。

2021年1月24日日曜日

核兵器禁止条約の批准

  核兵器禁止条約が世界五十ヵ国で批准され発効した。我が国のメディアがこれを歓迎するのはわかるが、日本も批准せよとの主張には賛成できない。米国の核の傘の下にあるNATO諸国は批准していない。それが道理というものだろう。被爆国日本は別という論理は論理と言えるだろうか?

  私は以前から我が国のマスコミが、日本が核兵器廃止を唱えるのが被爆国としての権利か義務であるかのように説くのはおかしいと感じていた。権利といえば我が国も大戦中原爆製造の研究を始めていたが、開発競争に敗れた。もし米国に先んじて開発していたら使用した可能性は大きい。義務ということなら、あへて言えば投下国の側の義務ではないか。

  私はこれまでの原水爆禁止運動が無駄だったというのではない。核兵器の残酷さは禁止運動なしには世界の人たちに知られなかったろう。およそ半世紀前、香港かシンガポールでの太平洋戦争のドキュメンタリー映画の上映をテレビで放映していた。フィルムの最後が原爆のきのこ雲で終わると聴衆は大拍手だった。まるで大団円のように。いま両地で同じことが起こらないなら、国際情勢の変化とともに核兵器禁止運動の成果であろう。中南米などに非核宣言地域が生まれたのも同様である。

  しかし、現代世界の法の支配も言論の自由も西側諸国の団結と米国の核兵器に護られている現実に目を閉ざして良いのだろうか? NATO諸国はプーチンにほくそ笑ませることを拒んだ。我が国は習近平や金正恩をほくそ笑ませるべきだろうか。

2021年1月20日水曜日

第二次南北戦争?

  米国で何カ月にもわたりもめた次期大統領選出もようやく20日 (米国時間 )バイデン氏が無事就任して終わるだろう。トランプ支持派といえども四年後のトランプ復活を願うなら少なくとも暴力の再発は抑えるだろう。

  四年後にトランプが再選されるとは思わないが、バイデン政権の直面する諸課題も決して解決容易ではなかろう。ただ、先日行われたジョージア州の上院再選挙で民主党が連邦上院の多数派となったことで前途はかなり明るくなった。トランプ再登場があり得るとすればバイデン政権と議会の対立が泥沼化した時だろうから。

  トランプ政権の四年間は米国内の政治的対立を激化させた。しかし正確に言えばトランプは対立を顕在化させたというべきだろう。東京新聞の『本音のコラム』( 8月28日 )にフリージャーナリストの北丸雄二氏は「南北戦争というタブー」という短文を載せている。それによれば、「今これを『分断』と言いますが、思えば南北戦争での敗北以来、いわゆる南軍に象徴されるような人たちは雪辱を期してこの時を待っていた感さえある。分離は息を潜めていただけです」「まるで第二次南北戦争だね」とアメリカ人の友人に話すと「それは私たちにはタブーなの」との返事だった。

南北戦争での死者数は二つの世界大戦での米軍の死者の合計を上回ると聞く。その傷は未だに癒えていないということなのだろう。リンカーンは戦後の南部に寛大な扱いをめざした。しかし、その横死により、副大統領から昇格したアンドリュー・ジョンソンにはリンカーンのような権威はなく、北部の敵対心を抑えることはできなかった。

  しかし、米国南部の魂とも言うべきジョージア州で今回民主党が2議席を独占したことは、和解への道が開かれていることを示す明るい兆しである。新大統領の手腕に期待したい。


2021年1月14日木曜日

大学入学資格試験の変遷

  大学入試センター試験が廃止され、大学入学共通テストと名を変え、その第一回が今週末実施されるとのこと。前者よりも思考力、判断力、表現力が重視されるそうだ。私は謳い文句をそのままには信じないが、主旨としては素晴らしいと思う。

  昭和ひとけた生まれの私の受験時にはセンター試験はまだ無く、大学進学適性検査 ( 略して進適 ) が発足直後だった。一回か二回、公的な予行演習的テストを受けさせられたが、内容は知能テストに極めて近く、知識量のテストではなかった。地方の高校ではトップを争っていた私の進適の成績はそれほどでもなく、私の心は傷ついた!  さいわい進適本番ではトップ争いに返り咲いたが、その変動の理由は分からなかった。入試にどう利用されたかも分からない。

  センター試験の発足の理由は個別入試に難問奇問が出題されているからとのことだった。それは事実だったが、そうしないと一流大学では志望者の成績に差がつかないのも事実だった。ともあれ、何人もの出題者が熟議して決まる問題の質は確かに向上した。しかし、全国一斉テストの各大学での準備と実施は失敗が許されないだけに大変だったろう ( 私は勤務先が採用する前に退職 ) 。

  今年はコロナ禍のため共通テストだけで個別試験無しで合格者を決める大学が増加するようだ。非常時とはいえそれで済むならこれまでの個別入試は何だったのかということにもなりかねない。入試料収入など問題は複雑だろうが、もう少し入試を単純化した方が受験生が助かるのではないか。

訂正   8月23日のブログで、私が大学の礼拝堂で話をしたと書いたが、最近の大学からのパンフの写真を見て間違いに気づいた。壇上からだったと記憶するので講堂か大教室だったのだろう。

2021年1月9日土曜日

笑いの効用

 今日の朝日新聞 ( 夕刊 』の『惜別』欄に演芸作家の織田正吉氏の追悼記事が載っている。私は初めて聞くお名前だが、やすきよの漫才 ( 私もファンだった )の台本をはじめ多くの笑いの原作者であり、笑いの研究者としても第一人者だったという。

  その氏の発言「真面目さに固執すると、何かのきっかけで一つの方向に押し流されやすい。多面的な見方をするためにも、ユーモア感覚を忘れてはいけない。戦前と戦後、両方を知る者だから余計にそう思う」には同感を禁じえなかった。昨今の民放テレビ番組では、おふざけもいい加減にしろと感じることも多いが、テンション民族とも言われた日本人の性格の改善に貢献するとも思う。

 氏は88歳ということなので戦時は小学生だったことになり、まさに私と同世代である。以前 ( 11月18日) 、私は二世を生きたとブログに書いたが、こどもになにがわかるかとの批判もあろう。しかし同年の織田氏も「両方を知る」と言われる。当時の世相は子供にも分かるほど異常だったのである。

例えば、軍国主義の風潮は小学校にも及び、教師が生徒に張り手で罰するのは珍しくなかった( 私も二校で被害者だった)。兵役につくと新兵は下士官や古参兵の理不尽な私的制裁の餌食となることは当時誰でも知っていた。海軍も例外ではなく、行軍中「海軍精神注入棒」で叩かれた。

私は笑いを浴びて育った日本人があんな理不尽な暴力の時代に帰るとは思わない。織田氏の意見に全面賛成である。

2021年1月4日月曜日

丑年雑感

   今年が丑年というので昨夜のNHKテレビの「ダーウィンが来た!」はウシの話題特集で、「今年の主役! ウシ特集 ウシ科大繁盛の秘密は」というものだった。ウシではなくウシ科としたのはわれわれにも周知の肉牛や乳牛や水牛や野牛以外も含めてのこと。したがってこれがウシ?と思う動物がいくつか紹介されていた。カモシカがウシ科であることは知っていたが、アフリカ大陸に住むキリンもインパラもウシ科とは知らなかった。

ウシが4つの胃を持つとは知っていたが、それが何故なのかは私も知らなかった。番組によると野生の牛は草だけを食べているのにタンパク質や脂肪のかたまりのような身体をしているのは第二の?胃の中に住む細菌の作用で草が富栄養化するためとのことだった。無駄に4つの胃を備えているわけではなかった。

胃が複数あることとどう関係するのかは知らないが、ウシのゲップが地球温暖化の一因と最近言われている。 世界の牛肉 (と牛乳 )の需要が拡大して飼育頭数が激増したのが原因なのだろう。私も牛肉が豚肉や鳥肉よりも好きなので内心忸怩たるものがある。

それより何よりもあれほど従順でかわいい牛にとって人間は鬼そのものだろう。牛が鬼滅の刃を振るう時代がいつか来るのか? ( バカも休み休みにしろ!? )。