1941年度の米国のアカデミー賞作品賞を受賞したジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』を六十余年ぶりに録画 (10月26日放映)で再見した。ジョン・フォードと言えば『駅馬車』などの西部劇で有名だが、この作品は英国の南ウェールズのロンダ渓谷の小炭鉱の労働者一家を描いた作品で、 戦後間も無く我が国で公開された。
主人公の少年は男5人、女2人の兄弟姉妹の歳の離れた末っ子に生まれた。時代ははっきりしないが、ビクトリア女王存命中なので十九世紀末か。敬虔なキリスト教徒の両親は労働組合員の兄たちと意見が合わない。やがて不景気の時期となり、炭鉱主の賃金引き下げに反対して労働者たちはストライキに訴えるが敗北し、兄弟4人はそれぞれ米国やカナダやニュージーランドなどに去る。
少年は当時の労働者の子弟としては珍しく小学校に通うが、卒業後は父と同じく炭鉱夫となる。やがて炭鉱火災があり父親は死ぬ。時代の大波に流された一家を描いたこの作品に感動した私は、映画に続いて邦訳された『わが谷は緑なりき』を読んだし、およそ60年後ロンダ渓谷の現地を訪ねた。道路に沿って立つ炭鉱夫たちの住宅は映画のセットほど古めかしくはなかったが、いまは人影もまばらで時代の変化を感じさせた。それでも作家となった主人公のおかげでロンダ渓谷の名は多少とも世界に知られるようになった。
坑内の描写は事故を除けば映画は映していなかったが、昨年出た岩波新書の『ジョージ・オーウェル』によると、英国北部の炭鉱の調査に携わった際、採炭現場までの2キロの坑道は120センチほどの高さしか無かった。どこの炭鉱もそうだったかは断定できないが.........。
P.S. 前々回の『自由を我等に』の主題歌の出だしは「我らの願いは自由よ」としたが、多分記憶違いで「我らの命は自由よ」が正しい。確認するにはDVDでも借りなければならないが?
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